パリと東京のアートの違い
パリ、マレ地区ボージュ広場のカフェ。
パリと東京のアートの違いは「受け手の感覚」
ボンジュール。
パリから初投稿、アーティストのヨシ イトゥです。
パリでもっともハイセンスなエリア、マレ地区にギャラリーを構え、革命的な作品を発表しています。
冒頭にある、この写真。これが作品です。
「着るアート、纏うアート、持ち運ぶアート」を大きなコンセプトの1つとして、パリを中心にヨーロッパで活動しています。
パリと東京と毎月往復する生活をはじめてからちょうど1年になるのですが、年間で12回以上も往復していると、お互いの街の文化の違いが肌感覚でわかるようになってきます。
特に、アートとなると、その違いは顕著です。
パリと東京が違うな〜、と特に強く感じるのは「受け手の感覚」です。
アートは作者だけはなく、受け手も重要な役割を担っています。
アートにはいろんな考え方がありますが、作品を発表する以上、受け手の反応はとても重要な要素の1つになります。
冒頭の写真、アレです。
あの身につけているもの自体が作品なのですが、パリであろうと東京であろうと毎日あんな感じの装いで過ごしています。
どこでもあのスタイルで生活しているので、受け手の反応も、日々自然と入ってきます。
例えば、東京。
あの格好で表参道を歩こうが、六本木を歩こうが、地下鉄に乗ろうが、新幹線に乗ろうが、バスに乗ろうが、すれ違う方、出会う方はみんな「スルー(正確にはチラ見してスルー)」です。
あきらかにおかしい物体が目の前にいるのに、です。
簡単に言うと、東京では「おかしなヤツ」というカテゴリーに入っています。
一方、パリ。
これと全く同じ格好でシャンゼリゼを歩いても、サントノーレを歩いても、マレを歩いても、バスに乗っても、地下鉄に乗っても、TGVに乗っても、すれ違う方、出会う方の多くは「セ・マニフィーク(とても美しい!)」と言って足を止め、話しかけ、写真を撮っていきます。
作品を作品として買う、もしくは見る、という芸術モードに入っている時に、目にする造形物(アートやデザインされているもの)に反応し、芸術モード以外の場所では「スルーする」のが東京。
作品を作品として買う・買わないの以前に、目の前を通り過ぎている造形物(アートやデザインされているもの)に「何かしらの反応する」というのがパリ。
どちらが良いか悪いかという話では無く、この2つの都市にはアートに対して「受け手の違い」があるんだなぁ〜というのが日々行き来して感じること。
アーティストしては、パリの感覚の方が過ごしやすいし、活動しやすいですね。
芸術の都パリと呼ばれるのは、芸術モードの時のみにアートを感じるのではなく、場所がどこであろうと、どんなシーンであろうと目にしたアートを受け入れる、こういった日常の違いなのかもしれませんね。