ドビュッシーのオペラ《ペレアスとメリザンド》が新国立劇場で開幕へ 〜ある女が見た夢についての物語【ゲネプロ・レポート】

2022.7.1
レポート
クラシック
舞台

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより (撮影:長澤直子)

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現実としか思えないほど精巧で写実的なのに、そこに少しずつ奇妙な事象、不吉な出来事が混じってくる夢がある。本人は夢とは知らずに、現実だと思ってその世界を生きている……。

ケイティ・ミッチェル演出の《ペレアスとメリザンド》は、このオペラを全て〈メリザンドの夢〉として捉えた舞台だ。それはよくある、主人公が最後にはっと目覚めて「ああ、夢だったのか」となる枠組だけではない。もともと台本に含まれるいくつもの不思議な暗示に、ミッチェルは、現代的でフェミニズムに立脚した切り口で、新たな光を当てているのだ。

2022年7月2日(土)に初日を迎える、ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》の最終総稽古(ゲネプロ)が先日、新国立劇場 オペラパレス で行われた。この記事ではそのリハーサルの様子をお伝えする。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより


オペラのあらすじはこうだ。時代がはっきりしない中世の架空の国アルモンド、王子ゴローは森で狩りをしている最中に、泉のほとりで泣いている美しい乙女メリザンドと出会い、彼女を連れて帰る。ゴローはメリザンドと結婚し、アルモンド国の城に戻ってくるが、そこには異父弟のペレアスがいた。しだいに惹かれ合うペレアスとメリザンド。二人の関係に気がついたゴローはペレアスを殺め、メリザンドは女児を出産したのち、息絶える。

今回のプロダクションの時代設定は(おそらく今より数十年前の)現代。幕が開くとそこはホテルの一室で、ウェディングドレス姿の若い女性が独りで入ってくる。彼女はティアラがついたヴェールを手に持ち、ベッドに腰をかけると呻き声を上げる。大変な一日で緊張が続いたからだろうか、鼻血が出てしまったのだ。白いハンカチで出血をおさえた後で、彼女はベッドに静かに横たわる。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

ここまでの動きは沈黙の中で行われ、彼女が眠りに落ちると、やっとオーケストラが演奏をはじめる。いにしえの、遠くの国を思わせるような特徴のある旋法の響きによって、私たちはゆっくりと夢の世界に沈んでいく。

舞台は最初に見えた部屋と、バルコニーになっているその二階部分、それに加えて下手側(客席から見て左側)には控えの間、もしくは地下に続いている螺旋階段などが現れる。また泉や海の場面で使われるのは、水がほぼ抜かれた古びた室内プールである。これらの場面が、物語の進行に従って次々と現れたり消えたりするのだ。舞台の裏方による非常に精密な仕事の上に成り立っているであろう転換が、ある時には美しく、ある時には不気味な雰囲気を持って、メリザンドの夢を彩る。美術、衣裳、照明、振付などが連携した、効果的な舞台であった。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

オペラ《ペレアスとメリザンド》はドビュッシーの同時代人である、ベルギーの象徴派詩人メーテルランクの戯曲を、一部分カットはあるものの、そのまま台本に使用している。メーテルランクのフランス語は平易なものだが、不思議な、暗示的な出来事があちこちに含まれている。メリザンドの王冠や指輪の持つ意味、メリザンドを乗せてきた船の出航、3人の物乞いたちや羊の群れ、言及されるだけで舞台には登場しないペレアスの父が長い危篤状態の後に物語の最後で回復すること、メリザンドが歌う「私は日曜日の正午に生まれた」という歌と、メリザンドがゴローから贈られた指輪を泉に落とす時間、それと同時にゴローが落馬する時間が正午で一致していること、メリザンドにだけ見える暗闇の一輪のバラなど、提示された謎の意味は最後まで示されず、鑑賞者はそれぞれ自分なりの答えを見つけなければならない。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

オペラそのものがこのように多くの謎を含むうえに、ミッチェルの演出はさらなる謎を重ねていく。メリザンドが夢の中で起こっていることを俯瞰して眺めているのを象徴するように、舞台には二人のメリザンドが登場し、他の登場人物たちも、本来いるはずのない場面に現れる。メリザンドはゴローに贈られた指輪を、ペレアスと泉で遊んでいる最中に水の中に落としてしまうのだが、なぜか彼女の指にはその後にも指輪がはめられている。一番謎めいているのは赤ん坊の存在だ。物語の最後、メリザンドは息を引き取る前に女児を出産するのだが、この演出ではとても早いタイミングでメリザンドのお腹に赤子がいることが示されたり、彼女の姿がまた元に戻ったり、あるいは、さまざまな登場人物が赤子を抱いたりする。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

メリザンドの視点で語られているミッチェル演出は、彼女に対する男たちの性的な視線を見逃さない。ゴローとペレアスだけでなく、アルケル老王までがメリザンドに性的なアプローチをする。ゴローがメリザンドに暴力を振るう場面では、アルケルはなすすべもなく佇み、ゴローとペレアスの母ジュヌヴィエーヴは、ペレアスを全身で押しとどめる。そしてショックを受けるのは、ゴローのイニョルドへの扱いだ。弱者への支配を性暴力で行うのは、何も昔の話だけではない、そしてそれは家庭内でも起こり続けているということを、ゴローのイニョルドへの一瞬の接触で理解させるのだ。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

性はしかし、恐ろしいものとしてだけ描かれるわけではない。このオペラが持つエロティシズムは、男性の側からすればメリザンドの曖昧さにあるのだとすれば、ミッチェル演出は、女は本当に好きな相手には受け身なだけではない、という真実を、メリザンドのペレアスへのアプローチで表現するのだ。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

ここまで演出のことを書いてきたが、音楽面はどうだろうか? 《ペレアスとメリザンド》の音楽に表現されているのは、汎神論的な人間の感性であり、ドビュッシーが《ペレアスとメリザンド》という題材にひかれ、長い年月をかけてメーテルランクの暗示に満ちた世界を音楽にしていった成果は、ささやくような幽けき世界から、嫉妬や暴力の表現まで幅広い。言葉の抑揚をそのまま音楽にしたようなこの作品は、いつの間にか始まり、いつの間にか終わっている。また、ドビュッシーの音楽とミッチェル演出に共通しているのは、沈黙の瞬間をおそれずに、音のない時を、自らの表現を際立たせるために巧みに使っていることだ。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

新国立劇場の芸術監督でもある大野和士は、ブリュッセルのモネ劇場、リヨン歌劇場などで長く指揮をし、《ペレアスとメリザンド》を含むフランス語のオペラで高い評価を得てきた。大野が指揮する東京フィルハーモニー交響楽団は、弱音を奏でる勇気を持ち、絶え間なく移ろいゆく自然のようなドビュッシーの音楽を表現した。また高揚する瞬間も有機的で、歌手とのバランスがよく取れていた。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

ミッチェル演出の緻密な舞台は、歌手たちに歌のみならず役者としての卓越した才能を要求する。メリザンドのカレン・ヴルシュはこの役によく合った可憐な声を持ち、朗々と歌いあげないところが役柄に合っていた。彼女の分身を演じた黙役の安藤愛恵も的確な動き。ペレアスのベルナール・リヒターは美声で端正な歌。容姿も若々しい。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

この舞台は2016年にエクサンプロヴァンス音楽祭で初演されたものだが、その時のオリジナル・メンバーであったロラン・ナウリは、歌役者としてこのジャンルの作品では他の追従を許さないアーティストだ。ゴローの生真面目さ、暴力に訴えるしかできない男の悲しみなどを表現して素晴らしい歌と演技であった。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

アルケル王を演じたのは妻屋秀和。安定したバスの声と品のある歌唱で舞台に奥行きを与えた。ジュヌヴィエーヴ役にはフランス・オペラに造詣が深く、メリザンド役を歌った経験もある浜田理恵が出演。本来ならばオペラの前半にのみ登場するが、この演出では全幕を通しての出演で、母性を象徴するかのような演技で存在感を示した。イニョルドの九嶋香奈枝は顧みられない息子を澄んだ声で好演。医師(と羊飼いの声)の河野鉄平はスマートな演技。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

冨平恭平指揮の新国立劇場合唱団は出番は少ないが美しい音色を聴かせた。

メイド(黙役)は手際の良い高橋伶奈と中島小雪。

新国立劇場オペラ《ペレアスとメリザンド》ゲネプロより

ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》は1902年にパリで初演され、その新しさと完成度の高さで、20世紀の音楽に多大な影響を与えた。現代に生きるメリザンドは夢から覚めた時、この長い夢と、これから自分を待っている現実と、どちらを怖いと思うのだろうか?

文=井内美香  写真撮影=長澤直子

公演情報

クロード・アシル・ドビュッシー
『ペレアスとメリザンド』<新制作>
Pelléas et Mélisande/Claude Achille Debussy
全5幕〈フランス語上演/日本語及び英語字幕付〉

 
■会場:新国立劇場 オペラパレス
■公演期間:2022年7月2日[土]~7月17日[日]
■料金(10%税込):S席27,500円 A席22,000円 B席15,400円 C席8,800円 D席5,500円/Z席 1,650円

※Z席は舞台のほとんどが見えないお席です。予めご了承ください。Z席とZ【音のみ】席(舞台が完全に見えません)は、公演当日朝10:00から、新国立劇場Webボックスオフィスおよびセブン-イレブンの端末操作により全席先着販売いたします。1人1枚です。
■予定上演時間:約3時間25分(第1部105分 休憩30分 第2部70分)
■注意事項:
・ロビー開場は開演60分前、客席開場は開演45分前です。開演後のご入場は制限させていただきます。
・新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、託児サービス、バックステージツアーは当面休止させていただきます。
・7月17日(日)は1階の一部に学校団体が入る予定です。

 
<スタッフ>
■指揮:大野和士
■演出:ケイティ・ミッチェル
■美術:リジー・クラッチャン
■衣裳:クロエ・ランフォード
■照明:ジェイムズ・ファーンコム
■振付:ジョセフ・アルフォード
■演出補:ジル・リコ
■舞台監督:髙橋尚史

 
<キャスト>
【ペレアス】ベルナール・リヒター
【メリザンド】カレン・ヴルシュ
【ゴロー】ロラン・ナウリ
【アルケル】妻屋秀和
【ジュヌヴィエーヴ】浜田理恵
【イニョルド】九嶋香奈枝
【医師】河野鉄平

 
■合唱指揮:冨平恭平
■合唱:新国立劇場合唱団
■管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

 
■共同制作:エクサンプロヴァンス音楽祭、ポーランド国立歌劇場
Co-production with the Festival d'Aix-en-Provence, Teatr Wielki - Polish National Opera

 
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