クラシックの名曲の素晴らしさを花束にして届けたい ピアニスト及川浩治インタビュー
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及川浩治
2018年にデビュー25周年を迎え、さらなる歩みを続けるピアニスト及川浩治。「コンサートは、音楽の素晴らしさ、感動を聴衆と共有するもの」という信念のもと、様々な形で展開されるリサイタルは、常に大きな喝采を集めている。そんな、情熱のピアニスト及川浩治が、デビューリサイタル以来、特別な場所として大切にしているサントリーホールで、2月25日に『名曲の花束』と題したリサイタルを開催する。及川が『名曲の花束』というタイトルに込めた想い、選曲の工夫、ピアニストとして感じている使命や、その飽くなき情熱を生み出す原動力などを語ってくれた。
偉大な芸術家の楽曲を伝える「伝道者」として
――『名曲の花束』と銘打たれたリサイタルは、その名の通りの名曲たちがズラリと並んだプログラムとなっていますが、まず構成・選曲の意図から教えてください。
今の時代はWebで検索しさえすれば、どんなマニアックな曲でも耳にすることができるし、楽譜も以前と比べれば本当に簡単に手に入るようになりました。そうした中で、コンサートホールに足を運んでいただくための「ライブならではの意味合いとは何なのだろうか?」と考えた時に、そもそも音楽芸術というのは、作曲家が楽譜を書き、演奏家がそれを音にすることによって聴衆に届くものだと感じました。さらに音というのは空気の振動によって成立しているものですよね。つまり、ライブの空間というのは、そこに集まった人たちの想いと、演奏者の想いのすべてが結びあってできあがるもの。しかも僕の場合は演奏楽器がピアノですから、マイ楽器ではないんです。
及川浩治
――ピアニストの方は、行く先々の会場の楽器で演奏されていますものね。
ええ。ですから本当にピアノリサイタルというものは、一期一会なんです。会場の響き、その時の楽器の状態、その日のインスピレーションが重なり合って、例え同じプログラムであっても、毎回、毎回微妙に違う演奏になるし、タイムテーブルも変わってくる。そうしたライブならではの醍醐味を楽しんでいただきたい。共有して欲しいと考えると、今度はピアノという楽器は、子供の時に習っていたという方がとても多い一方で、途中で習うのをやめてしまった、という方もまた非常に多いんです。
――音楽を専門に勉強するのではなく、いわゆる習い事の1つとして取り組んだ場合、部活動や受験勉強など時間的な制約でレッスンを続けられなくなる方は確かに多いです。
そんな風に、途中でやめてしまう理由は様々だと思いますが、そうした方は往々にして「ピアノは難しかった」という印象を強く持っていらっしゃる。でもそんな方たちにこそ、ピアノの素晴らしさを伝えたい。今の時代のピアニストは、偉大な芸術家が過去に書いた楽曲を人々に伝える「伝道者」だと僕は思っています。そうした意味で、今回選んだ名曲の数々は、100年、150年、200年という長きに渡って人々に愛され続けてきた作品ですから、作品自体の持っている力がとても強いんです。
実際にベートーヴェンが生きた時代には、ベートーヴェン以上の人気を誇っていた作曲家もいましたし、リストがライバル視していた作曲家も、ショパンがコンチェルトを書く時に参考にした作曲家もいるんです。でもそうした人たちの楽曲は次第に演奏されなくなっていき、ベートーヴェン、リスト、ショパンの楽曲は不朽の名作として残った。その違いは何か?と言えば、やはり一聴して「あ、ショパンの曲だ」「ベートーヴェンだ」とわかる個性と、音楽芸術に対する強い意志と、インスピレーションを持っていたことです。彼らの音楽は時代を超えて巷にもあふれているので、クラシックに馴染みのない方でも、例えば今回のプログラムの冒頭で弾く、J.Sバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」というタイトルだけは目にしたことがある、という方が多いでしょう。でも、メロディーは浮かばない。
その真反対のことで、やはりバッハの「トッカータとフーガ」のあまりにも有名な冒頭のメロディーは、何かの形で耳にしている方がとても多いと思うのですが、それがバッハの「トッカータとフーガ」だとは、つながっていない方もおられると思います。その両者をつなぎ合わせてもらえるプログラムを作りたいと思ったんです。
――メロディーと曲名がつながると、確かに親しみがより増します。
名曲の1つ1つを花に見立て、それらを組み合わせて“名曲の花束”として届けたいと思っているので、曲の構成や演奏順も、とても重要になってくるんです。
楽曲に親しみ、クラシックを身近に感じてもらえるように
――それでは、演奏される曲目の順序にも様々なこだわりがおありなのですね?
今回のプログラムで最も気を配ったのは、1曲1曲が名曲であるだけでなく、コンサート全体を通して聞いた時に、お客様に「良い時間を過ごした」と思って頂けるものにしたいということでした。おそらくこのプログラムの中で最も曲名とメロディーが広く一致しているのは、ベートーヴェンの「エリーゼのために」ではないかと思うんですが。
――ピアノ学習者の方たちの発表会の定番曲ですね。
そう、本当によく知られていますよね。でも、知られた名曲だから単純にプログラムに入れたということではなくて「エリーゼのために」は1810年に創られていて、この後に弾くピアノ・ソナタ第23番「熱情」よりもあとに作曲されているんです。それだけに、交響曲第5番「運命」、ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」に似たモチーフも使われているし、「熱情」に通じる展開もある。何より誰に捧げた曲か?ということこそ特定されていないけれども、ベートーヴェンが愛する人のために書いた曲だということは確かにわかっている。しかもこの時期には、もうベートーヴェンは偉大な作曲家としての地位を確立していましたから、その彼が愛する人のために書いた曲に、真摯な思いがない訳がない。
愛する人に弾いてもらいたい、聞いてもらいたい、彼の音楽に対する気持ちと贈った人への愛情にあふれた、コンパクトではあるけれどもすごい曲なんです。まさにベートーヴェンの神髄が詰まった曲として「エリーゼのために」を届けたい。そんな想いの中から、プログラムの前半をバッハ、シューマンとリスト、ベートーヴェンという3つのパートで考えていて、1曲1曲のキャラクターを際立たせるような配置にすることを大事にしました。
バッハの「主よ人の望の喜びよ」は人を癒すようなメロディーで、一方「トッカータとフーガ」は劇的です。その後にシューマンの「トロイメライ」の美しさを聞いてもらって、リストの「ラ・カンパネラ」も、あ、知ってる!と思って頂けるでしょう。そしてベートーヴェンの「エリーゼのために」から、ド真面目な(笑)ソナタ「熱情」を弾きます。
及川浩治
――本当に、想像しただけで1曲1曲の個性が際立ちますね。
後半にはショパンの「ノクターン第16番」「バラード第1番」リストの「愛の夢第3番」「死の舞踏」と続けますが、おそらくラストの「死の舞踏」が皆さんにとっては、最も馴染みがない曲だと思うんです。でも、美しい花束の中に1種類だけ知らない花があると、印象に残りませんか?
――気になりますよね。
その効果と共に、自分が弾きたい!と思える曲であることもあって、加えています。結局、名曲を作るというのはインスピレーションですよね。よく思うのですが、もし理論で名曲が作れるのであれば、和声や、対位法などの難しい理論の先生こそが名曲を書いていないとおかしいでしょう? しかも、勉強の過程の若い人よりも、勉強を重ねた年配の人の方が名曲を書けるはずなんです。
でも実際には、今回選んだ名曲を書いた天才たちは、とても若い時から素晴らしい曲を生み出している。神に選ばれた、インスピレーションにあふれた人たちが作った名曲を再現する為には演奏者もインスピレーションにあふれている必要があるし、それをライブの会場で感じて頂けたらと思っています。そういう意味もあって、ショパンのノクターンも、おそらく最も有名なのは第2番だと思うのですが……。
――洋画ファンには「愛情物語」のテーマとしても知られていますし、アニメなどにも使われていますね。
そう、その有名な2番ではなく敢えて16番にしたのは、“ノクターン=夜想曲”の中で、16番がショパンが得意とした即興演奏の色を最も強く持っているからです。サロンに友人たちを招いて即興で演奏することを好んだショパンが、インスピレーションの湧き上がるままに書いた曲ではないかと僕は感じているので、その雰囲気を感じとっていただくことによって、ピアノの詩人と呼ばれたショパンの個性をより知ってもらいたいと思いました。どの曲にもそれぞれにそんな想いがあって、天才たちの個性を知ってもらい、楽曲に親しんでもらって、クラシックをより身近に感じていただける“名曲の花束”をお届けしたいです。
及川浩治
神様に愛れた作曲家の世界をより深く知りたい
――その花束を届けてくださるのが、所縁の深いサントリーホール。
サントリーホールというのは演奏家にとって本当に特別な場所なんです。先ほども言った通り、ピアノリサイタル、ライブの場というのは一期一会なのですが、サントリーホールは一流の演奏家たちが弾いてきた会場で、建物自体がそのエネルギーを吸収していくのでしょうね。あそこに足を踏み入れると特別の感覚になります。もちろん他にも素晴らしいホールはたくさんありますが、サントリーホールが日本の中で並外れた優れたホールだということは、誰もが感じていると思います。そこでリサイタルをできることには、常に感謝の気持ちを持っていますし、だからこそ、聞きにきてくださった方たちと共にコンサートが終わった後に幸せな気持ちになれることが、僕の何よりの望みですね。だからこそ、この『名曲の花束』は、今回だけのタイトルではなく長くシリーズとしてやっていきたいと思っています。
――及川さんはまもなく演奏家として25周年を迎えられます。この長い期間、ピアニストとして第一線で活躍し続けるために、並大抵でない研鑽を積まれていると思いますが、それを支える原動力になっているものは?
僕は“デビュー”というのを、サントリーホールでリサイタルをした時からと捉えて数えているのですが、実際に公開の場で演奏活動をはじめたのは19歳の時なので、30年以上が経ったことになります。元々僕が生まれた時に「及川家の長男が生まれた。及川家の運命だ」ということで父親がベートーヴェンの「運命」を大音量でかけたそうなんです。あのメロディーに僕の人生は迎えられて、だから今、情熱のピアニストと呼ばれ、アグレッシブだと言われているのかも知れない(笑)。そうした環境もあって、ベートーヴェンを神様だと思っている、クラシックが大好きな音楽少年に成長していきました。ピアノを習っていても、レコードで聞いているもっと難しい曲が早く弾きたくて、耳で覚えて遊び弾きをしたり、指揮者の真似をしたりしていて。
そんな中で「ピアニストになりたい」と言うよりは「ベートーヴェンになりたい」と思っていたんです。それほど憧れていて“ベートーヴェン=芸術家”とも思っていました。だからピアニストになることを目的にはしていなかったですね。作曲家にも、指揮者にも、歌手にもなりたいと思っていた時期もあります。ただ、自分の一番身近にあったのが、ピアノだった。でも練習は嫌いでね。嫌いだったけれども、好きな曲を弾くのは楽しかったし、何よりもなぜこの人たちはこんなにすごい曲を生み出すことができたのか。神様に愛されたとしか思えないこの人たちが、どんなことを感じ、どんなことを思ったのかが知りたかったんです。
だから留学した時にも、なぜ先生はこんなに深く曲を理解することができるんだろう、自分もそういうことがわかる人間になりたい、その一心で勉強した結果、ピアニストになっていたというのが正直なところで、それが今も続いています。作曲家の世界により近づきたい、もっと知りたいという想いが原動力ですね。
――そんな及川さんの情熱から紡ぎ出される演奏によって、また私たちもより深い音楽世界を知ることができるのだと思います。最後にリサイタルを楽しみにされている方たちにメッセージをお願いします。
今回のプログラムの多くの曲が、皆さんがどこかで耳にしたことがあるものだと思います。そういう曲の素晴らしさと魅力を皆さんと共有して、皆さんと共に音楽がもたらす非日常の、異次元の世界を感じることができたらとても幸せです。是非サントリーホールにいらしてください。お待ちしています!
及川浩治
インタビュー・文=橘 涼香 撮影=荒川 潤