いよいよ上演迫る! 東京二期会、宮本亜門の新演出・オペラ『金閣寺』リハーサル
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撮影:西原朋未
宮本亜門の新演出のもと行われる、東京二期会とフランス国立ラン歌劇場の共同制作オペラ『金閣寺』。2018年3月にフランスで上演され絶賛されたこの作品が、2019年2月22日(金)~24日(日)、いよいよ東京で上演される。日本凱旋公演となる本作は、フランスバージョンとは少し演出に手を加えた、日本上演ならではの演出となる予定だ。
このほど行われた公開リハーサルでは溝口役の与那城敬をはじめとした2月23日のキャストが登場。歌手たちの歌声や視線や表情一つひとつの演技は繊細で、ときには金閣寺の幻影が見えるようでドキっとさせられた。(文章中敬称略)
撮影:西原朋未
■三島文学の金字塔『金閣寺』がフランス公演を経て凱旋帰国
三島由紀夫の小説『金閣寺』の刊行は1956年。1950年に実際に起こった金閣寺の放火事件に着想を得て執筆された、日本文学の金字塔とも言える作品で、海外でも広く翻訳され読まれている。
この小説がオペラとなったのは1976年のこと。ベルリン・ドイツ・オペラが音楽を黛敏郎に委嘱し、クラウス・H・ヘンネベルクの台本により上演される。このオペラが初めて日本で上演されたのは1991年のことだった。
物語の主人公、溝口は右手に障害を持つ青年。父親にことあるごとに「金閣ほど美しいものはこの世にない」と聞かされて育ち、やがて金閣寺に預けられることになる。障害によるコンプレックスを抱きながら、憧れの女性から軽蔑を受け、また母の不貞や父との死別、友人鶴川との出会いと死などの出会いを通し、溝口の心には次第に金閣寺の美の魔力が抗い難いものとして根を下ろしていく――。
傷つきやすい繊細な心とコンプレックスが織りなす心理世界を表すため、宮本亜門は「ヤング溝口」を登場させた。この「ヤング溝口」は心に何の束縛も持たない、本来の純粋で自由な溝口の姿ともいえる分身である。フランスでは成人のダンサーがこれを演じたが、日本公演では前田晴翔と木下湧仁の、2人の少年ダンサーが踊る。前田は、2017年にミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』で主役ビリーを、木下は劇団四季『ライオン・キング』で、ヤングシンバ役を演じたという、いずれも実力派で、この存在がオペラ歌手とどのような化学反応を起こすのかが、注目のひとつといえよう。
撮影:西原朋未
■「炎」が浮かび上がるような視線。熱演と本番舞台の演出に期待
リハーサルはマキシム・パスカルの指揮のもと、1幕と2幕が通しで行われた。
冒頭、まず与那城演じる溝口の金閣寺を焼くことを決意した、力強いバリトンから物語が始まる。
日本文学をドイツ語で聴くということ、さらに登場する役者は着物姿であるのが実に不思議な感覚で、また背後にセットがあるわけでもないのだが、耽美な世界観が漂ってくるのは、これは歌手たちの力量によるものだろうか。
今回金閣寺へ預けられる前の少年時代の溝口を演じるのは木下。冒頭力強かった溝口は、しかし回想シーンでは迷いとコンプレックスを抱え、一転繊細な青年に。歌い手による溝口と俊敏な動きで語るダンサー溝口の存在が微妙に交錯し、融合してできあがる「溝口」の存在が実に興味深い。
撮影:西原朋未
1幕でインパクトを与えるのは父親の火葬のシーン。読経の歌が声高に響くなか、溝口の心に「金閣寺」を植え付けた父親の棺に火が放たれる。父の棺を巻き込み燃え上がる炎が見えるようで、これが後の金閣寺に火を放つ物語に繋がるのだと強く納得させられる。
また南禅寺の茶室のシーンも印象的だ。歌も台詞もない無言劇であるが、戦争へ出かける男の意を決した今生の願いと、戸惑いながらも懐紙をキリっと咥えそれに応じる女の演技は、強烈な印象を残す。
2幕で登場する山本演じる柏木は、足に障害を持ちながらそれを逆手に取って生きるしたたかさで存在感を醸す。クライマックスで「金閣寺」の幻影に悩まされながら、その心に巣食う幻影を焼くことを決意する溝口の、おそらく金閣寺を見やっているのであろう視線には、こちらも息を呑む。
当日の舞台は黄金色と火炎に彩られるであろうか……。本番が実に楽しみになるリハーサルであった。
上演はわずか3日間。オペラファン、三島ファンはとくに必見この貴重な機会である。
撮影:西原朋未