『進撃の巨人』途中離脱者のための厨二病的トリビア
アニメ版第2期で既に一部がが映像化されているが、その後もあらたな真実がコミックス版で明らかにされてきた。その真相のひとつが、エレンたちが守っている「壁」に囲まれた国の他に「人類が住む場所」があるというものだ。壁の外からやってきたユミルの言う「あっち側」である。
『進撃の巨人』は、読者を驚かせる「真実」の暴露が続く。その数々の暴露が単なる行き当たりばったりの思いつきであったら、作品世界はガタガタだ。しかし最新の22巻が発売されたばかりのコミックスを追う限り、次のように言える。過激な残酷描写や登場人物の激しい感情表現に目を奪われ、あまり意識されないことが多いようだがドンデン返しの連べ打ちの背後には、強固な世界設定がある。ここでネタバレや答え探しをしてもあまり意味はないだろう。読者が味わうべき「答え」は作品に描かれているからだ。
今回はギリシャや北欧の神話を断片的に紹介し、物語の奥行きを感じるための補助線を引いてみたい。あらかじめ断っておくが、これはあくまでトリビアにすぎない。
『進撃の巨人』の英題は「attack on titan」。「titan」はカタカナでタイタンもしくはティターンと読まれる。ギリシャ神話において、ゼウスやアテナ、ポセイドンらのオリンポス神族よりも前に存在した神々、すなわち「ティターン神族」を指す言葉だ。ゼウスたちオリンポス神族は、ティターンを親として生まれたのだが、のちに反逆し神々の長の位置についたと言われている。
ギリシャと北欧は南北に離れているがひろくヨーロッパ圏内に含まれており、その神話には相互に似通う部分がある。日本の神仏習合(神道と仏教の融合)のようにギリシャ神話の影響はドイツ以北の北欧諸国の神話に見出せる。
神道の神々と如来や観音をまったく同一のものと考えることができないように、ギリシャ神話とその他の地域の神話も同じではない。とはいえ、先述のティターンや、北欧神話に登場する霜と丘の巨人族ヨツンは、いずれもオリンポスの神々やアース神族と争う「神の敵」として位置づけられている点が共通しているのは明らかだ。
北欧神話には、急所となる頭や心臓が石でできたフルングニル、超大型巨人ミスカトーフ、そして主神たちの砦アスガルドを建設した石工の巨人フリームスルスなどが登場する。フリームスルスのエピソードは、楽劇王ワーグナーの代表作『ニーベルンゲンの指輪』でヴァルハラ宮殿を巨人族が建設するくだりにも反映されている。
「城砦を巨人が建設する」という伝説はギリシャにも残されている。言い伝えによると、ペロポネソス半島にあるティリンスの遺跡の壁は1つ目の巨人によって作られたらしい。ティリンスの壁の強固さは、かつてホメロスにも讃えられた。この砦の中心にある宮殿は3つの壁に囲まれている。ギリシャ文明はアテナイの民主政治で有名なのだが、ティリンスが栄えたのはさらに古いミケーネ文明の時代。そこでは王政が敷かれていた。彼らはアカイア人の一部で、その文明は、のちに都市国家スパルタを建国するドーリア人によって破壊された。
ドーリア人がアカイア人の文明を破壊してから数百年間は、近代以降になって侮蔑的に「暗黒時代」と呼ばれることになる。この表現は、のちの中世ヨーロッパに対しても使われた。暗黒時代とは、古代ギリシャにおいては文字資料が乏しくなったこと、中世ヨーロッパにおいてはキリスト教教会と王侯貴族の支配が強固でルネッサンス以降の「人間的」な思想が認められなかったことを、暗いイメージで呼んだものである(諸説あり、学術的には不適切な表現と考えるのが今では一般的)。
『進撃の巨人』のストーリーに照らして考えるならば、城壁の中に留まることを信奉し「外へ出ること」を頑なに拒絶する「壁教」と「王政」が思い出されることだろう。日本にいるとどうしても江戸時代末期の尊皇攘夷思想を考えてしまいがちだが、実は鎖国的な思想は中世ヨーロッパにも共通し、近現代でも根強い差別思想に結びついている。
かつてギリシャではとりわけ芸術的な能力に恵まれたわけでもない、金や家系に恵まれなかった多くの人が奴隷として人権のない生活をしていたし、中世の人々もしばしば異端審問や魔女狩りで迫害されていた。ルネッサンス以降の「人間」や「人権」という考え方は、現代でこそある程度は当たり前のものとして考えられるようになってきているが、人間が人間を人間と見なさずに殺し合う状況は現代でも起こりうる。
『進撃の巨人』におけるモチーフを何かしらの隠喩として解釈するのは妥当ではないかもしれない。しかし「巨人」とは、ある社会秩序が自閉的になったときに圧倒的な脅威として現れる別の人間たちの姿に見えてならない。既に多く指摘されていることだが、本作の世界観は現代的であり、また神話的なのだ。
文=永田希(書評家)