松方コレクションの数奇な運命と芸術にかける想い 玉岡かおる『天涯の船』書評

2019.6.10
コラム
アート

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2019年6月11日(火)〜9月23日(月・祝)の期間、国立西洋美術館で『国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展』が開催される。国立西洋美術館が所持する西洋美術の名品は、もともと神戸の川崎造船所(現川崎重工)の社長であった松方幸次郎が買い集めたもので、国立西洋美術館はこの松方のコレクションを受け入れるために設立された。

松方幸次郎/華族画報社「華族画報」より 出典=ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

松方コレクションは1万点に及ぶ規模で、松方はそれらを収蔵する美術館を構想していたが、金融恐慌のあおりを受け、収集されたアートの運命は変転する。コレクションのうち浮世絵は現東京国立博物館に移管されるが、西洋美術のうち国内にあったものの大半は売却され、国外でも焼失や押収により一部は散逸した。現在国立西洋美術館で鑑賞できる作品は、試練を潜りぬけて日本にたどり着いたものだ。2016年にパリのルーヴル美術館で発見、国立西洋美術館に寄贈されたモネの《睡蓮、柳の反映》も、さまざまな経緯を経てやっと戻ってきた作品のひとつ。この新しいモネ作品は、松方コレクションの流転の軌跡を示す本展覧会で初公開となる。

日本において印象派は非常に人気があり、クロード・モネやピエール=オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガなどの絵は、作家の名を知らなくても見たことがあるという人も多いだろう。その時代の西洋美術がこれほど日本に受け入れられ、定着しているのは、印象派の作品を取りそろえる松方コレクションの存在が一役買っている可能性が大きい。当時の芸術の庇護者であり、現代における芸術受容のきっかけとなった松方幸次郎をメインキャラクターのモデルに据え、珠玉の逸品が結集する過程を描いた著作が、玉岡かおるの『天涯の船』だ。

替え玉にされたヒロイン
激動の時代を生きる男女の秘められた恋の行方

本書は、日本人女性・木村が謎めいたアクセサリーを入手することから始まる。船の意匠の美しいペンダント・トップのケースには、贈り主の愛の言葉と、贈られた女性のファーストネーム「ミサオ」の名が記されていた。木村は生前のミサオを知る女性・綾子の存在を知り、ミサオの生涯について知ろうとする。綾子の語る物語は、ひとりの高貴な女性の数奇な運命だった。

姫路藩の姫君・酒井三佐緒の替え玉として渡米の留学船に乗せられたミサオは、乳母のお勝による厳しい躾に耐えて留学先の学校にも馴染み、教養を身に着けて美しく成長していく。やがて留学船中で出会った青年・桜賀光次郎に再会するが、オーストリィ帝国の名家の血を引くマックスもミサオに惹かれて求婚し、彼女もそれに応え欧州へと嫁ぐ。しかし欧州は戦争に揺れ、ミサオの人生も波乱に満ちたものになる。そして彼女は実業家として成功した光次朗と再び出会い、ふたりの縁は途切れることなく続いていく。

日本の文明国化への道を拓いたミサオと光次郎
彼らがもたらした珠玉の逸品

著者の玉岡は、ヒロインのミサオを想像上の人物としているが、明治時代にクーデンホ―フ伯爵と結婚し、当時のオーストリア=ハンガリー帝国に嫁いだクーデンホ―フ光子がミサオのイメージソースになったと推測される。光子は渡欧後に猛勉強し、夫の死後も家を取りしきり、彼女の子どもや孫は作家や画家として活躍している。

クーデンホーフ光子/ 出典=ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ミサオが運命を共にする桜賀光次郎は、松方幸次郎がモデルとなっている。それは名前の他、光次郎が松方同様に川崎造船所の社長であることからも明らかだ。最初は芸術にさほど興味がなく、トゥールーズ・ロートレックの素描を惜しげもなくミサオに譲ってしまった光次郎だが、日本が文明国になるためには芸術を学んで独創性を身に着けるしかないと開眼し、優れた作品を直輸入したいと望むようになる。ミサオは芸術家のフランク・ブラングウィンを紹介し、モネが住むジヴェルニーへ共に訪問するなど、光次郎のコレクション収集を助けた。芸術の庇護者となった光次郎は、もとはマックスの贈り物でミサオが手放した、宝飾職人アンリ・ベベールの手による船のペンダント・トップを入手して作り替え、愛の言葉を添えて再びミサオに贈る。

モネ《睡蓮》1916年 国立西洋美術館/出典=ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons) 

さまよえる膨大なコレクション
数奇な運命をたどった人物と絵画

やがて金融恐慌が訪れて光次郎の事業は傾き、手に入れた芸術品のうち、日本にあったコレクションは借金のかたに売却される。ヨーロッパで保管されていた作品は、戦火で灰になったものや没収されたものもあった。しかし、交渉の末に日本に戻ってきた作品もあり、日本国家は国費を投じて収蔵のための美術館を建築する。光次郎は作品の寄贈返還や美術館の完成を見届けることなく亡くなり、ミサオは孤児の救済や若手アーティストの支援などの社会事業に身を投じることとなる。

『天涯の船』には、芸術家のフランク・ブラングウィンや宝飾職人のアンリ・ベベールのほか、現東京藝術大学創立に大きく貢献した岡倉天心や政治家の吉田茂など、実在の人物が随所に登場する。光次郎がミサオの紹介で知り合うことになったフランク・ブラングウィンは現実の松方と親交があり、松方コレクション形成に大きく貢献した人物だ。かつて松方コレクションが所有していた浮世絵はアンリ・ベベールが所持していたものだが、作中でベベールはミサオのペンダント・トップを制作している。また、吉田茂は、作中の光次郎、つまり現実の松方が収集して海外で保管していた絵画が日本に寄贈返還されるように尽力した。フィクションの中に巧みに織り交ぜられた事実は物語全体にリアリティを与え、登場人物に魅力を加えている。

国立西洋美術館, 東京都台東区/663highland 出典=ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

松方コレクションには、日本における西洋芸術への理解を広めたいという松方幸次郎の願望が詰まっている。コレクションは今も多くの人に喜びを与え、コレクションを守る国立西洋美術館は世界遺産に登録された。恐らく、優れた芸術品にはすべて、奥深い物語と誰かの思いがこもっている。ぜひ『国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展』にて、たくさんの障害を潜りぬけてこの場にある名品たちの、波乱に満ちた物語に思いを馳せてほしい。

イベント情報

国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展
会期:2019年6月11日(火)〜9月23日(月・祝)
会場:国立西洋美術館(上野公園)
〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7
開館時間:9:30〜17:30 ※入館は閉館の30分前まで ※金・土曜日は20:00まで ※閉館時間は変更の場合あり
休館日:毎週月曜日、および7月16日(火)は休館。
※7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)、9月23日(月・祝)は開館。
お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)