二世中村吉右衛門を偲び、縁の深い俳優が競演~充実の歌舞伎座『秀山祭九月大歌舞伎』観劇レポート
『一本刀土俵入』駒形茂兵衛=松本幸四郎 /(C)松竹
歌舞伎座で『秀山祭九月大歌舞伎』がはじまった。二世中村吉右衛門三回忌追善として、吉右衛門ゆかりの演目に、ゆかりの深い俳優たちが出演する。
■昼の部 午前11時~
一、祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)金閣寺
中村米吉が初役で、中村児太郎が5年ぶり2度目の雪姫をつとめる『金閣寺』。観劇した3日は米吉が雪姫を、児太郎は中村福助に代わり慶寿院尼をつとめた。
舞台下手側の庭に、満開の桜の木。その奥に滝がある。正面の建物が金閣寺だ。金屏風に2頭の虎が大胆に描かれた部屋で、大悪党の松永大膳(中村歌六)と弟の松永鬼藤太(中村種之助)が優雅に碁をうっている。大膳は、主君だった将軍を殺害し、その母・慶寿院を人質に金閣寺をのっとっている。さらに絵師の狩野之介直信(尾上菊之助)の妻であり、雪舟の孫娘にあたる雪姫に横恋慕。狩野之介を牢に入れて、雪姫は豪華な一室に幽閉。自分のものになるか、天井に龍の絵を描くかと迫る。そこへ大膳の家臣・十河軍平(中村歌昇)が、此下東吉(中村勘九郎)を連れてくる。東吉は、大膳に奉公したいと申し出るが……。。
『祇園祭礼信仰記 金閣寺』(左より)此下東吉後に真柴久吉=中村勘九郎、松永鬼藤太=中村種之助、松永大膳=中村歌六、雪姫=中村米吉、十河軍平実は佐藤正清=中村歌昇 /(C)松竹
大膳を初役でつとめる歌六。行いの極悪さと、それに不釣り合いなほどの芯からの落ち着きが、知性と色気を醸し出す。登場のたびにギアを上げ、スケールの広がりをみせていった。本作の世界観の土台となり、個性的な登場人物たちをひとつにまとめあげる。勘九郎の東吉は涼やかな目元に、リズミカルでキッパリとした身のこなし。三味線にのり動きがひとつ決まるたびに、スタンディングオベーションしたくなる鮮やかさだった。物語を爽快に切り拓いていく。
米吉の雪姫は(思えば手厚い幽閉環境であったが、それになびくことはなく)、大膳に対して歌舞伎らしいお姫様ではじまる。慶寿院や狩野之介への思いを語る姿には芯の強さがあり、大切な太刀を目にしてからは、血が通いはじめたかのように生気がみなぎりはじめる。物語もドライブする。歌舞伎の女方には、性の倒錯による演出効果があると聞くが、米吉の雪姫は一周して倒錯なしの純然たるお姫さま……と勘違いするほどもう一周倒錯する、可憐さと色気。桜が舞い散る中、つま先で鼠を描く姿は吸い込まれるようだった。
『祇園祭礼信仰記 金閣寺』雪姫=中村米吉 /(C)松竹
狩野之介は、そんな雪姫とぜひ幸せに添い遂げて欲しい、儚さを併せ持つ美しさ。米吉とWキャストで雪姫をつとめる児太郎は、この日、代役の慶寿院で近寄りがたいほどの気品をみせた。極悪とゴージャスと桜吹雪が飽和する世界で、2人の雪姫をぜひ見比べてほしい。
二、新古演劇十種の内 土蜘(つちぐも)
松本幸四郎が初役で、僧の智籌(ちちゅう)実は土蜘の精をつとめる。舞台は源頼光の館。原因不明の病におかされた頼光(中村又五郎)を、側近の平井保昌(中村錦之助)が見舞いにくる。太刀持ちは中村種太郎。長袴をはきこなし立派に舞台をつとめた。侍女の胡蝶(中村魁春)が薬を届けにくると、頼光に頼まれ京都の景色を踊ることに。格調高く雅やかで、平安の絵巻物の世界のようだった。
『土蜘』(左より)源頼光=中村又五郎、叡山の僧智籌実は土蜘の精=松本幸四郎 /(C)松竹
幸四郎の智籌は静かに登場する。花道近くの客席の人がまず気がつき、その隣の人が気がついて……。ほの暗い客席に静かに広がるリアクションは、智籌の特別な力が波紋のように広がっていくようだった。幸四郎の智籌は「いかに頼光」の第一声から、不気味さの中に色気があった。美麗で妖しい僧は正体を見破られ、頼光たちに狙われる。蜘蛛の糸を放ち消えてしまう……。
『土蜘』叡山の僧智籌実は土蜘の精=松本幸四郎 /(C)松竹
間狂言は、番卒の太郎に市川高麗蔵、次郎に中村歌昇。藤内に中村勘九郎、巫女の榊に中村児太郎(Wキャスト:中村米吉)も揃う。ふふっという一瞬の微笑みにつられて、朗らかな心持ちに。石神実は小姓四郎吾に中村秀乃介。大薩摩の演奏で場面は変わって、頼光一行が土蜘退治へ。四天王は渡辺綱(大谷廣太郎)、坂田公時(中村鷹之資)、碓井貞光(中村吉之丞)、卜部季武(中村吉二郎)。勇壮な立廻りでクライマックスに向けた盛り上がりを加速させる。左右に千筋の糸が広がる幕切れは壮観だった。
三、秀山十種の内 二條城の清正(にじょうじょうのきよまさ)
加藤清正と豊臣秀頼の、束の間の心の交流を掬い上げる「淀川御座船の場」。かつて秀吉に仕え、今は老境に入った清正に松本白鸚。秀吉の息子で、豊臣家の命運を託される秀頼に市川染五郎。劇中で「じい」「若様」と呼び合う2人を、実際の祖父・孫の関係にある2人がつとめる。同船する斑鳩平次に松本錦吾。
『二條城の清正』(左より)加藤清正=松本白鸚、豊臣秀頼=市川染五郎 /(C)松竹
一発の銃声が鳴り、静かに幕が開く。夜の淀川を大きな御座船が下っている。甲板で、周囲を警戒するのは清正。この日、京都・二條城で家康と秀頼の対面があった。清正は、豊臣家の存続と和平を願いその場に同席したが、徳川からの追手が秀頼を狙い、船を追いかけているらしい。冒頭の銃声も、清正が追手に向けて撃ったもの。辺りが落ち着いた頃、船上の屋形から秀頼が現れる。2人は心の内を言葉にしはじめる……。
『二條城の清正』(左より)豊臣秀頼=市川染五郎、加藤清正=松本白鸚 /(C)松竹
白鸚の清正は、静かに語る。その静謐な言葉は歌舞伎座を包みこむほど大きく、清正の人生を背負うような重みがありながら、大河のように豊かに穏やかに流れていく。秀頼が幼かった頃の追憶から湧き上がる嗚咽まで、この夜に至る長いドラマを見てきたかのように胸に迫った。染五郎の秀頼は、姿も心も月の光のような品と輝きを放っていた。秀頼が清正へ向ける曇りのない言葉は、フィクションと現実の分け隔てなく響いて聞こえた。史実に基づけば、本作は大坂の陣のおよそ3年前を描いている。戦国時代がもうすぐ終わる。清正と秀頼が大坂城を「美しい」と眺める2人の姿は、寂しくも忘れがたい美しさだった。
■夜の部 16時30分~
一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)車引
『菅原伝授手習鑑』全五段のうち、三段目にあたるエピソードだ。松王丸に中村又五郎、梅王丸に中村歌昇、桜丸に中村種之助の親子で三つ子の兄弟をつとめる。3人は仕えた主人が敵対関係となったことから、兄弟も立場上、敵と味方に分かれてしまう。梅王丸と桜丸が近況を伝え合うところに、金棒引藤内(中村吉二郎)が声をはりあげ通りかかり、梅王丸と桜丸の共通の敵・時平が吉田神社に来ることを知る。時平の舎人・杉王丸(中村鷹之資)の力強い守りもものともせず、藤原時平(中村歌六)の行く手を阻もうとするが……。
『菅原伝授手習鑑 車引』(左より)桜丸=中村種之助、松王丸=中村又五郎、梅王丸=中村歌昇 /(C)松竹
歌昇の梅王丸は、はちきれんばかりにエネルギッシュだった。全力で泣く赤ちゃんのように力を漲らせながら、筋隈の顔はハッとする美しさ。梅王本人は怒りにふるえているが、見ているととにかく明るく、楽しい気持ちになる。種之助の桜丸は芯のある声と佇まい。梅王丸が熱風を巻き起こさんばかりの飛び六方で花道を出ていった時、その後を桜丸は蝶のように儚げに追いかけていった。端正で詩的な趣。
『菅原伝授手習鑑 車引』(左より)桜丸=中村種之助、藤原時平=中村歌六、松王丸=中村又五郎、梅王丸=中村歌昇、杉王丸=中村鷹之資 /(C)松竹
松王丸が登場した時は、これほど品のある花形俳優さんがいただろうかと思わず配役を確かめた。又五郎は、若々しく厚みのある松王丸で舞台を引き締めた。最後に歌六の時平がお芝居全体の格を一段あげた。吉右衛門と縁の深い俳優たちによる、華と勢いのある舞台が「夜の部」の序幕を飾った。
二、連獅子(れんじし)
狂言師右近後に親獅子の精に尾上菊之助、狂言師左近後に仔獅子の精に尾上丑之助の『連獅子』。作品の前半と後半をつなぐ「宗論」は坂東彦三郎と中村種之助。
『連獅子』(左より)狂言師右近後に親獅子の精=尾上菊之助、狂言師左近後に仔獅子の精=尾上丑之助 /(C)松竹
松羽目の舞台にあらわれた菊之助は明鏡止水の佇まい。続く丑之助も凛とした表情だった。ふたりは粛々と稽古を重ねてきたに違いない。丁寧に、研ぎ澄まされた美しさを魅せる。丑之助に緊張や興奮はみられなかった。そのようなものは微塵もみせまいという、プロ意識さえ感じさせた。客席の方が肩に力が入っていたかもしれない。丑之助がソロパートを踊りおさめた時、周囲から安堵のため息が漏れ聞こえ、ほとんど同時にワッと拍手がおきた。狂言師の親獅子が谷を見下ろし、その肩越しに仔獅子が顔をのぞかせた時、まだ可愛らしい子どもの身体だと改めて気がついた。9歳9ヶ月、本興行としては最年少の『連獅子』だ。
『連獅子』(左より)狂言師左近後に仔獅子の精=尾上丑之助、狂言師右近後に親獅子の精=尾上菊之助 /(C)松竹
菊之助は、前半では親子の情愛、そして獅子の目線の先に広がる荘厳な景色をみせる。谷底から仔獅子が駆け上がってきた時や、花道で仔獅子の背中を見送った時の優しい顔が印象的だった。後シテの白い獅子が花道より登場した時は、どよめきが起きた。赤い仔獅子も揃うと場内は熱を増し、力強い長唄と高め合い、一気に幕切れへ。親獅子の白く長い毛は、ゼロモーションで強い風に吹かれるような弧を描いていた。神秘的な空気のまま熱い拍手で結ばれた。
三、一本刀土俵入(いっぽんがたなどひょういり)
吉右衛門の当たり役だった駒形茂兵衛を、甥の松本幸四郎がつとめる。幸四郎は、この日2つ目の初役の大役だ。主人公は幸四郎の茂兵衛で、ヒロインは中村雀右衛門のお蔦。その2人を含む登場人物全員が、美化されることなく、しかし生き生きしていた。
物語の前半は、茂兵衛が取的(とりてき。相撲取り)の卵で、横綱を目指し江戸へ向かうところ。幕開きのワーワーという喧嘩騒ぎの、芝居らしい賑やかさ。これに紛れて茂兵衛は登場する。取手宿の安孫子屋の2階の窓が開いた時も、ひとりの茶屋女としてお蔦はそこにいた。
『一本刀土俵入』(左より)駒形茂兵衛=松本幸四郎、お蔦=中村雀右衛門 /(C)松竹
茂兵衛とお蔦は、物理的にロミオとジュリエットのバルコニーのような距離感で出会い、それ以上一歩も近づくことなく別れる。幸四郎の茂兵衛は心優しく、とぼけたまま正論を言えば愛嬌があり、「一所懸命だもの」との言葉に思いがけないほどの説得力があった。お蔦が茂兵衛を励まし、お金やかんざしをあげてしまいたくなる気持ちも分かる。ただ、お蔦が、情深さと思い切りの良さだけで、あれもこれもあげてしまったとは思えない。やけっぱちとも思えない。希望と諦めの入り混じった心情を、雀右衛門のお蔦にみた。序幕の幕切れ、お蔦が背中越しに聴かせるおわら節が、静かに郷愁を誘った。後半では愛情深さはそのままに、生活は苦しくとも憑き物がおちたような表情をみせる。
物語の後半は、10余年後。博徒となった茂兵衛が、取手宿に近い布瀬川の渡し場を訪れ、老船頭(中村東蔵)、清大工(松本錦吾)、若船頭(大谷廣太郎)に、お蔦の行方を聞く。名前もない船頭や大工との他愛ないやり取りが、どこまでも心地よかった。老船頭に言わせるならば「人がひとり駆けていっただけ」の風景に、生活感のすべてがあり、川辺の草の匂いまで届きそうだった。茂兵衛は、ついにお蔦を見つけるが……。
波一里儀十に中村錦之助。行方不明になっていたお蔦の夫・船印彫師辰三郎に尾上松緑(国立劇場と掛け持ち出演!)。儀十が緊迫感を生み、辰三郎がドラマにメリハリを生んだ。子分の堀下根吉に市川染五郎。
『一本刀土俵入』(左より)駒形茂兵衛=松本幸四郎、お蔦=中村雀右衛門、船印彫師辰三郎=尾上松緑 /(C)松竹
前半では、腹ペコで泣きべそでお蔦に見送られた茂兵衛が、後半ではお蔦を見送り、茂兵衛なりの土俵入りをみせる。泣きべそも、旅人風の侠客もよく似合う幸四郎の茂兵衛。侠客になっても幕切れの目は涙に濡れ、心は変わっていないことを物語っていた。
吉右衛門がいない、2度目の秀山祭。昨年も今年も、吉右衛門の不在を感じざるを得ない瞬間はあった。しかし今年は、それよりも吉右衛門という名優がいたこと、受け継ぐ俳優がいることに、深く感謝する時間となった。『秀山祭九月大歌舞伎』は歌舞伎座、9月2日から25日まで。
取材・文=塚田史香