井上ひさしが描いた赤穂事件の真実とは?こまつ座 『イヌの仇討』彩吹真央インタビュー
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井上ひさし作『イヌの仇討』が、こまつ座第118回公演として、7月5日から紀伊國屋サザンシアターで上演される。(23日まで。その後、山形県川西町、酒田市でも公演あり)
この戯曲は、歌舞伎の『忠臣蔵』をはじめ数々の物語で知られる赤穂事件を、隠し部屋に潜んだ吉良上野介と、彼を守ろうとする人々の視点から描いたもので、初演は1988年、以来、これまで上演されてこなかったことで、井上ひさしの幻の名作とも呼ばれている。
大石内蔵助以下、赤穂四十七士に襲撃された吉良邸で、吉良上野介が討たれるまでの最後の2時間、密室に隠れ潜んだ人々が、何を思い、どう目の前の現実に向き合ったか……。
井上ひさしならではの独自の切り口から『忠臣蔵』を見つめ直し、悪役とされてきた吉良上野介側に寄り添い、世論や権力から見放され、翻弄されながらも、それらに立ち向かっていった姿を描く、『忠臣蔵異聞』ともいえる作品となっている。演出には、叙情性あふれる世界観で高い評価を受ける「劇団桟敷童子」の東憲司。出演者は日本演劇界の多彩なジャンルから実力派が集結、この幻の名作の復活に挑む。
その作品で、吉良上野介の側女お吟を演じるのが、宝塚出身で女優としてミュージカルからストレートプレイまで活躍中の彩吹真央。この作品は、彼女にとって念願だった「こまつ座」への初出演であり、女優として初めての時代物となる。そんな彩吹が稽古中のある日、井上ひさし作品と役柄への熱い思いを語ってくれた。
吉良上野介こそ本当のヒーローだった?!
──この作品に接する前に、『忠臣蔵』に対して持っていた印象はどんなものでしたか?
宝塚でも上演されていましたし、年末にはドラマなどもよく放映されていたので、興味はあったのですが、知識としては歌舞伎なども含めて、これまで上演されてきた『忠臣蔵』の物語をそのまま受け取っていました。吉良上野介が敵役で、大石内蔵助率いる赤穂浪士たちが主君の敵をとる美談という感覚でした。
──そこから、この『イヌの仇討』という井上ひさしさんの戯曲を読んでいかがでしたか?
読ませて頂いた時に、『忠臣蔵』は本当はこうだったのではないかと思いました。吉良上野介や側近の方達はもちろん実在の人物ですが、私が演じるお吟や、三田和代さんが演じられるお三様は、モチーフとなる人はいたかもしれませんが、基本的には創作された人物なんです。それでも、お吟が隠し部屋に入ってから幕切れまでのことは、実際はこうだったに違いないと信じてしまえるほど、作品に真実味があるんです。さらに井上先生が紡がれる美しい言葉のあふれだす様に圧倒されて、たちまち虜になりました。その作品に対する感動と、そんな作品に自分が出させて頂ける嬉しさが、次々に押し寄せてきました。何よりも私にとって「こまつ座」の舞台に立たせて頂くということは、ずっと願っていたことでしたから、大きな喜びがありました。
──赤穂浪士の討ち入りの一夜を、吉良上野介の側から描くという視点自体、非常に面白いですね。
赤穂事件は実際に起きたことで、史実として残っている部分に忠実に添いながら、その狭間で何が起きていたのかわからない時間、「もしかしたらこうだったのかも知れない」という想像の余地があるところを、井上先生が書き込まれているので、台詞の1つ1つにリアリティがあります。ですからこの作品の面白さは、日本人ならほとんど皆が知っている『忠臣蔵』、300年前の赤穂事件について、誰もがヒーローは大石内蔵助、赤穂四十七士だと思っているところを、逆から見たという視点だと思います。
今回、出演させて頂くにあたって、ゆかりの土地に伺いまして、赤穂にも行ったのですが、「赤穂浪士記念館」があり、四十七士の方達の像がそれぞれあり、観光客もたくさん来ていて、本当に彼らがヒーローなのを感じました。一方、上野介さんが治めていた領地、愛知県の吉良町にも伺ったのですが、そこには吉良家の菩提寺があり、「赤穂浪士記念館」のような大がかりなものではありませんが、上野介さんの像が町のあちこちに立っていて、町の方達にお話を伺うと皆さんが「ヒーローは吉良さんだ、名君なんだ」とおっしゃるんです。当時の領民の方達も吉良さんを慕っていたというお話も伺いました。
私は井上先生の作品にすっかり心酔していましたので、吉良町に伺って「あぁやっぱり!」と嬉しさを感じました。ですから私はこの『イヌの仇討』こそが『忠臣蔵』の真実だと信じて挑んでいますし、きっと上野介役の大谷(亮介)さんはじめ、共演している皆さんもそう信じて演じていらっしゃると思います。
邪魔者のはずなのに「お三様頼りにしています!」と
──演じるお吟という役はどう捉えていますか?
初めに私が抱いた大まかなイメージは、ちょっとのんびりしたお側女さんなのかな?というものでした。ですから本読みの段階などでも、少しおっとりと台詞を読ませて頂いていたのですが、井上先生の作品は登場人物が皆個性豊かで、この作品ではまず吉良上野介さんがいらっしゃって、近習、御女中頭のお三様、お犬様付お女中がいらっしゃる。その中でお吟というのは架空の人物ではありますけれど、討ち入りでいつ殺されるかも知れないという状況ですから、常にのんびりと話しているわけではないでしょうし、お側女という立場から劇中の人間関係を深く表現するためにも、お三様と争う感じをもっと出した方がいいかもしれないと、稽古を進めるうちに人物像が色濃くなりました。
でも、やはり身分の高い方の側女ですから、まず魅力がないと側近くで仕える立場にはなれないので、お吟の魅力というものもちゃんと出さなければいけないと考えています。それは井上先生が書かれた台詞の中にも1つ1つ描かれていて、ご隠居様(上野介)を気遣う言葉や、近習たちの言葉に涙するなど、細かい描写がありますので、書かれているものを忠実に表現することで、自然にお吟という女性の性格が浮き彫りになると思って取り組んでいます。
──稽古の雰囲気などはいかがですか?
本読みが3日間ありまして、その時からすでに感じていたのですが、演出の東憲司さんが本当にパワフルな方です。私のお吟が一番最初に舞台に登場するのですが、立ち稽古の初日、その瞬間から本気でやるんですね。まず、こう動いてみましょうか?と立ち位置を決めながら、演出をつけて進めるという形ではなく、「はい、本意気でどうぞ!」と言われた時に、役者としては「あぁそう来たか!」と。そうでなくてはいけないんだと思いました。
描かれている物語は、吉良上野介さんが亡くなる2時間前の話で、声ひとつ、物音ひとつ立てたら殺されるかも知れないという、私たちが今生きている平和な世の中とは全く違う世界です。その中での「本意気」というものを稽古で体験する度に、自分自身が生きているということを感じますし、そういう稽古になっています。
──共演者の方達も錚々たる顔ぶれですね。
たくさんの経験を積まれた先輩方とご一緒させて頂けているのが、本当に光栄です。ご隠居様の大谷亮介さんには、いつもお側に付かせて頂いている役柄なので、日々学ばせて頂いています。どっしりといてくださるのが心強いのですが、実際には見つかれば殺されるという状況の中にいるわけですから、ご隠居様は誰よりも私が守るという気持ちでいます。意見交換もたくさんしてくださって、何よりも私が構えることがないように、とても大きな心で受けとめてくださっているので、とてもありがたいです。
また、お三様の三田さんからも本当にたくさんのことを学ばせて頂いています。お三とお吟の関係性が成立すればするほど、炭部屋の本当に狭い空間にいて、立場の違い、考え方の違いが鮮明になっていく状況が、よりリアルになって面白さが作り出せると思います。三田さんは、私が何か1つしても、「今、お三はこうしているから、お吟はこっちの方がいいんじゃないかしら?」と教えてくださったり、またお吟がこう出るからお三としてはこうした方がいいと、常に私との関係性で作っていってくださるんです。演じる上では、お吟はお三様に対して「ちょっと邪魔者」という扱いをしなければならないのですが、心では「お三様頼りにしています!」という気持ちでいっぱいです。
でもついついその気持ちが出てしまって、「優しくやりすぎよ」(笑)と言って頂くので、芝居の中ではなるべくお三様のやることに目くじらを立てて、キリッとやらなければいけないなと思っています。他の皆様も、「こまつ座」の舞台も時代物も多く経験されている方ばかりで、私は宝塚退団後、女優として時代物に出演するのが初めてなので、学ばせて頂くことが本当に沢山あります。そういう意味でも毎日の稽古が楽しいですし、作品や役と闘っている時間そのものが幸せです。
井上作品は最後には必ず温かさが残る
──「こまつ座」の舞台に出たいとずっと思っていたそうですが、井上作品の魅力をどう感じていますか?
井上先生は、作品ごとに伝えたいテーマがおありになって書かれていたと思いますが、私が感じていたのは、人間の面白さと温かさがどの作品にも共通して描かれていることでした。どんなに強がっている人でも、綺麗な人であっても、人間にはどこかに必ず滑稽な部分がある、それをとても素敵な言葉で描かれているので、可笑しさもこみあげてきますし、最後には必ず温かさが残る。そこに一番の魅力を感じます。そんな人間を演じるには、生半可な気持ちでは演じられませんから、そこから必ず得るものがあるだろうと。そして、出演される方々が自分を裸にして役に投影して、お客様に感動を伝えていることもとても羨ましかったです。その世界に今自分が居られることを大事に演じていきたいです。
──今、世の中がおかしくなっている中で、井上作品はますます大きな意味を持っていると思います。この作品も歴史上の出来事に題材を取っていますが、伝えたいことは今の時代にも通じるものかなと。
井上先生の作品は戦争を題材にされているものが多く、また直接言及していない作品でも、戦争を経た、戦後の思想の中でこういう人間がいるんだよということを書かれていて、そこには二度と戦争を起こしてはいけないというメッセージが、さまざまな言葉で書かれています。今、時代がある方向に向かっているという危惧がある中で、この仕事をしている私たちが先生のメッセージを残していかなければならないし、先生の書かれた人間の温かさというものを、伝え続けなければならないと思います。
この赤穂事件は300年も前ですが、当時としては60年以上も戦がなかった時代に起きた大事件でもあるんですね。そういう中で、「この事件をどう捉えようか?」とみんなが考えたと思いますし、今の私たちにもとてもリアルに感じられるものだと思います。井上先生が「こまつ座」の座付作家として、次々に新作を書かれる中で、再演される機会に恵まれなかったこの作品を、今上演する意味を深く感じながら、演じたいと思います。
──では、改めて意気込みをお願いします。
ご覧になったら皆様きっと、「目から鱗が落ちた」という感覚になって頂けると思います。300年以上敵役だった吉良上野介の、『忠臣蔵』には決して描かれなかった思いや、心の深さが描かれているので、どなたもが吉良上野介ファンになってくださると思いますし、いちはやく上野介ファンになっている私たちが演じることで、その素晴らしさを知って頂けたら、無念な亡くなり方をした上野介さんも天国で喜んでくださるのではないかと思います。それはきっと井上先生の思いでもあるのではないかと。密室の中でのとても緊迫した状況なのですが、その中だからこそ生まれる滑稽さもあり、ある意味ではコメディ要素もある作品ですので、楽しみに観に来て頂けたらと思います。お待ちしています。
あやぶきまお○大阪府出身。94年宝塚歌劇団入団。繊細な演技力とのびやかな歌声を持つ男役スターとして活躍。10年退団後女優に転身。舞台を中心に活躍する一方、コンサートなどの歌手活動や、声優など様々なジャンルにも積極的に挑戦している。近年の主な舞台に『ロコへのバラード』『サンセット大通り』『シラノ』『ウェディング・シンガー』『モンテ・クリスト伯』『アドルフに告ぐ』『End of RAINBOW』『オフェリアと影の一座』崩壊シリーズ『リメンバーミー』などがある。
取材・文=涼香 撮影=アラカワヤスコ
作:井上ひさし
●7月5日~23日
紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
川西町フレンドリープラザ
酒田市民会館 希望ホール