性質と呪いと祝福について

2017.7.18
コラム
アート

拝啓

 

 人には誰しも、それぞれ特有の性質があります。性質というのはその人がもともと持っている特性というか、まあ後天的に獲得する場合もあるんでしょうが、とにかく心の深い部分に根ざしている気質について僕はざっくり「性質」と呼んでいます。

 おにぎりにたとえるなら具ですね。おにぎりの中心に埋められたシャケとかたらことかシーチキンマヨネーズとかそういうものです。いや、あんまりいいたとえじゃないかもな。うーん、まあいいや。続けますね。

 

 人の性質にはいろいろなものがあります。怒りっぽかったり、悲観的だったり、楽観的だったり、恥ずかしがりだったり、さみしがりだったり、人嫌いだったり、その他いろいろ。もちろんひとりにひとつじゃなくて(この時点でおにぎりの具ではないですね。あ、でも海賊おにぎりがあるか)、ひとりの人がよくも悪くもたくさんの性質を持って、生きていると思います。

 

 もちろん僕にもあります。

 たとえば、僕が持っているのは恥ずかしがりの性質ですね。僕は昔っから極度の緊張しいの上がり症で、そのせいでたくさんの失敗をしてきました。人見知りで初対面の人とうまく話せなかったし、女の子と話してると顔が真っ赤になるなんてこともしばしばありました。

 いやあ、この性質には本当に苦しめられています。ある種呪いみたいなものですね。たぶん、一生解けることはないでしょう。

 

 しかし、最近ではずいぶんうまくこの性質と仲良くやれています。おそらくですが、傍目に見て僕がかなりの恥ずかしがりであるようには見えないと思います。たぶん……。

 それは、僕が場数を踏んだことで経験値を蓄積したことや、加齢に伴って精神的な落ち着き(オトナの余裕ってやつですね)を獲得したことも少ながらずありますが、このろくでもない性質との付き合い方を学んだことも大きいと思います。

 

 自分の性質との付き合い方で大切なことは、抗わないことです。性質には抗わない。

 心臓の真ん中に突き刺さったまま錆び付いたものを、無理に引っこ抜くべきではないと思っているんです。そんなことをしたらたくさんの血が流れてしまいますからね。

 僕は呪いとともに生きることを選び、それは今のところうまくいっています。

 

 呪いとともに生きると言っても、呪いに屈するという意味ではありません。それはただの思考停止です。呪いと「うまくやっていく」という表現がいいかもしれません。

 恥ずかしがりの性質について言えば、僕は克服しようと、つまり心臓から引っこ抜こうとずいぶんがんばったこともありました。高校生の頃なんかは「上がり症を克服する方法」とかなんかその手の本もずいぶん読んだし、精神を鍛えることが有効かもしれないと苦手な体育会系の雰囲気の寿司屋のアルバイトをあえて選んで働いたりもしました。

 でもなにをやっても性質を取り除く行為としては全然意味がなかったですね。それどころか、その過程で僕はずいぶん傷ついたと思います。自分自身にも失望しましたし。性質はびくともしなかったけど、血は結構流れたわけです。

 アルバイトに関して言えばまあ、お金は溜まりましたが。フェンダージャパンのジャズベースは買えました。

 

 なんとか克服しようと長いこともがいていましたが、やがてこの性質を取り除くことはできないんだと考えるようになりました。たくさん傷つく割には得るものがなくて、性質を取り除こうとする行為を続けることがばからしくなったんですね。

 それに気づいたんです。この性質が僕を僕たらしめているのだということにです。

 

 散々ろくでもないだの、呪いだの言ってきましたが、人の性質は祝福でもあります。呪いであり、祝福であるわけです。あるいは祝福であり、呪いでもある。

 僕の場合で言えば、人前で恥をかきたくないからなるべくミスをしないように注意深く生きていたりだとか、人前で恥ずかしくない振る舞いを強く心がけたりだとか、人からどう思われるかを日頃から考えているので人の気持ちに敏感だったりとか、よくよく考えてみれば僕が思う僕のよさっていうものはこの性質によって生まれていたんですね。

 

 そのような二面性というか、言ってみれば「性質の性質」に気づいてからは、ずいぶん楽に生きられるようになったと思います。いい面も悪い面もあるものとして、受け入れていく。恥ずかしがりなのは仕方がないんだから、そう見えないふるまいを身につけるとか、そういう性質をあえて見せて個性として他人に認めてもらうとかそういうテクニックを身につけました。

 散々苦しめられてきた性質でも、うまく付き合えるようになるとかわいいもんですよ。まあ、相変わらず憎たらしいですが。

 

 すみません。長々とつまらない話をしてしまいましたね。

 僕がなぜこのような手紙を書いたかというと、あなたがもしかして僕と同じような性質を持っていて、しかも悩んでいるのではないかと思ったからです。つまりあなたも相当なシャイなんじゃないかと。

 僕にまったく連絡をくれないのはおそらくそういった事情があるからなんでしょうね。しかし恥ずかしがらないで大丈夫。なんでも話してください。同じ性質を持つもの同士、通じ合うものが必ずあるはずです!

 お返事、お待ちしていますね。

 

 それでは。

 いつかまた宇宙のどこかで。

 

敬具 


チープアーティスト・しおひがりによる連載『メッセージ・イン・ア・ペットボトル』。毎回、この世にいる"だれか"へ向けた恋文のような、そうでないような手紙を綴っていきます。添えられるイラストは、しおひがり本人による描き下ろし作品です。 過去の手紙はこちらからお読みいただけます。