細長く儚いのに、力強い 人間の本質に極限まで迫った彫刻が集う『ジャコメッティ展』をレポート
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歩く男Ⅰ 1960年
国立新美術館にて、『ジャコメッティ展』(会期:2017年6月14日~9月4日)が開幕した。日本で開催されるジャコメッティ展としては、実に11年ぶりの個展となる。
13日に開催された内覧会にて《歩く男》の横で解説をするマーグ財団美術館館長オリヴィエ・キャプラン 「ジャコメッティ作品の魅力は人間の儚さと同時に、それに押しつぶされない強さを持っているところだ」
内覧会の同日に行われた開会式で、テーマ曲を演奏するヴァイオリニストの川井郁子。 美しくも儚い旋律のテーマ曲は音声ガイドでも聴くことができる。
スイスに生まれ、フランスで活躍したアルベルト・ジャコメッティ(1901~1966)は20世紀を代表する芸術家であり、他に類をみない独自の作風で美術史に屹立する最も孤高な作家でもある。
アフリカやオセアニアの彫刻やキュビスムへの傾倒、1920年代の終わりから参加したシュルレアリスム運動など、同時代の先鋭的な動きを存分に吸収したジャコメッティは、1935年から独自のスタイル創出への一歩を踏み出した。それがジャコメッティの代名詞ともいえる、身体を線のように長く引き伸ばしたまったく新しい彫刻だった。
ジャコメッティは終生“ある現象”にもがいていた。どうしても「見る」ものを「見えるがまま」に表現することができない。そう、見ることと造ることのあいだに生じる“ズレ”である。そして、その“ズレ”を限りなくゼロに近づけることに執念を燃やし、途方もない試行錯誤の結果生まれたのが、あまりにも細く、あまりにも長い不自然で特異な造形だったのである。
大きな像(女:レオーニ) 1947年
本展には彫刻のみならず、初期から晩年に至るまでの油彩、素描、版画など選りすぐりの作品132点が出品されている。存在と時間の真理を追い求め、創作と破壊を繰り返しながら極限まで人間の本質に迫ったジャコメッティの芸術への挑戦を追っていく。
ヴェネツィアの女Ⅰ~Ⅸ
「見えるがままに」表すことへの苦悩
――シュルレアリスムから細長い立像へ
ジャコメッティが試みていたこと。それは、表現することによって現実を理解しようとすることである。「現実」とは「目に映るもの」であり、彼はその「現実」を見えるがままに形あるものとして把握しようと努めていた。「見えるものを見えるままに描く」ということに、なぜこれほどまでに執着したのか。強迫観念のように彼につきまとった苦悩の原体験ともいえるエピソードがある。
画家であった父・ジョヴァンニのもとで幼いころから制作に励んでいたジャコメッティ。ある日、「普通の距離」に置いた洋梨を、父から言われるがまま「梨があるとおりに、見えるとおりに」描こうとしたが、なぜか決まって小さくなってしまった。
大きさの観念の喪失。このトラウマを克服するかのように、集中的に人体デッサンに取り組んだジャコメッティ。だがそののち、モデルに基づく制作から記憶に基づく制作へと方向転換した。見えるがままに描くことへの呪縛から離れるためであった。
キュビスム的コンポジション―男 1926年
アンドレ・ブルトンら前衛芸術家たちと交わる中で、ジャコメッティは数々のオブジェを制作した。それらは無意識や夢を源泉とするシュルレアリスム的な創作でもあり、不快で攻撃性のあるバタイユ的なものでもあった。
女=スプーン 1926/27年
結局はシュルレアリスム的表現が彼のトラウマを癒すことはなく、シュルレアリスムに別れを告げ、再び「見えるものを見えるままに描く」終わりなき探究に回帰した。
オブジェを放棄したジャコメッティにさらなる試練が襲い掛かる。写生にたち戻り、記憶に基づき制作していたが、記憶のなかの人はどんどん遠ざかり、小さくなっていき、終いには作品そのものもマッチ箱に納まるほどの極小サイズになっていった。
アルベルト・ジャコメッティ
裸婦小立像 1946年頃
「縮小現象」に抵抗しようとしたジャコメッティは、あらかじめ作品の高さを自身に課し、再びモデルを前にした制作に取り組んだ。すると、立像にある変化が訪れた。彫像が細く長くなっていったのだ。まなざしに映るモデルの全体性をとらえようとした結果、ボリュームが極限までそぎ落とされ、細かく波打つような表面をもつ造形へと到達したのである。
髪を高く束ねた女 1948年
対象の知覚と認識についての問いが、哲学者のなかで熱を帯びていた時代。ジャコメッティ彫刻の孤高の佇まいは、実存主義哲学者ジャン=ポール・サルトルの評価とともに、戦争により存在の根拠を失った人間そのもの、その危機的な存在そのものの表象として、戦後の混沌とした道に一筋の光を照らしたのだった。
「試みること、それがすべてだ」
――無数のデッサンと終わりなき探究
彫刻家として名を馳せたジャコメッティだが、彼が最も日常的に行っていたデッサンにも目を留めたい。ジャコメッティは「素描はすべての芸術の基礎である」とも語り、行きつけのカフェで新聞や紙ナプキンに即興で人をスケッチするほど頻繁に手を動かしていた。
ジャコメッティは対象の輪郭を1本の線で描くことは決してしない。時間を空間化するがごとく、何本もの細かな線をわずかにずらしながら幾重にも重ねている。
「ダイヤモンド」とも称されたジャコメッティのデッサンは彼の目の動きをなぞるようであり、描かれている空間よりもそれを描いている時間そのものを表現しているようにみえる。ジャコメッティのデッサンを見ることで、彼の「見る」行為を疑似体験でき、それは彼の彫刻作品を読み解くヒントともなる。
見えるものをより深く見つめ、見たままに作品に表そうとするあまり、作品を破壊することもジャコメッティは躊躇しなかったといわれている。「試みること、それがすべてだ」とは彼の名言であるが、ジャコメッティにとっては完璧な何かを作ることが目標ではなく、その過程こそが重要な意味をもっていた。先入観を取っ払った上で、ただ目の前のものを見つめ、その内面に迫り探求し続ける行為そのものが、ジャコメッティの芸術だったのだ。
アルベルト・ジャコメッティ
大きな女性立像Ⅱ 1960年
ジャコメッティを影で支えた日本人の存在
――モデルも務めた無二の親友、矢内原伊作
妻のアネットや弟のディエゴなど、長期間かけて制作に没頭するジャコメッティのモデルを務められるのはごく限られた人間だった。1956年から幾度もモデルを務めた日本人哲学者、矢内原伊作(1918~1989)もそのひとりだ。
矢内原は、自身の顔を来る日も来る日も描いては消し、消しては描くジャコメッティの狂気的な創作にとことん向き合い、苦悩する彼を時に励まし、時に叱咤し、不可能ともいえる挑戦に共闘した。パリの片隅で、大きな2つの才能が人種も文化も超えてぶつかり合い、まだ誰もたどりついていない真理へと突き進んでいたのだ。
ジャコメッティが矢内原に熱中したのは、東洋的な顔立ちや忍耐強さだけではなく、矢内原が誰よりジャコメッティの探究を正確に理解していたからである。
ジャコメッティ没後のアトリエには彼が手放さなかったとされる矢内原をモデルにした石膏像と肖像画が、矢内原の手元には自身がモデルとなったジャコメッティのスケッチが最後まで置かれていたという。
矢内原伊作
展示のようす
日時:2017年6月14日(水)~9月4日(月) ※毎週火曜日休館
会場:国立新美術館 企画展示室1E
観覧料:
〔当日〕1600円(一般)、1200円(大学生)、800円(高校生)
〔団体〕1400円(一般)、1000円(大学生)、600円(高校生)
お問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
展覧会HP:http://www.tbs.co.jp/giacometti2017/