維新派最後の野外劇『アマハラ』会見レポート《後編》
松本雄吉(2012年撮影) [撮影]吉永美和子(このページすべて)
「亡くなるだなんて、そんなことする?」という感じでした(内橋)
松本雄吉の死が報道された時は、多くの人があまりにも突然の出来事だと思っただろう。しかし実は昨年にはガンが発見され、昨年末~今年頭に上演した『レミング』『PORTAL』では病魔と闘いながら演出をしていたことが、この会見で初めて公式に語られた。会見の後半は、松本に関する話題を中心に紹介する。
※参照→ 維新派最後の野外劇『アマハラ』会見レポート《前編》
松本の最期の半年について、制作の山﨑からの説明を要約すると以下の通り。
東京の病院で食道・咽頭にガンが見つかったのは、『レミング』の稽古が始まった頃だった。早期治療を勧められるレベルだったが、「『レミング』をやり切りたい」という松本の強い意志により、公演初日までは治療を延期。無事開幕したのを見届けた後、12月14日から大阪の病院で入院治療を開始した。それは奇しくも『PORTAL』の稽古初日だったが、もともと演出助手に付く予定だった脚本の林慎一郎(極東退屈道場)に稽古場を任せ、12月中は治療に専念。1月からは、病院から稽古場に通う形で演出に復帰したが、2月半ばの公演初日辺りから体調を崩し、本作の西日本ツアーには参加が叶わなかった。
それでも4月に入ってからは、食道を切除したためチューブで栄養を取る状態から、食事ができる段階まで回復。ちょうど劇団も『アマハラ』稽古に入った所だったので、役者たちとメールでやり取りをしたり、病室で打ち合わせを行うなど、意欲的に制作を進めていた。しかし4月下旬辺りから再び体調を崩し、5月18日に平城京跡で『アマハラ』宣伝写真の撮影に立ち会ったのを最後に、外出すら一切できなくなった。この時点では会話などは充分できていたが、6月半ばから容体が急激に悪化。ガンの転移による呼吸不全により、6月18日未明に逝去した。
山﨑 私たち自身も、そして松本自身も、こんなに容体が急変するとは思ってなくて、普通に(公演を)やるつもりでした。なので何かの思いを私たちに遺すとか、そういうやりとりは特にしていなかったです。
内橋 松本さんが亡くなるというのは、想像すらしていなかった。あの人はそんなことはない、元気になると想定してみんなコトを進めていたから。だから(亡くなったのは)逆に意外というか「そんなことするの? 意地悪ねえ」みたいな感じですよ(平野・金子・山﨑も笑いながらうなずく)。
『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』シンガポール公演で観客からの質問に答える松本雄吉(2011年撮影)
また内橋は、30年近くに渡って松本とコラボレーションを続けて来られたのには、松本とはコミュニケーションが取りやすかったことと、イメージなどを決めつけない点にあったという話もしてくれた。
内橋 僕は割と言葉が苦手で、言葉で説明されるとわからない人なんだけど、松本さんは僕にわかる話し方をしてくれた。作品を作る時も、松本さんが「こんなことやりたいなあ」ということをただしゃべるだけで、創作に入るすごいヒントになりました。
山﨑 松本さんから「こういう音にしてくれ」ということは一切なかったですね。
内橋 「こうじゃなきゃダメ」という人じゃない。始めから自分なりにイメージがあって、細かいことを言ってくるようなら「それなら自分でやれ!」という話になるけど、松本さんはそうじゃない。台本を渡したら、ただどんな音が来るかを楽しみにして、考えていたのと違う曲が来ても「意外やけど、いっぺん(稽古で)やってみよか」と。どうしても「やっぱり上手くできなかった」ということは何度かありましたけど、基本的には全部やってみてから考える。だから僕は、松本さんとはずっと一緒にできたんです。
内橋が「松本さんはAB型なのに…」と言うと、制作の山﨑から「実はA型でした」という衝撃の(?)事実が会見中に明らかに。
また松本のパーソナリティに話が及ぶと、長年付き合いのあった司会の小堀純も混じって、いろいろな逸話が飛び出してきた。
内橋 優しくて、すごく厳しい人でしたね。「なぜここにみんなで集まって、こういうことをやってるのか?」という動機の真剣さがない人とは一緒にできないし、中途半端なことをすると一発で切られる。そうやって切られた人を何人も見て来て「怖い怖い」と思っていました(笑)。そしてすごく、人の意見を聞く人でした。人から聞いて面白いと思ったことは、ちゃんと自分の中で構成して作品の中で反映する…悪く言えばパクってる(笑)。若い人が大好きだし、彼らがやっていることを知りたいというどん欲さはずうっと持っていたし、だから若い人が寄ってくるんですよ。自分も若いと考えていたと思うけど(笑)。
あと維新派って、公演の時にはみんなで泊まりこんでご飯を一緒に食べるけど、ご飯のことをとても大事にしていました。美味しいものをみんなに食べて欲しいとすごく気を使っていて「ご飯がまずい! 俺が作る!」って、作った人を帰らせたこともありました(笑)。
金子 公演中にもぬか床を持参して、キュウリを毎日漬けたり。
小堀 フェスティバル/トーキョー(『ろじ式』)の時ですね。本番を直前に控えた演出家が、ぬか床を混ぜてるんですよ。しかもその漬物を、(会場前の)屋台村で売ってました(笑)。
内橋 あとみんなが散らかした靴を全部そろえるとかね。若い子に「そろえろ!」とか一切言わない。自分が気になるから。
金子 『トワイライト』は大きなグラウンドでやったんですけど、そこの舞台をトンボで整地するのを、一番にやってたのが松本さんで(笑)。庭師のように平面にしたいと言って、あの人がやるなら僕たちもやらないかんと。その作業がすごく楽しかったです。
平野は現在維新派で2番目に長く在籍しているベテランの役者。金子は『レミング』で振付を担当するなど、近年松本の右腕的な仕事をしていた。
そして平野からは、自分のモノの見方は維新派=松本雄吉に育てられたという話が。
平野 演劇の世界に触れたのは維新派がまったく初めてで、しかもすぐ維新派に入ったので、いわゆる箱入り娘と言いますか(笑)、純粋培養って言うんですかね? 率直に言って、維新派しか知らないと言っていいぐらいの人生を送っているので、私が物を見る時や、面白い面白くないの判断基準になっているのは、松本としゃべってる時の言葉。そして松本の演出を受けて「あ、そういうやり方でこうなるのか」という風に思ってきたことがすべて、と言っても過言ではないです。
松本の逝去が劇団から公式に発表された時「秋頃に偲ぶ会を開く予定」と書かれていたのを覚えている人もいるかもしれないが、今回の公演を偲ぶ場とすることが、会見中に発表された。
山﨑 (逝去直後は)公演をするというのが考えられなくて「偲ぶ会を開く予定」という形にさせていただきましたが、公演をするとなった以上、会場自体が偲ぶ場所みたいなことにどうしてもなるんじゃないかと思いまして。
金子 みんなで偲び倒す、みたいな感じに(一同笑)。
山﨑 屋台村に追悼コーナーを作るという話が出ていますが、具体的に何をするかはまだ未定です。
現在役者たちが持ち歩いている、松本雄吉が遺したネタ帳のコピー「松本ノート」を見せる平野。
余談だが、文中の「公演中のご飯のことをすごく大事にしていた」という話に関して、筆者が犬島公演の劇団宿舎を訪れた時、山盛りのムカゴを台所で見かけた。それは松本が「千秋楽までにみんなにムカゴご飯を振る舞いたい」と言って、毎日島の雑木林で少しずつ採取した物だったという。話を聞きながら、松本に関するいろいろなエピソードが、走馬灯のように思い出される会見だった。
松本雄吉の遺志を継いだ劇団員たちとスタッフが、それぞれの“松本雄吉の想い”をまとめあげ、彼が長年夢見ていた風景を平城京跡に立ち上げる『アマハラ』。伝説的集団が本当の伝説となる前に、ぜひともその最後の姿を見届けてほしい。
■日時:2016年10月14日(金)~24日(月) 17:15開演
※雨天決行(台風などの荒天の場合は中止)。屋台村は16:00から開場。
■会場:奈良・平城京跡(第二次朝堂院跡地)特設会場
■料金: 一般5,500円 25歳以下3,000円
■発売:8月28日(日)12時より劇団WEB・電話(06-6763-2634/12:00~18:00)にて受付。
■音楽・演奏:内橋和久
■出演:維新派、ほか