横浜美術館『駒井哲郎−煌めく紙上の宇宙』展レポート 言葉とイメージが響き合う、詩情ゆたかな銅版画の世界
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題名不詳 駒井哲郎 1971年頃 世田谷美術館(福原義春コレクション)
銅版に刻まれた詩的な世界。現代銅版画の先駆者とも言われる駒井哲郎(1920-1976)の魅力に迫る展覧会『駒井哲郎−煌めく紙上の宇宙』(会期:〜12月16日)が、横浜美術館にて開催中だ。
会場エントランス
本展は、駒井の初期から晩年までの画業を一望するとともに、作家に影響を与えた人物たちとの交友関係から、その創作の軌跡をたどるもの。横浜美術館学芸員の片多祐子氏は、駒井が活躍した時代について、以下のように語る。
「駒井作品が生まれた背景には、銅版画が日本ではほぼ未開拓で、直接的な師がいなかったため、他ジャンルの作家たちの創作が深く関係している。版画だけではなく、洋画家や詩人、文学者、作曲家たちといった作家とのつながりに着目することによって、版画芸術が広く文化に根ざして発達してきた。戦後日本の文化が、異ジャンルとのコラボレーションと交流によって、豊かに育まれてきたという側面も感じていただきたい」
駒井と関わってきた人物の中には、創作版画の先駆者である恩地孝四郎や、詩人で美術評論家の瀧口修造も含まれる。また、直接会う機会はなくても、作家が敬愛したオディロン・ルドンやパウル・クレーなど、西洋の画家たちから学んだ芸術観が、作品をより豊かなものに発展させた。
《Constellation(星座)》 駒井哲郎 昭和37年 石洞美術館蔵
本展覧会では、駒井の白黒作品だけでなく、生前はほとんど未発表だった多色刷りの版画や、初公開となる舞台美術の仕事も併せて紹介。一般公開に先立ち催された内覧会より、見どころをレポートしよう。
展示風景
線から面へ、風景から抽象へ
全6章で構成される展覧会の前半では、駒井が銅版画と出会い、様々な技法を試しながら、作家独自の表現に至る過程を追う。
駒井は14歳という若さで銅版画の魅力に取り憑かれ、日本エッチング研究所に通い、その技術を学んだ。研究所に隣接する画廊では、レンブラント・ファン・レインやジェームス・マクニール・ホイッスラーなど、銅版画の巨匠たちの作品を間近にみる機会に恵まれていたようだ。
《聖母の死》 レンブラント・ファン・レイン 1639年 緒方泰氏(小島烏水旧蔵)
片多氏は、初期の日本人の銅版画表現の特徴として、「エッチングやドライポイントによる線を主体とした技法を使い、主題も風景に偏っている」と解説する。
《埠頭裏》 関野準一郎 昭和12年 横浜美術館(関野洋作氏寄贈)
《河岸》 駒井哲郎 昭和16年 東京都現代美術館蔵
そうした中、駒井は木版画家や洋画家との交流から、独自の手法を見出していく。戦後に参加した版画研究会「一木会」主催者である木版画家の恩地孝四郎からは、レースや木の葉を直接銅版に転写するマルチブロックという技法に影響を受ける。さらに、洋画家の岡鹿之助との出会いにより、「素材のマチエール(絵画の絵肌)の扱いを大事にする」ことを学んだ駒井は、次第に線を基調とした手法ではなく、面の表現に重きを置くようになった。
《海底の祭》 駒井哲郎 昭和26年 横浜美術館蔵
《箱の中の蒐集》 駒井哲郎 昭和27年 町田市立国際版画美術館
写実的な風景表現から脱却し、抽象的な世界を視覚化しはじめたのもこの頃で、《束の間の幻影》は、作家の代表作のひとつとなっている。片多氏は、本作について以下のように説明した。
《束の間の幻影》 駒井哲郎 昭和26年 横浜美術館(北岡文雄氏寄贈)
「この作品では、サンドペーパーを用いて面を獲得するという、駒井の技法研究の結果があらわれている。その主題というのも非常に詩情あふれる豊かなものになっていて、ここにすでに駒井独自の画風を見てとることができる」
「実験工房」の活動と、文学や音楽との共鳴
展覧会の中盤では、駒井が版画領域を越えて、さまざまなジャンルの作家たちとコラボレーションした創作の軌跡をたどる。
駒井は、1953年から54年の短い期間に、前衛芸術グループの「実験工房」に加わった。「実験工房」は、詩人の瀧口修造を中心に、14名の写真家や作曲家、造形作家など、多彩な才能が集められた表現グループ。美術や音楽の垣根を越えて、表現形式も展覧会にこだわらず、公演形式で行われることもあったそうだ。第3章では、第5回実験工房発表会で公開された『レスピューグ』という作品において、駒井が手がけた原画を公開している。本作は、フランス詩人の詩集に駒井が挿画をつけて、作曲家の湯浅譲二が音楽を担当した。
オートスライド「レスピューグ」スライド原画 駒井哲郎 昭和28年 世田谷美術館(福原義春コレクション)
こうした音楽と美術のコラボレーションには、「実験工房」の作家たちが尊敬したパウル・クレーの存在が影響していると片多氏は指摘する。音楽家の家族に生まれ、音楽と美術を主題に創作を展開したクレーの作品は、駒井の作品と併せて展示されている。
《花ひらく木をめぐる抽象》 パウル・クレー 1925年 東京国立近代美術館
第4章では、1954年に渡仏留学した駒井の作品と、フランスで活動していた銅版画家・長谷川潔の作品を並べて、2人の師弟関係を紹介する。
《半開きの窓》 長谷川潔 昭和31年 横浜美術館蔵
昭和25年作の《R夫人像》は、長谷川による《二つのアネモネ》のレース表現を作家が試みたものだが、思うような表現ができていない。その後20年の時を経て、ようやく長谷川の技法を習得して再現できたのが、昭和46年作の《R夫人像》だ。ここでは、長谷川との出会いを経て、駒井が新たな技法を身につけていく様子がうかがえる。
左から:《R夫人像》 駒井哲郎 昭和25年 世田谷美術館(福原義春コレクション)、《二つのアネモネ》 長谷川潔 昭和9年 横浜美術館蔵、《R夫人像》 駒井哲郎 昭和46年 横浜美術館蔵
フランスの銅版画の歴史や文化の厚みに圧倒された駒井は、帰国後もしばらく制作に手をつけられず、失意の日々を送っていた。やがて、詩画集のフロントピースを寄せたことをきっかけに、創作の舞台を本の領域に広げ、詩画集の表紙絵や挿画を手がけることによって、第二の作家としての頂点を迎えていく。第5章では、11人の文学者や詩人と、駒井との共作によって生まれた作品を紹介している。
上:《厨房にて(『人それ読んで反歌という』より)》 駒井哲郎 昭和41年 世田谷美術館(福原義春コレクション)、下:《人それ呼んで反歌という(『人それ呼んで反歌という』より)》 駒井哲郎 昭和40年 世田谷美術館(福原義春コレクション)
左から、《街(『蟻のいる顔』より)》 駒井哲郎 昭和48年 横浜美術館蔵、《蛇(『蟻のいる顔』より)》 駒井哲郎 昭和48年 横浜美術館蔵、《ピケの残像(『蟻のいる顔』より)》 駒井哲郎 昭和48年 横浜美術館蔵
色彩豊かな多色刷りの作品
駒井は、白黒版画のほかにも、1950年代半ばより多色刷りの版画を制作した。晩年には、一点摺りのモノタイプと呼ばれる技法を使ったカラー作品も多数残している。駒井が敬愛した画家ルドンが、晩年にパステルや油彩で色鮮やかな作品を手がけたように、作家自身もまた、版画にパステル粉を用いるようになる。
《黄色い家》 駒井哲郎 昭和35年 世田谷美術館(福原義春コレクション)
《garçon(少年)》 駒井哲郎 昭和33年頃 世田谷美術館(福原義春コレクション)
片多氏は、「駒井の場合は、西洋画家に私淑しながらも、あくまでも版を介したイメージの創出にこだわっている」ことを強調した上で、造形の構図やモチーフ、美術家としての姿勢などは、ルドンやクレーに影響を受けていると説明した。また、版を介することにこだわったのは、「駒井自身が日本人の作家であり、版画の国と呼ばれた国の作家としての自負もあったのではないか」と付け加えた。展覧会の終盤では、駒井の色彩豊かなカラー作品と共に、ルドンやクレー、ジョアン・ミロなどの西洋画家の作品群を楽しむことができる。
左から:《聖セバスティアヌス》 オディロン・ルドン 1910-13年頃 群馬県立近代美術館蔵、《若き日の仏陀》 オディロン・ルドン 1905年 京都国立近代美術館蔵
《黒と赤のシリーズ No.8》 ジョアン・ミロ 1938年 横浜美術館蔵
駒井作品の魅力について、片多氏は「腐食の技術により、様々な形で凸凹をつけたものを当てつけることによって、紙の上に豊かな表情を生み出している。駒井の作品はそうした、紙が本来持っていた物質としての美しさがある」と話す。
右から:《Constellation(星座Ⅰ)》 駒井哲郎 昭和46年 東京都現代美術館蔵、《Constellation(星座 II)》 同作者 同年 同館蔵、《Constellation(星座 Ⅲ)》 同作者 同年 同館蔵
本展は、2018年12月16日まで開催。銅版画のマチエールが感じられる詩情あふれる世界に、ゆっくりと浸かってみてはいかがだろうか。