ラッパ屋の新作『ユー・アー・ミー?』観劇レポート もう一人の自分と対話するファンタジー

レポート
舞台
2017.1.17
ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』より おかやまはじめ、松村武 (撮影:木村洋一)

ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』より おかやまはじめ、松村武 (撮影:木村洋一)


ラッパ屋の新作『ユー・アー・ミー?』が、1月14日から開幕した。

ラッパ屋は1984年の旗揚げ以来、「大人が楽しめる芝居づくり」を標榜しながら、主宰者・鈴木聡の脚本・演出による「おまぬけコメディ」を上演してきた。大人がリアルに共感でき、しかも確かな笑いがもたらされる。役者もスタッフも熟達の域に達し、力まず軽すぎず、ウェルメイドの気取りもなく、商業演劇ほどベタにもならず、ほど良く味わいのある作風で観る者を心地よく包み込む。人は歳が増すごとに、そういう芝居の有難みがわかってくるものだ。筆者もまた例外ではない。このたび、待ち焦がれていたラッパ屋新作の初日を観てきた。

公演会場である紀伊國屋ホールで多く目につくのは、やはり劇団と共に年齢を重ねてきた中高年層の観客たちだ。しかも男性の割合が高い。演劇の客席としてはちょっと珍しい。一方で若い観客もそれなりに見かける。若くして、こういう演劇に興味を持つとは、その鑑識眼を侮れない。それとも人生に早くも疲れを覚え、その劇世界に「あるある」的な共感を求めにやって来ているのだろうか。その共感を通じて、老いも若きも、生きる活力を得る。だから筆者にとってラッパ屋は「生きるための処方箋」というべき劇団なのである。

さて今回、舞台となるのは、昭和時代からの歴史を感じさせる会社ビルのエレベータホールである。中央にあるエレベータも、停止階が金属の表示針で示されるタイプの骨董的な代物だ。そんな空間に主人公・小西(おかやまはじめ)が立ち、ボイスレコーダをマイクのように持って「私が会社で体験した奇妙な出来事」について語り始める。その、奇妙な出来事とは何か?

ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』より(撮影:木村洋一)

ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』より(撮影:木村洋一)

エレベータ前の円卓スタンドに、ミーティングをしに社員たちが集まる。みな一様にスタバの紙コップを持ち、MacBookを拡げると、キーボードの早打ちが始まる。相手の顔を一切見ることなく「アジェンダ」「エビデンス」「スキーム」「デフォルト」といったカタカナの単語ばかりが飛び交う。これは今どきの会社によくある会議光景だ。しかし、昭和時代からこの会社に勤めてきた小西にとっては、そこで行われていることすべてが奇妙で不可解な出来事だと感じる……と、実はこれ、広報部の吉岡(福本伸一)に依頼された社内報に掲載するコラムの原稿を小西が執筆していたのだ。「できたよ」と小西が吉岡に渡す原稿は、今どき手書きのノートだった(すごいアナログ感!)。

小西の勤務する会社は、アメリカ帰りの二世社長に代替わりしてから、合理性や実力を重視するアメリカン・ビジネスのスタイルに変貌を遂げた。大事なのはロジカルな思考。意識の高い同期社員らはそこで“キャラ変”(自分のキャラクターを変えること)をして出世街道を進んでいく。一方、“キャラ変”ができず、社内メールもちゃんと読んでいないような不器用な小西は、社内で落ちこぼれてゆく。それでも「昔の会社がよかった」「時代遅れの困り者でいい」と開き直る小西なのだった。

そんな中、ヒットが狙えそうな画期的な新商品の開発プロジェクトが進行するが、その商品の発案をした老契約社員の斎藤(武藤直樹)がPCを使えないという理由でプロジェクトから外される。情は厚いが社内で浮いてしまっている小西は斎藤のことを救うことができない。一方、今回の仕事を女性の社会進出のチャンスとして、なんとしても手柄を立てたい制作部の女性社員タシロ(岩橋道子)は、斎藤のアイデアを横取りしようとさえ考える。かくのごとく社内の空気はあちこちで殺伐としている。

ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』より(撮影:木村洋一)

ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』より(撮影:木村洋一)

そんなある晩のこと、小西はエレベータホールで、今度は本当に奇妙な出来事に遭遇する。もう一人の自分=コニシ(松村武)がエレベータから降りてきたのだ。彼はスタバのカップを手に、すでに“キャラ変”している。「勝負しろ。君はまだ何者にもなっていない」と、コニシが小西に迫る。反発しつつも、“キャラ変”にトライする小西だが不十分で、やがてもうひとりの自分にとって代わられる。すると今度は、他の同僚たちの“もう一人”が次々と現れて……。この先の展開を綴るのは、ネタばれになるので控えよう。

ラッパ屋の劇世界といえば、コメディとはいえ、リアリズムのスタイルで描かれるのが定番であった。リアリズムの中から中高年層の「あるある」が浮かび上がって来ることで、リアルな共感を得られるのだった。しかし今回は、途中から思いっきりリアリズムを逸脱した展開を見せる。見ようによっては、主人公の「妄想」や「夢」だと捉えることもできるだろうし、劇中の小西は「SFか?」と慌てたりもするが、作者の鈴木は「ファンタジー」 あるいは「大人のお伽噺」  であると述べている。

しかし、それが何のジャンルなのかといったことは、この際どうでもよいことだ。要は、「私」という人格がひとつの人格ではないということ。ある状況の中で、ひとつの「私」がキャラを選択するが、そのキャラの暴走に対して別の「私」がブレーキをかけるべく問いかけをすることで物語が展開する。この劇には、そのようにして“キャラ変”前と“キャラ変”後の二つの人格として登場する社員が6人×2人格=計12人もいる。

ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』より(撮影:木村洋一)

ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』より(撮影:木村洋一)

荒唐無稽なファンタジーではあるが、2017年の現在を生きる中高年の人々が、自分たちの生き方を立ち止まり「自問自答」をするための仕掛けとして、今回のような演劇的可視化のアイデアは非常に効果的であった。ラッパ屋の芝居の魅力は、劇中登場人物が観客の思いの、良き「代弁者」になってくれることだと思っている。つまり今回の舞台でも、観客の内部の心的葛藤を劇中で代弁してくれている。しかし、その葛藤の先に何か明快な答えが与えられることはない。とりわけ今回のラッパ屋、最終的には観客を現実の世界に引き戻し、あとは自分で考えてね、と言ってるようにさえ思える。ある意味、そうするために敢えてわざわざ「ファンタジー」という仕掛けを持って来たのかもしれない。いずれにせよ、そうであるがゆえに、いつもよりビターさが増してるように思えたのは筆者だけだろうか。前述の如くラッパ屋を「生きるための処方箋」と見立てるならば、今回の処方箋は「良薬口に苦し」といったところか。

劇中に提示される「人はどこまで“キャラ変”をして時代に生き残るべきなのか」という問題提起は、作者・鈴木の思いが強く反映されていることはもちろん、観客の多くが共感しうるものであろう。そもそも演劇などという、合理からかけ離れた表現に接するような人は、不器用にしか生きられない人がほとんどだから“キャラ変”など、みんな不得手のはずだ。しかし演劇の観客に限らず、今後少子高齢化が進むにつれ、社会には不器用がどんどん充満してくるのではないだろうか。そうなってくると、社会全体が本当に『ユー・アー・ミー?』のように精神病理学的な人格分裂の症状を起こすのではないか。今回の舞台はそんな世の中の到来を予言するブラック・ファンタジーであるのかもしれない。

今回、三鴨絵里子と俵木藤汰が他の仕事のため出演していないが、劇団員、客演とも俳優陣は全員、いつもながらに味のある魅力が全開だった。とりわけ“キャラ変”後のコニシを演じた松村武(カムカムミニキーナ座長だが、最近はラッパ屋の常連だ)のアクの強い演技は、劇団にとって良きスパイスとなっている。前回『筋書ナシコ』でタイトルロールを好演した岩橋道子は、今回も、暴走する女性社員タシロを演じて、シャープでエネルギッシュな印象を観る者に刻んだ。不倫関係とおぼしき事業局長ヤマザキとマネージャーのホリを演じた木村靖司谷川清美(演劇集団円)の爛れ具合もさすがだなあ~。そして、今回道具としてのエレベーターを随所で効果的に使っているのだが、それに乗せられてすぐに別の階に運ばれてしまう斎藤さん(武藤直樹)の口数の少なさも例によって最高だった。

取材・文:安藤光夫  撮影:木村洋一

公演情報
ラッパ屋『ユー・アー・ミー?』
 
■日程:2017年1月14日(土)~22日(日)
■開演時間:14・16・17・19・20日19:00、18・21日14:00/19:00、15日14:00、22日13:00/17:00
■会場:紀伊國屋ホール
■脚本・演出:鈴木聡
■出演:
おかやまはじめ 木村靖司 福本伸一 岩本淳/岩橋道子 弘中麻紀 ともさと衣 大草理乙子
松村武(カムカムミニキーナ) 谷川清美(演劇集団円)
中野順一朗 浦川拓海 青野竜平(新宿公社) 林大樹/宇納佑 熊川隆一 武藤直樹
■料金:4,980円(全席指定・税込)※平日のみエコノミー券3,000円(引換券・税込) 、U-25券3,000円(引換券・税込)
■問合せ:ラッパ屋 Tel.080-5419-2144(12:00~19:00)
※2017年1月29日(日)に宮城県・栗原文化会館でも公演
■ラッパ屋公式サイト http://rappaya.jp/

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