【訃報】歌舞伎俳優 中村吉右衛門さん 享年77

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2021.12.1
中村吉右衛門 /(C)松竹

中村吉右衛門 /(C)松竹


歌舞伎俳優の中村吉右衛門(なかむら・きちえもん、本名・波野辰次郎=なみの・たつじろう)さんが2021年11月28日(日)午後6時43分、都内病院で死去した。松竹が12月1日に発表した。享年77。尾上菊五郎は四女の夫・尾上菊之助の父、二代目松本白鸚は兄、十代目松本幸四郎は甥。葬儀は親族葬にて執り行う予定。

吉右衛門さんは、八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男。のちに母方の祖父、初代中村吉右衛門の養子となる。昭和23年6月、東京劇場『御存俎板長兵衛』の長松ほかで中村萬之助を名乗り初舞台。昭和41年10月帝国劇場『祇園祭礼信仰記 金閣寺』の此下東吉ほかで二代目中村吉右衛門を襲名。

歌舞伎界を代表する立役の一人として深い人物造形と巧みな台詞術で魅了し、『熊谷陣屋』熊谷直実、『仮名手本忠臣蔵』大星由良之助、『菅原伝授手習鑑』松王丸、『梶原平三誉石切』梶原平三、『一條大蔵譚』一條大蔵長成、『盛綱陣屋』佐々木盛綱、『俊寛』俊寛僧都、『籠釣瓶花街酔醒』佐野次郎左衛門、『天衣粉上野初花』河内山宗俊、『極付幡隨長兵衛』幡隨院長兵衛、『勧進帳』武蔵坊弁慶など数々の当り役を持つ。初代中村吉右衛門の俳名、秀山(しゅうざん)にちなみ、生誕120年を記念して平成18年9月から始まった「秀山祭」では、初代以来の当り役に挑むほか、次世代を担う後進の指導も行う。また、先祖所縁の松貫四(まつかんし)の筆名で数々の作品で脚本などを手掛ける。

平成18年から24年まで文化庁の舞台芸術体験事業に参加し、全国各地の小学校をまわり、小学生に歌舞伎の楽しさを伝える活動も行う。映像作品ではドラマ「鬼平犯科帳」に平成元年から28年まで、実父の初代白鸚も演じた長谷川平蔵役で主演し、人気シリーズとなる。最後の舞台は令和3年3月歌舞伎座『楼門五三桐』石川五右衛門。

昭和59年芸術祭賞優秀賞、日本芸術院賞、平成14年日本芸術院会員、平成14年度芸術祭演劇部門大賞、平成23年重要無形文化財保持者各個認定(人間国宝)、平成29年文化功労者。令和2年日本放送協会放送文化賞。平成25年より公益社団法人日本俳優協会専務理事をつとめた。
 

尾上菊五郎 コメント

長い役者人生を全身全霊で頑張られました。
再び、一緒に舞台に立てることを願っていましたので残念でなりません。
これまで幾度も同じ舞台に立ちましたが、菊之助の結婚を機に、縁あって親戚となり、孫の丑之助も生まれ、初お目見得や初舞台では共に孫の成長を喜び合いました。平成最後の舞台では『鈴ヶ森』で私が白井権八、播磨屋さんが幡随院長兵衛を勤めたのも深く印象に残っています。
本当にお疲れ様でした。

松本白鸚 コメント

別れは何時の刻も悲しいものです。
今、とても悲しいです。
たった一人の弟ですから。
幼い頃、波野の家に養子となり、祖父の芸を一生かけて成し遂げました。
病院での別れの顔は、安らかでとてもいい顔でした。
播磨屋の祖父そっくりでした。

松本幸四郎 コメント

叔父のお顔を見た時、初めて涙が溢れてきました。
80歳で「勧進帳」の弁慶を勤める。必ず復活されてご自身の目標に向かわれる日が来ると信じていましたので、訃報を聞いてすぐにはこの事実を受け入れられる自分ではありませんでした。
叔父は先人を敬い、その芸を体現し、芸術である歌舞伎を進化されてこられました。
叔父の芸を永遠のものにするために、教えていただいた我々がその情熱を心に刻み舞台を勤めて参ります。
いずれも様には、叔父をご愛顧くださり心より御礼申し上げます。

 

謹んでお悔やみ申し上げます。

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