新国立劇場オペラ 「ラインの黄金」ステファン・グールド氏にインタビュー
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2015年10月1日に『ラインの黄金』で幕を開ける新国立劇場の『ニーベルングの指環』。チクルスの4部作すべてに出演するステファン・グールド氏は、バイロイトでも活躍する世界屈指のヘルデン・テノールだ。新国立劇場では既に『トリスタンとイゾルデ』のトリスタン、ヴェルディ『オテロ』のタイトルロールを演じている。岩のような存在感と落ち着いた賢者のオーラ、宝石の如く輝く瞳が、いかにもワーグナーの世界の住人といった趣だ。4作連続出演への抱負と、役柄に対する深い考察を聞いた。
(インタビュー全編動画/聞き手:小田島久恵)
■ワーグナーに”見出された”歌手
――ワーグナーを歌う歌手はドイツ人が多い、という印象がありますが、グールドさんはアメリカのヴァージニア州のご出身ですね。キャリアの最初からワーグナーを歌うことを目標にされていたのですか?
「私はアメリカ生まれで、アメリカで声楽の勉強をしました。ワーグナー歌手を目指していたというより、私がワーグナーに見つけられたと言った方かいいかも知れません。歌の勉強をしながらさまざまなレパートリーにトライしましたが、私の声は後期ドイツロマン派の音楽に合っていることに気づいたのです。 そうなると、自然にワーグナーに近づいていくのですね。実は、最初はリリック・バリトンとしてスタートし、そののちテノールのレパートリーにも挑戦するようになり、その挟間の困難な期間にミュージカルに出演して歌うこともありました。そこから15年後くらいに新たなヴォイス・トレーナーとの出会いがあり、その教師の導きによってヘルデン・テノールのレパートリーを増やすことが出来たのです。1997年から1999年ぐらいまでの出来事です」
――新国立劇場の『ニーベルングの指環』のプロダクションでは、『ラインの黄金』のローゲ、『ワルキューレ』ではジークムント、『ジークフリート』と『神々の黄昏』ではジークフリートを演じ、4部作のすべてに出演されます。
「最初にお話をいただいたとき、非常に興奮しました。やはりリングのすべてを歌うというのはテノールの夢だと思います。誰もが目標にしていると思う。私がヨーロッパにいたとき「ぜひやりたいな」と言っていたのを、新国立劇場のスタッフの方が聴いていらしたみたいで(笑)、今回こうしてオファーをいただけたことを喜んでいます。特に『ラインの黄金』のローゲは初めての役ですので、楽しみにしているんです」
■ローゲは神を操ることのできる「頭脳」
――ローゲは『ラインの黄金』のみに登場するキャラクターで、ヴォータンに仕える火の神であり、演出によっては道化的であったり中性的に描かれることもある役ですが、グールドさんはローゲをどのように捉えていますか?
「まず、ワーグナーが二つの神話をまとめてローゲという役を作り上げたことが重要で、北欧神話の「ロキ」と、火の神の神話をまとめてローゲという新しい存在を創造したのです。我々の公演においては、色々な物事をコントロールしたり、周りを踊らせるような役割かも知れません。弁護士のような存在でもあるかな。例えば、ビジネスマンなら、何がビジネスにおいて必要で、何が必要でないのかを知る必要がある。ヴォータンは、「これはやっていいのか?」とローゲにいちいち許可を得ます。ヴォータンは実際的な権力を持っていますが、ローゲは頭脳の役なのです」
――稽古初日のキックオフミーティングでは、ヴォータン役のユッカ・ラジライネンさんがすごく優しそうで、グールドさんの方がヴォータンに見えました。
「ははは…。ユッカとは何度も共演していて、新国のトリスタンでも一緒にやりましたし、世界中で共演しています。ヴォータンというのは『ラインの黄金』ではまだ若い神で、ローゲは最終的にどうするかを決めかねているところがあるんです。神々についていって自分も列の中に入るのか、あるいは神と対立し破壊することで、自分自身の神格もなくしてしまうのか…彼は火というエレメンツであり、火であり続け、最終的にヴァルハラの炎上というところにつながっていく。ローゲは、シェイクスピアの『リア王』に出てくるようなキャラクターです。非常に似通っていますね。本来ならば賢い王であるはずの人がそうではない。フールと呼ばれる道化役と王との会話を聞いていると、実は道化=愚者のほうが王に示唆を与えていることが多いんです。ユッカとは、黒澤明監督の『乱』に出てくる王と愚者のようだね、という話をよくするのですが…つまり愚者に見える者のほうが賢く、ローゲとヴォータンの関係もそのようなものだと思います」
■ジークムントとジークフリート
――プロフィールによると、『ジークフリート』には51回出演し『神々の黄昏』には52回出演されています。『ワルキューレ』(ジークムント役)は何回出演されましたか?
「ジークムントはわずか14回、それもコンサート形式で歌ったので、舞台上で演じるのは今回が初めてです」
――いつも不思議に思うのですが、『ジークフリート』のような、出づっぱりで声楽的にも苛酷な役を演じるのは、歌手にとってどのような経験なのでしょうか?
「初めてジークフリートを歌わせていただいたときは、かなり難しかったかなと思います。とても偉大で難しいオペラです。どこで声をセーブして、どこで声を張っていくのか…ということを知るのにも、かなり時間がかかると思う。最低でも20回はやって、そこからだんだんと分かってくるものだと思います。役を自分の中に入れて行くには時間がかかるんです。新国で『トリスタンとイゾルデ』を演じたときも、その前に3年かけてこの役を勉強しました。じっくり学んで、リハーサルが行われる前には完璧な準備がなされなければいけないのです」
――ジークフリートはかなり若い役ですが、どのようにして若返るのですか?
「うん。一番問題になるところですよね(笑)。ジークフリートは15歳から17歳までの役だから、28歳で歌っていたら、48歳でこれをまた歌うとは思わないでしょう。しかし、ほとんどのテノールにとって、自分自身の声が充実して「これでよし」と思えるのは、40代に入るくらいの頃だと思うのです。そしてまた、今の僕は、ブラッド・ピットというより横綱のようですが、自分の中に半分神であるジークフリートというキャラクターを見つけ出さなければならないのです。ですので、若くあろうというのもひとつのアイデアだけど、抑えられないパワーを自分の内側に感じることが大事なのではないかと思います」
――なるほど。
「しかし、彼自身をティーンエイジャーのように演じるというのとは少し違います。ほとんどの人が思っているティーンエイジャーとは、自由を渇望し、親に歯向かい、体制に反抗している存在ですが、ジークフリートの人生の中にはそういうものが一切ないのです。未熟な若い人間というより、彼はもっと野生動物のようなキャラクターだと思います」
――パルジファルにも似ていますね。
「その通りなんです!」
――では、ジークムントにはどのような難しさがあるでしょう? 彼は非常にミステリアスな存在として登場し、物語とともに次第に素性が明らかになり、観客にとっても興味をそそられる存在です。
「ジークフリートに比べると、ジークムントはだいぶクリアな役です。「なぜ?」といった動機が非常に明快だからです。彼は悲劇的なキャラクターだけど、それは一番人間らしい役だから。愛する母がいて、父であるヴォータンの影響を受け、最初から彼のあらゆる運命は決定づけられていた。だからこそジークリンデとのストーリーの悲劇性が、非常にわかりやすく胸にせまってきます。音楽はとても美しく、心に訴えかけてきますね」
■オペラと演劇との違い
――演劇には、自分の実人生の経験からくる感情表現を演技に使うスタニスラフスキー・メソッドがあり、これを根拠に役作りをしているというオペラ歌手のお話を聞いたことがあります。グールドさんも、ご自分の人生を舞台に乗せることはあるのですか?
「確かに、ジークムントのような役では、自分の経験を投影する部分があるかも知れません。ジークムントは一番人間らしいですからね。個人的に、弱さをもっているキャラクターのほうが、自分の内面を反映させやすいかも。タンホイザーやトリスタン、ピーター・グライムズにオテロもそうですね。今挙げたキャラクターは、非常に人間の本質を表していると思います。自分の中に抱えているもので自分自身を滅ぼしてしまうのです。僕にとっては、皆から愛されるヒーロー的な役というのが難しいですね。自分にはそのような経験はないですから」
――タンホイザーにトリスタン、ピーター・グライムズにオテロ…偉大な役ばかりです。
「ただ、歌い手が演劇的メソッドを取り入れるときは気を付けなければならないのです。役者は言葉に感情を載せて役柄や雰囲気を作り上げますが、私自身が歌っているときに、感情に任せて怒ったり泣いたりしていると、指揮者に任されている歌の質というものを出せなくなってしまうからです。そのバランスを取るのが難しい。演技でいえば、メリル・ストリープのような真に迫る演技力というのは必要なのかも知れません。重要なことは、音楽そのもので観客の方を泣かせることで、歌手自身が泣くことではないんです」
■ワーグナー精神のなかの哲学と仏教
――さきほど、人間的な弱さを内包するトリスタンやタンホイザーに共感する、とおっしゃられていましたが、それはワーグナー自身が抱えていた弱さでもあるのでしょうか?
「そうかも知れません。それがとても人間らしく感じられるのです。『タンホイザー』を例にとると、彼の中心的なテーマは肉体的な愛を取るのか? 精神的な愛をとるのか? その狭間で揺れています。作品全体で彼は苦しみ、闘い続けている。私自身が宗教的なバックグラウンドを持っているということもあるんですが…タンホイザーはスピリチュアルなものと現世的なもの、聖なるものと俗なるものの間でいつも悩み、闘い、何かを探し求めているんです。アーティストですね。その、苦しんでいるところに魅かれます。トリスタンになると、もっと世界は突き詰められていく。二人は一緒になれるのか…肉体的なことだけではなく、精神的にも一緒になれないか考えていくわけですが、ワーグナーはショーペンハウアーや仏教を元にして「否、それはあり得ない」と断じます。死をもってしか二人は結ばれ得ないと結論づけるのです」
――大変深いお話まで来てしまいました。グールドさんが毎年出演されるバイロイトにはワグネリアンと呼ばれる熱狂的なワーグナー・ファンが訪れますが、ワグネリアン以外のオペラ初心者に、リング四部作の魅力を伝えるとしたら、どんなふうになるでしょう?
「リングとは権力のメタファーです。『ロード・オブ・ザ・リング』の指環のパワーを思い出すとよいでしょうね。想像力をそのまま使うのではなく、「隠された意味は何なのか?」を探りながら見てほしいです。オペラを観るというよりクロスワードを解いていくようなところがあると思う。隠された二重の意味を見つけ出して、初めてわかることがあります。若者に限らず、すべての人にそんなふうに楽しんでいただきたいですね」
[取材・文=小田島久恵]
日時:2015/10/1(木)~2015/10/17(土)
会場:新国立劇場 オペラパレス
指揮:飯守泰次郎
演出:ゲッツ・フリードリヒ
出演:黒田 博/片寄純也/ステファン・グールド/妻屋秀和/クリスティアン・ヒュープナー/トーマス・ガゼリ/アンドレアス・コンラッド/シモーネ・シュレーダー/安藤赴美子/クリスタ・マイヤー/増田のり子/池田香織/清水華澄
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
※やむを得ぬ事情により内容に変更が生じる場合がございますが、出演者・曲目変更などのために払い戻しはいたしませんのであらかじめご了承願います
演目:オペラ「ラインの黄金」/リヒャルト・ワーグナー 全1幕〈ドイツ語上演/字幕付〉
公式サイト:http://www.nntt.jac.go.jp/opera/dasrheingold/