【全国公開中】パリ・オペラ座バレエの今日の栄光を築いたヌレエフの全幕バレエ~パリ・オペラ座バレエ シネマ『ドン・キホーテ』『眠れる森の美女』に寄せて
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『ドン・キホーテ』© Julien Benhamou / Opéra national de Paris
パリ・オペラ座バレエ シネマ『ドン・キホーテ』『眠れる森の美女』が、2021年1月、全国公開中だ。SPICEでは、パリ・オペラ座バレエ団の現在、演出・振付を手がけたルドルフ・ヌレエフについて絡めてご紹介したコラムを掲載する。
■ヌレエフ作品はパリ・オペラ座の財産
2020年12月13日、パリ・オペラ座バレエ団(以下、オペラ座)が『ラ・バヤデール』の無観客公演を有料配信した。コロナ禍において久しぶりのグランド・バレエ(多幕物の物語のあるバレエ)の公演を準備していたが直前で中止となり、無観客上演&配信のみとなった。各幕ごとにエトワール(最高位ダンサー)が交替出演する贅沢な舞台だったが、思わぬ驚きが待ち受けていた。カーテンコール時、舞台袖から総裁のアレクサンダー・ネーフとバレエ団芸術監督のオレリー・デュポンが現れ、ブロンズ・アイドルを踊ったポール・マルクをエトワールに任命したのだ。次代のエトワール有力候補とみなされていたとはいえ、無観客上演で、しかもブロンズ・アイドルというキャラクター役で昇格するのは異例。近来まれにみるサプライズだった。
『眠れる森の美女』© Christian Leiber / Opéra national de Paris
このエトワール昇格劇ひとつとってもそうだが、オペラ座はバレエ・フリークの注目の的だ。350年の歴史を持つ世界最古のバレエ団として伝統・格式があるのはいうまでもない。そして1983年から1989年まで芸術監督を務めたルドルフ・ヌレエフ(1938~1993年)の存在が大きい。20世紀後半を代表するカリスマ・ダンサーが率いた時代はシルヴィ・ギエムやマニュエル・ルグリの台頭もあいまって「黄金時代」と呼ばれる。そして彼の遺したグランド・バレエの数々はオペラ座の財産となり、エトワールへの試金石ともなっている。先に触れた『ラ・バヤデール』はヌレエフが芸術監督退任後の1992年に発表した遺作であるし、現芸術監督のデュポンが1998年にエトワールに昇格したのもヌレエフ版『ドン・キホーテ』のキトリ役を踊った際のことだった。
『ドン・キホーテ』© Julien Benhamou / Opéra national de Paris
■壮麗にして重厚 見ごたえ十分なヌレエフ版
ヌレエフはソ連出身で、誕生したのはシベリア鉄道の車内という数奇な経験の持ち主。早くからバレエの才能を認められ名門キーロフ・バレエで活躍するが、1961年にロンドンで西側に亡命する。誕生から亡命にかけてのエピソードは、2019年に日本公開された映画「ホワイト・クロウ 伝説のダンサー」でも描かれたのでご存じの方も多いだろう。亡命後は世界中で踊って一世を風靡し、英国ロイヤル・バレエ団の名花マーゴ・フォンテインとのコンビは語り草だ。踊り手としての名声にも増して見落とせないのが、振付家としての業績である。オペラ座を率いる前から世界各地で古典バレエの名作を振付しロシア・バレエの精華を伝えたことは、もっと称えられていいかもしれない。現在でも、オペラ座のほかウィーン国立バレエ団、ミラノ・スカラ座バレエ団などの有名バレエ団において、ヌレエフ版のグランド・バレエが上演されている。
『眠れる森の美女』© Christian Leiber / Opéra national de Paris
ヌレエフのグランド・バレエはスケールが大きく壮麗で、舞台美術・衣裳は重厚。「グランド・バレエを見た!」という満腹感を得られる。そして主役を中心に踊りの見ごたえが半端ない。男性主役のパートは、比類なきテクニシャンとして鳴らしたヌレエフの手によるものだけに、複雑でハードだ。1995年から長らくオペラ座の芸術監督を務めたブリジット・ルフェーブル以降、現代作品が年間上演作品の大きな割合を占めるようになったが、ヌレエフ版のグランド・バレエという巨峰が控えていることによって、クラシックの技術が保たれているという面があろう。
『眠れる森の美女』© Christian Leiber / Opéra national de Paris
■ヌレエフ版『ドン・キホーテ』『眠れる森の美女』をスクリーンで観る喜び
そんなヌレエフのグランド・バレエの魅力を堪能できるのが、パリ・オペラ座バレエ シネマで上演される『ドン・キホーテ』と『眠れる森の美女』だ。いずれもロシアの古典の様式美とヌレエフの美学、フレンチ・スタイルの垢抜けたセンスが溶け合った至福の舞台である。
【動画】パリ・オペラ座バレエ シネマ『ドン・キホーテ』『眠れる森の美女』予告編
スペインを舞台に宿屋の娘キトリと理髪師バジルを主人公にした明るく楽しい『ドン・キホーテ』は、ヌレエフにとってアイコンのような作品。1966年にウィーン国立バレエ団で初めて全幕を振付し、その後オーストラリア・バレエ団でも上演し自身の主演により映画にもなった。オペラ座には芸術監督就任前の1981年に振付しており、以後途切れることなく再演されている。今回の舞台は2012年12月18日に収録。キトリ役は当代のオペラ座を代表するエトワールのドロテ・ジルベールで、2018年にオペラ座を定年で引退した好漢カール・パケットと爽やかな恋模様を描き出していく。華麗なテクニックの数々が繰り出され、テンポよく進む粋な舞台を楽しめる。
『ドン・キホーテ』© Julien Benhamou / Opéra national de Paris
ペローの童話に基づく古典バレエの最高峰『眠れる森の美女』をヌレエフが手がけるとどうなるのか。1966年、ミラノ・スカラ座バレエ団を皮切りに各所で制作したのち1989年にオペラ座で上演した。とにもかくにもゴージャスの一言に尽きる。今回の舞台は2013年12月16日収録。オーロラ姫は眉目秀麗で愛らしいミリアム・ウルド=ブラーム。ヌレエフの全幕バレエは基本的に男性主役の踊るパートが多いが、『眠れる森の美女』のデジレ王子役には格別の名場面が用意されている。第2幕、ヴァイオリン独奏にのせて踊るソロだ。古典バレエの理想の王子、誰もが憧れ待ち焦がれるような存在であるデジレのうかがい知れぬような内面の深みを伝える。それをマチアス・エイマンが巧緻なテクニックと優れた音楽性によって踊り切り見事である。
『眠れる森の美女』© Christian Leiber / Opéra national de Paris
オペラ座が今日もバレエ界の王者であることを示す原動力のひとつがヌレエフ作品を継承してきた点にあることは、ご紹介した2本の舞台映像をご覧いただければ納得いただけるはず。ガルニエ宮、オペラ・バスティーユという本拠地の劇場に灯がともり、再び落ち着いた気分で舞台を鑑賞できる日はいつになるのだろう。日本公演でヌレエフの大作も含めたオペラ座のグランド・バレエを居ながらにして接することができたのは、どんなにありがたかったことか。オペラ座の活動が本格再開するまでの間、心の渇きをパリ・オペラ座バレエ シネマで癒したい。
文=高橋森彦