デビュー25周年記念大会開催目前のモハメド ヨネにインタビュー! NOAH丸藤正道がバトラーツ勢に合流!
1995年に藤原組でデビューし、格闘探偵団バトラーツで飛躍、2001年からプロレスリングNOAHで活躍するモハメド ヨネが「デビュー25周年記念大会 DISCO BALL」を10月18日(日=午後6時30分開始)、東京・後楽園ホールにて開催する。四半世紀のキャリアにして自身初となる記念大会に向け、ヨネにインタビュー。対戦カードやバトラーツへの思い、丸藤正道をバトラーツ色の濃いカードに入れた真意、さらにはトレードマークのアフロヘアーなどについて聞いてみた。
――モハメド ヨネ選手が10月18日(日)、後楽園ホールにてデビュー25周年記念興行を開催します。いままでこういった記念大会をやったことはありましたか。
「実は、はじめてなんですよ」
――10周年、20周年とか、なかったですよね。
「なかったです」
――今回、なぜ記念大会を開催しようと?
「こういう状況のなか、会社(NOAH)が後押ししてくれたのが大きいですね。自分的には今年のアタマからちょっと動いてはいたんですよ。25周年ってなかなかない機会なので、自分で興行やりたいなと思って。それが新型コロナウイルスの状況になってまったく動けなくなってしまった。オリンピックも来年になったくらいですから、これは仕方ないなと。来年でもいいからできたらやろうかなと思ったときに会社から話があって、ぜひやりましょうと言ってくれました。そこで具体的に日程の話もしてくれたんで、うれしかったですね。それで、記念興行をやることを決めました」
――いままでやらなかっただけに、驚きました。
「そうですね。20年のときも別になにもなかったですから。ただ、だんだんとなにかひとつ記念に残しておきたいなという思いが強くなっていったんですね。というのも、元・藤原組や元バトラーツのメンバーがそういう記念興行をやるんですよ。そういうのにオレも出させてもらったのがやっぱり大きいですね。自分もやってみたいなって思うようになっていきました。ただ、団体に所属しているし、団体主導じゃないと実現はなかなか難しい。自分でやりたいですと言わない限りはそういうのってないですけども、今回、会社からの後押しもしてもらったので」
――当日、ヨネ選手は2試合に出場しますね。まず、モハメド ヨネ&アレクサンダー大塚組vs齋藤彰俊&井上雅央組。これは、メインカード決定後に追加されたカードですよね。
「そうですね。先日の9月13日にNOAH金沢大会がありまして、久々にアレクとタッグを組んだんですよ。5年ぶりですね。そこでラブ・ウォリアーズで組みました」
――アレク選手とのラブ・ウォリアーズと言えば…。
「バトラーツの両国国技館(98年11月23日)でザ・ロード・ウォリアーズと対戦しました。懐かしいですね。そういうのがありましたし、いざ金沢で組んでやってみたら、もったいないな、せっかく組んだのにこれで終わりじゃもったいないな、せっかく今年は25周年なんだから、と思ったんですね。そこで、じゃあもう一発お願いしますという話になったんです。ただ、ほかのカードはもう決まっていたので、だったら自分が2試合やれば丸く収るだろうと。それで決まりました」
「そうです。同期でもあり、デビュー戦で対戦した相手でもあるんですよ。お互いがデビュー戦同士の相手という、世界でたったひとりの存在です」
――そのアレク選手と対戦ではなくタッグを組むというのは、やはりラブ・ウォリアーズを再現したい気持ちが大きいからですか。
「そうですね、大きいですね。後付けになってしまうけど、アニマル(・ウォリアー)さんが先日(9月22日)、まだ60歳の若さでお亡くなりになってしまって。何年か前に来日したときに、バトラーツに上がったときの話をしてくれてたというのを聞いて、すごく嬉しかったんですよ。またチャンスがあったらお会いしたいと思っていたので、残念です。なので、ますます(アレクと)2人でやりたいなという気持ちになりました」
――ホーク・ウォリアーさんも亡くなっていますので、ある意味、ロード・ウォリアーズを追悼する試合にもなりますか。
「そうですね、追悼の意味、追悼の思いが大きくなってきています。最初は25周年記念大会で、あのロード・ウォリアーズと両国で対戦したラブ・ウォリアーズが復活というのでしたけど、アニマルさんが亡くなってしまったことで、もっともっと深い意味になってきましたね」
――相手が齋藤彰俊&井上雅央組です。
「ハイ。いやあもう、あまりにもベテランなのでね、あえて言うこともないです。とにかく場数を踏んでる2人なんでね。だからこそ、アレクとのラブ・ウォリアーズで大ベテランとやってみたいという気持ちがありますね。なにが飛び出すかわからないというのも向こうにはありますしね」
――なるほど。では、メインについて伺います。メインは25周年記念試合となる6人タッグマッチ。モハメド ヨネ&池田大輔&日高郁人組vs丸藤正道&石川雄規&田中純二組。非常にバトラーツ色の濃いカードです。そのなかにひとり、NOAHの丸藤選手が入っている。
「そうですね。会社との話で、(記念試合は)バトラーツのメンバーと絡みたいという話をしたんですよ。かつての仲間だった選手たちの記念大会に参戦させてもらって、いっしょにやらせてもらってるし。ただ、全部がバトラーツというのもどうかと思って。だったらNOAHにきて一番刺激を受けた選手に入ってもらいたいと。それが丸藤選手だったんですね。一番刺激を受けた丸藤選手には、こういう記念の大会で対角のコーナーに立ってほしい思いがありました。なので、丸藤選手は対戦相手に。オレがNOAHに入って一番思いの強い選手が丸藤選手なので、今回絡みたいなと」
――NOAHの象徴でもありますからね。
「そうです。そこにかつて周年興行に呼んでもらった仲間たちをパートナーや対戦相手にして、そこに丸藤選手にも入ってもらう。バトラーツ勢と丸藤選手が対戦する興味もありますし、ふだんとは違う、ちょっとお祭り的な感じでやりたいと思ってます」
――今回はバトラーツカラーが濃くなると思うのですが、ヨネ選手にとってバトラーツとはなんだったのでしょうか。
「わけもわからなくただひたすら前に突き進むような感じですね。プロレスってなんだろうというのではなく、バトラーツってただ目の前にある闘いをガンガンやるような集団でした」
――試合はバチバチやり合ってましたよね。
「ハイ、ある意味でバカでしたよね、ホントに。それを自分らではカッコいいと思ってたし、誇りに思ってた。当時、それに共感してくれる人がいたんだなって思ってます」
――地方のどんなに小さな体育館に行ってもバチバチの激しい闘いを展開していました。
「もうねえ、それしかできなかったんですよ。それしかできなかったし、それ(がオレたちのプロレス)なんだっていう思いがありました。なんて言うのかな、オレたちを引っ張ってた石川さんってホントにそういうのがプロレスだよ、闘いだよっていう人だったので。オレらも洗脳されてましたよ、そうだろうなって。石川さんってバカなことを正当化するのがすごいうまい人なので。そういう人に引っ張られてバカがカッコいいじゃないですけど、ムチャクチャやってお客さんを引かせるくらいの闘いというのが、オレらのできることだという思いでいましたね」
――そのスタイルが、プロレスラー・モハメド ヨネを作ったと。
「ええ、そうですね」
――では、それぞれのメンバーについてお聞きします。池田選手は先輩であり、先にNOAH参戦。ヨネ選手があとからNOAHのリングに上がったんですよね。
「そうですね。オレをNOAHに引っ張ってくれて、三沢(光晴)さんに会わせてくれたのも池田さんですし、常にオレのことを気にしてくれていましたよね。オレが藤原組に入門したときからホントに目をかけてくれて。『プロレスラーっていうのはとにかくデカくなければいけないんだ』という教えをずーっと、入門してからずーっと、イジメかというくらいに圧力をかけれらました。でも、ある程度わかってくると、大感謝ですよね。これはホントにありがたかったなって思います。当時はホントに吐くまで食わされましたけど(苦笑)」
――身体を大きくするために?
「そうです、ハイ(笑)」
――後輩の日高選手は?
「日高はいっしょに住んでたこともあったりして、すごい仲がよかったですね。その頃はヒダカッチと呼んでましたけど。いまはもうホントにキャリアを積んで、もう気軽にヒダカッチなんて呼べないですよ(笑)。そのくらいのキャリアを彼は積んでるから。彼の周年記念大会にも呼んでもらえたので、お返しじゃないですけども、出てほしかったんですね」
――バトラーツのトップだった石川選手とは対戦します。
「まず、石川さんがNOAHのリングに上がることがおもしろいかなって。それにオレと池田さんが組んだら相手は石川さんだろうと。ボコボコいけるのは石川さんだろうなと思います」
――バチバチ必至の闘いになりますね。
「そうですね、ハイ」
――田中純二選手。いろいろとリングネームが変わったりしてユニークな存在でしたよね。
「そうです。いまは田中純二(のリングネーム)で、福岡の方のお祭り、山笠の格好で試合をしているんですよ。締め込みで、ほとんどケツが出た状態でやってる。オレは最初、『なにフンドシで試合してんだよ』と言ったら、『いや、祭りではこれはフンドシではありません、締め込みです』、と言われて。フンドシはなんか下着と同じ位置づけで、締め込みは祭りの正装だってことです。そういう格好でやるんですけど、そういうのが東京の大会でお披露目されるのもおもしろいかなって」
――田中選手の締め込み姿がお披露目される?
「ハイ(笑)」
――バトラーツ解散後、ヨネ選手はNOAHに上がるわけですが、もうすでにほとんどのキャリアがNOAHになりますよね。
「そうですね。2001年からなので、約20年間」
――当時のNOHAはまだ旗揚げ間もない状態でした。参戦するにあたりどんな気持ちでしたか。スタイルもまったく異なったと思うのですが。
「戦場を新しくするのは不安もありますし、楽しみもあります。オレはNOAHにくるにあたって、まったく新しいスタイルだからイチからやらないといけないと思って、ホントに新人といっしょにちゃんこの当番から受け身の練習から、そういうのも全部やらせてもらって、イチからNOAHのスタイルを学びたいなと思いました」
――実際に試合をしてみていかがでしたか。バトラーツでの闘い方からの変更もあったと思いますが。
「そうですね、ある意味で真逆のところがありましたよね。特にオレがNOAHにきてから思ったのは、やっぱりプロレスって受けなんだなと。受けることによって自分が光る。倒れることによってお客さんが盛り上がる。立ち上がることによってみんなが歓喜する。これってプロレスの基本だと思うんです。バトラーツってみんなムチャクチャやってました。もうボッコボコにやって悔しいから立ち上がってましたけど、それをやることがカッコいいような思いがあったんですね。相手を打ちのめすのがね。結局、お客さんがどこで盛り上がってたのかなというと、あんな攻撃を食らっても立ち上がるっていう、そこだったと思うんですよ。でもそこに気づかなかった。それでもだんだんとそういうところに気づいてきて。そういう点ではジャイアント馬場さんの全日本プロレスからの王道の流れをいった、それがプロレスリングNOAHだと思いますね」
――ヨネ選手は身体も大きいですから、王道プロレスに辿り着いたのは自然なのかなとも思いますが。
「う~ん、まあ、頑丈でしたからね。無理だったらたぶん潰れてましたね。いまは選手もだいぶ個性化してますけど、オレが入ったとき、むかしはもっともっとみんなデカかったですから。外国人レスラーも身長2メートル級とか体重150キロ級のヤツもきましたからね。そんなのとガンガンやってたらね、潰されちゃいますよ」
――そういったなかでNOAHに上がって来年で20年にもなる。ということは今年がデビュー25周年でもあり、NOAH参戦20年目にもなりますね。
「そうですね。そう考えるとやっぱり自分が育ったところにも感謝だなって思いがあります。今回(バトラーツ時代の)みんなと組めるし闘えるというのはホントに楽しみですね」
――ところで、新体制のNOAHはいかがですか。
「あらためて頑張ろうという気持ちにみんななってます。あとは、メディアの力がやっぱり大きいですね。ABEMAの中継とかもね。高木三四郎社長にABEMAとかに出始めてどういう感じですかと聞いたら、何ヶ月か経ったら『見ました』という声がどんどん大きくなっていったと。プロレスを知らない人もスマホを通じて知ってくれたり。そういう人が増えてきたと。オレなんか、ザッピングしてるなかでたまたま見たアフロでもいいんですよ。そういうので覚えてもらえたらいいなって。その点でも新体制にはますます期待しています」
――いまアフロという言葉が出ましたが、アフロヘアーへのこだわりについてあらためて教えてください。一時アフロではないときもありましたが、やはり今後もずっとヨネ選手はアフロにこだわりますよね。
「自分を違うふうに見せるには、髪を変えるのが一番わかりやすい。違うものにしたこともありましたけど、やっぱりオレに一番しっくりくるのはアフロですね! オレ、いろんな髪型やりましたけど、アフロが一番だって自分で思いました。鏡を見たときに、オレってアフロ顔だって思ったんですよ(笑)。やっぱりオレにはこれだって。それにアフロは覚えてもらいやすいんですね。このアフロの人ってなにやってるんだろうとか、こんなヤツいねえよなってインパクトが大きい。プロレスラーってそもそも、こんなヤツいねえよなっていうのがあったじゃないですか。はじめてプロレス見たときから、そういうのへのあこがれもありました。それをいま、オレはアフロで体現できてますから(笑)」
――アフロによって、よりプロレスラーらしさを強調できていると。
「そうですね!」
――では最後に、あらためてどんな大会にしたいですか。
「おもちゃ箱をひっくり返したような大会というか、おもちゃをお客さんがひとつひとつ拾い集めて、リングに放ってもらえたらいいなというイメージです。25年、長かったようでやっぱりあっという間。人の一生って長いようで短いですから、その瞬間、その瞬間に燃えなきゃいけないと思うんですよ。いまこういう状況でみなさん我慢、我慢ってなってますけど、でも、どこかで発散しなければやっていけないですからね。発散の場所に少しでもなってくれればいいなって思います。みんなの思いがこもったような、お祭りにしたいなって思いますね!」
(聞き手:新井宏)