古舘伊知郎「僕は不器用な人間で、趣味もない。喋ることだけ」~『トーキングブルース-無観客へのリベンジ-』開催直前インタビュー
古舘伊知郎 『古舘伊知郎トーキングブルース-やっかいな生き物-』(2020年12月)公演写真
古舘伊知郎がマイク片手に喋り続ける伝説のトークライブ『トーキングブルース』。昨年8月に6年ぶりの『トーキングブルース』を配信限定・無観客で開催した古舘だが、今回再び、2021年5月13日(木)20時から「Streaming+」配信で、しゃべりの“ブルース”を奏でることになった。
このコロナ禍で何を思うのか。そして、何を喋るのか。古舘にオンラインで取材をした。
■無観客という観客に向かってリベンジしたい
ーー昨年、6年ぶりに『トーキングブルース』を開催されました。今回も配信限定・無観客での『トーキングブルース』です。サブタイトルには「無観客へのリベンジ」とあります。どんな思いでいらっしゃいますか?
去年の8月14日に、生まれて初めての体験、全くお客さんがいない空間での『トーキングブルース』をやらせてもらって。やっぱりトークライブというのは、お客さんが主役です。目の前のお客さんの反応を探りながら、ネタを変えたり変えなかったり、語気を強めたり強めなかったり、そういう緩急も全部やっていくものなので、人っ子ひとりいないというのは初めてで、すごく戸惑ったんですね。
もちろんライブ配信ですから、カメラマンがいるのだけど、そういうインフラは全部奥の方に引っ込んで、自分の目の前は誰も見えないんですよ。空席の席だけがある。とても無機質なところに向かって、有機物である自分がやってるという、ものすごいギャップもあって。これでいいのか、これでいいのかと思いながら終わっちゃった。
無観客での開催は2回目でもう「無観客は慣れないね」という言い訳すらもきかない。「無観客という観客に向かって再チャレンジ、リベンジさせてくれ」というような意味を込めました。
古舘伊知郎 『古舘伊知郎トーキングブルース-やっかいな生き物-』(2020年12月)公演写真
ーー前回は「いろいろな人の嘆きを口にする、それがブルースだ」という言葉がとても印象的でした。前回の配信を超える作品になるといいますか、今回また新たに挑まれるということですね。
はい。去年は、やっぱりコロナのことで、1時間半以上喋ったわけです。多分ネットで、スマホで聞いてくれてる人も、コロナのただ中にあって、いろいろな思い嘆きがあるだろう、ブルースがあるだろうという意識でやらせてもらいました。お客さんが1人もいないで戸惑ってるというのもある種のブルースでありました。
ただ今回は、コロナは、変異株も含め、今の政治のありようの問題点も含め、当然医療病床のこと、ワクチンが周回遅れになっていること、いろいろ含めてえらいことなわけですが、去年と同じように、今のコロナへの不安や戸惑いや嘆きを話しても、ちょっとそれはもうヘビーすぎてね。「もう大変なのは分かっているんだよ」と、去年の気分と違うような気がして。
今回5月13日の一夜限りの『トーキングブルース-無観客へのリベンジ-』に関しては、入りはコロナの気分から入るかもしれないけど、いろいろな違う話をしたいと思ってます。
ーー現段階で、お話できる範囲でどんな構想をお持ちなのですか?
もういくらでも話します。政治家じゃないので「その件に関してはコメントを差し控えさせていただきます」という必要もないので(笑)。
世の中に今流行ってること、世の中で定着していること、今世の中の考え方の作法とかを話したいと思います。
例えば……(以降、本番のトーキングブルースを一足先に聞かせてもらったかのような、充実した内容を20分ほど語っていただいたが、それは本番のお楽しみということで、ここで割愛させていただく)。
■言葉はすごく、面白い
ーー昨年、別のライターが古舘さんを取材させていただいたときに、『トーキングブルース』で話すことは、台本は用意しないけれども、膨大なメモ書きで構成されているというお話をされていました。そのスタイルは今も継続されているのですか。
はい。そうです。
古舘伊知郎 『古舘伊知郎トーキングブルース-やっかいな生き物-』(2020年12月)公演写真
ーーそのメモ書きは本番直前まで修正に修正を重ねていらっしゃるんですね。
そうです。原稿や台本のようにきちっとしてしまうと、それに、とらわれすぎてしまうので。
言葉というのは、ご存知のように、耳で聞いていただく音声と、視覚で捉える文字とがあるわけです。文字はおよそ5000万年前に生まれ、音声はそのずっと前、10万年前からホモサピエンスはもう言語体系をつむぎ始めたと言われてるんですけど、これなぜか……っていうと、また10分以上かかるので割愛しますけども、音声や文字のほか、もうひとつ、言葉が内包する大事なことは「イメージ」なんですね。
分かりやすい例えを言うと、僕は「海」という音声で聞いたら、トウモロコシを焼いている海の家と、湘南あたりの西湘バイパスなんかをイメージする。でも、別の人は、「海」という同じ言葉から、トロピカルアイランドのエメラルドグリーンの遠浅の海とヤシの木を想像するかもしれない。同じ「海」という言葉に、全く違うイメージが入ってくるわけですね。
つまり、これは何を表してるかっていうと、言葉に対してそれぞれが情景を浮かべて、自分の中で認識を生んでいるだけだということです。世界共通の正解なんてないわけです。
カツオとマグロの例えもよく使われます。日本語はカツオとマグロを分けるけれども、英語の世界はtunaじゃないですか。それから、日本語も英語も蝶(butterfly)と蛾(moth)は分けるけれども、フランス語ではpapillonじゃないですか。
そうやって考えると、言葉ってすごく面白くて。言葉で世界を捉えているんじゃないんですね。言葉でひとつの大正解の世界を捉えているんじゃなくて、人それぞれの認識の中に落とし込むために、言葉を使っている。自分の認識の中で世界をこじつけるために言葉を使っている。だからそういうふうに……って、何の話でしたっけ(笑)。
ーー本番前のどれぐらいまで修正をされるかな、という質問でした(笑)。
あぁ、ごめんなさい。もう本当話が飛んでっちゃうんですけども、文字できちっと台本を作っちゃうと、それにとらわれちゃう。だからといって、何もなくて、舞台上に出ていくのは、もう不安でしょうがなくて。
だから自分でメモを書いて、古舘プロジェクトの構成作家に相談して、いろいろなディスカッションさせてもらって、いいアイディアもらって、付け足したり、消したります。僕しか読めないというか、僕も読めない字になっている(笑)。ペンの色を変えながら、どんどん更新して。そうすると、ちょうどトークライブの加減になるんです。
これがきちっとした講演会だったら「何の話をしてた?」なんて言わないですけれど、トークライブは話がそれていって「何の話をしてた?」と無観客に向かって聞く錯乱があってもいいわけで。わざと飛ばします。飛ばすように作ったりもします。
古舘伊知郎 『古舘伊知郎トーキングブルース-やっかいな生き物-』(2020年12月)公演写真
■コロナ禍で古舘伊知郎が思う「言葉の力」
ーーちょっと大きい話になってしまうかもしれないんですけれども、コロナ禍で、対面でのコミュニケーションができなくて、トークライブでも演劇でも「生」のやりとりが極端に減ってしまった現状があると思うんです。でも一方で、古舘さんのように、それでも喋り続けて、伝えようとされる方がいる。古舘さんは今、言葉の力について、どう思っていらっしゃいますか。何が変わったのか、あるいは、変わらないのか。見解を伺いたいです。
はい。まず感染防止のためにはとても有効なマスクが、言葉が、という文脈では悪役になってしまいます。目元しか見えませんので、目元中心にその人の造作を頭の中で描いたりしてるわけですね。それは想像・妄想の世界で結構なことだし、目は心の窓とも言うけれど、やっぱり口角をはじめとした口元にも情報が宿ってる。それが分からないんですよね、マスクをしていると。
そして、光る画面越しのリモート会議や取材になってきた。有機体同士の向き合いがないわけですよね、バーチャルになっちゃって。これはね、言葉の浸透力というものはものすごく悪くなったと思いますね。そういうこともひっくるめて、政治家の言葉も非常に浸透力が悪くなったと僕は思ってます。だから「コメントは差し控えさせていただきたいと思います」とか、言葉がどんどん滑り、ツルツルになっていって。人を傷つける要素は減るかもしれないけど、反対に人の心にも刺さっていかない。
そこで溜まった鬱憤はどこに行くかと言ったら、木村花さんの問題も含めて、匿名性のネット世界で、徹底的に言葉の凶器で人を蔑めていく、殺めていく世界もある。とても無難な言説が飛び交っている世界と、二極化していると思います、僕は。
言葉の力というのは非常に難しくなっている。それでも、先ほど言ったことと矛盾するように聞こえるかもしれませんが、僕は言葉の力を信じたいと思いますし、言葉の訴求力というものはあると思っています。
それを教えてくれたのは『トーキングブルース』。僕が発案したわけじゃなくて、今の事務所の会長が「トーキングブルースというものをやるべきじゃないのか」と言ったことから、古舘プロジェクトのスタッフのおかげで、報道番組をやっているときはお休みしておりましたが、1980年代から今に至るまでやらせてもらっています。
僕ひとりが誰かに訴えかけようと思っても、それは微々たるものなんですが、今言ったように後ろに見えない人たちがいっぱいいて、僕は喋らせてもらっている。僕には見えないけども、ネット配信で聞いてくれてる人がいる。だから僕は言葉の総力戦として当たっていきたい。
ハレーションを起こしたり、炎上したり、自主規制の力が働いてしまうんですけれども、冷静さを持ちつつも、言うべきことは言わせてもらおうと思います。
■大切にしていることは「メリハリ」と「言葉は凶器になりうる」という意識
ーー最近はYouTubeやコメンテーターなど、活動の幅を広げていらっしゃいますよね。その理由やモチベーションを教えてください。
根本は単純です。僕は不器用な人間で、趣味もないし、喋ることだけなんですよね。僕のライフワークであり、仕事であり、趣味。僕から言葉を使って喋るというものがなくなった瞬間に、もう僕は存在が消えてなくなると思ってるんです。
だから、もう根本は、とにかくどんな仕事でもどんな場でも、踊れって言われたら、踊れないんですけども、喋れって言われたら喋る。もう僕の癖になってます。だから、あるときはコメンテーター、あるときはYouTube、いろいろなことをやらしてもらっていますが、全部一緒です、僕の中で。
これがないと生きていけないというか。喋りながら疲れて、喋りながら喋りのサプリメントをまた受け取る。放電しながら充電している。その繰り返しですね。
古舘伊知郎 『古舘伊知郎トーキングブルース-やっかいな生き物-』(2020年12月)公演写真
ーー喋る上で大切にされてることや気をつけていらっしゃることは?
まず喋るときに一番気をつけようと思っていることは、メリハリ。緩急です。言葉は意味を伝える、感情を伝えるという大事な役割もありますけど、もうひとつ大事な役割が、言葉の「肌理(きめ)」を伝えること。
僕があなたに「馬鹿野郎」と言ったって、どんな声音で言うかで、もう100万通りの解釈があるかもしれない。傷つけてしまったり、いい気持ちにさせたりすることもできるかもしれない。逆に綺麗な言葉を使って、傷つけることもあるでしょう。
メリハリも、そういう言葉の肌理に包括されていると思っているんです。大声で言わなきゃいけないとき、見得を切らなくてはいけないときもあれば、あえて小さい音で、トーンを落として、スローテンポで言った方が効く場合もある。喋りには振幅がありますから、そういうメリハリを大事にするということがひとつ。
あとは、自分はそんなつもりは毛頭ないといっても、傷つけたり、不快な思いをさせている可能性は十分あるということを考えること。それを考えると恐ろしくなって喋れなくなってしまうんだけども、とにかくギリギリまで、言葉は凶器になりうるから、気をつけなきゃいけないと思って、おろおろと気が小さい自分がいます。
それで、トークライブに出ていった瞬間から、世界一不遜な奴になって、メリハリを気にしつつ、一生懸命喋る。出る前までは世界一下手なトーカーだと思って、始まったら、世界一上手いぐらいの気持ちでね。それで、終わったら、あそこがダメだった、ここがダメだった……と振り返ります。
ーー今お話を伺っていて、メリハリを大事にされているのは、実況のご経験から。言葉が凶器になりうるというのは、報道番組のご経験からかなと思いました。
あぁ、そうかもしれないですね。自分では気づいていなかったですよ。それをひっくるめたものが、トーキングブルースなんですよね。
ーー最後に、配信を楽しみにされている方や、きっと初めてご覧になる方もいらっしゃると思うので、改めて意気込みや見どころをお願いします!
はい。5月13日に1日限りの配信を夜8時からやらせていただきます。絶対時間で言えば、1時間半から2時間の間で収まるかと思いますけれど、精神時間においては、長い・短いではなくて、「なんか刺さる」とか「疲れたけど、聞いてよかった」とか「馬鹿野郎ふざけんな! というところもあったけど、あそこは面白かった」とか、もう私がきりきりまいしながら喋る時間を楽しんでもらいたいと思います。
楽しんでもらわなきゃいけないので、私はもう本当に命がけで頑張らせてもらいたいなと思っています。物理的にはぽつんと私ひとりで無観客ですが、私だけやってるわけではなく、聞いてくださってる多くの方と、それから一緒に作ってくださってる多くの方の間で、私が中継ぎをやるんだという気持ちで。単体ではなく、チーム戦でやるという心持ちです。
失敗を恐れずに、目一杯頑張らせていただきたいと思います。
古舘伊知郎 『古舘伊知郎トーキングブルース-やっかいな生き物-』(2020年12月)公演写真
取材・文=五月女菜穂
配信情報
時間:20時
※ライブ終了後、アーカイブは5月16日(日)23時59分まで視聴可能
料金:3,000円(税込)
古舘伊知郎
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