Game Designer Dreams VOL.1 『人喰いの大鷲トリコ』上田文人に聞くゲームという"娯楽”とは

2017.5.23
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アニメ/ゲーム

上田文人 撮影:荒川 潤

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ゲームという娯楽が一般的なものになってどれくらいたったのだろう。ゲームセンターにスペースインベーダーが登場し、家にファミコンがやってきて、今はスマホで沢山の優良なゲームを楽しむことが出来る。この企画はゲームに関わる人、ゲームデザイナーの方に話を伺い、ゲームに対する初期衝動、夢、制作に対する思いを伺っていく。第一回の今回は『ICO』『ワンダと巨像』、そして『人喰いの大鷲トリコ』を制作した上田文人氏にご登場頂いた。上田氏の考える「ゲームという名の娯楽」とはー

――まずPlayStation4『人喰いの大鷲トリコ』のお話を伺いたいです。発売から少したっているので、かなり色々なところで語られていると思うんですけど、改めて、完成に至る過程をお伺いできればと思います。

『人喰いの大鷲トリコ』は、当初「TRICO」というプロジェクトネームでスタートしたんですが、制作のきっかけの一つになったのは『ワンダと巨像』に登場した“アグロ”という馬のキャラクターでした。言葉を話さない“アグロ”とプレイヤーの関係性が、制作している自分たちが想定していた以上にプレイヤーに深く刺さっていたというか、思い入れのあるキャラクターだということを、発売後のリアクションとして受けたんです。
そういったこともあって、その部分をゲームデザインのメインに据えて注力して作れば、より深く心に残るものにできるのではないか、と考えたんです。それと、すでに研究してきた技術を使うことで制作期間を短くできるんじゃないか、という狙いもありました。

――僕自身『ワンダと巨像』をプレイして、最終的にアグロでぐっときましたしね。上田さんの作られるゲームは、言葉で語らないゲームが多いと思うんですよ『ICO(イコ)』もそうでしたけど、『ワンダと巨像』もそうだし、異種間だったり、言葉が伝わらない友情みたいなところをゲームの行程で描いていくのがものすごいうまいなって思っていて。

ありがとうございます。

――気がつくと、トリコが懐いてくれるようになっていて、その一つ一つが嬉しいって言う感覚が非常に新鮮だったんです。上田さんはそういう異種間交流や友情のようなものを意識してゲームを作られたりしているんですか?

絆だったり友情だったり、そういうキーワードがよく当てはめられるんですけど、実はそれほど意識はしてないんですよね。それよりも、映画や音楽、小説では表現できないもの、ビデオゲームでしか表現できないものはなんだろう、ということを強く意識しています。その意味で、AIを持って自律的に動くキャラクターとのインタラクションから生み出される偶然の物語、っていうものは、他のメディアでは表現できないだろう、って思っています。だからそこにフォーカスして作っているっていうのがありますね。

――最初に『ICO』をやった時がすごく衝撃的だったんです。何も語ることもないし、説明もいっぱいあるわけではないのに、ただ、手を繋いで冒険するっていうことだけで、こんなに物語が色鮮やかになるんだっていうのが感動だったんですね。ゲームをやっていることで感動だったり、感情を揺さぶられることが僕らの世代以降は多くなっていると思っていますが、上田さんにとって、このゲームが原点というか、思い出のゲームはあるんですか?

いろんなところで言ってますけど、『アウターワールド』と『プリンス・オブ・ペルシャ』ですね。

――『プリンス・オブ・ペルシャ』は僕もめっちゃやりましたね。『アウターワールド』は難しくて途中で投げてしまいました(笑)。

あと『フラッシュバック』っていうゲーム。この3作に共通しているところでいうと、キャラクターの動きですよね。動きがリアルで、もっというと生々しい。それまでのゲームキャラクターに多かった、記号的でわかりやすい挙動、というよりも、モーションをきちんと表現する、という部分に注力したタイトルです。それによってモニターの向こうに表現されている“世界”をより強く感じたんですよね。そこに凄く感銘を受けて、自分も同じようにモニターの向こうに実在しているように感じさせる世界を作りたい、と思うきっかけになったゲームですね。基本的にはモーションが優れたゲームが好きですね。

――僕、『プリンス・オブ・ペルシャ』はスーパーファミコン版でしたね。

自分もAmigaっていうPCを持っていたんですけどAmigaでは、それほどゲームはやってなくて、実は『プリンス・オブ・ペルシャ』をやったのは、ゲームボーイ版からなんです。

――そうなんですね。

ただし、『アウターワールド』は当時の僕には難しすぎて最初クリアできなかったんです。なので友人がクリアするのを見ていて、すごいゲームがあるんだな、と思ったことは強烈に憶えています。

撮影:荒川 潤

――『ICO』の時にもう一つ衝撃的だったのが、取り扱い説明書が本当に綺麗だというのがあって。絵本のように綺麗で、物語を読んでいくだけで操作性がわかってくるし、ストーリーも腑に落ちる。僕の中で今までみた取扱説明書の中でもナンバーワンだと思ってるんです。

取り扱い説明書として機能的かといわれれば、あまりそうでもないんですけどね。

――そしてこの『トリコ』の初回限定版なんですけど、BRUTUSブルータス)さんと組んで、ブックレットも付いています。このジャケットが、子供の頃に読んだ古典童話のようだ、とSNSでも人気でした。このデザインはなぜこういう形に?

いくつか理由があるんですけど、大人でも楽しめるというか、文学的な香りを感じさせたい、あまりゲームをやらない人にも届くようにっていうことが一つ。あとこれまでの『ICO』とかもそうでしたけど、少し児童文学だったり、童話のように見せて、リアリティに対する敷居を下げる。

――敷居を下げる、ですか。

たとえば、前振りとして「童話ですよ」と印象つけておいて、実は緻密に設計された世界がある。そういうものがあると、最初にリアリティに対する敷居が下がっているぶん、お客さんがプレイした時によりリアリティを感じてもらえるんじゃないかという所も狙いとしてありますね。それはパッケージに限らずですが、ゲームを作る上で、本当に世界が存在しているかのようなリアリティを一番重要視しているので。そのリアリティをいかに感じさせるのか、ということにパッケージやデザインもプラスになればという思いから、こういうデザインにしたんですよ。

――この装丁ですが、童話などに思い入れがあったりするんですか?

僕個人というか、担当のデザイナーは思い入れが大きいんだと思います。もともとゲームを買う人って「このゲームを買うんだ」って決めてから買う人が多いと思うんです。

――そうですね、お目当てのタイトルを買いにショップに行きますね。

だとすれば、パッケージデザインはお目当てのゲームを決めていない人にこそアピールする必要があるんじゃないかと思っています。ゲームショップや家電量販店に行って、作品が沢山並んでる中で、目立つということも大事なのかな、と。どんなパッケージにしても、欲しいと思っている人は買ってくれるだろうと。ならそうじゃない人たちに向けてパッケージは作らなければならないと。そういうユニークさを一番大事にしていますね。

――発売日に取りに行った時にはびっくりしました。こういう形のデザインでくるんだと。

通常パッケージもかなり拘っていますが、このくらいだと他のタイトルに埋もれてしまうんじゃないか、ということでこの初回特装版を作りました。これは実は結構お金がかかっていて、この黄色い部分も印刷じゃなくて、紙を本当に貼っていたり。

――僕らの世代だからわかるかもしれないんですけど、このパッケージを見ただけで、この作品は子供がやってもいいんだと思えるんですよね。自分が親だとしたら、子供と一緒にやってもいいし、子供にやらせてもいいゲームなんだなって直感的に伝わってくる。
※『人喰いの大鷲トリコ』はCERO:B(12才以上対象)

そういう狙いもありますね。もうひとつ付け加えると、長くかけて作ったっていうのもあるんですけど、やはり物として大事にして欲しいっていうのがあります。たとえば棚にならべてあったとしても、それほど安っぽくないとか。引っ越す際に荷物を減らすために断捨離することになった時にでも、この作品は残しておこうと思われるようなものにしたいと思っています。

――小説と並べたいパッケージですね。『トリコ』に関しては、かなりの制作期間がかかりました、7年ぐらいですか。

そうですね、構想期間も含めるともう少しかかっているかもしれないですね。

――「7年間待っていた」っていうドラマ仕立てのCMもありましたが、今、業界的にソーシャルにゲーム制作というものが傾いていると思っています。スマホで簡単にゲームができる、無料でダウンロードができる今、ゲーム自体のインストール、アンインストールがすごくカジュアルになっている気がしています。でも据え置き機で、これだけ長い時間『トリコ』を待っていたファンがすごい数がいました。今のこの時代で何年も待って楽しみにしているゲームは、そんなに何タイトルもないじゃないですか。なぜこれだけの人が『トリコ』を待ち続けたのか、上田さんなりの答えみたいなものはあるのでしょうか?

当然ながら、作っている自分たちとしても不安ではありました。長く作っていてもお客さんはきっと待ってくれているから安心だ、という風には少しも思ってなくて、できるだけ早くリリースしないと、きっと『ICO』や『ワンダ』を遊んでくれたファンの人たちの期待値も下がってしまうんじゃないかと、常に焦りながら制作していました。

撮影:荒川 潤

――これだけのロングタームでゲームを作ることで、心が挫けるとか、プロジェクトを止めることを考えたこととかってあったりしたんですか。

当然それはありましたよね。「諦めるか……?」みたいな瞬間もありました。

――それでも作り続けようとした、チームとしての、原動力みたいなものってなんだったんでしょう。

僕個人の話でいうと、当たり前といえばそうなんですが『人喰いの大鷲トリコ』というプロジェクトと、トリコというキャラクターへの思い入れですかね。以前のタイトルもそうですが、「一本これにかける!」みたいな作り方をしていますので、今制作しているものがまったく無くなるのは単純に嫌ですよね。

――『トリコ』のプラットフォームがPS3からPS4に変わり、ゲーム業界を取り巻く環境も変わってきていると思うんですけど、上田さんから見て今のゲーム業界はどう見えますか?

そこはあんまり意識していないですね。僕は自分がプレイヤーとして楽しめるものを、っていうことを一番意識しているので。世間的に売れていたり、評価されていたりするタイトルは当然チェックするんですけど、そういうことよりも自分が楽しめるものを作ることが制作する上でもっとも誠実じゃないかなと思っています。

――最近、ご自身のゲームをやられたりとかもしているんですか。

それは全くやらないですね。制作中に相当数チェックしているので、発売後は他人がプレイしているのを見るのも嫌っていうぐらいです。アップデートパッチが作らせてもらえるなら別ですが、とにかく精神衛生上あまり良くないのであまり見ないようにしています(笑)。

――他の人が作ったゲームとかは。

それはやります、たくさん。

――最近プレイして印象に残っているゲームとかは。

一番最近クリアしたゲームでいうと、やっぱり『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』ですかね。久しぶりにオープンワールドのゲームを最後まで遊んだのかな。

――『ゼルダ』は本当に評判がいいですね。やってみていかがでしたか。

優秀なゲームが沢山あったと思うんですけど、ここ最近出張が多かったっていうのもありますが、家でじっくりゲームをする時間が少ないっていうこともあって、持ち歩くことも出来るっていうNintendo Switchの特性が、ちょうど今のライフスタイルに合っていたのかな、っていうのもありますね。

――ライフスタイルにあっている作品、凄くわかります。

オープンワールドのゲームって実は苦手だったんです。自分としてはゲームの一本に長く時間をかけるっていうのが生活スタイル的に難しいっていうのがあって。例えば、50時間~100時間のゲームっていうのは、あまり最後までプレイせずに、途中まで遊んで、デザインを確認して、次の制作に活かすみたいなプレイスタイルが基本なんですが、ゼルダに関していうと、最後まですんなり遊びました。

撮影:荒川 潤

――ソーシャルの話に戻らせてください。携帯でやるゲームって流行っていると思うんですけど、人とゲームの関わりっていうのはここ20年でだいぶ変わってきたと思うんです。パソコンでゲームをやっていたのに、ファミコンが生まれて家にゲームがやってきて、ゲームボーイとかで携帯でできるようになり、高画質の据え置きのゲーム機が生まれて……とどんどん変わってきていると思うんですけど、これからどういう風にゲームと関わっていくかをお伺いできれば。

今のところは、新しい関わり方っていうのは考えてないですね。僕もビデオゲームとともに成長してきた世代で、他の娯楽、映画や音楽、漫画や小説など、たくさんある娯楽の中の一つとして、ビデオゲームを楽しんでいます。それは今後も変わらないのではないかと思います。

――なるほど。

映画や音楽がそうであったように、何か新しい音楽や映画が出るといった時に、ワクワクして待って、公開されたり発売されたら買いに行ったり観に行ったりして、それを楽しんだりしてっていう、コンシューマーゲームを含む既存の娯楽メディアというのは、一時的に、且つ有限の中で楽しんで、現実世界に戻るって体験ですよね。

――確かにそうかもしれません。

一方ソーシャルゲームっていうのは、常に現実とともにあるというか。ライフスタイルの中にあって、生活の中に溶け込んでいるみたいなイメージなんですけど、そういうスタイルの娯楽は、個人的にもあまり経験値も高くなくて。僕にとっての“娯楽“という存在は、現実世界に立ち向かっていく、少し前向きになれるような一時的な体験、でしょうか。今後その意識は変わるかもしれないですけど、今の所自分の中ではビデオゲームというのはそういう存在ですね、遊ぶ側としても作る側としてもそうです。

――しっかりした娯楽、エンターテインメントしてのゲームというか。

そうですね。生活に支障がない、あわよくば生活にプラスになるものっていう認識ですかね。

――ながらでゲームをやるっていうよりかは、よし、ゲームやるぞみたいな。

そうですね。個人的にいうと、僕にはビデオゲームをプレイする上で罪悪感みたいなものが少なからずあったりして。ゲーム内固有の地名であったり、キャラクター名や魔法の名前とかをあまり意識して覚えたくないっていうのがあるんですよね。娯楽なのにそれを覚えなければいけないんだったら、英単語の一つでも覚えた方が生活の役にたつんじゃないか、みたいな(笑)。

――いわゆる、マニア的な目線になっていくっていうところですかね?

楽しむことに、障壁が高いというか、コストがかかるっていう風には感じますね。

――そういう意味では『トリコ』はプレイしてて、おっしゃられたような障壁というかリソースを割かなければいけない部分がなかったですね。

僕自身もそういうゲームが好きだっていうのもありますし、そこにコストを割かずに濃密な体験だけを受けたいのはあります。

――それはわかります、触っているのが楽しいというか。『トリコ』はパズル的要素が強いじゃないですか、「ここは登れるのか?登れた!」みたいな。ひとつクリアできると凄く嬉しい、それが体験なんだな、と。オープンワールドっぽい雰囲気ですけれど、昔からあるステージクリア型のパズルゲームなんだなという印象はありました。

『ワンダと巨像』がオープンワールドだったので、次は別のスタイルのゲームを作りたいっていうのが最初にあって。あとは制作時ゲーム世界の中において「移動する」という行為の意味はなんだろう?って考えていた時期でもあったのと、昔から変わらず持っている「実在しない世界を実在感があるかのように表現する」ということを実現するためにこのようなスタイルになりました。一番素直に作るとしたら、たとえばオープンワールドの場合だと、プレイヤーの取りうる選択肢の答えを全て用意してあげる、っていうことが世界の実在感をあげることになると思うんですけど、演出家として考えると、如何に答えを提示することなく実在感を感じさせることができるか、それを感じさせることができたほうが演出として優れているんじゃないか、と思っていた時期でもあって、オープンワールドではない『トリコ』のような選択をしたっていうのはありますね。もちろん、制作期間の短縮っていうのも狙いの理由の一つでありました。

撮影:荒川 潤

――僕は風の表現であったり、高さの表現であったり、さっきまでいたところはあそこだっていう感覚が衝撃的でしたね。

その辺りのレベル設計もちゃんと整合性をとって作っています。

――あまり広い世界ではないですよね。でも全く違和感がないというか、きっちり作られている。ここを通るとここにいくっていうのが、多分、全部描こうと思えば、地図に書けますよね。

そうですね。そこまで広い世界ではないですが細かな部分も誤魔化さずにきちんと繋がるように作っています。それがどのくらいお客様に効果的だったのか、作っている側としてはわからないですけど、本当にそういう世界が存在するんだよ、という気持ちで作っていますね。

――ほぼ台詞的なものを語らないであれだけ心を打つというか。それもトリコと旅を続けてきたからっていう体験があるからだと思いました。

映画とか音楽とか一方通行のメディアっていうのは、料理で例えると、いかに料理人がうまく食材を調理しておいしい料理を提供するか、みたいな世界だと思うんです。ビデオゲームっていうのは、料理人はプレイヤーでもあるので、ゲームデザイナーにできるのはそのお膳立てしかできません。調理方法だけで勝負すると他のメディアには勝てないんじゃないかなと考えています。

――ええ。

ビデオゲームの場合はそういうアプローチではなくて、たとえば屋外で食べるバーベキューとかって、普通の食材でも美味しく感じたり、運動のあとの一杯の水が凄く美味しかったりとか。ビデオゲームっていうのはそういうシチュエーション的なものをお膳立てするアプローチの方が合っているんじゃないかと思っています。食材や調理方法が普通だったとしてもその人なりの“美味しい”料理は提供できるんじゃないか、と思っています。

――その体験ですね。

そうですね。

――完成したばかりですが、次の作品のビジョンというか、こういう作品を作りたいとかありますか?ゲームを作る上での夢といいますか。

毎回そうなんですけど、次やるものは全く違ったものを作りたいという気持ちでスタートしてます。『ICO』とか『ワンダと巨像』のときで言えば、『ICO』は女の子が出てきて、静かな世界のゲームだったので、次は戦闘中心のダイナミズムあふれる活劇だ、っていうイメージでスタートしたのが『ワンダと巨像』でしたし。『トリコ』も同じように、そこからの逆転の発想で、もう少し落ち着いた世界なんだけど、巨大なものが出てきて、直接何かを倒すようなものではないけど派手なシーンもあるような。全部前のものとは違ったものを作ろうという発想でスタートしているので、次回もそういう発想でスタートするとは思っていますね。

――お話を伺っていて、普通の食事でも運動の後に食べると美味しいでしょ?っていうのは、ものすごく腑に落ちました。『ICO』も『ワンダ』もそうだったなと思って、終わった後に残ったのは面白かったという体験だったんですよね。やれてよかったっていう、時間を費やしているんですけど、時間を使っている後悔ではなくて、これだけの時間をかけてやれてよかったという。

そうですね。やってよかったなっていうゲームだと嬉しいですね。映画もそうですし、なんでもそうですけど、娯楽は全てそうであってほしいと思います。

インタビュー・文:加東岳史 撮影:荒川 潤

 

製品情報
PS4®『人喰いの大鷲トリコ』​

好評発売中

http://www.jp.playstation.com/scej/title/trico/

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