演出家・丹野郁弓と女優・樫山文枝に聞く ~ ベートーベン最晩年の謎に挑む、劇団民藝『33の変奏曲』

2017.9.26
インタビュー
舞台

左から、演出家の丹野郁弓、女優の樫山文枝。劇団民藝の稽古場にて。 (撮影/稲谷善太)


劇団民藝がモイゼス・カウフマンの戯曲『33の変奏曲』を2017年9月27日より紀伊國屋サザンシアターで上演する(10月8日迄)。最晩年、ベートーベンはとりたてて魅力のないワルツから、33もの変奏曲を作曲している。多忙をきわめたはずのベートーベンが、この作業に熱中したのはなぜか。史実によれば、いったんは丁重に断りの返事をしているのだ。その謎に、音楽学者であるキャサリン博士が挑む。キャサリンの体は難病におかされており、彼女は自分の最後の仕事として、この謎に取り組むことに決めたのだった。音楽学者キャサリンを演じる樫山文枝と、演出家の丹野郁弓に話を聞いた。

音楽学者キャサリン役に挑む

──人生の最終局面で、音楽学者のキャサリンは、ベートーベンが晩年、駄作と思われるワルツの変奏曲を作る作業に没頭した謎に取り組むことを選択します。つまらないワルツからいくつかの変奏曲を生みだしただけでなく、結局、ベートーベンは33もの変奏曲を作る。多忙をきわめるベートーベンが、なぜそんなことをしたのかを解明していく過程が、人生の秘密を解明する過程と重なっています。

樫山 キャサリンは重複して同じようなことを何度も言うんだけど、場面毎にその内容は深まっていきます。そのうえ、自分が接する世界のなかから、さらに考えて、切り捨てて、また前に進むということをくり返す。

 最終的に、頑なに自分の信念に基づいてベートーベンの謎を人生の最終目標として取りあげたのかなって。それだけでなく、キャサリンは、ボンにあるベートーベン資料館の直筆スケッチ帳を繙いていくうちに、娘との確執の原因についても気づいていく。

──ひとり娘クララとの確執ですね。

樫山 ええ。自分の人生の偏り具合も認識できて、すべてを受け入れて、ベートーベンのもとに身を委ねていく。ベートーベンもキャサリンもともに病いと苦悩を抱えている。ベートーベンについての研究を進めながら、キャサリンがベートーベンと並走している感じが面白いなと思いました。

 台本いただいたときには、とても手に負えないから、どなたかやってくださいという感じだったんです。

──キャサリン・ブラント博士ですが、アカデミックな感じもあり、ぴったりな印象も受けますが……。

樫山 そうでしょうかね。

──井伏鱒二原作、吉永仁郎脚色の『集金旅行』で演じられた「七番さん」の役も、とてもおおらかで生活力に満ちていたんですが、こういうアカデミックで知的な学者の役もいいんじゃないですか。しかも、この女性はアカデミックな研究をしようとしてベートーベンの謎に迫るものの、その過程で、先ほど「人生の偏り具合」とおっしゃいましたが、一流好みだったり、アカデミズムに偏向していた自分自身を、ある意味で、解放していく物語にもなっている。

樫山 そう思いますね。ですから、結局、キャサリンはね、自分からジタバタするというよりは、見ているというか、受けとめていくんです。

──ひとりで述懐するところも少なくないし、場面がたくさんありますね。

樫山 もう大変です。長台詞がいっぱいで(笑)。場面が多いから、どうするのっていう感じですが、演出の丹野さんは、そういう舞台もお得意じゃないですか。ですから、自分が演じるよりも、舞台の外側から、どういうふうになるのか見てみたいと思いました。

 生の音楽といっしょに発想がどんどん展開していくやりとりが、ちょっとドキドキワクワクするぐらい稽古場でもすごく楽しいですから。音楽の力ってすごいなとつくづく思いながら、やっております。グランドピアノの音楽に負けないように、こっちもやらなくちゃならない。

音楽学者キャサリンを演じる樫山文枝 (撮影/稲谷善太)

現代と19世紀との往復

──いま生きている現代と、ベートーベンの時代である19世紀が、はじめのうちはゆっくりと往復しますが、第2幕になると、それらが近づいていき、重なるような構成になっています。

樫山 そうですね。

──約200年を舞台上で往復するのは、どんな感じですか。

樫山 昨日初めて、舞台稽古で立ったんで、まだ流れがよくわからなくて。次はどこへ行くんだろうと迷子になりそうになっちゃって……急な流れに流されないように、踏ん張って、ひとつひとつの場面を緻密に作らなければいけないと思います。

──場面が多いので、舞台転換も多くなると思うんですが……。

丹野 転換と言ってもね、大がかりなものではないんですよ。

──でも、19世紀と現代とを何度も往復しますよね。

丹野 (しばらく考えて)往復はしますけど、転換と言うよりは、ほぼ何もない状態でやっていただかないといけない。役者さんの頭のなかには転換があるんだろうと思うんですね。だけど、見たところ、全部混ざりあっていく。だから、第1幕は、割とエリア別になっていますが、第2幕になると、もう全部、小道具などもふたつの時代で共有していく。

──だんだん接近していき、重なりあい、最後はもう握手するみたいな感じですね。あるいは、いっしょにダンスするというか。

丹野 ええ、そうですね。だから、過去と現在がまさしく融合する感じ。

──そういえば、トム・ストッパードの『アルカディア』も、19世紀はじめに屋敷で起きた出来事があって、それを研究している現代の人たちがいて……というふうに、約200年を往復しながら、当時起きたことを知的に推理・考察していく面白さがあったんですけど、劇構造としては似てますね。

丹野 でも、『アルカディア』は、いわゆる本当にイギリス的な、何百年前かのものが、そのまま現代も残ってるというお話でしょう。

──バイロンの時代でしたね、その屋敷に、実際に一時滞在していた……。

丹野 そうでしたね。わたしはロンドンで見たんですけど、仕掛けは面白かった。でも、『33の変奏曲』とは、ちょっとちがうかなと思うんです。

──こっちは事件の謎解きではないですね。

丹野 でも、謎解きの要素もあるんです。キャサリンの台詞を追っていくと、では『33の変奏曲』はどういうふうにできたのかという謎解きの面白さと、それに加えて、ベートーベンとキャサリンが最後には一致してくるんですよ。

 先日、ベートーベンを演じる西川明さんと話していて、「どうしても、わからないところがある」と。ごく簡単な台詞なんだけど、「ここはキャサリンと呼応しているんですよ」という話をしたら、それでわかったって。だから、ふたりは呼応してるんだなと。

──登場人物同士で響きあっている。

丹野 そうなんですよ。だから、役者さんたちも、実際に舞台に立っていると、なんだか呼応してくる。「あっ、ここ呼応してる」というのが、わかってくると思うんです。その前にも、ずっと伏線があるわけでしょう。

 わたしがやっていて楽しいなと思うのは、そういうちょっとした瞬間を拾いあげて、みんながそこに反応していくのが伝わってくる過程が、稽古では面白いですね。

 たぶん役者のみなさんは、すごく大変で、まだそこまでは行かないと思うんだけど。

樫山 役者に課せられたことが、とても多いので、すごく大変。だけど、ベートーベンというゴーストと対面しているような……見えているのに、見えないものでしょう。

──最初の場面、ベートーベンは観客席からは見えないところで、舞台袖から声だけが聞こえる設定になっています。

丹野 そうなんです。

──そして、声から始まり、少しずつ姿を現わすようになっている。

丹野 存在が、少しずつ洩れでてくる感じ。

──でも、キャサリンは研究対象のベートーベンに話しかけて想いを向かわせないといけないから、いろいろなご苦労がおありかなと。

樫山 そうですね。苦労はあるんだけど、全体の流れとか、世界観が自分の体にすっぽり入ってくれば、もうちょっといろんな発見や躍動感も出てくるのかと思ったりしてます。

訳・演出の丹野郁弓 (撮影/稲谷善太)

音楽がもたらす新たな領域

──ひとつひとつのシーンは、はじめはディアベリが作曲した主題曲のワルツから始まるわけですが、続いて、第一変奏曲から順番に演奏されていきます。ひとつの場面の台詞を終えたとき、それに重なるように変奏曲が流れますが、舞台上で音楽を聴くのはどんな感じですか?

樫山 すごくうれしいですね。やっぱり音楽の力に助けられるし、楽しい。主題として研究してるわけだから、音楽があって当然なんだけど、台詞を言ったあと、そこで言及した音楽に身を委ねる。今回の最高に楽しい瞬間です。

丹野 劇作家が変奏曲をうまく拾いあげてますよね。訳しているときは、さほど音楽には注意しなかったのですが、今回、演出することになり、実際に音楽に当たってみると、うまいところをピックアップしてきたなと思います。曲想が場面にピタッと来るんですよ。よほど、曲を知ったうえで書いてるんですね。

──また、ベートーベンは「32の変奏曲」に対抗したという説もありました。えっと、誰でしたっけ?

丹野 バッハのゴルトベルグ変奏曲。だから、実際に調べてみると、『33の変奏曲』を作曲した理由には、いろんな説があるんですよ。だから、キャサリンだけがこの結論に落ち着いたということではないかもしれないんですけどね。

──これは「凡庸なワルツ」からとあるように、最初は凡庸と思っていたなかに、33ものいろんなバリエーションをベートーベンは発見していく。で、33のバリエーションが、ひょっとしたら人間のいろんなかたち……四季がめぐるように、人生がいろんなかたちに変化していく。そういった変化とも重なるところがありますね。

丹野 そうです。だから、キャサリンの人生が、この『33の変奏曲』に反映されている。

──特に発病してからはそうですね。

丹野 ええ。しかも、この病気は治る可能性がないわけですから……。

──宇宙物理学者のホーキング博士のように、進行が止まってくれれば、ありがたいんだけど……。

丹野 そうですよね。だけど、最期のときが……人間だれにも最期は来るんだけど、治らない病気で、進行していくしかない状況に、うまく絡めて書いてあると思います。それと、やっぱりベートーベンが病におかされて、容体が悪化していくということとも並走している感じがすごくありますね。

──身体は自由が効かなくなり、どんどん小さなところへ閉じこめられていくんだけど、逆に精神はどんどん広がっていく感じがありますよね。音楽もそういう構成になってますけど。

樫山 優しくなってね、受け入れてね。

──そこがまたこの作品のすてきなところかなと。

丹野 だから、状況としては、あまり希望が持てる状況じゃないんだけれど、最後には救いが待っている。

──ベートーベンが変奏曲の27ぐらいから、しばらくスランプがあって、さらに新しい領域に進んで、33の変奏曲を完成させるように、キャサリンとしても、生活のなかのいろんなもの……娘の歌からインスピレーションをもらって、新たな発見をしていく。身近な人からきっかけをもらうところがありますね。

樫山 だから、キャサリンは頑なに自分はひとりで生きている、自分でなにもかも処理して、研究も何をどう進めるかについては自分ですべて主導してきたにもかかわらず、病気でできなくなったことのジレンマと、自分は病人じゃなくて研究者なんだと思っても、結局、自分ひとりでは何事も進まない。みんなが助けてくれて、いろんなアイデアをくれたおかげで、自分の研究だけでは行き着かないものに、もっと動的なものを吹き込んでくれたという。すごく面白いですよね。

 そのきっかけが、娘のクララが直観的にきれいな曲と思ってディアベリのワルツを歌ったことだから、キャサリンとは真逆ですよね。一方は研究対象で、通俗的で凡庸なものだと思っていたワルツを、娘の歌う曲が発想を一変させて、そこからインスピレーションを得るという。

33の場面で構成された『33の変奏曲』

──今回、戯曲を読んでいて思ったのは、凡庸で平凡な人生……つまり、普通の人生やとるに足らない人生のなかに、かけがえのないものが潜んでいるということ……。

丹野 そこに気づいたからこそ、母と娘の最終的な和解があるんです。キャサリンは学者ですから、やはり、どうしても高尚なところに走りがちなわけですけど、凡庸な人間だとしか考えていなかった娘に、そのことを発見してもらう。そこがずっとうまくいかない母と娘の最終的な和解につながるということですね。だから、本当に主題はひとつじゃなくて、いろんなテーマが含まれているわけです。

──変奏曲は33曲全部は演奏されませんが、十数曲は聴くことができますね。

丹野 でも、これね、33場面あるんですよ。

──へええ。気づかなかった。洒落てますね。

丹野 登場する曲は、33曲すべてではないんですが、場面は33あるんですよ。

──劇作家は、場面ごとに、たとえば、「スケッチ…パート2」とか、名前をつけてますけれども……。

丹野 そうなの。面白いでしょう。

──でも、場面の名前は、客席で見ているわたしたちにはわからない。

丹野 だから、スライドで出そうと思って。舞台上でピアノ演奏される曲の説明はいらないけれど、パート毎の表題が面白いので、それはスライドで出そうと思ってる。

──そうすると、わたしたちの頭のなかでも、切り替わった瞬間瞬間を気づくことができますね。キャサリンが病気になり、身体的には不自由にはなるんだけど、いままで考えていた束縛されていたアカデミックすぎる姿勢から、だんだん人生と和解していくところが33のグラデーションになっていて、最後はみんなが手をつないでダンスするという。本当にすてきなシーンですよね。

丹野 すてきでしょう。7人しか登場しないけれど、ひとりひとりのキャラクターがはっきりと色分けされているので、混じりあうことが面白いんですよ。それぞれの時代もちがうし、そういう人たちがひとつの舞台の上で混じりあっていくのも面白いですよ。

民藝公演『33の変奏曲』のチラシ。

音楽を通して人生の軌跡をたどる

丹野 わたしは音楽の造詣が深くないけど、ディアベリのワルツって、ただ単純に楽しいんですよ。すごく覚えやすいし。だから、あれを凡庸と見なす研究者はちょっと……。わかりやすい方が、やっぱり音楽は楽しいんじゃないかと思ったりするんですけど。

──でも、そうなると、有難味がなくなっちゃう(笑)。研究対象にならないから。

樫山 でも、ディアベリって、ずいぶん贅沢ね。こんな短いもので、どうぞ変奏曲をくださいよって言う。すごい発想ね。

丹野 やっぱりビジネスマンなんですよ。

──大きな音楽出版社の社長ですし、当時は、譜面を売った印税が、作曲家にとっても大きな収入だった。譜面が売れるということは、みんなが譜面を見ながら、ピアノやバイオリンなどの楽器で演奏したんですよね。だから、コンサートで聞くよりも、はるかに自分たちで弾いていた。

丹野 演奏会っていうのは、当時、貴族たちのサロンでのお楽しみじゃないですか。ベートーベンはサロンを抜けだして、大衆に近づいていった初めての作曲家だと思うんです。そういう意味でも、ベートーベンってすごいなと思いますね。

──そう考えると、キャサリンとベートーベンの人生の軌跡と『33の変奏曲』の編曲作業は、深いところで響きあっていますね。

丹野 そうです。

──そんな舞台が実現することを楽しみにしています。

取材・文/野中広樹

公演情報

民藝公演『33の変奏曲』

■作:モイゼス・カウフマン
■訳・演出:丹野郁弓
■日時:2017年9月27日(水)〜10月8日(日)
■会場:紀伊國屋サザンシアター
■出演:樫山文枝、船坂博子、桜井明美、小杉勇二、西川明、みやざこ夏穂、大中耀洋
■公式サイト:http://www.gekidanmingei.co.jp/performance/201733variations