庭劇団ペニノ主宰タニノクロウが、『ダークマスター』凱旋公演とこれからを語る
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阿倍野の街をバックにしたタニノクロウ(庭劇団ペニノ)。 [撮影]吉永美和子
「“オナニーがしたい”というのが、一番深い部分にある創作意欲だと思います」
庭劇団ペニノのタニノクロウが、『地獄谷温泉 無明ノ宿(以下無明ノ宿)』で「第60回岸田國士戯曲賞」を受賞した直後に発表した舞台『ダークマスター2016』。ある洋食屋の厨房を任された青年が、その店のマスターに心身ともに取り込まれていく……という漫画原作の舞台を、2016年に関西人のキャスト&スタッフのみでリクリエーションした舞台だ。従来の上演より、生々しさと不気味さを増した新生『ダークマスター』は、大阪公演後は東京・仙台でも上演され、そして1年半ぶりに生まれ故郷と言える阿倍野・OVAL THEATERに凱旋することになった。タニノにこの作品を再演する理由、創作の原点や今後目指していくモノ、待望のペニノの新作についても聞いてきた。
■大阪の役者たちが持つ生っぽさが、この作品には重要でした。
──『ダークマスター2016』は、舞台を大阪にしたことで……特に大阪の劇場で観たからかもしれませんが、本当にその辺の街角で起こった事件を覗き見ているような臨場感がありました。この作品を再演しようと思った、一番の理由は何でしょうか?
この舞台はもともと、関西の俳優さんとスタッフを集めて、大阪で新しいチームを作るというプロジェクトで始めたんです。ここからしか発信できないものを作るために。その結果、良い舞台ができた。これからはみんなで「これはチームである」という気持ちを継続させるためにも、今再演しておきたいと思いました。あとこの作品が、来年フランスのフェスティバルで上演されることが決定したから、という事情もありますね。でも基本的には、何度観ても面白い作品なんじゃないかな? ということ。エンターテインメント性がすごく高いし、中に入ってるメッセージもちゃんと味わえる作品だと思ってます。それとやっぱり、この辺(阿倍野)が好きだから(笑)。戻って来たくなる場所なんです。ここでまたあの面白い、ワクワクする時間が体験できると思うと、本当に嬉しいです。
──もともとは東京で作られた舞台でしたが、大阪でリクリエーションしたことで、美術を一新したり、劇中の言葉を関西弁にしたこと以外に、どんな違いが出たのでしょう。
決定的に違うのは、俳優たちが持っている雰囲気でした。特に(マスター役の)緒方(晋)さんがそうだけど、哀愁があるけどちょっと危なそうで、雑なんだけど繊細みたいな。ああいう味のある俳優って、少なくとも僕は東京では知らないかなあ。実際今回は、緒方さんありきでできた所があります。この辺(阿倍野)っぽさがあるというか。
──ああ、明るいようで怪しい所もあって、活性化する一方で時代から取り残されているエリアもあるという今の阿倍野の、特に影の部分を表しているような気がしますね。
それが大きいと思う。この作品って、どこにでもいそうな人と、どこにでもありそうな洋食屋という所から、バーン! と物語が思わぬ所に跳ね上がって行くというものだから。その“どこにでも”という場所を作れるかどうかが、多分作品作りの肝なんです。東京で作るともっとシュッとするというか、洗練を求めてしまう……僕自身が(役者に)テクニックを要求してしまう所があるかもしれない。でも役者の生っぽさという部分の方が、この作品が要求する“どこにでも”を作るには重要なんじゃないかと。それが緒方さんを始め、大阪の役者たちがもともと持っていたものが、結果的にすごくハマったと思います。
庭劇団ペニノ『ダークマスター2016』より [撮影]堀川高志(KUTOWANS STUDIO)
──『ダークマスター2016』は大阪の阿倍野、本作の直前に発表した『無明ノ宿』は富山の温泉宿と、童話的・普遍的な場所ではなく、具体的な場所を舞台にした作品が続きました。これは偶然だったんでしょうか?
両方とも「書こう」と思った動機は一緒なんです。変化する場所とか、失われていくもの……文化とか、風習とか、言葉とか。そういったものが急速に変化する、まさにそのまっただ中にある場所だった、どちらも。阿倍野はこの作品作りのために3年間通ったんですが、その間にすごく開発が進んで、[あべのハルカス]などの新しい建物がバンバンできる一方で、次第に古いお店がなくなっていった。富山も同じように、新幹線が通ったことでどんどん街が変化してたんです。偶然この2つの街の境遇が似ていたんですね、時期的に。だからこそ、そこにフォーカスを当てた作品を作りたい、見せたいと思ったんです。僕の場合、作品を作るモチベーションって、大体何かがなくなりそうな時とか、何かが失われていきそうな時。その中で身体が、筆が動いていくという所があります。
──なくなるといえば、横浜で『無明ノ宿』最終公演が行われましたが、やはり今さびしさみたいなものを感じているのでは……。
いや、なるべく心を動かさないように努めています。(老朽化で使えなくなる)あの舞台セットがあっての作品なんで、すごいお金持ちがセットのお金をボン! と出してくれるとかがない限り、二度と再演しないでしょう。でも作品というのは僕の手から離れて成長するもんだと思うし、この『ダークマスター』も、そういう風に成長していくと思うんで。作り手としては新作を作ることで生きている所もあるので、過去を無駄に引きずってもしょうがないし、さびしくしないようにしています。だからもう、最後のステージとか観てないですからね、僕。ずーっと楽屋でゲームやってました(笑)。
タニノクロウ(庭劇団ペニノ) [撮影]吉永美和子
■最終的に人間のために残るのは、飲食店と演劇なんじゃないかと。
──この2作品もそうですが、タニノさんは残酷な記憶とか異常な欲望とか、一言で言えば「気持ち悪い」という感情や行動をエンターテインメントにできることが強みだと思います。その創作の原点ってどこにあるんでしょうか?
多分……多分ですよ? 8年間僕は、自宅で作品を作って上演していたんです。今はもうないけど[はこぶね]という、渋谷のマンションにある40平米ぐらいの一室で。そこで生活しながら3本の作品を作ったんですけど、その頃の作品は、どれもまあ気持ち悪い(笑)。というのはやっぱり、それらを僕は「見せ物じゃない」と考えてたんですよね。自分の内部にある誰も触れない側面とか、すごく微細な部分とか、深い記憶とか夢とか。そういうモノを一生懸命作品にしたけど、自分ではそれを見せ物だとは思ってないし、実際見せ物にならなくてもいい上演が可能だったわけです。だって自分の家だから。要するにその8年間、僕は家にこもって必死で究極のオナニーをしていたわけで、その感覚は今もそんなに変わってないんですよ。やっぱりその時期を経て僕は成長したし、今のスタイルみたいなものが形成できたと思ってます。
──私が初めてペニノを観たのが、その3本のうちの1本『誰も知らない貴方の部屋』だったんです。その時感じたきまり悪さは、確かに「他人のオナニーを見てしまった」というのに近かったと、今の話を聞いて気づきました。
よく「何のためにやってるの?」と聞かれたりするけど、やっぱり「自己満足」だと思うんですよね。たとえば僕は、以前は精神科医だったけど、それを辞めたんです。要するに大金持ちになれたかもしれない世界を捨てて、お金が全てではない演劇をやってるわけで。その訳は僕の中ではすごく明快で、やっぱり僕はオナニーがしたい人間だと思うんです。誰かの助けになったり、誰かのために生きて、そのまま人生を終えて何がいいんだろう? という所がある。なので医者を辞めることに抵抗はなかったし、今でも根本はそうだと思うんですよね。だからその躊躇ないオナニーっぷりが、気持ち悪いんじゃないですか?(笑)でもオナニーって気持ち良いもんだと思うんです、そもそも。それが多分一番深い部分にある、自分の創作意欲だと思います。
──でもその一方でできあがった作品はキッチリ楽しませてくれるというか、「こういう風景を観たらお客さんは驚くだろうなあ」という、悪戯心みたいなのも感じられます。
そうそう。まさに[はこぶね]なんか、それが一番やってて楽しかったことだったんです。お客さんが渋谷の駅から歩いてきて、劇場だと思ったら普通のマンションで、その普通のドアをガチャッと開けた時に、どういう風景があったら驚くだろう? という。やっぱり演劇である以上、観に来た人に(上演時間)2時間とかを体感してほしいというか、忘れられない体験をしてほしいと思うんです。それが心地よい、心地悪いはあると思うんですけど。いろんなモノを使って、観ている人の記憶に入っていくのが演劇の面白さだと思うし、その体験とか手触りみたいなモノを、しっかりと観に来た人にぶつけたいというのはありますね。やっぱり忘れ去られたくない。
──あと最近の作品を振り返って見ると、滅んでいくものとか、捨てなければいけないものへの感傷みたいなものが、ますます強まってるように思うのですが。
単純に年を取っただけかもしれないけど(笑)、でも「演劇には何の価値があるのか?」を考えた時に、僕はやっぱりノスタルジーにあるんじゃないかと思います。多分技巧的にウェルメイドなものって、別に人間が書かなくてもいい時代は、すぐそこにあって。でも人間が人間を使ってライブをやるという価値って、ダイナミックなとらえ方をすると、ノスタルジーしかないのでは? と思うんです。だって人工知能ってどんどん付け加わるばかりで、何かを失うということがないから。「失う」という感覚をデータ化はできるかもしれないけど、嘘のないノスタルジーは、やっぱり人間からしか作れないと思うんです。この先にもっと、何か別の演劇の価値が見つかるかもしれないけど、でも僕はノスタルジーが一番強いという気がするんですよねえ。だって色鮮やかに人の記憶に残る作品、たとえば(維新派の)松本雄吉さんだって、ずーっとそうでしょ? 唐十郎さんもそう。あれってノスタルジーですよ。そしてノスタルジーってオナニーですよ。
──先ほど「何かがなくなったり、失われようとする時に筆が動く」と言われてましたが、それもまたノスタルジーであり、オナニーでもあると。
多分そうだと思うし、根本はそこだと思うんです。でもすごく難しい部分ですよね。どういう演劇が人を、心を動かすのかっていうのは、僕なりに日々分析してる所ではあるんですけど。でも演劇のいい点の一つに「お客さんがずっと人間であり続けるだろう」というのがあるんですよ。これから人間は加速度を付けて、いろんなものを失っては変化していくんだろうけど、一方でお客さんが永遠に人間であり続けることの重要さとか価値って、どんどんこれからも膨らんでいくだろうなと。その中でライブとか舞台芸術みたいなものが、とっても重要になっていくんじゃないかって、僕はポジティブに考えてるんです。最終的に人間のために残るのは、飲食店と演劇なんじゃないかって(笑)。
タニノクロウ(庭劇団ペニノ) [撮影]吉永美和子
■3年ぶりの新作は、仏教と量子物理学に関する作品になると思います。
──その演劇の未来を考える上で、今「Mプロジェクト」という演劇プロジェクトに取り掛かってますよね。
まさに今言ったようなことが、Mプロジェクトを立ち上げた大きな理由なんですよ。お客様が人間であり続けるという舞台芸術の価値を、もっと我々は重要なものとしてとらえて、それを踏まえて作品を作るべきなんじゃないかって。ペニノでやっていることは多分ノスタルジーだけど、そういう意味ではこっちはすごく未来志向で、常に観客参加型の作品なんです。やり方は違うけど、今まで作った3本はすべて参加型でした。
──たとえば今年静岡で上演した『MOON』だと?
まず野外劇場前の広場に、宇宙飛行士がかぶるようなヘルメットが置いてあります。たった一回だけ「そのヘルメットをかぶってください」というアナウンスが流れる以外は、まったく言葉も指示もありませんし、動き回るのも完全に自由。ヘルメットはミラーシールドでタイトな作りなので、かぶったら最後、他人か知り合いか、性差、年齢差、国籍一切わからなくなる。(メット内で)宇宙ノイズを轟音で流しているので、言葉のコミュニケーションも取れない。周りに何があるか、どんな人がいるのかは、視覚も聴覚もヘルメットで遮断されてるからわからない。でもたった一つ、しばらく経ってから現れる5人の小人症の俳優だけは、見つけることができるという。明らかに小さいから。それか、観客の子どもか。
──あ、ヘルメットの隙間からは、足元部分が辛うじて見えるから。
あと、薄っすらミラーシールド越しに外界は見えます。俳優5人は、お客さんと何かコミュニケーションを取ってくることもなく、黙って何かをやりだすわけで。それを観て「何するの? どうするの? このプロジェクトは何をしようとしているの?」と、各人が必死で考えないと、何も動かないんです。でも逆に言うと、一人が動き出したら「じゃあ、私も着いていってみるか」みたいな感じで、全体が動き出すんですよ。この作品で結局何がしたいかというと、みんなで大きなピラミッドと直径6mのバルーンが浮かぶ、巨大な野外インスタレーションを作ろうというものなんです。そんな情報も指示も何もない中で、各人が会場に散らばっているピラミッドの材料を、どこがゴールかもわからない状態で、自主的に作っていくという。
──それは結構、もくろみどおりに行くものだったんですか?
もちろん、回によっては失敗でしたね(笑)。誰も動かなくて、何も起こらなかった回が。でもこの作品で重要なのは、答はあるけど目的はないもの……「アートを作る」ということで、そのためにはお客さん側のイマジネーションとか創造力とか、積極性を触発させなければ成立しない、ということなんです。そこまでエクストリームなやり方をしてまで「あなたたちが人間だからこれが可能なんだ。それが重要で、将来はもっと重要になるんだ」というメッセージをぶつけたかった、というのはあります。まあ本当に、意見はむちゃくちゃ分かれましたよ。強烈に賛同する人もいれば、強烈に反対する人もいたし……怒鳴り散らして帰るおっさんもいましたから。でもすごくユニークなプロジェクトだし、掘り下げればもっともっと可能性が出てくると思っています。
Mプロジェクト『MOTHER』(2017年)より [撮影]Pierre Borasci
──そして一方で、庭劇団ペニノの新作も待たれるところですが。
2週間ぐらい前に決まったんですけど、来年ようやく3年ぶりに、庭劇団ペニノとして東京で新作を作ることになりました。でも100%じゃないんです。ある場所に舞台を作って上演したいんですけど、そこから正式なGOが出るまで、あとちょっとという所です。
──「上演場所のGOを待たなきゃいけない」という時点で、またたいそう大掛かりなことを考えているのではないかと期待してしまいますが。
多分、お寺を作ることになる(笑)。というのも最近『無明ノ宿』がきっかけで、仏教にすごく興味を持ってるんです。それを実現する上でいろいろ制約があるんですけど、僕もその場所じゃないと作りたくないので。その辺は来年の1月以降に、ちゃんと発表できると思います。
──仏教に興味を持ったのは、先ほどおっしゃられた「失われようとするものへのノスタルジー」と、何か通じる所があるのでしょうか?
実は今仏教自体が失われようとしてる、または変化を迫られているんじゃないか? ということですね。というのは、仏教の中で描かれている、宇宙の創造とかアートマン(真我)とかの重要な思想って、量子物理学で科学的に解明されてしまう可能性があるんです。たとえば「刹那」という(仏教における)時間の最小単位だって、昔は実際に存在するとは思われてなかっただろうけど、今は科学で説明できますからね。つまり仏教で「どういうことか?」ととらえられていた概念が、今後量子物理学の研究が進むにつれて、どんどん「ある」ってことになっていくだろうと。霊魂とか輪廻転生とかも、科学的に解明されていくかもしれない。
──となると、仏教は科学にとりこまれ、宗教としては意味をなくしてしまうのではと。
そうそう。構造の変化が生まれていく可能性があるんですね、これから先。釈迦が悟ったようなことの考え方が、すっかり変わってしまうかもしれないという。そういうのに近しいことを……舞台美術などのビジュアル先行で考えるのか、それとも『無明ノ宿』みたいにテキストから入るのかを、まだ決め兼ねてます。昨日もそのことをずーっと考えていて、今もインタビューに答えながら考えている(笑)。どっちから始めるかはまだわからないですけど、僕が今「意識ってどこから来るのか?」「人間って何者なのか?」ということを、仏教と量子物理学の関係性という所から、非常に強く興味を持っているということが、描かれる作品になるんじゃないかなと思っています。
タニノクロウ(庭劇団ペニノ) [撮影]吉永美和子
取材・文=吉永美和子
■日時:2017年12月2日(土)~10日(日) 19:00~ ※3・9日=13:00~/18:00~、7日=14:00~/19:00~、10日=14:00~
■場所:OVAL THEATER(大阪市阿倍野区)
■料金:一般=前売3,900円 当日4,200円、学生=3,300円(前売・当日共)
■原作:狩撫麻礼
■画:泉晴紀(エンターブレイン『オトナの漫画』所収)
■脚色・演出:タニノクロウ
■出演:緒方晋、井上和也、大石英史、FOペレイラ宏一朗、坂井初音、野村眞人、ほか
■公式サイト:http://niwagekidan.org/performance_jp/579