村上春樹の強い思いが込められた『神の子どもたちはみな踊る after the quake』とは~1995年、世界が震撼した2つの出来事の狭間で起きた物語
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1995年1月17日、テレビの画面に映し出される光景を東京で見ながら、現実のものとして信じることができなかった。焼け野原のようなその場所は、画面越しにも生命の気配がまるで消え失せているように感じられたが、かつてはビルがあったり、人家があったり、道路があったり、人々が確かに生活していた場所だった。
この日、兵庫県の明石海峡を震源とする阪神・淡路大震災が起こり、震源に近い神戸市を中心にその被害は甚大で、死者の数は6000人を超えた。
あのとき感じた自然の脅威と人間の無力さは、24年経った今でも心に張り付いたままである。
2019年7月31日より、よみうり大手町ホールで上演される『神の子どもたちはみな踊る after the quake』は、村上春樹の短編小説の舞台化作品だ。時は阪神・淡路大震災が発生した直後の1995年2月、直接の被災者ではないが地震のニュースを見て、心の中や自分の周囲に何かしらの変化が起きた人たちを描いている。この時間軸の設定が、この作品を理解する上での大きなファクターとなる。
村上春樹はなぜ時間設定を2月に限定したのか。それは、同年3月20日に地下鉄サリン事件が起きたことが大きな理由である。
『神の子どもたちはみな踊る after the quake』
短編小説『神の子どもたちはみな踊る』が刊行されたのは2000年。その3年前の1997年に刊行された『アンダーグラウンド』は、地下鉄サリン事件の被害者や関係者にインタビューしたノンフィクション作品で、1998年にはその続編となる『約束された場所で』が刊行された。
『アンダーグラウンド』に収録されている解題(著者による解説)によれば、村上は長い期間にわたって日本を離れ外国で生活しており、1995年当時はアメリカ在住だった。長い海外生活の中で徐々に「日本についてより深く知りたい」という思いを強くし、「そろそろ日本に帰ろう」と思っていた矢先、世界中に衝撃を与える二つの大事が立て続けに起きたのだという。この二つの出来事を、村上は「『それらを通過する前とあととでは、日本人の意識のあり方が大きく違ってしまった』といっても言い過ぎではない」としている。それぞれの大きさはもちろんのこと、短期間の間に続けて起きてしまったことへの驚きと恐れを強く抱いていることが伝わってくる。天災と犯罪という違いはあるが、一方は地震、もう一方は地下鉄が現場となり、どちらも「地下」から「悪夢」が吹き出してきたというつながりを村上は感じていた。村上は「地下の世界は私にとって、一貫して重要な小説のモチーフであり舞台であった」として、特に『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年、新潮社)と『ねじまき鳥クロニクル』(1994年~1995年、新潮社)において「地下」が中心的な役割を果たしていることにも言及している。
これらのことから見ても、『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』の2作品で地下鉄サリン事件に関するノンフィクション作品を書いた村上が、間を開けずに阪神・淡路大震災をテーマにした短編集『神の子どもたちはみな踊る』を執筆したことは自然の流れであったのだろう。「日本についてより深く知りたい」と思った村上は、この二つの出来事によって動いて行く人々の心を掘り下げることで、今の日本を精神的な面から見つめようとしたのだ。そして『神の子どもたちはみな踊る』においては、あえてサリン事件前の2月に設定したことで、大震災による影響だけをなるべく純度の高い状態で抽出しようとしたのだろう。
この短編集に収録された6作品はいずれも味わい深い小品なのでぜひ本を手に取って読んでいただきたいが、今回舞台化されているのはそのうちの2作品「かえるくん、東京を救う」と「蜂蜜パイ」だ。
「かえるくん~」は、これから東京を襲う大地震を未然に食い止めたいという蛙が、片桐という普通の青年に協力を求めにやってくる、という奇想天外な冒険活劇の要素もある物語だが、その一方で「蜂蜜パイ」は、小説家の淳平、淳平の大学時代の同級生でシングルマザーの小夜子、小夜子の元夫・高槻といった登場人物たちの過去と現在の心の動きと、小夜子と高槻の娘・沙羅があの地震以降、悪夢にうなされるようになったことで少しずつ変わっていく彼らの関係性を繊細に描いた作品だ。
原作ではそれぞれ独立した繋がりのない作品だが、「蜂蜜パイ」の淳平が「かえるくん、東京を救う」を書いている小説家という設定で、「かえるくん~」が劇中劇のような形となり、2つの作品が同時に進行する。
沙羅は悪夢に登場する「地震男」に悩まされ、かえるくんは地震を止めるべく東京の地下に潜る。「地下」「地震」というキーワードを介在すると、関連性がないように見える二つの物語が繋がってくる。
『神の子どもたちはみな踊る after the quake』相関図
村上春樹作品の舞台化と言えば、2012年の初演以来、村上の世界観を美しく表現した舞台として国内外で賞賛を浴びた、蜷川幸雄演出『海辺のカフカ』が先月ラストステージを終えたばかりだ。『海辺のカフカ』も『神の子どもたちはみな踊る』も、脚本はアメリカにて上演され好評を博したフランク・ギャラティによるものである。『海辺のカフカ』を舞台作品として見事にまとめ上げたその筆力で、2つの短編をどのようにリンクさせているのか。そして、今後がますます期待される演出家の一人である倉持裕が、その脚本をどのように舞台上に立ち上げていくのか。「あの日」を通った人それぞれの心の動きがにじむような舞台になっていることを期待したい。
なお、この作品は東京公演後、愛知公演を経て神戸公演で千秋楽を迎える。神戸の観客がこの作品をどのように受け取るのか、その反応も非常に興味深いところである。
参照元:
内閣府 防災情報ページ
村上春樹著書『アンダーグラウンド』
文=久田絢子
公演情報
脚本:フランク・ギャラティ(Frank Galati)
演出:倉持裕
出演:古川雄輝、松井玲奈、川口覚、横溝菜帆・竹内咲帆(子役・Wキャスト)、木場勝己
日程:2019年7月31日(水)~8月16日(金)
会場:よみうり大手町ホール(東京)※ほか愛知公演、 神戸公演あり。
主催:ホリプロ/読売新聞社
企画制作:ホリプロ
お問い合わせ:ホリプロ
公式サイト:https://horipro-stage.jp/stage/kaminokodomo2019/