現代写実画家15名の作品をたどる『SPARK−あの時君は若かった』展レポート 進化と深化を続ける緻密表現
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島村信之 《小憩》 2004年
写実絵画を専門に収集しているホキ美術館にて、『SPARK−あの時君は若かった』(2018年5月24日〜11月18日)が開幕した。本展は、現在活躍中の写実画家たちが若い頃に描いた作品を中心に、写実絵画へ進むきっかけとなった作品や、近年発表した作品を通して作風の変化をたどるもの。その中には、作家所蔵のものや、アトリエから借用した貴重な作品も含まれている。
森本草介 《横になるポーズ》 1998年
「写真のような」と例えられることもある写実絵画だが、写真が単眼なのに対して、人間の眼で見る世界は、見るものすべてにピントが合っている。それゆえに、写実絵画は、写真よりも緻密で、存在感が際立つのが特徴だ。森本草介や野田弘志など、写実界を代表する巨匠を含めた15名の作品が集う会場より、本展の見どころを紹介しよう。
野田弘志 《皿と果物Ⅰ》 2003年
会場風景
世界で2人目! フェルメールの風景画を模写した日本人
油絵の技法を学ぶため、30代でヨーロッパに留学した青木敏郎は、オランダにあるマウリッツハイス美術館で、門外不出のフェルメール《デルフトの眺望》を模写する機会を得た。写実絵画に詳しい松井文恵(ホキ美術館広報事務局)氏によると、「青木は本作を手がけるより先に、フェルメール《画家のアトリエ》を模写した実績がありました。それを館長に見せたところ、許可が下りた。当時、フェルメールの作品模写を許された画家としては世界で2人目でした」とのこと。
青木敏郎 《模写 フェルメール「デルフトの眺望」》 1978年 作家蔵
完成した作品の出来栄えに感動したマウリッツハイス美術館の館長は、作品の購入を申し出た。しかし、青木はこれを京都のアトリエに持ち帰り、画家人生を送るための指針にしたという。画家の記念碑的な作品であると同時に、30数点しかないフェルメールの全作品のうち、風景画はたった2点。国内で唯一フェルメールの風景画模写が見られる、大変貴重な機会となっている。
青木敏郎 《白デルフトと染付けの焼物の静物》 2012年
フランス、イタリア、スペインで古典技法を学んだ写実画家たち
40代でパリへ留学した小尾修は、ルーブル美術館でレンブラントの自画像を模写した。この経験を通じ、小尾の作品は「キャンバスに絵の具をびっしり塗り、余白を残さなかったのが、模写後は絵の具を盛る部分とラフに描く部分のメリハリが生まれ、より絵が生き生きしてきた」と、松井氏は解説する。さらに、東京藝術大学客員教授の安田茂美氏は、小尾の《画室》について、「人物画と同じ精度で床や他のものを描き、必ずしも人物に焦点を当てているわけではない」と語り、画家の空間構造へのこだわりにも言及した。
小尾修 《模写 レンブラント「自画像」》 2011年 作家蔵
小尾修 《画室》 2013-2014年
古典技法を学ぶためフィレンツェに留学した塩谷亮は、ルネサンス期の画家・ヴェロッキオの工房で修行していた17歳のレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた《キリストの洗礼》(部分)を模写している。
塩谷亮 《模写 ヴェロッキオ工房「キリストの洗礼」(部分)》 2009年 作家蔵
塩谷亮 《17歳のシモーネ》 2014年
また、石黒賢一郎は、マドリード留学時代に、画面を指や布、皮でこすって描く「マンチャ」と呼ばれるデッサン技法を習得し、制作に励んだ。留学中にテロを目撃したことや、アニメ好きのスペイン人との出会いから、その後はガスマスクを被った人物や、アニメをモチーフにした人物画を手がけている。石黒の特徴について、松井氏は「本人の視力が2.0で、幼い頃からとても目が良い。作品に近寄って見ても、細密に描かれているのがすごい」と話す。眉毛や髪の一本一本まで緻密に描かれた人物たちの存在感を、ぜひ間近に感じてほしい。
石黒賢一郎 《VISTA DE NÁJERA》 2005年
石黒賢一郎 《完全防備しなければならない》 2016年
女性像からロブスターまで! モチーフや技法の変遷
女性像を描くことで人気を得た島村信之は、人物画を手がける一方で、ザリガニなどの甲殻類も描いていたが、当初画廊では全く売れなかったという。ところが、ホキ美術館の所蔵となり、それらの作品が展示されると、たちまち人気上昇。これを機に、現在では、昆虫や巨大な生物画も制作しているとのことだ。
島村信之 《寝室の朝》 2001年
島村信之 《ロブスター(戦闘形態)》 2009年
先日、3年半の歳月をかけて天皇皇后両陛下の肖像画を完成させたばかりの野田浩志。現在は写実界を代表する画家だが、若い頃は広告代理店でイラストレーターとして活躍していた。鉛筆と水彩で描いたイラストで、雑誌『パーゴルフ』の表紙を飾り、売れっ子作家となった野田。しかし、多忙な日々を送るうちに大病を患い、それ以降イラストの仕事はすべて断って、写実絵画を描きたいという思いを貫くことを決意する。
野田弘志 雑誌「パーゴルフ」表紙 1968-1975年 作家蔵
野田弘志 《アナスタシア》 2008年
広島にある、野田浩志主宰の写実絵画の学校「現代写実研究所」にて、第1期生だった大畑稔浩。1年がかりで描いた《瀬戸内海風景−川尻港》について、安田氏は以下のように解説する。
「この絵は、野呂山に向かって手前の橋が龍のように動き、光の中を登っていくような光景を描いた作品です。地形や対岸の建物も現地で取材し、丹念に描き込まれた本作は、初期の作品ながら代表作といえるでしょう」
大畑稔浩 《瀬戸内海風景−川尻港》 2003年
現在茨城の古民家に住む大畑は、家の敷地内にある樹木を春夏秋冬描いているという。木の皮や葉っぱを乾燥させ粉状にしたものを、絵の具の中に混ぜて入れ込むことで、よりリアルな感じを出すための表現を追求している。
大畑稔浩 《気配−夏》 2015年
自然物や人工物を用いる現代アート「もの派」の活動をしていた五味文彦は、卓越した技術力と、元々写実絵画を描くことが好きだったことから、写実画に取り組むようになる。静物画や風景画、人物画など幅広く網羅しながらも、新しいことをやらなければ認められない「もの派」時代を生き抜いた五味にとっては、その精神が今も根付いているようだ。
五味文彦 《隣人の囁き》 1991年 作家蔵
五味文彦 《YOUKO Ⅵ》 2016年
ほかにも、本展には若手作家のデビュー時の作品も展示されている。古典的なヌードや美人画ではなく、限りなく普通の女性を描く藤田貴也や三重野慶は、写実絵画の世界に新たな流れを生み出している。
三重野慶 《信じてる》 2016年
『SPARK−あの時君は若かった』は2018年11月18日まで。優れた技術と、緻密な表現で描かれる写実絵画の魅力を味わいに、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。