演出家マリー・ブラッサールと松雪泰子が、ネリー・アルカンの作品群に基づく舞台『この熱き私の激情』を語る
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左からマリー・ブラッサール、松雪泰子
カナダ・ケベック州出身の女性作家、ネリー・アルカン。1973年生まれの彼女は高級娼婦から作家に転じ、わずか8年の間に心を爆発させるような作品群を書き上げ、そして自ら死を選んだ。彼女の作品群をもとにした2013年モントリオール初演の『この熱き私の激情』が、このたび日本人キャストによって上演される。初演から脚本翻案・演出を手がけるマリー・ブラッサールと、出演の松雪泰子に話を聞いた。
――ネリー・アルカン作品との出会いと、舞台作品として取り上げようと思ったきっかけを教えていただけますか。
マリー 彼女は2001年に「ピュタン」でデビューしましたが、この小説を公演地のパリに行く途中の飛行機で読みました。パリでル・モンド紙の取材を受け、今読んでいるのはネリー・アルカンだと答えましたが、当時彼女はフランスでもカナダでもとても成功していました。それから10年ほど経ち、モントリオール拠点の女優の方に、彼女の作品を発展させて舞台を作りたいと頼まれました。再読して、文学作品としてのみならず、女性一般について書かれたものとして今でも非常に価値があると思ったんです。
――マリーさんもネリー・アルカンもケベック州出身でいらっしゃいます。カナダの中で唯一のフランス語圏であり、かといってフランスにも同化しきれないケベック人の苦悩は、例えばマリーさんがよくコラボレートしていらっしゃる演出家ロベール・ルパージュさんも作品に取り上げているところですが、アルカン作品にもケベック人特有の苦悩のようなものはあるのでしょうか。
マリー 彼女はケベックのカトリック文化圏で育ち、子供のころから罪、不道徳、天国、地獄といった言葉、概念を教えられていました。そしてカトリック的には人類に罪を紹介したのは女ですよね。カトリックに特有の概念、考え方などは彼女が両親から受け継いだものでもありますが、その一方で、彼女が女性について書き表していることには世界的に普遍なものがあると思うんです。今、文化的には遠いかもしれないけれども、人間としてはとても近いものを感じられる、日本の皆さんと一緒に作品を作り上げられることをうれしく思っています。
――松雪さんはネリー・アルカン作品をどのようにとらえてお稽古されていますか。
松雪 私が演じるのは“影の部屋の女”で、死を選ぶ瞬間の部屋にいるんですね。彼女がなぜそのような行動をとったのか、死に導かれる上で何がそこまで彼女を深く傷つけ、彼女が何に憎悪や怒りを燃やしていたのか、深く理解しようと試みています。あまりにも苦しすぎて、自分も苦悩していきそうになるのですが(苦笑)。マリーさんがおっしゃったように、幼いとき、両親から何か傷つけられたりとか、そういったことが人格形成に影響するということはどんな人にもあると思うんですね。その傷が生きていく上で何かしらの枷になったり、闇を抱えてしまったり、うまく立ち回れない原因になったり。私自身にもそういった闇があって、それは大人になるにつれ手放してきたと思っていたのに、生きていく自分を赤裸々につづった彼女の小説を読むと、かつて自分が苦悩していた時間が改めて浮上してきて、拭い去れたと思った痛みがまだまだ奥底に深く刻印されていることがわかって。彼女を知る作業は自分にも痛みが生じる作業で、それと同時に自分自身をすごく深く知る機会にもなっていますね。彼女を考察し理解しようとする上で、これだけ自分の深いところに言葉が突き刺さってくるということは、舞台上で身体を通してその言葉を届けたときに、観客の皆さんにも同じように突き刺さるようなものになるんじゃないか、そのようなものにしたいと思って稽古しています。
――ご自身の“闇”とは?
松雪 ネリーさんもそうなんですけれども、自分が母親に愛されていないんじゃないかなと、幼いとき、ちょっと苦悩したところがあって。実際にはそうじゃないんですよ。とても愛されていた。でも、ささいなことでそう思ってしまったりすることってあるじゃないですか。ネリーさんで言うと、ベッドの上に母親がいて、そこに乗ろうとしてシッと追い払われたくだり。私の場合は、小学校の低学年のとき、家から歩いて30分くらいかかる遠い町でお稽古事をしていて、迎えに来てくれるって言っていたのに来てくれなかったことがあって。一人で帰ってきてと言われて、でもバスに乗るお金もないし、どんどん日も暮れてきてこわいしさみしいし、お腹もすいているし。家にたどりついたときにはもう真っ暗で、くたくたで足も痛くて。母親はキッチンの蛍光灯の下に立って夕食の支度をしていたんですね。その後ろ姿を見て、やっと帰ってきた、よかったと思ったら、振り返った、その目がとても冷たかった、ような気がして。お帰り! と言ってくれると思ったのに、無言だった。たぶん母もその日いろいろ大変だったんだと思うんですけれども。そういうことが少しずつ蓄積して、愛されていないんじゃないか…みたいな。本当はそんなことないんですよ。でも、女同士っていろいろあるし、母親と心底愛し合える関係でいたいという願望があったからこそそんなことを思ってしまったんだろうなというのもあって。そういったことが他の領域でもあって、もっとうまくコミュニケーションしたいと思っても掛け違いが生じてしまったりとか、そういうことが拭い去りきれていないということを、彼女の作品を読んでいると感じるんです。彼女の場合はもっと深く重く苦しいものだったのかなと思いますけれども。
――この作品では、女性が抱えるさまざまな問題を、女優が一人ずついる6つの部屋と、ダンサー一人が踊る部屋とで表現していきますが、このアイディアはどこから生まれたのでしょうか。
マリー 初演の際、まずは7人の女性を集め、用意したテキストを読み、議論しました。その後、一人一人に、自分が一番近しいと感じる文章を選んでもらいました。実際に双子の姉妹がいた一人は姉について書かれた文章を選びました。狂気に誘われていく文章を選んだ人もいれば、死に導かれていく文章を選んだ人もいました。そこで私は作品群を読み返し、それぞれが選んだテーマに沿って文章を選び出し、コラージュしました。ちょうどクリスマスに近い時期だったので、選び出した文章を箱に入れ、「これがあなたのボックス、部屋です」と手渡しました。そこから“部屋”の舞台装置が発展していったというわけです。私自身、女優としてソロ作品を発表することが多く、この作品でも一人一人にソロ作品を発展させていくことを求めました。一つ一つの部屋がネリー・アルカンのとらわれていた強迫観念を表しています。肉体の美しさだったり、死だったり、宇宙とのつながりであったり。そのようにテーマを分けて読むことで、彼女の作品、そして彼女がどんな女性であったのが、より深く理解することができました。とても知的で賢く、興味をそそる女性。彼女はカナダでも成功したけれども、多くの人は彼女に対して偏見を抱いていました。もともと彼女は娼婦だったし、肉体の美しさを誇示するところがあったから。そして、多くの人は、彼女の作品を読まずにそんな偏見を抱いていたんです。今回、才能あふれる皆さんとの作品作りによって、ネリー・アルカンがより多くの人に読まれるきっかけになることを願っています。
――お互いの印象は?
マリー 泰子さんは素晴らしい女優さんだと思います。知性と豊かな内面とを兼ね備えていて、彼女の演技を観ると、謎の部分ととても温かみのある部分との混じり合いを感じますね。
松雪 マリーさんはとても明確に私たちを導いてくださるんです。マリーさんの感性と描いた世界を私たちがどこまでキャッチして表現していけるかということにすごくフォーカスしていて、私にとってはマリーさんの言葉がネリーの言葉と同じくらい突き刺さってくる(笑)。でも、表現すること、自由なクリエーションをとても楽しんでできる現場ですね。進め方の違いももちろんありますが、なかなか日本でここまでセッションして作っていく現場はないなと。一人一人をアーティストとして扱って、そこから生まれるものを大切にしてくださるところがすごいですよね。
マリー 泰子さんが今言っていることはとても重要だと思います。私は女優はアーティストであると考えていますが、すべての現場でそうとは限りません。演出家や監督の表現の道具、ときには奴隷のように扱われている場合もあります。私は、女優一人一人が自分自身を表現する上で固有のユニークな手段をもち、彼女自身にしか表現し得ないものを生み出し、表現していく、そこを理解したいし尊重したいんです。舞台作品を作るとき、私は、学術的だったり、よくできていると評されるようなものには興味がありません。それをやっているには人生は短すぎますから(笑)。そうではなく、人々の心にふれるものを生み出したい。創作しながらそれぞれが変容を遂げていったということを観客に伝えたいんです。
――今、女優が道具や奴隷のように扱われている場合があるとおっしゃいましたが、そのあたり、ネリー・アルカン作品ともリンクするお話では?
マリー 彼女の場合は、自分がいつも不十分である、誰かの真似をしているだけである、自分は生まれてきてはいけなかったという問題を抱えていたように思います。例えば、娼婦として働いているときのことを書いた文章で、男が私を見るとき、彼は自分を見ていない、夢想した他の女を見ているだけで私は単なる物体であるというくだりがあります。自分という存在では十分ではないこと、人々が彼女に投影するイメージについて、彼女はあまりにも深く悩んでいました。この舞台を観てくれた大勢の女性客と話をして、私は、実に多くの人がこのイメージの問題によって自分自身の人生を全うできていないことを知りました。メディアによって、多くの女性は、今の自分では不十分である、もっとやせなくてはとか、もっと美しくならなくてはなどと思わされている。そしてこの問題は男性とも共有し得るものだとも思います。この作品の観劇を通して、互いにどのような関係を築いていくか、コミュニケーションのきっかけを提起できるのではないかと思うんです。
松雪 こういう職業ですから、私自身、実際の自分と対外的なイメージとの違いや、そのイメージを演じ続ける空虚感みたいなものを感じることはあります。いつも虚構の世界に生きているような、実体がないという錯覚と苦悩のようなものがあって、すごくリアルなことをしたいなと思って、例えばご飯を作ったり(笑)。でも、マリーさんのように言ってくださる方がいると、そこに存在してクリエーションすることは決して空虚じゃないんだなと、すごく心強いですよね。私だけの不思議な感覚かもしれないんですけれども、ときどき、そのときその場にしか存在しないものを作り出すことのおもしろさと虚しさとを感じたりするんですよね。それと、この国の女優という生き物に対する目線、その見られ方との折り合いのつかなさを感じたりもして。
――ときに腹立たしかったり?
松雪 腹立たしいというか……。若いときは、虚像の自分を作り上げることにもっとエネルギーを注いでいたかもしれないですね。意味がないなと感じて、今はそれも含めてとてもフラットにやってますけど。すごくおもしろい仕事だなと思うんですよ。難しいけれど。
マリー ネリー・アルカンの文章は非常に多くの闇を抱えています。けれども私はこの舞台を、生きることへのオマージュ、光として提示したいと思ったんです。彼女があれだけ闇を抱えていたというのは、逆に、理想的な人生はどのようなものになり得るかについて非常に多くの考えをもっていたということ。ご覧になった方に、人生への光と希望を感じていただけるといいなと思っています。
左から松雪泰子、マリー・ブラッサール
●スタイリスト(松雪):安野ともこ(コラソン)
●撮影:舞山秀一
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■日時・会場
■原作:ネリー・アルカン
■翻訳:岩切正一郎