五嶋龍リサイタル2018ツアー“忘却にして永遠に刻まれる時”への期待 by 山田治生
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五嶋龍 (C)Ayako Yamamoto
五嶋龍は、2018年に入って、ますます活躍の場を広げている。1月には、NHK交響楽団の定期公演にデビューし、今年が生誕100周年に当たるバーンスタインの「セレナード(プラトンの『饗宴』による)」を弾いた(指揮は広上淳一)。バーンスタインの「セレナード」といえば、姉の五嶋みどりが1986年タングルウッド音楽祭でのバーンスタイン自身が指揮するボストン交響楽団との共演で2回、弦を切りながら演奏を続け、そのエピソードがアメリカの教科書にも載ったといわれる作品。N響デビューに際し、力が入ってしまいそうな曲だが、このときの五嶋龍の演奏では、力まない美音が特に印象に残った。そして、N響を相手に物怖じせず、ときにはリードすることさえあった。さすがに幼い時からオーケストラと共演してきた天性のソリストである。そして、この3月には、生まれ故郷ニューヨークを代表する名門オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックのアジア・ツアー(指揮はヤープ・ヴァン・ズヴェーデン)に帯同。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾いて、好評を博した。
2018年のリサイタル・ツアーでは、今年が没後100周年にあたるドビュッシーの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」を取り上げるのが特に楽しみである。ドビュッシーは、フランス近代音楽を代表する作曲家であり、彼自身は印象主義と呼ばれるのを嫌っていたといわれているが、印象主義音楽の開拓者でもあった。1917年に書かれたヴァイオリン・ソナタは、最晩年のドビュッシーが完成させた最後の作品。微妙なニュアンスと色彩に富む傑作である。五嶋龍の美音が最も生かされる作品といってもよいだろう。近年は、フランク、ショーソン、サン=サーンスなど、フランス音楽にも積極的に取り組んでいる五嶋龍だけに、ドビュッシーのメモリアル・イヤーを鮮やかに飾ってくれるに違いない。
もう一つのメイン曲というべき、シューマンの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番」は、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターを務め、公私にわたってシューマンをサポートしたフェルディナント・ダーフィトの長年の友情に報いるため、1851年に書かれた、シューマンの晩年の曲である。シューマンらしい暗い情熱が溢れるロマンティックな作品。かなり深刻で、気軽に聴ける曲ではないかもしれない。でも五嶋龍はあえてこのソナタを取り上げる。彼は、4年前にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」を選んだときに、「クラシックをあまり聴かない人には共感しにくいのかもしれません。それをいかにわかりやすくプレゼンテーションするかが、チャレンジですね。それができれば、多くの人々にクラシックの良さがわかってもらえると思います。初めての方でも楽しめる演奏、そして、初めてでない方には深みを感じてもらえる説得力のある演奏。それが僕の目標です」と語っていたが、今回のシューマンのヴァイオリン・ソナタ第2番も五嶋龍にとっての大きなチャレンジとなるだろう。
また、イサン・ユン(尹伊桑)のヴァイオリン・ソナタにも注目だ。ユン(1917~95)は、韓国出身の20世紀を代表する作曲家。1960年代末、政治的な問題により捕らえられ、1971年に西ドイツに帰化するなど、過酷な人生を歩んできた。晩年はベルリン芸術大学の作曲科教授として数多くの弟子を輩出した。「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」は、1991年に作曲された、ユンの晩年の作品。確かに難解な曲ではあるが、よく聴くとヴァイオリンの歌謡性が活かされた魅力的な作品でもある。ヴァイオリンとピアノの対話が聴き手を飽きさせない。五嶋龍は、これまでも、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、バーンスタイン、武満徹などを取り上げ、クラシック音楽をそんなに聴かない人々にも近現代音楽を積極的にプレゼンテーションしてきた。今回のユンのヴァイオリン・ソナタでも、大きな成果をあげることだろう。
「忘却にして永遠に刻まれる時」というテーマはさまざまに解釈することができるであろう。忘却と永遠性とは真逆の概念。それらを結びつけるところに、五嶋龍のリサイタルの面白さがある。忘却されてしまいそうな作品を取り上げ、その永遠性を示すのが演奏家の務めであれば、永遠に残る傑作を消えていく時に解き放つのも演奏家の務め。時は、忘却をもたらすとともに永遠を刻む。ツアーの
五嶋龍ほど、聴衆とのコミュニケーションを切実に考えている音楽家はほとんどいない。彼は、コンサートで自分が上手く弾けたかどうかよりも、上手く聴衆に伝わったかを考えるヴァイオリニストである。五嶋龍は、今回、フランス、ドイツ、韓国というそれぞれに違ったバックグラウンドをもつ作曲家たちの作品を並べ、どれか1曲でも聴衆の思い出に残ればいいと願う。あまり聴き慣れない曲であっても、彼の1曲、1曲の演奏を聴けば、必ず何かメッセージを感じるに違いない。