少年王者舘、新国立劇場公演『1001』天野天街にインタビュー~「最低限“わけわかんないけど心地よい”ということがやりたいです」

2019.4.10
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「少年王者舘」主宰で、『1001』作・演出の天野天街 [撮影]吉永美和子

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1982年の旗揚げ以来、名古屋を拠点に独自の劇世界を築き上げてきた劇団「少年王者舘」。言葉遊びを多用した台詞。ダンスや映像などのあらゆる演劇技法を盛り込んだ演出。そして稲垣足穂の「地上とは思い出ならずや」という感覚を具現化したような、切なさと懐かしさに満ちた舞台で、根強い人気を誇っている。その少年王者舘が、日本の演劇の殿堂とも言える[新国立劇場]に、芸術監督・小川絵梨子の強い推挙で初登場。劇団主宰で作・演出の天野天街に、今回で初めて王者舘と出会う観客向けに「少年王者舘とは何ぞや?」を改めてうかがうと共に、量子論×『千夜一夜物語』×稲垣足穂と言うべき内容になるという新作『1001(イチゼロゼロイチ)』について語ってもらった。

少年王者舘『1001』公演チラシ [コラージュデザイン]アマノテンガイ


■「宇宙的郷愁」みたいな気配を出したいという、それしかない

――新作のタイトルを『1001』にした理由からお聞かせください。

まずは、コンピューターの二進法の0と1から思いつきました。「0」というのは決して無ではないんだけれども、いわゆる「無い」と「有る」の組み合わせとして「有る・無い・無い・有る」とも読み取れるし、なおかつ形として線対照でキレイであると。そこに、前から何となくやってみたかった『千夜一夜物語』と、稲垣足穂の『一千一秒物語』を入れてみようと思いました。

――天野さんは新作を作る時「こういう物語がしたいから、このタイトルで」というのではなく、まずタイトルを先に考えて、そこからアイディアを広げていくそうですね。

いわゆる「物語」という奴が、いつも全然浮かんでこないんです。そもそも世の中は物語だらけで、自分が思い浮かべなくても「ものがたり」って満ち足りてるので。でも予告編とか題名とか目次とか、付属品のような、側(がわ)のようなものには惹かれます。「黙示録」なんて無理だけど「目次録」なら浮かんでくるかも。

少年王者舘『マバタキノ棺(再演)』(1991年) [撮影]羽鳥直志

――確かに王者舘の舞台は、物語を見せるというより、様々な情景をつなげて見せるという印象がありますが、まず情景を作りたいということでしょうか?

作りたい、というより、出てくる。それで光なり音なり物なりコトバなり役者なりがゴチャゴチャ混じりあっていくうちに、それらが三位一体というか、五位とか六位一体となり、思いがけぬ情景が出現したりするんです。だからそれを「作りたいか?」と言われると、ちょっと違和感がある。

――だとしたら、天野さんがよく使われる「気配」という言葉が、まだ近いんでしょうか?

「情景」より「気配」ですね。立ち昇り、にじみ出てくる、ニュアンスみたいなもの。宇宙のニュアンスです。

――王者舘の感想でよく聞かれる「えも言われぬ懐かしさ」みたいなニュアンス。

そうそう。その「えも言われぬ懐かしさ」とか、稲垣足穂が言う「宇宙的郷愁」みたいなものを嗅ぎたくて、王者舘を始めたんです。だから「王者舘のテーマは何ですか?」と聞かれたら「なつかしさ」と答えるしかない。コトバではそれしかないし、それ以上言うことはないですね。「今回の芝居はどんな風にしたいですか?」と問われたら「いつもと一緒、猛烈に懐かしいような風にです」と答えるしかないです。

少年王者舘番外公演『高丘親王航海記』(1992年)プロローグ。澁澤龍彦の同名小説が原作の野外劇。主演の高丘親王を演じたのは、維新派の松本雄吉


――脚本の特徴で言うと、前の役者の台詞の語尾と次の役者の台詞の頭で、同じ言葉を重ねて聞かせるというのは、他では見かけない手法です。

20年ぐらい前からやってることだけど、それは僕が書けないから始めたんです。一つ台詞を書いた時点で、次にどんな言葉を書けば良いかを選べない。浮かんでこないというより、言葉が膨大にあり過ぎて選べなくなるんです。でも前の台詞の最後の言葉と、次の初めの言葉を同じ音で重ねれば、選択しなくてすむなあと。さらにそこから、何かヘンな感覚が生まれたりするかも? と色気が出たりしました。なぜ僕がいつも(脚本を)開演前の場内アナウンスから始めたりするのかと言うと、芝居が始まる前のアナウンスのコトバを取っ掛かりにすれば、それで次が……つまり芝居が始められるからです。

――「携帯の電源をお切りください」などの、アナウンスのひな形をあらかじめ設定しておけば、それだけで次に使える言葉がだいぶ絞られるという。

後付けになるけど、それがすごく自分としては有効なやり方だったんです。たとえば「天敵」と「点滴」のように発音が一緒でも、意味が全然違う言葉を次の台詞の頭で重ねたら、いきなり場所や時間をすっ飛ばせたり、不思議な感じを醸し出せる。いったん世界は分断されるけど、実はまだ重なり、接合されたままでもあるわけで。

でもそれは、同時ではないんですよね。「同時」ということを表したかったら、同時にしゃべればいいだけのこと。「同時だけど、明らかに同時じゃない」という風な状態を現出させるためには、「重ねる」っていうのは有効なんです。ただあまりそれに淫し過ぎると、ギチギチのガチガチの風通しの悪いものになってしまいますけどね。

少年王者舘『御姉妹(再演)』(1997年)。演出は劇団員のバルボアが担当した [撮影]戸村登

■演劇において、一言で説明するということはやりたくないんです

――公演チラシなどに掲載されている『1001』に寄せた文章は、「量子論的千夜一夜物語」という言葉で結ばれていましたが、まず量子論を取り入れようと思った理由は。

そもそも王者舘でやってることは、量子論に近いことが多いんです。これは量子論ではないけど、たとえば光というものは波という性質もあって、同時に粒という性質も持っている。どっちだ? どっちも……って、やはり興味持つでしょう。さっきの「同時だけど、同時じゃないけど、同時」って状態に通じるものがありますし。そんな量子などのように、ただそういう性質の、人間がいろいろ考えても未だに解明できない「なにものか」が、どうしようもなく存在してしまっているということに、すごく惹かれるんです。

その状態の不思議さを、科学やオカルティズムの範疇ではなく、演劇のやり口で表わしたらどうなるんだろう? 言葉で解説するんじゃなくて、演劇の道具……さっきの六位一体みたいなやり方で「不思議」のまま伝えるにはどうすればいいか? と考えるわけです。物語には置き変えない。物語の言葉を使うと、説明的で、何かわかったような気になってしまうから、それを何とかスカしたいんですよね。

少年王者舘『ガラパゴス』(2010年) [撮影]羽鳥直志

――そこに今回は、稲垣足穂の要素も入ってくるわけですね。以前から王者舘の舞台は「タルホ的」と言われてますが、真正面から取り上げるのは初めてですか?

初めてですけど、真正面からはとてもできないから、横入りみたいな。これまでも、自分の血肉となったタルホ的なものが、意識しなくても自然と出てたかもしれません。タルホは小学校六年生ぐらいの時に読んで、そこに世界の秘密が書いてある気がしたのと同時に、自分の秘密を暴かれたように思えました。自分の中にあるとわかってるのに、どうしても言葉にできなくてもどかしくてたまらないあの感じが、すごく納得できる日本語で言語化されていて、とてもビックリしたんです。

――足穂がそれらの感覚を「A感覚」や「宇宙的郷愁」と一言で表現したように、王者舘ではその感覚をビジュアル化しようと。

そうですね。でもさっきの量子の話と同じで、演劇において、それを言語で説明的に提示してもしょうがない。「あの感じ」を無批判に「宇宙的郷愁」って一言で言ってしまって、わかったような気になってしまうという落とし穴が、そこら中にたくさん空いていますから。

――言葉以外の方法を使って感じさせる。

言葉以外も、ですね。現時点の演劇が持ちうる、できる限りの「道具」を使って、それを表現したい。とはいえ「稲垣足穂が演劇をしたらこうなる」という風には、ならないと思います。

少年王者舘『超コンデンス』(2011年)PV


■イスラムの世界の遠さと、宇宙の果ての遠さを重ねられたら

――さらに今回は、そこに『千夜一夜物語』という、今まで用いたことのない要素が入ってくるわけですが。

『千夜一夜物語』の何が面白いのかというと、一つひとつの話がというより、枠の中の枠物語だということ。シェヘラザードが王様に話を始めて、その登場人物がまた別の話を始めて、その中の登場人物がまた……という、多重構造になっているんです。それで今回は、この入れ子のような世界の機能を「シェヘラ回路」って呼んで、その謎をめぐる内容にしようかなと、今のところは考えてます。とはいえ、多重構造の面白さは、すでにいろんな人がやってきていることですからね。

――では、多重構造以外で何を表わしたいと思っているんでしょうか?

子どもも最先端の物理学者も、まったく同じように考える「宇宙の果ての向こうは何だろう?」ということです。結局宇宙の果てというのは、宇宙の始まりでもあり、また終わりでもあったり。じゃあその向こう側は? という時に「果て」という言い回しはできるけど、いろんな宇宙のモデルを作ったり、多世界的解釈をしてみても、「果て」という考え方の回答にはまったくならないんです。

あまりにも人間にはたどり着くのが困難な疑問だから、「神様が」って言いたくなっちゃう。でも今回やりたいのは、一つの物語の向こう側……物語の果ての、そのまた果てがあってという設定をした時に、一番外側や一番内側は、あるのか? ないのか? という感覚です。

少年王者舘『累-かさね-』(2012年) [撮影]羽鳥直志

――シェヘラザードが話している物語の主人公にとっては、シェヘラザードのいる世界という外側があって、でも彼女自身も『千夜一夜物語』という枠の中にいて、そのまた外の世界が存在する……という無限回廊的な構造が、そのまま「宇宙の果ての向こうは何だろう?」という疑問につながるという。

そういう、めくるめく感じが「シェヘラ回路」の感覚。物語の中の中と、外と外ということが、一応わかりやすく伝えられるという。そこには、開演前のアナウンスの向こう側(始まる前)とこっち側(始まった後)、舞台のこっち側と向こう(観客)側というパースもある。さらに『千夜一夜物語』の舞台となったイスラムの世界と、現在の日本における自分との間に横たわる遠さと、宇宙の果てまでの遠さみたいなことを、主観を絶えず移動させながら、上手く重ねられたらいいなあ……と思います。

――「イスラムの世界との間に横たわる遠さ」とは?

僕はイスラム教のことや、イスラムの国のことをあまり知らないで育ったから、イスラムの世界にはボンヤリとした遠さを感じています。その「遠さ」と、こういう回路を重ね合わせたいということです。唯一神であるアラーと(かつて天皇陛下を指した)現人神(あらひとがみ)をちょっと重ねてみたり、「現人(あらひと)」を「アラジン」と読ませたり、お互いの偶像のとらえ方の極端な違いとかを考えたり。さらに安易ではあるけれど、イスラムの自爆テロと神風(特攻隊)を重ねたり。

少年王者舘『ハニカム狂』(2013年)ダンスシーン。脚本は漫画家の天久聖一が担当した


――とはいえそれで、現代社会への何かのアンチテーゼやメッセージを訴えようとするわけではなく……。

メッセージではなく、それを応用するというか、利用するしかないんです。人間の寂しさとか、哀しさとか、切なさとか、馬鹿馬鹿しさとか、言葉だけではなかなか伝わらない状態や状況を表すために。

――そしてこれが初の新国立劇場公演となりますが、普段新国立でかかっているような、いわゆる「真っ当な演劇」しか観てなかった人たちは、かなり珍しいタイプの演劇を目撃することになりそうです。

いろいろビックリさせたいです。いつにも増してわけわかんない芝居になると思うから、あきれて「何?」っていいだす人や、怒り出す人がいるかもしれない。けど最低限「わけわかんないけど心地よい」「わけわかんないけど面白い」ということはしたいです。それは人によっては、つまんなくて心地悪いものかもしれないですけどね。

少年王者舘『思い出し未来』(2017年) [撮影]羽鳥直志

前売は売り切れ日が続出しているが、5月25日(土)18:00のe+貸切公演(スペシャルカーテンコール付)が現在購入可能のほか、5月18日(土)18時&24日(金)14時の追加公演も4月27日(土)から販売される。

取材・文=吉永美和子

公演情報

少年王者舘『1001』
 
■作・演出:天野天街
■出演:珠水、夕沈、中村榮美子、山本亜手子、雪港、小林夢二、宮璃アリ、池田遼、る、岩本苑子、近藤樺楊、カシワナオミ、月宵水、井村昂
寺十吾、廻飛呂男、海上学彦、石橋和也、飯塚克之
青根智紗、石津ゆり、今井美帆、大竹このみ、奥野彩夏、小野寺絢香、小島優花、小宮山佳奈、五月女侑希、相馬陽一郎、朝長愛、中村ましろ、新田周子、一楽、野中雄志、長谷川真愛、坂東木葉木、人とゆめ、深澤寿美子

 
■会場:新国立劇場 小劇場
■日時:2019年5月14日(火)~26日(日)
※21日休演。
※5/18&24に追加公演決定。追加公演発売:4月27日(土)
■問い合わせ:syounen@oujakan.jp(少年王者舘)
■公式サイト:http://www.oujakan.jp/1001.html(少年王者舘)
https://www.nntt.jac.go.jp/play/1001/(新国立劇場)

<e+貸切公演>
公演終了後に「スペシャルカーテンコール」あり

2019年5月25日(土)開演18:00~ (開場17:30~)
申込み=https://eplus.jp/sf/detail/2882890001-P0030002P021001?P1=0175
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