若葉町ウォーフ開場5周年記念企画『控室 Waiting Room』──演出家・佐藤信と俳優・渡辺修に聞く
若葉町ウォーフ開場5周年記念企画『控室 Waiting Room』(佐藤信作・演出)俳優の渡辺修。 撮影:姫田蘭
若葉町ウォーフが開場5周年を記念して、ひとり芝居を連続上演する。2本目は佐藤信の戯曲第一作『控室 Waiting Room』だ。渡辺修はこのひとり芝居に20代のはじめで挑戦し、70歳を目前に控えて、再び挑戦することになった。約半世紀ぶりに『控室』に挑む演出家・佐藤信と俳優・渡辺修に話を聞いた。
■コロナ禍でもお客さんが劇場へ来てくれる
──開場5周年記念公演として、ひとり芝居を2本企画された動機はどんなものですか。どちらの舞台も、大ベテランの俳優さんで、ご自身でもプロデュース公演を重ねてこられた方々が演じられます。
佐藤 ウォーフにとっては、コロナの期間は上演が難しくて、そんななかでもとにかく活動をとめたくなくていろいろ工夫をしてきましたが、つくづく感じたことは、こういう状況のなかでもお客さんがいらっしゃるということです。芝居を見るには困難な状況なのに、マスクをかけたり、検温や万一のための住所録に記入したり、いろいろな面倒があるのに来てくださる。
改めて、自分たちが芝居を何のためにやっているのかを、お客さんから問い返される。とにかくお客さんが来てくださるわけですから、そのお客さんに向けて自分が何をやっているかについて問い直してみる必要があると思いました。
そこで、芝居を長く続けていますが、最初に活動を始めたころ、いっしょに過ごした仲間たちと舞台を作りたくなった。月並みですが、原点に返るというか。
もうひとつは、今後の芝居を考えたときに、このウォーフの小さい会場で持続的に上演できるレパートリーを作っておきたいと思った。この空間でなければできない舞台構成にもこだわって、ここでなければ見られないかたちで、小さい芝居を立ちあげたいと思ったんです。
──「小さい芝居」で思い出すのは、渋谷ジァン・ジァンの10時劇場です。たとえば、中村伸郎さんが演じられたイヨネスコの『授業』とか、別役実さんの新作も上演されていました。いまはもうありませんが、懐かしく思い出されます。
佐藤 そういう雰囲気の、小劇場が最初に持っていたもの……小劇場は華々しい面だけが言われていますが、鈴木忠志さんの早稲田小劇場もそうだし、ぼくらもそうでしたが、最初は本当に30人とか40人のお客さんが見にくるだけでした。
串田(和美)さんのオンシアター自由劇場もそうでした。『上海バンスキング』が生まれるまでの何年間かは、少ない人数で。そこに柄本(明)君、笹野(高史)君とか、いま活躍してる人がいた。それもひとつの演劇の原理的な活動かなと思って、そこへ立ち戻ったということです。
若葉町ウォーフ開場5周年記念企画『控室 Waiting Room』(佐藤信作・演出)のチラシ。
■約50年ぶりの再挑戦
──『控室』は渡辺さんご自身でも企画して、上演されていますが、この作品に挑戦してみようと思われたきっかけについて教えてください。
渡辺 ぼくが第七病棟という劇団に入って芝居を始めたとき、『控室』を役者修行としてやらされたんです。そのとき、台詞に出てくる「お前は誰だ!」という問いは、「私は誰だ!」ということでもあると思うので、稽古中もずっと問われつづけていました。「お前は役者をやりたいのか?」とか、「お前は男として……」とか、「お前は人間として……」とか、そういう問いを投げかけられる。これは役者修行ではないんじゃないかと思わせられるくらいに(笑)。
そういうことが第七病棟にとってのテーマだったと思うんですが、そのときの問いに自分のなかでずっと残っている部分があって、芝居を始めて最初にやったことを、もう一度、70歳を前にしてできるかなと考え始めました。若い人が演じる台本だと思うんですけど、無謀な挑戦をしてみようと思って、一昨年、信(まこと)さんに「ちょっとジジイの『控室』を考えているんですけど」と言ったら、快く了解してもらえたので……
──佐藤さんが『控室』をお書きになったのは、22歳とありましたが……
佐藤 そうですね。
──渡辺さんが初めてこの作品に取り組まれたのは?
渡辺 やっぱり、22、23歳で、卒業する手前だったんです。とても内容には届かない学生だったんですけど。
──今回の再挑戦は、最初の挑戦から数えると何年後になるでしょうか。
渡辺 第七病棟で初めて挑戦してから、47、48年ぐらいだから、ぎりぎり50年にはなってない(笑)。
──それだけ時間をおいて、再び同じ役にトライするのは、なかなかない体験ですよね。
渡辺 最初のときは1日だけ。劇団員が5人いて、ひとり1日ずつの5回公演だったんです。去年にシアターXでの公演も1日だけだったので、約50年かけて2回しか上演していないことになる(笑)。
──半世紀で2回。ものすごく貴重な舞台ですね。
渡辺 今回は5日間やれるので、初めての経験なんですよ。
■メタファーとしての「控室」
──『控室』では、選手に向かって「お前は誰だ!」と問うシーンがあったり、試合の準備をする過程でも、「戦う俺」と「それを準備する俺」といったように、ひとりの「俺」に対する視点が複数に分かれているところがあります。そういうところも見どころかなと。
渡辺 「控室」というのは、いろんな意味にあてはまる。自分も常にどこかの「控室」にいるような気もする。役者としては、舞台に出る前の楽屋とか、あるいは稽古場とか。心理的にはそういうメタファーとして思っているところもあります。
主人公はずっと勝ち続けてきた選手だけど、ぼくはどちらかと言うと戦いもしないし、舞台にもあまり出てない。ただ、時間だけは長く、役者だと言っている。
──「続ける」という、いちばんシビアな戦いに挑まれているのではないですか。
渡辺 ぼくが信さんと初めて会ったのが、第七病棟の旗揚げの『ビニールの城』のときで、そのときに信さんが「芝居は続けなきゃいけないんだよ」と言ったことを覚えていて、そういう感じで続けているところはありますね。
佐藤 それは若いころから思ってることなんですけど、芝居はやめてしまっても、たとえば、そのことで人が死んだりしない。だから、極論すると、本番をやると言って、そこで逃げちゃったとしても、大きな被害を誰にも与えない。高くても1万円ぐらいの入場料だから。ただし、もう二度とできない。そういう仕事は他にはないから、続ける意志を持っていないと。この人は芝居を続けるだろうという信頼が、世のなかの人が演劇をやっていることを認めてくれているという意味でね。
だから、若いころから、芝居を上演するなら、どんなことがあってもやめない。ところが、コロナで芝居を中止することがたくさん起きましたよね。これはすごく珍しいことだと思います。演劇が生まれてから、どんなことがあっても、たとえ役者がひとり死んでも、代役を立てて上演していた。能の後見がそうです。能の後見は、シテが倒れた場合に備えて、すぐにできる人が後方に座っている。
──たしかに、囃子方にも後見がいます。
佐藤 必ず控えがいる。これは本番は必ず実現させなければならないということだと思う。でも、コロナのときには上演がいくつも中止になった。これはすごく大きいことだなと思って。ぼくはコロナのなかでもなんとか続けられるようにと思いながら、この施設を運営していたんです。ここで演劇は大きな試練のときを迎えたと思いますね。
■戦う男の内面と外見の乖離
──戦う男の内面と外観がぜんぜんちがって見えるという台詞がいくつかありますが、こういう場面はどう演じようと考えていますか。
渡辺 だいたい、若くてイケイケの戦士を、70歳前のぼくがやるということ自体、それだけで乖離しているんですけど、それに戦う、人を殺すという……
──映画の『グラディエーター』、つまり剣闘士のように、選手の仕事は生と死が色濃く現れるものですね。
渡辺 人が死ぬということ、あるいは殺し続けるということは、いまでも世界では起こっていることじゃないですか。
──競技ではなく、一対一という形式ではないとしても……
渡辺 たとえばウクライナでも、ロシアが憎いとか言いながら、塹壕で隠れているのはやっぱり怖いだろうし。そういうジレンマであったり、愛国心と戦わなくちゃならない国民の意味といったアンビバレンツな感情や葛藤はあると思うんですよ。そういう葛藤は、ボクサーにもあるだろうし、グラディエーターだってあるだろうし、常にあるものだと思うんです。役者でも、よほど稽古を積んでいたとしても、本番前は不安だし。
佐藤 楽しそうにやってるとか言われてもね、実際はぜんぜん楽しくじゃない。内面はそれどころじゃない(笑)。
渡辺 そんな愚痴みたいなことを言うところもありますけどね。
■「終らない終り」を生きる
──本来『控室』は、『ハロー・ヒーロ!──終らない終りについての三章』のなかの第2章に当たる作品で、『イスメネ』『控室』『地下鉄』の3部で構成されています。『イスメネ』は主に『アンティゴネー』、『地下鉄』は複数の作品が混じってる感じで、『控室』は「お前は誰だ!」という問いから考えると『オイディプス王』のようですが、内容的には別の作品ですよね。
佐藤 これは全体にオイディプスとアンティゴネーの話なんだけれども、『地下鉄』はオイディプスの内面を描いてみたんです。つまり、追放されても、まだ生きつづけなければいけない。
『控室』はアンティゴネーのふたりの兄で、どちらも同じように戦い、同じように死ぬわけだけれど、片方は豪華に埋葬され、もう片方は放置される。兄たちのふたつの死が、戦いの裏表のように感じて、そこからお兄さんの世界を書こうと思ったのが最初の着想だったんです。だから、ひとりの戦士の、兄弟なんだけど裏表みたいなものでやっていったらどうだろうかと思って。
そのときに、ギリシア悲劇は悲劇だから運命で死ぬことがテーマになっている。「終らない終りについての三章」という副題が付いてますが、ぼくがそのころ思っていたのは、原爆があっても世界が終らなかったこと、その怖さみたいなものです。で、いつしかそのことさえ忘れている。ぼくが60年代に書いたのは、日本が原爆を受けたことを世界中が忘れている。忘れてしまって生きつづけるということ、そんなこともテーマになっていたんです。
──続けるという先ほどのお話ともつながってきますね。
佐藤 続けることは変化することでもあるから、変化しないと続けられないんですけど、何のために変化するかというと、変化しないために変化するということを忘れないようにしたい。
小さい芝居へのこだわりは、ぼくはすごく持っているんです。神楽坂のイワトでの作業とか、中野のテレプシコールでの作業が、自分の創作活動としては基本だと思っているので、これからもそういうやりかたにこだわりたい。それがぼくにとっての続けるということです。
──最後にお客さんにひと言いただけますか。
渡辺 ぼくは69歳で、まもなく70歳になるんですけれども、信さんが22歳で書いたときの台本に体当たりをして、砕け散る思いでやりますので、ぜひ見にきてください。
佐藤 最初はね、年齢のことも考えて、変化球というか、元のテキストとは違った設定にひねった上演を考えたりもしたんですよ。でも、稽古をしていくうちに、いっさいそういうことなしに、真正面からそのとおりやってみようかと。ぼくたちの芝居は、ある種の体当たりみたいな、自分をそのままバーンとさらけ出すというものだから、そこでうまいとか、雰囲気があるというんじゃなくて、70年代演劇的に愚直にやってみようと思っています。
取材・文/野中広樹
公演情報
波止場のひとり舞台
■作:別役 実
■演出:佐藤 信
■出演:龍 昇
■日程:2022年6月9日(木)〜13日(月)
6月9日(木)19:00
6月10日(金)19:00
6月11日(土)14:00
6月12日(日)14:00
6月13日(月)14:00
『控室 Waiting Room』
■作・演出:佐藤 信
■出演:渡辺 修
■会場:若葉町ウォーフ
■日程:2022年6月16日(木)〜20日(月)
6月16日(木)19:00
6月17日(金)19:00
6月18日(土)14:00
6月19日(日)14:00
6月20日(月)14:00
■公式サイト:https://wharf.site/solo/