演出家ケイティ・ミッチェルに聞く~ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』(新国立劇場)を演出
ケイティ・ミッチェル (by Stephen Cummiskey)
英国を代表する演出家のひとり、ケイティ・ミッチェル演出の、ドビュッシー唯一のオペラ『ペレアスとメリザンド』が2022年7月2日、新国立劇場にて開幕する。古代ギリシア演劇からシェイクスピア、チェーホフなど幅広い演劇作品の演出を手がけてきたミッチェル氏は、どのようなスタンスでオペラ演出に臨んでいるのか、『ペレアスとメリザンド』が今上演される意味とは何か。現在、作曲家ローラ・ボウラーと組んで性暴力を題材にした新作オペラ『THE BLUE WOMAN』をロイヤル・オペラ・ハウスで制作中のミッチェル氏に、『ペレアスとメリザンド』について話を聞いた(オンライン・インタビュー)。
エクサンプロヴァンス音楽祭公演より ©Patrick Berger/ArtComPress
――ミッチェルさんが演出した『ペレアスとメリザンド』には緊張感や不穏さが漂い、終始ミステリアスな雰囲気です。どのように着想したのでしょうか。
演出する時にまず浮かんだのが、フェミニズムのレンズを通して女性が囚われた牢獄のような世界を描く、ということでした。このオペラに登場する男性キャラクターは皆、メリザンドに惹かれ、彼女へファンタジーを投影します。けれど実際のところ彼女が何者なのかは見えてこず、謎めいています。そこで私は、このオペラをメリザンドの視点で語り直したらどうなるだろうと思ったのです。今回のプロダクションに奇妙に幻想的な雰囲気があるとしたら、メリザンドの夢という枠組が設けられ、メリザンドが全ての場面にいるからだと思います。実際にアクションをとっている時もあれば、傍観者でいる時もありますが、必ず舞台上には彼女がいて、彼女の視点であることは途切れないようになっています。なので、お客様には夢、より正確には悪夢を見ているような、次に何が起こるかわからない、怖いことも起こるかもしれないという不安定さを共有してもらえたらと思っています。
悪夢のような世界観を作り出すにあたって、スリラーを参考にしました。古いオペラと今を生きる観客との間に橋をかけるため、スリラーを見る時の感覚を取り入れようと考えたのです。ジェーン・カンピオンの『トップ・オブ・ザ・レイク』に『イン・ザ・カット』、あとはデヴィッド・リンチから大きな影響を受けました。また、幻想的な雰囲気を醸し出すもう一つの要素として、ドビュッシーの音楽もあるでしょう。フェミニズムとスリラー、そして音楽。この3つが重なり合って、『ペレアスとメリザンド』は作られています。
エクサンプロヴァンス音楽祭公演より ©Patrick Berger/ArtComPress
――『ペレアスとメリザンド』を演出する時にフェミニズムを中核に据えたとのことでしたが、それは音楽を聞いたり戯曲を読んでから問題意識として浮かび上がったのでしょうか。それとも最初から問題意識があったのでしょうか。
そもそも私自身、アーティストとして女性蔑視的な政治や社会に対して切り込んでいきたいと以前から思っています。なので、どんなオペラを演出する時でもフェミニズムのレンズを通します。それこそ音楽を聞く前から。
頻繁に上演されるオペラ作品のほとんどで、現在のフェミニズムの基準に照らせば、女性は不当な描かれ方をされています。作品そのもので描かれているだけでなく、圧倒的多数の男性の演出家によって、問題ある描写が批判的に検討されず上演されてきました。また、オペラは非常に美しく力強い音楽を有しているからこそ、女性蔑視的な描写があっても「音楽は素晴らしいから」と流してきてしまった。オペラの歴史を大きな木にたとえると、その木には作品という美しい枝葉が茂っています。けれど根っこには、レイシズム(人種主義。人種に優劣があるという考え方。人種差別)やエイブリズム(健常者主義。非障害者の方が優れているという考え方)、ミソジニー(女性蔑視、女性嫌悪)といった毒の部分がある。その毒に向き合わず、枝葉の美しさのみに目を向けるのは、毒を受け入れ許容し支持することになると私は思います。現代に生きる女性の演出家として私は、オペラの歴史が根っこに持つ毒にも対峙していかなければと考えています。
今回の『ペレアスとメリザンド』では、現代に生きるリアルな女性を舞台上で見せることを目指しました。ナチュラリズムというと少し古風な印象を受けるかもしれませんが、私の方法はナチュラリズムの前にラディカルがつくものです。スタニスラフスキーの方法を取り入れつつ、パフォーマーたちには普段の生活のサイズ感を大事にし、普段の生活で見せるジェスチャーをするよう伝えました。ディテールもかなり詰めました。今いる場所はどこか、とか、どんな時間か、とか、人物の伝記はどうなっているか、といった風に詳細を明確にしていきました。この方法は演劇にも用いるものですが、オペラの毒に切り込む手段としても持ち込んでいます。
エクサンプロヴァンス音楽祭公演より ©Patrick Berger/ArtComPress
――以上のヴィジョンや問題意識と、演出との関係をお伺いします。たとえば、『ペレアスとメリザンド』にはメリザンドの髪にフィーチャーされる描写が見られます。ゴローもペレアスもメリザンドの髪に惹かれます。けれどもミッチェルさんの演出では元のテクストにはなかった、一風変わった髪の触れ方がされていました。
女性の髪がポルノフラフィックな手つきで扱われることは問題だと思っていました。オペラでも例外ではありません。女性の髪をフェティッシュに描くのではなく、メリザンドの夢としてのシュールさを表現するためのものとして位置づけました。
エクサンプロヴァンス音楽祭公演より ©Patrick Berger/ArtComPress
――なるほど。もうひとつ、今回の『ペレアスとメリザンド』では無音の時間も印象的でした。
無音とは、序盤の場面のことでしょうか?
――序盤だけでなく数回、沈黙の時間があったと記憶しています。音楽も歌も流れていないのに雄弁に何かが語られているようで、とても大胆な演出だと感じました。
そうですね、幕開け直後にある長い無音の場面以外は、実はメカニカルな問題でやむを得ず生じてしまったものです。夢という設定を持続的に表現するためには、場面転換を非現実的に見せる必要があったのですが、そのためにどうしても音楽を止めて沈黙の時間を作らなければならなかったのです。とはいえ、必要に応じて生じたものがシュールな空気を生み出すために有益に働いていたのだと気づくことができました。
他方で、最初の長い沈黙はコンセプトに基づいた意図的なものです。まず、無音の時間の中で現実に生きている女性の姿をまず見せたかった。その女性が眠り、夢が始まり、音楽が始まるという導入にしたかったのです。なので、あの無音の長さは意図したものです。
とはいえ、2016年にエクサンプロヴァンス音楽祭で上演した時は、冒頭の沈黙が長すぎるのではとなり、カットしなければなりませんでした。今回の日本での上演は、オリジナルプランの長さで上演します。リバイバル演出補のジル・リコが、日本の出演者達ならばできると伝えてくれたからです。私は環境への配慮から飛行機を使わないため今回日本へは行けないのですが、ジルは初演で一緒に作ってきたので、プロダクションの詳細を全てわかっていますし、緊密に連絡を取り合っています。そのジルが、日本のパフォーマーは素晴らしいからオリジナルのオープニングが出来ると言ってくれました。できなかったことができるようになる、というのは再演の醍醐味ですね。演出家として、日本の『ペレアスとメリザンド』をとても楽しみにしています。
新国立劇場でのリハーサル風景 (撮影:堀田力丸)
――日本ではジェンダー平等は遠く、不条理な性役割も性規範も根強くあります。『ペレアスとメリザンド』が上演されることで、どのような反響を期待しますか。
日本のお客様に伝えたいのは、ある性からある性に向けられたファンタジーを見るのとは異なる体験になれば、ということです。オペラ劇場で平等な体験ができるのはとても大切です。特に女性のお客様には、男性の視線にさらされる中にあっても自分を解放し自由にすることができるんだと感じてもらえれば、その後押しができればと思います。このプロダクションは、メリザンドの夢として物語が展開します。その夢の中で、彼女は野生的な時間を過ごします。女性は能動性を発揮し、主体的に生きていく能力を持っていることを『ペレアスとメリザンド』を通して描きたいと思っています。観客の中に若い女性がいて、このプロダクションから「よし、私も社会に、オペラに、革命的なことをするぞ、変化を起こすぞ」と思い立ってくれる人がいればと願っています。私自身、そうでしたから。
新国立劇場でのリハーサル風景 (撮影:堀田力丸)
――今回の日本上演と、前回の2018年ワルシャワ上演との間で、世界情勢は大きく変化しました。『ペレアスとメリザンド』の意義はどのように変わったかと思いますか。
確かに、世界中でたくさんの変化がありました。パンデミックに、Black Lives Matter運動に、戦争。ジェンダー・ポリティクスでいえば、パンデミックを通じて女性の権利は後退したと思います。この2、3年間でいわゆる伝統的な性役割に女性が引き戻されてしまっているように感じるのです。だからこそこの作品は、社会的にも政治的にも重要性を持つ作品になっています。以前よりも、権利や平等を求めて更に働きかけなければならない時代に入ったと思います。『ペレアスとメリザンド』の上演には、今までにない切実さが伴っています。
新国立劇場でのリハーサル風景 (撮影:堀田力丸)
文=辻佐保子 通訳=時田曜子
公演情報
『ペレアスとメリザンド』<新制作>
Pelléas et Mélisande/Claude Achille Debussy
全5幕〈フランス語上演/日本語及び英語字幕付〉
■公演期間:2022年7月2日[土]~7月17日[日]
■料金(10%税込):S席27,500円 A席22,000円 B席15,400円 C席8,800円 D席5,500円/Z席 1,650円
※Z席は舞台のほとんどが見えないお席です。予めご了承ください。Z席とZ【音のみ】席(舞台が完全に見えません)は、公演当日朝10:00から、新国立劇場Webボックスオフィスおよびセブン-イレブンの端末操作により全席先着販売いたします。1人1枚です。
■注意事項:
・ロビー開場は開演60分前、客席開場は開演45分前です。開演後のご入場は制限させていただきます。
・新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、託児サービス、バックステージツアーは当面休止させていただきます。
・7月17日(日)は1階の一部に学校団体が入る予定です。
■指揮:大野和士
■演出:ケイティ・ミッチェル
■美術:リジー・クラッチャン
■衣裳:クロエ・ランフォード
■照明:ジェイムズ・ファーンコム
■振付:ジョセフ・アルフォード
■演出補:ジル・リコ
■舞台監督:髙橋尚史
【ペレアス】ベルナール・リヒター
【メリザンド】カレン・ヴルシュ
【ゴロー】ロラン・ナウリ
【アルケル】妻屋秀和
【ジュヌヴィエーヴ】浜田理恵
【イニョルド】九嶋香奈枝
【医師】河野鉄平
■合唱:新国立劇場合唱団
■管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
Co-production with the Festival d'Aix-en-Provence, Teatr Wielki - Polish National Opera