山種美術館『生誕125年記念 速水御舟』展レポート 120点の御舟コレクションが10年ぶりに全点公開!
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速水御舟 《炎舞》(重要文化財) 大正14年 山種美術館蔵
大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家・速水御舟の初期から晩年までの作品を紹介する展覧会『生誕125年記念 速水御舟』(会期:〜2019年8月4日)が、山種美術館にて開催中だ。
会場エントランス
美術館の創立者・山﨑種二は、御舟の芸術を心から愛し、機会あるごとに作品を蒐集していた。1976年には、旧安宅産業コレクションの御舟作品105点の一括購入を決断。それ以前に所有していた作品を合わせると、計120点の御舟作品が山種美術館の所蔵となった。
速水御舟 《錦木》 大正2年 山種美術館蔵
速水御舟 《百舌巣》 大正14年 山種美術館蔵
本展は、「御舟美術館」として親しまれてきた山種美術館の御舟コレクションを、10年ぶりに一挙公開するもの。その中には、画家の代表作である《炎舞》、《名樹散椿》も含まれている。本展を監修した明治学院大学教授の山下裕二氏は、御舟について以下のように語った。
速水御舟 《白芙蓉》 昭和9年 山種美術館蔵
「御舟は、元より絵が上手くて、天才的な技量を持った作家ではないと思っています。どちらかというと不器用。でも、ものすごく努力家。ある程度まで自身の芸術を突きつめて納得できたら、そのスタイルをいとも簡単に捨てて、また全然違うことをやりはじめる。そういう姿勢には、大いに学ぶべきところがあるのではないでしょうか」
速水御舟 《朝鮮牛図》 大正15年 山種美術館蔵
御舟は40年という短い生涯の間に、700点あまりの作品を残してきた。しかし作品の多くが所蔵家に秘蔵されて、公開される機会が少なかったため、「幻の画家」と称されてきた。その貴重な作品群が集う会場より、見どころをお伝えしよう。
速水御舟 《翠苔緑芝》 昭和3年 山種美術館蔵
古典学習の成果があらわれた初期の作品
幼い頃から絵が好きで、14歳の頃、歴史画の大家として知られる松本楓湖(ふうこ)に入門した御舟。同門の仲間と屋外写生に出かける一方で、模写を通じてさまざまなジャンルの古典に触れ、伝統的な技法を学んでいく。
17歳の時に手がけた墨一色の絵巻《瘤取之巻》は、自然や人物描写などに、鳥獣人物戯画や平安時代の絵巻の手法を取り入れた作品。山下氏は、「10代の頃からいかによく古い絵巻を勉強していたかを示す作例」とコメントした。
速水御舟 《瘤取之巻》 明治44年 山種美術館蔵
23歳の頃に描いた《山科秋》は、南画風の抒情的な風景画になっている。本作は、画家自身が「群青中毒にかかっていた」という言葉を残しているように、群青が意識的に使われている。
速水御舟 《山科秋》 大正6年 山種美術館蔵
御舟の長女・彌生(やよい)の初節句のために制作した《桃花》は、小さな画面に、繊細な筆使いで写実的に植物を描いている。「ひと枝を切り取ってクローズアップするような構図は、中国の『折枝画(せっしが)』の様式にならって描かれたものだと考えられます」と山下氏。
さらに本作は、中国の徽宗(きそう)皇帝の書体を意識した落款が見られるとのこと。「痩金体(そうきんたい)」と呼ばれる細い書体を特徴としていて、絵画だけでなく、書体にも御舟の学びが活かされていることがうかがえる。
速水御舟 《桃花》 大正12年 山種美術館蔵
展示前半には、ほかにも関東大震災直後に、街の様子をスケッチした作品に基づいて描かれた《灰燼》や、「入り口部分の闇が深く、ブラックホールに吸い込まれていくような、不思議な迫力のある作品」と山下氏が紹介した《春昼》などが展示される。
右:速水御舟 《灰燼》 大正12年 山種美術館蔵、左奥:速水御舟 《日光戦場ヶ原(写生)》 大正15年 山種美術館蔵
速水御舟 《春昼》 大正13年 山種美術館蔵
3年ぶりに同時公開される《炎舞》と《名樹散椿》
本展では、重要文化財に指定されている御舟の代表作《炎舞》と《名樹散椿》が、3年ぶりに同時公開される。なお、《炎舞》は全期間展示となるが、《名樹散椿》の展示は7月7日までとなっているので注意したい。
《炎舞》の背景の闇の色は、画家自らが「もう一度描けといわれても、二度とは出せない色」と語っている。「照明によってその都度見え方が変わるが、羊羹の色のようにも見えます」と山下氏。来館者からは、「作品そのものが光っているように見える」という感想が多いのだそう。
速水御舟 《炎舞》(重要文化財) 大正14年 山種美術館蔵
さらに山下氏は、火炎の表現は、古代の仏画や絵巻を参照していると考えられると解説。
画家は、この絵を描くために、大正14年の夏に、軽井沢に滞在しながら蛾の写生を行なった。本作に描かれた蛾の群れは、羽の後ろの部分をぼかすことで、あたかも羽ばたいているようにみえるのが印象的だ。
速水御舟 《名樹散椿》(重要文化財) 昭和4年 山種美術館蔵
《名樹散椿》は、御舟が35歳の年に、イタリア政府主催によるローマ日本美術展覧会に出品するために描かれた。背景の金地には、金箔ではなく、金砂子を何度も撒いて整える「撒きつぶし」の技法が用いられている。
山下氏は、本作の構図に江戸自体後期の絵師・鈴木其一の《椿・薄図》のうち「椿図」からの影響や、不自然にうねる幹の部分には、俵屋宗達の《松図襖》(京都・養源院)から感化されている部分が見られるのではないかと説明する。
人物画から最晩年の作品まで
昭和5年、ローマ日本美術展覧会のため、横山大観をはじめとした日本画家たちがヨーロッパに渡り、御舟も約10ヶ月間にわたって欧州各地を回った。展示後半では、イタリアの都市を描いたスケッチ13点や、渡欧体験でデッサン不足を痛感した御舟が試みた人物画などが紹介される。
展示風景
左:速水御舟 《裸婦(素描1)》 昭和8年 山種美術館蔵、中央:速水御舟 《裸婦(素描3)》 昭和8年 山種美術館蔵 右奥:速水御舟 《裸婦(素描2)》 昭和8年 山種美術館蔵
御舟の代表作《名樹散椿》や《翠苔緑芝》に見られる、琳派から感化された非常に装飾的なスタイルは、やがて植物の枝ぶりを抽象化したような作品に変化していく。
速水御舟 《紅梅・白梅》 昭和4年 山種美術館蔵
37歳の年の作品《豆花》について山下氏は、「植物の葉っぱや枝、ツルの抽象的な形態に興味を持ち出して、実験的な作品を描くようになった」とコメント。
速水御舟 《豆花》 昭和6年 山種美術館蔵
さらに御舟は水墨にも挑戦し、葉の部分に色をつけて、花の色を墨の濃淡で描く《牡丹花(墨牡丹)》のような作品も手がけている。
速水御舟 《牡丹花(墨牡丹)》 昭和9年 山種美術館蔵
《一本松》、《三本松》は画家の最晩年の作品。松の葉を塊として捉え、単純な形へデフォルメしている描写は、キュビズムを思わせる。
左:速水御舟 《一本松(写生)》 昭和10年 山種美術館蔵、右:速水御舟 《三本松(写生)》 昭和10年 山種美術館蔵
『生誕125年記念 速水御舟』展は2019年8月4日まで。生涯を通じて、次々と新たな作風に挑み続けた御舟の画業を網羅できる機会に、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。