ピアニスト岡田奏を讃えて ~エディット・ピアフが乗り移ったかのようなピアノを聴かせる、規格外の才能を聴け!

レポート
クラシック
2017.6.10
岡田奏(ピアノ)

岡田奏(ピアノ)

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「虚ろな移りかわりを楽しむのがエスプリなのかなと思います」岡田奏 “サンデー・ブランチ・クラシック” 2017.5.14. ライブレポート

「クラシック音楽を、もっと身近に。」をモットーに、一流アーティストの生演奏を気軽に楽しんでもらおうと『サンデー・ブランチ・クラシック』は毎週日曜の午後に開催されている。5月14日は、国際的な活躍が期待される新鋭ピアニスト岡田奏(おかだ かな)が出演。15歳でフランスに渡り、以来10年のあいだパリ国立高等音楽院で研鑽を積んだ岡田は近年、日本でもオーケストラと共演する機会も多い。今後ますます注目される存在になっていくことが確実視されているピアニストだ(詳しい経歴についてはこちらのインタビューを参照)。今回、『サンデー・ブランチ・クラシック』のために組まれたプログラムには、軽めの小品なしのガチンコ勝負な曲目が並ぶ。

岡田奏(ピアノ)

岡田奏(ピアノ)

1曲目は「英雄ポロネーズ」の愛称で知られるショパン作曲の「ポロネーズ第6番 変イ長調,op.53」―― 星の数ほど存在するピアノ作品のなかでも、とりわけ演奏機会の多い名曲だが、実はその真価を聴かせることが難しい作品でもある。ショパンが人生の終わりに差し掛かり始めた頃に作曲された音楽であるにもかかわらず、堂々としたヒロイックな側面ばかりがクローズアップされがちで、晩年ならではの深みを抽出するのに成功しているピアニストは意外なことに決して多くないのだ。この意外な難物を、岡田は「オーケストレーター」のような手腕でもって鮮やかに調理していくから驚かされてしまう。〔※註:オーケストレーターとは、ピアノ曲などをオーケストラ用の譜面にアレンジメントする職人のこと〕

具体例を挙げよう。冒頭のわずか4小節のなかに含まれる4つのパーツを、彼女はそれぞれ異なる響きを持たせながら弾き分けていく。そして、それらサウンドが多層的に調和することで、オーケストラのような奥行きがあるスケールの大きな音楽を築いていくというわけだ。更には、自由自在にうつりゆくテンポの緩急(アゴーギグ)も加えていくことで「英雄ポロネーズ」に含まれる旨味がこれでもかと抽出されていく。とりわけ白眉となったのは、中間部から主部に戻る直前に置かれた、半音階の混じりこんだ憂いのある旋律の部分だろう。大胆にテンポを落とし、ここまで濃厚な味わいを聴かせられてしまう体験は初めてであり、大袈裟ではなく1曲目から衝撃を受けた。

こうした一種、過剰なデフォルメとも捉えられる演奏はしばしば、作品全体の構造や品性とトレードオフになってしまうことも多いのは確かである。しかしながら、岡田がその轍を踏むことないのは、大胆な草書的な崩しが決して身勝手なものではなく、あくまで作品のポテンシャルを引き出すために用いられるからなのであろう。本当に見事という他ない。

岡田奏(ピアノ)

岡田奏(ピアノ)

2曲目に演奏されたのは、シューマン作曲の「献呈」―― シューマンが妻クララとの結婚式前日にプレゼントした歌曲である。今回演奏されたのは、その歌曲をもとにリストがピアノ独奏用に編曲(トランスクリプション)した、これまた演奏機会の多いバージョンだ。岡田自身にとっては「もう、すごく本当にロマンティックで、こんな曲をプレゼントしてくれる人がいたら、女性としてはすごく嬉しいなあ、と思うような曲です(笑)」と語るほど、激しく感情移入する音楽であるという。

原曲がドイツ歌曲(リート)であるため、詩が持っている韻律のリズムを活かして演奏をするのが正統派的アプローチであろう。けれども岡田は、あくまでピアノ曲としてこの作品に取り組む。1拍として同じテンポがキープされることがないのではないかと思われるほど、繊細にゆれ動き続けることで、作曲者から新妻への愛が今にも溢れんばかりであるものだということが否が応でも伝わってくるのだ。韻律こそ重視しないが、歌詞切れ目にそったフレージングで旋律が紡がれていることからも、岡田が本来歌われる歌詞の意味に沿って音楽を構築しようとしていることは明らかだ。そうして結果うまれてきた音楽は、これまで聴いたこの曲のどんな演奏よりも高揚感をもたらすものであった。

岡田奏(ピアノ)

岡田奏(ピアノ)

3曲目、プログラム本編のラストに演奏されたのは、フランスの作曲家ラヴェルの舞踏詩『ラ・ヴァルス』―― 1855年頃の宮廷をイメージして書かれた、古き良き時代を偲ぶ幻想的なオーケストラ作品である。ピアノ独奏版は作曲者本人によって編曲されているのだが、コンサートピースとしては音が薄いために奏者が各自で音を増やすなど、趣向を凝らすのが一般的だ。

「鍵盤を全部使うぐらい派手な感じになっていまして、オーケストラの音をイメージしつつ、それだけではなくピアノ1台の良さがどのように引き出せるのかを凄く考えています」と語る岡田は、相も変わらず名オーケストレーターとしての辣腕を振う。ラヴェル自身が「旋回する雲の合間から、ワルツを踊るカップルが微かに見えるだろう。雲が次第に散ってゆくと、〔中略〕旋回する群衆で一杯になった巨大なホールが現れる。その場が次第に明るくなっていく」と解説している情景を、豊かな色彩のパレットを駆使して多層的に表現していく。加えて、どうしても曖昧模糊となりがちな混沌としたこの場面であっても、微かに聴こえてくる低音で的確にワルツのリズムを想起させ、オーケストラ版でもファゴットがぼくとつと演奏しがちな冒頭の旋律で色気を漂わせていたのが極めて印象深かった。


(2015年の演奏より。サンデー・ブランチ・クラシックでの演奏は、この動画よりも弱音の表現が洗練されて、より多層的な表現が深まっていたことを付記しておこう。)


その後、キャラクターの異なる複数のワルツが入れ代わり立ち代わり現れるなか、それぞれの違いや、セクション間のコントラストを人一倍はっきりと描いていくのだが、作品の終盤に差し掛かった頃に、彼女の真の意図がみえてきた。各セクションのコントラストを強めておくと、異なる要素がころころと短いスパンで入れ替わっていく終盤の展開が、作品全体の縮図であることを如実に浮かび上がらせるのだ。岡田奏、恐るべしである。

岡田奏(ピアノ)

岡田奏(ピアノ)

盛大な拍手に応え、アンコールとして奏でられたのは洒脱なシャンソン風のプーランク作曲『愛の小径』だ。2013年にプーランクの名を冠した国際ピアノコンクールで優勝している岡田にとっては、思い入れのある作曲家であろう。原曲は演劇作品の劇中曲として書かれた、失われてしまった過去の愛を歌い上げる歌曲である。この楽曲を岡田は最大限の共感をもって、谷底における絶望から、人生最上の瞬間までをピアノで歌い上げてしまう。この4分弱の演奏だけを聴いても、岡田奏が既に若手の新鋭ピアニストという領域を既に大きく逸脱した音楽家であることは一聴瞭然であった。

岡田奏(ピアノ)

岡田奏(ピアノ)

いやはや、とんでもないピアニストが現れたものである。一体全体、どんな人生を送れば20代半ばで、これほどの音楽を奏でることが出来るのか、皆目検討もつかない。終演後のインタビューで、彼女がどのように自身の音楽を組み立てているのか、短い時間ではあったがしっかりと話をうかがうことが出来た。


――本日、初めて岡田さんの生演奏を聴かせていただき、衝撃を受けました。

ありがとうございます!

――まず最初にお伺いしたいのは、岡田さんがどのように楽譜を読まれているのかということです。自由闊達ではありつつも、独りよがりにはならない演奏がどのように生みだされていくのか、強く興味を引かれました。

最初に楽譜をみていく段階で、音の流れが繋がって聴こえないと自分の耳が気持ち悪くなるんですよ。なので、ハーモニーを一旦自分のなかに落とし込まないと気持ち悪くて弾けないんです。ハーモニーの流れというのはどんな曲でもあるわけですし、それに基づいたフレーズづくりを心がけています。ここをこうしたら、次のところは何を求めているのかとか、あとは作曲家の目線になってこういう風にしか楽譜に書けなかった場合、どういう選択肢があるのか……という風に考えながら、私が直感だとか前後関係のなかでいいなと思ったものをチョイスしています。

――まずは楽譜をどう解釈できるかという可能性を洗い出していき、その上で選択をしていく感じなのですね。

そうですね。色々やってみて「でも、これだと前後関係もおかしいし、じゃあ最初から全部作り直そう」っていうことになるときもありますし、大きい視点で見ながらパズルみたいに組み立てていくときもあります。

――その組み立ての結果、主旋律よりもそれ以外の部分が前面に出ることもあったりしますね。今回だと例えば『献呈』で、そうした場面がありました。

メロディーっていうのは絶対聴こえると思うんですよ。この曲を知っている方なら絶対に聴こえますし、知らない人でも分かると思うんです。けど、他の部分にも沢山の魅力があるので、立場は逆転しないまでも、ひとつひとつの要素を噛み締めたいって思うんです。 

インタビューに答える岡田

インタビューに答える岡田

――『ラ・ヴァルス』の場合はいかがでしょうか? そもそもこの曲は、楽譜通りに演奏するわけではなく、ご自身でも音を加えていらっしゃいますよね。

はい、自分で付け足したりしています。それに加えて、フランスで勉強していたときに、先生が弾いていらっしゃる楽譜をお借りして「そこはこっちの方が弾きやすい」「こっちの方がいいよ」と教えていただいたのも参考にしていますね。

――まず冒頭ですが、混沌とした雲の間からかすかに聴こえてくる低音が、すでにワルツのリズムに聴こえてきました。ご自身としては、どれくらい意識されているのでしょう?

3拍子というのはいつも意識して弾いていますし、モヤモヤのなかに少しだけはワルツのリズムが耳に残っていてほしいという思いが最初っからあるんです。もちろんまだ見えていないんですけれど、扉は閉まっていても振動は聴こえるみたいに感じていただきたい。だから3拍子なのか何なのかももう分からなくて、でも派手……みたいな演奏にはなりたくないんです。

――その後は、各セクションのキャラクターの違いや、その区切り目をはっきりとさせるような演奏をなされていきましたよね。

やっぱり管弦楽版が耳に残っていて、自分が指揮者だったら……と凄く考えるんです。指揮棒を「ふあっ」と振り下ろしたとき、絶対にピアノで鍵盤を弾くようにはすぐに「どんっ」と音が鳴らず、その前に「う゛んっ」となる間があるじゃないですか。だから場面転換のときに、自分が思っているよりも音が後にくるっていうことに、あるとき気付いたんです。それからは、もちろん横に流れていくのも必要だけれど、「ぱしっ」と決まるところは決めて、メリハリのある全く違うキャラクターにしようと気をかけています。

――もうひとつ、クライマックスで突如静かな音楽が挿入される場面の2小節間は、本当に時間が止まってしまったのではないかと思うほど、ドキッとさせられました。

狂うように踊っていたのに、急に音楽もとまり何が起こるか分からなくて、次いつ始まるかも本当は分からないんじゃないかと思う2小節にしたいんですよ。だから2小節後にくるっていうのは分かっているし、聴いたことがある方は知っているんですけど、もしかしたら聴いたことない方もいるかもしれないじゃないですか。「え!?何これ?」って思っていただければ、有り難いですね。

――そうした展開の予想のつかなさというのは、アンコールの『愛の小径』でも共通していましたね。この小品からここまでの深い世界をどのように引き出されているのでしょう?

エディット・ピアフの声を頭に浮かべながら弾いています(笑)。聴いたことがない方は、そこから短調にいくか長調にいくか分からないじゃないですか。どっちに行くのか分からない時に、それを予測させるのか、それとも「あっ!?こっちなんだ」とハッとさせるのかということも考えますね。

――そのように音楽を組み立てていかれるようになったのはいつ頃からなのでしょう?

2年ぐらい前からですね。お客様もいらっしゃることは頭では分かっていたんですけれど、どっちかと言うと「自分と作曲家」という中に潜り込んでいくタイプだったんです。でも、ちょっと作曲家との距離感が近すぎたり、独りよがりだったりするなということに気付いて。演奏家というのはお客様がひとりでも聴いてくださる方がいらっしゃれば、その方のために弾くんです。だから自分は作曲家の書いた楽譜を忠実に読みながらも、そのお客様のために何かをするという役目なんだと思うようになりました。毎日練習で楽譜と向き合うたびに、どうやって伝えられるのかというのは凄く意識しています。

――ありがとうございます。最後に「エスプリ esprit」(※フランス人の気質)についてお伺いさせてください。フランスの音楽を演奏する際には「エスプリ」が大事だとよく言われますよね。フランスに11年住まわれている岡田さんは、「エスプリ」をどのようなものだと捉えていらっしゃるのでしょうか?

空気、水、自然……絶対に変わらないものはないとフランス人はいうんです。だから人も変わるし、建物も古くなったり、使えなくなったりとか、絶対永久に同じ状態でいることはない。その虚ろな移りかわりを楽しむのがエスプリなのかなと思います。

――今後益々のご活躍が本当に楽しみです! 本日は有難う御座いました。

岡田奏(ピアノ)

岡田奏(ピアノ)

取材・文=小室敬幸 撮影=荒川 潤

公演情報
茂木大輔の生で聴く のだめカンタービレの音楽会vol.2

公演日:2017年7月20日(木)
会場:調布市グリーンホール 大ホール (東京都)

【出演】
茂木大輔(指揮・お話) 
高橋多佳子、岡田奏(ピアノ) 
大宮臨太郎(ヴァイオリン) 
のだめスペシャル・オーケストラ(管弦楽)

【曲目・演目】
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調「英雄」op.55より第1楽章 
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「春」op.24より第1楽章 ヴァイオリン/大宮臨太郎 ピアノ/岡田奏 
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタニ長調K.448より第1楽章 ピアノ/高橋多佳子 岡田奏 
ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(マングース登場!?) ピアノ/高橋多佳子 
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調OP.92  
※曲目は都合により変更になる場合がございます 

 

 

サンデー・ブランチ・クラシック情報
6月11日
西谷牧人/チェロ&新居由佳梨/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
 
6月18日
文代fu-mi-yo/声楽家
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円


6月25日
二瓶真悠/ヴァイオリン&黒岩航紀/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円

7月16日
藤田真央/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
 
■会場:eplus LIVING ROOM CAFE & DINING
東京都渋谷区道玄坂2-29-5 渋谷プライム5F
■お問い合わせ:03-6452-5424
■営業時間 11:30~24:00(LO 23:00)、日祝日 11:30~22:00(LO 21:00)
※祝前日は通常営業
■公式サイト:http://eplus.jp/sys/web/s/sbc/index.html​
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