ピアニスト山本貴志、4都市を巡るツアー公演へ メインはショパンとラフマニノフ~「人生をかけて残した音楽を、時代を超えてお届けすることが楽しみであり、使命」
2023年5月・6月、ピアニスト山本貴志がリサイタルツアーを行う。5月3日(水・祝)飯山市文化交流館なちゅら 大ホールでの長野公演を皮切りに、兵庫(6月8日(木)兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール)、群馬(6月16日(金)高崎芸術劇場 音楽ホール)、東京(6月26日(月)銀座ヤマハホール)と続く。ツアー公演を前に、山本に話を聞いた。
――山本さんは現在もショパンの生まれ故郷・ポーランドのワルシャワを拠点に活動されておられますが、そのきっかけはどういったものでしたか?
子供の頃からショパンが好きでしたが、20歳になる前、雑誌でショパン音楽院での夏期講習を偶然見つけまして、初めてのヨーロッパとして参りました。その際、受講したピオトル・パレチニ先生のレッスンも素晴らしかったのですが、同時に、困った方を自然に助けるような、ポーランドの方の暖かい国民性がわかり、ポーランドという国自体が一気に好きになってしまいました。また市の中心に緑があったり、食事も美味しかったり、などという事もあり、2003年から5年間、ショパン音楽院へ留学いたしました。その後東京に戻って演奏活動を続けていたのですが、お客様には一番良い状態で聞いていただかないと、と追い詰められるような瞬間もあった中、何気なくポーランドでの演奏会の様子を思い出したのです。
ポーランドでの演奏会は、お客様が近所から歩いて来られたり、お茶菓子を囲まれたりなど、アットホームなサロンコンサートが多く、温かみを肌で感じると同時に、『日常の延長』と感じる演奏会で、私自身にとっても、音楽ってこうやって楽しんでいいのだな、と思うきっかけになったことを思い出し、あらためてポーランドへ行こうと思いました。今もそうした、ポーランドのコンサートから教わった、自分が楽しめるように演奏会に臨む、という心持ちを大事にしています。
――ショパンは、ポーランドを愛される山本さんにとっても特別な存在の作曲家でしょうか?
ポーランドを訪れるきっかけとなったのがショパンでしたが、ポーランドの方にとってのショパンの存在を伺いますと、より特別な作曲家と思っております。
ポーランドの方は、ショパンという存在が「自分たちの心」、「自分たちが自分たちでいられる象徴」だと形容されます。それは、歴史上他国から侵略されることが多かった国であるゆえの拠り所、という部分もあるかもしれませんが、しかし同時に、ショパンの音楽そのものが、そのような歴史を経ても不屈の強い精神から、困った人に手を差し伸べる暖かな心まで、様々な感情を余すことなく表現していることが理由なのだと思います。
私が、ポーランドの方の『心』であるショパンを昔から好きでしたことは、ポーランドを好きになるきっかけを幼い頃からずっと持ち続けていたのかな、と思いますし、ショパン音楽院の夏期講習を見つけたのも、偶然ではなく、惹きつけられるものがあったのかな、と思います。
――今回のツアーでは、山本さんが大事にされるショパンに加えて、「楽興の時」をメインにラフマニノフを演奏されますね。そのプログラムや、ラフマニノフの印象に関してお聞かせください。
後半では、まず「鐘」として知られる前奏曲Op.3-2、そして美しい穏やかな前奏曲Op.23-4で一旦リラックスいただき、後半のメインとなります「楽興の時」6曲へと繋げていきたいと思います。
「楽興の時」は、まず初めに、ショパンのメロディーの歌い方に近いものがあるように感じた1曲目に強く惹かれました。ただその後、他の5曲も紐解いていきますと、6曲全体を通して『苦難を乗り越えた先に希望がある』という構成である、6曲でひとつの作品だということが大変よくわかりました。
ただ、この「楽興の時」が書かれたのは、有名な交響曲第1番の初演での失敗より1年前のもの、ということを初めて知った際には少し驚きました。まさにそうした「苦難を乗り越える」経験を経てから書かれた作品だと思えたからです。
また同時に、ラフマニノフにとって大きなターニングポイントのその出来事以前に、ラフマニノフはそうした感情を抱えて生きていたということ、と強く感じました。
それは以前、ロシアの先生にラフマニノフの作品をレッスンいただいた際、「ラフマニノフは常にコンプレックスみたいなものを持ち続けて生きてきた人であり、そういったものが一番大切である」とお伺いしていたことを思い出すものでした。波乱万丈の人生を送られた中でも、体格に恵まれるなど全てを手に入れていたように見えて、『楽興の時』の4曲目に見られる、苦悩そのものを音楽にしたような、そういった曲を書かざるを得ないようなフラストレーションがラフマニノフ自身にはあったのだと思います。
作曲家自身のことは、伝記や当時の人の証言からしか分かりませんが、他人からはなかなか見えないところにある本質は、音楽からわかります。作品には、作曲家自身がどういうことを考えたか、どういったことを経験したかということまで教えていただけると思います。
――そして前半にはショパンを演奏されます。後半が、短調で暗さに満ちたOp.3-2で開始するのに対して、前半のショパンは美しいノクターンOp.9-2からと、非常に対照的な幕開けで、選曲へのこだわりを感じます。
ラフマニノフが「苦悩」を感じる重量感ある楽曲ですので、対照的にショパンでは、全4曲のバラードの中ではエレガントでしなやかなバラード第3番など、優雅かつ穏やかで、明るい雰囲気の楽曲を選曲いたしました。
――有名な楽曲も並びますが、前半の最後では、あまり演奏機会が多くない「序奏とロンド」Op.16を演奏されます。この曲はどんな曲でしょうか?
この作品は、ショパンがポーランドから離れる前の作品ですが、その頃の作品には、煌びやか・華やかな作品が多いように思います。個人的にはこの初期の作品に惹かれるものがありまして、これらの作品は、ピアニストでもあったショパンの姿を彷彿とさせます。演奏していると『指が喜ぶ』といいますか、純粋に音楽を奏でている感覚になります。
こういった、純粋に音一つ一つを聴いて楽しんでいただける曲として非常に素敵だと思いましたので、前半の最後に選ばせていただきました。
――今回のプログラムは、昨年に飯山・東京などで開催されたリサイタルツアーでの当初の曲目でしたが、ロシアによるウクライナ侵攻に伴って、曲目を変更されたとお伺いしました。1年越しでの演奏となりますが、ご心境はいかがですか?
もともと、ピアノの魅力を最大限に引き出した点では欠かせない作曲家として、2人の作品の組合せには興味がありましたが、昨年は、ロシアの作品の演奏自体が難しい世の中となり、同内容での公演は叶いませんでした。しかし、1年延期となりいろいろなことを経たことで、曲への臨み方が変わりました。昨年は2人のピアノ曲の違いを楽しんでいただけたらと思っておりましたが、今年演奏させていただくにあたっては、音楽の持つ力をみなさんにお届けできたらと思っております。
国籍に関係なく、純粋に曲を生み出していた一人の人間として考えますと、生まれた場所は違いますが、歴史や運命に影響されたという点では同じ道を辿っている2人だと思います。素晴らしい曲を数多く残してくださっていますが、決してすらすらと書いているわけではなく、その裏では病気や戦争など、苦難に満ちた人生をお二人ともが送られています。
後半のラフマニノフでは、『楽興の時』に代表されるような、音楽で表現した苦悩そのものというような楽曲を、対照的に前半では、ショパンの優雅で明るい雰囲気の楽曲を演奏いたしますが、音楽というものは苦悩にせよ美しい穏やかなものにせよ、私たちの心に直接届く、言葉のいらない癒しの存在であるということを味わっていただきたいと思います。
――コンサートをお聴きいただく皆様にメッセージはありますか。
不思議ですが、コンサートは弾く側が一方的に発信しているように見えて、奏者も聴いてくださる方から影響を受けます。言葉を発しないで聴いていただく中で、ある種の雰囲気が会場に充満し、それが助けとなって、曲に集中する、入り込める空気をお客様が作ってくださるのです。その時にしか味わえない経験をいつもさせていただいています。
またいつも思いますが、音楽を聴く・演奏することは、旅行をするような気分になります。時代を超えるだけでなく、曲が書かれた場所を考えても、さまざまな場所、部屋、様々なピアノの前と、そうした場所も含まって音楽が出来ていると思います。お客様には、聴くだけでなく、弾いている姿を見ていただき、熱気を肌で感じていただくなど、五感を使っていろいろな面から楽しんでいただければと思います。
――「演奏を見る」と言う点では、今回のツアーに合わせて撮影されたPVでの鬼気迫る山本さんの表情がとても印象的でした。
あの表情は無意識と申しますか、自然に出てしまったものでしたので、自分でも出来上がったものを見てびっくりしておりました。
山本貴志ピアノリサイタル tour 2023
ただ、練習中のある時、我に帰りまして、今回のプログラムをどういう表情で弾いているのか意識してみました。前半のショパンの作品は自然と笑顔で演奏しておりましたが、ラフマニノフの作品では、『楽興の時』などは長調であっても自然と険しい顔となっておりました。
ショパンの場合ももちろん曲に入り込みますが、バランスが難しくなりますので、入り込みすぎないようにして弾いているのですが、ラフマニノフは、曲に引っ張られる、作曲家のメッセージが知らぬ間に体に入ってくるような感覚があり、我を忘れて弾いているような感覚になります。
――今回のツアーでは4会場を回られます。各会場の印象などはありますか?
同じプログラムで演奏いたしますが、各ホールのイメージというのが異なりますので、それぞれのホールのイメージで演奏させていただきたいなと思っております。
長野・飯山は生まれ故郷で、お客様が言葉に出されるわけではないですが「おかえり」と、迎えてくださるイメージがあります。温かい雰囲気を感じつつ、サロンコンサートのような、近い距離感のイメージで演奏させていただきたく思っております。また兵庫の神戸女学院小ホールは、響きの広がりがすごく特徴的で素敵なホールに思います。特にラフマニノフなど、ホールいっぱいに音を満たして演奏したく思います。
群馬・高崎の高崎芸術劇場・音楽ホールは今回初めて伺いますが、素晴らしい会場とお聞きしています。新しい会場での演奏会も久しぶりで、当日のホールとの出会いが今から楽しみです。そして最後に参りますヤマハホールですが、私も幼い頃からヤマハを演奏しており、ヤマハの楽器には大変親しみやすい印象がございます。演奏では、自分の感じたこと、思ったことを託すイメージで演奏したいと思っております。
ホールによって弾き方も自然と変わってくると思いますので、自分も楽しみたいと思いますし、複数公演をお越しいただけますと各会場での演奏を聴き比べていただくような、楽しみ方もしていただけるかと思います。
――最後に、改めて今回のリサイタルツアーに向けた意気込みをお願いいたします。
ショパンとラフマニノフが人生をかけて残してくれた音楽の贈り物の数々を、時代を超えてお届けする、というのが今回のツアーでの一番の楽しみであり、使命であると思っております。
今こういった時代の中、お客様にもいろいろな悲喜交々があると思います。そうした中でも、ひとときですけれども、純粋に演奏会を、ピアノという楽器の素晴らしさや音色の多彩さを、ふたりの作曲家を通じて楽しんでいただき、終わった後に『楽しかった』と言っていただける演奏会にできればと思っております。
――ありがとうございました。
公演情報
長野公演
5月3日(水・祝) 開演14:00 (開場13:30)
飯山市文化交流館なちゅら 大ホール
料金:4000円
ホール特別販売:席数限定 3000円
なちゅら:0269-67-0311
兵庫公演
6月8日(木) 開演19:00 (開場18:30)
兵庫県立芸術文化センター 神戸女学院小ホール
料金:A席5000円 B席4000円
群馬公演
6月16日(金) 開演19:00 (開場18:30)
高崎芸術劇場 音楽ホール
料金:A席5000円 B席4000円
東京公演
6月26日(月) 開演19:00 (開場18:30)
銀座ヤマハホール
料金:A席5000円 B席4000円
◇プログラム
ショパン
ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2
バラード第3番 変イ長調 Op.47
4つのマズルカ Op.24
舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
序奏とロンド 変ホ長調 Op.16
ラフマニノフ
前奏曲 嬰ハ短調 Op.3-2「鐘」
前奏曲 ニ長調 Op.23-4
楽興の時 Op.16(全6曲)
第1曲 変ロ短調
第2曲 変ホ短調
第3曲 ロ短調
第4曲 ホ短調
第5曲 変ニ長調
第6曲 ハ長調