「根底に愛がある」市川猿之助が『日蓮 ー愛を知る鬼ー』への意気込み語る~歌舞伎座『六月大歌舞伎』取材会レポート
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市川猿之助
2021年6月3日(木)より東京・歌舞伎座で、市川猿之助が演出・主演の『日蓮 ー愛を知る鬼(ひと)ー』が上演される。日蓮が登場する歌舞伎は、過去にもあるが、今回はスーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』、『新版オグリ』で脚本を担当した横内謙介が、新たな脚本で物語を構成する。
「日蓮さんはスーパースター。良くも悪くも色があります」
自らそう語るテーマを、猿之助はどのような歌舞伎にしてみせるのか。『日蓮聖人降誕八百年記念』の上演にあたり、池上本門寺で開催された取材会をレポートする。
■描かれるのは愛のある日蓮
「日蓮聖人は、世の中に果敢に関わりを持ちました。各宗を誹謗してまで、信仰をつき通そうとしたので、ややもすると戦闘的な面が強調されがちです。しかし、日蓮さんが、信徒の女性にあてた手紙を読むと、非常に優しく、信仰の問題に対しても気づかいがあり、愛を感じられます。戦闘的な面は、噓ではないかと思うほど。本作では、日蓮さんのそのような面を、強調して描きたいです」(猿之助。以下、同じ)
副題は「愛を知る鬼」。
「本気で怒り、本気で不満を抱くのは、愛があるからできることです。愛するがこそ怒る。日蓮さんは、日本という国への愛があったからこそ怒ったのではないでしょうか。副題では、鬼と書いて、“ひと”と読ませることにしました」
市川猿之助
日蓮宗では、鬼が仏に帰依して角(つの)を取ったことから、「鬼」の一画目の角(点)を打たずに表記するのだそう。本作の副題も、正しくは角のない「鬼」となる。
⬛︎大仕掛けを封印、心に沁みる芝居をみせたい
本作のオファーがあったのは、コロナ禍よりも前のことだった。
「このような事態になるとは、思いもしませんでした。大変な状況ではありますが、日蓮さんの、たび重なるご法難に遭いながらも“万難を排してでもやる精神” を支えに、初日から千穐楽まで興行ができますよう、無事を祈る次第です」
スーパー歌舞伎のような大仕掛けを期待する方も多いかもしれないが、今回は、感染症対策を優先し「大スペクタクルを封じている。そこを見てほしい」と猿之助。
「たしかに当初は、下から地涌の菩薩(じゆのぼさつ)がせり上がり、お題目の中を日蓮さんが宙乗りで……なんてクライマックスも考えました(笑)。しかし感染症対策のためには、人数は少ない方が良いです。大仕掛けの演出も避けたほうがいい。感染症対策で歌舞伎座が築いてきた信頼を、崩すようなことはしたくありません。その分、心に沁みる芝居をお見せします」
取材会では、同日に公開された特別ポスターも話題となった。
日蓮のカリスマ性と高潔さを想像させる特別ポスター。部屋に貼ればご利益がありそう(疫病も退散しそう)! 撮影:渞忠之
一見すると“心に沁みる系”とは異なる、鮮烈な印象を残すビジュアルだ。神々しい光の中、猿之助がふっと浮き上がるような瞬間がとらえられている。
「撮影当日のスタジオで、はじめて光の玉のセットを見た時は、僕も驚きました。すごいことになるよ? 後光が射しちゃうよ? って(笑)。このポスターでお客様をたくさん集めて、心温まる内容でお客様を感動させます!」
■平安時代の最澄、鎌倉時代の日蓮
日蓮は、1222(承久4)年に生まれ、1282(弘安5)年に入滅した。鎌倉時代には、戦乱や自然災害、疫病の流行、蒙古襲来など、数々の苦難が人々を苦しめた。本作には、若いころの蓮長(後の、日蓮)が登場する。
「劇中の蓮長さんの気持ちは、今の我々と重なります。目の前で病気で死んでいく人を救えない。死んでから極楽浄土に……ではなく、のどが渇いている人がいれば、すぐ水を飲ませ、倒れている人を即救うのが菩薩ではないのかと。宗教なんて人を救わないではないかと、蓮長さんは、疑問を持つようになります。そして現世を極楽浄土に変え、今を生きることを大切にし、生まれてきて良かったと言われる世の中に変えたいと、考えるようになります」
配役によれば、平安時代に、比叡山に登り天台宗を開いた最澄(市川門之助)も登場する。
「僕がリクエストしました。奇しくも今年は、最澄さんがお亡くなりになって1200年です。日蓮さんは、若い頃から比叡山で学び、最澄さんを心の師としていました。最澄さんの精神を一番受け継いでいるのが、日蓮さんです」
『日蓮』日蓮=市川猿之助 撮影:渞忠之
日蓮は比叡山での修行の後、山を下りて日蓮宗を広める。日蓮宗は、法華経のみを経典としている。
「最澄さんの有名な言葉に、“一隅(いちぐう)を照らす、これすなわち国宝なり” というものがあります。もともとは“一隅を守り、千里を照らすなり”だったそうです。ひとつのことを一所懸命にやれば、やがては千を照らすことになる。僕の想像ですが、日蓮さんは、この言葉に特に感銘を受けたのではないでしょうか。多くの経典を学ぶことも大事だけれど、法華経ひとつを突き詰めていくことが、やがて千を照らすことになる……と。日蓮さんが最澄さんの精神を受け継ぎ、恩を仇で返すようではあるけれども、法華経の教えを広めるために山を去る。あまり知られることのない、そんな日蓮さんの若い頃を描きたいです」
猿之助の言葉の力強さに、記者から、猿之助自身の信仰を問う意図の質問もあった。「先祖が日蓮宗、わけあって今は天台宗です(笑)。どちらともご縁があります。ただ僕自身は、ありがたいと思う言葉は、宗派関係なく何でも唱えます!」と答えていた。
■信仰と歌舞伎、日蓮と猿之助
自身の考えを、迷わず言葉にしてきた猿之助が、ほんの一瞬答えを考えたのは、仏教と歌舞伎の共通点を問われた時だった。
「明日にでも命を絶とうという人が、芝居を観て、明日死ぬのはやめて、もう1日生きてみようと思うことがあるかもしれない。宗教というよりは信仰に、そのような力があると思っています。歌舞伎に限らず、どんな仕事にもある力であるとも思います」
市川猿之助
猿之助が、日蓮に共感するところはあるのだろうか。
「日蓮さんは、誰よりも徹底的に学んだ上で、より良いものを生み出そうとしました。おそらく日蓮さんは一切経(お釈迦様の教えをすべてまとめたもの。膨大な巻数がある)を読まれたと思う。密教の求聞持法という修行(ひたすら真言を唱えるハードな修行)もされていますしね。他の宗派を、やみくもに否定したわけではありません。そして実践のために、山を下りた。真理に裏付けられた行動を、実践されています。根底に、愛がなければできないことです。歌舞伎に置き換えるなら、すべての古典を徹底的に学んだ上で、新作を創るということ。いい芝居とは……と理論を語るだけではなく、上演してお客様に観ていただく。ものを創る上での姿勢に、シンパシーを感じます」
取材会を通して、本作の出来に自信をうかがわせる猿之助であったが、「宗教の芝居だから、と敬遠される方もいらっしゃるでしょうね」と、魅力を伝えるむずかしさにも言及していた。
「日蓮さんはスーパースター。良くも悪くも色があります。これまで歌舞伎の日蓮さんは、最後に登場し、窮地を救うヒーローでした。しかし現実に大変なことが起きている今、それを見て共感できるでしょうか。それでコロナが収まるわけではありませんし、事実は変わりません。でも、事実に向かう僕らの心は、変えられると思っています。この世の終わりと受け取るのか。戦後の焼野原でも何とかなるさと、がんばる気持ちになれるのか。6月の芝居から、それぞれのお立場で、何かを持って帰っていただけたら嬉しいです。そのためにもお客様には、何かを持って帰ろうというお気持ちでご覧いただきたいです。求めなければ与えられない、ということですね」
市川猿之助
最後は、まさかの『新約聖書』の引用を思わせる遊び心で結ばれた。『日蓮ー愛を知る鬼ー』は、6月3日(木)初日より28日(月)千穐楽まで、歌舞伎座『六月大歌舞伎』の第三部で上演される。取材会のはじめと終わりに、講堂にまつられた日蓮聖人に深く一礼した猿之助の後ろ姿が印象的だった。
取材・文=塚田史香
公演情報
―愛を知る鬼(ひと)―