半﨑美子 5年間の活動を振り返り導き出した“立ち止まる”という言葉の真意とは
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半﨑美子 撮影=鈴木恵
半﨑美子がこんなに冒険家だったとは思いもしなかった。
メジャーデビュー5周年イヤーを、シンガーソングライターである自分があえて、森山直太朗作詞作曲による「蜉蝣のうた」を発売するという、新たな冒険で幕開けした半﨑。この5年間の音楽活動を振り返り、導き出したキーワードは“立ち止まる”ということ。このワードをテーマに制作した彼女の冒険がたくさんつまったニューアルバム『うた弁3』の収録曲を分析しながら、“立ち止まる”という言葉の真意を紐解いていきたいと思う。
――今年メジャーデビュー5周年。その間発売した『うた弁』シリーズは最新作『うた弁3』で4作目(うち1枚はカバーアルバム)。5年間でアルバム3枚というのは、半﨑さんのなかで当初から計画していたことだったのでしょうか?
いや、無計画だったんですよ。あまり私自身は計画を立てるタイプではなく、思い立ったら、というところがすごくあるので。『うた弁』シリーズの発売もわりと突発的なものなんです。
――デビュー=レコード会社と事務所で年度計画をきっちり立てて、というイメージがあるのですが。
私の場合、そこはインディーズ時代から変わらず、いまも自由に音楽活動をやらせてもらっているので、ありがたいですよね。
――ここからは最新作『うた弁3』について聞いていきますね。まずは恒例となったお弁当ジャケット。お弁当は半﨑さんお手製?
えっ……と、プロのフードコーディネータの方にお願いしました。すいません(苦笑)。
アルバム『うた弁3』ジャケット写真
――今回は三色弁当ですが、これは半﨑家の三色弁当を再現したものなのでしょうか?
タコさんウインナー以外はほぼこれですね。『うた弁3』ということで3層のイメージで三色弁当にしました。シンプルな感じで。
――タコさんウインナーが5つ乗ってる理由は?
5周年で5タコ。それで私自身“5周年頑張るぞ!”という意味を込めて、5匹目のタコに旗を持たせて気合いを入れました。
――スリーブの中では“ミニ美子”がカタツムリに乗っていて思わず笑ってしまいました。
ははっ(笑)。『うた弁』(1作目)のときはデビューのタイミングで、必死に私が料理を作っていて、『うた弁2』ではミニ美子がお弁当の材料となったアスパラを運んだりしていたんですけど。今作は“立ち止まる”というのがテーマだったので、私的にはちょっとひと休みしているイメージで、木陰で休んでいたり、カタツムリに乗って遊んでいたりしているんです。
メジャー1stミニアルバム『うた弁』ジャケット写真
メジャー 2nd ミニアルバム『うた弁2』ジャケット写真
――いまお話に出た“立ち止まる”というのが今作全体のテーマなんですか?
そうです。5周年ということもあって、自分の5年間を振り返ったとき、脇目も振らず走り続けた3年、その後はコロナ禍でいろいろな歩みが止まってしまった2年があって。変化に富んだ5年間だったなと思って。で、デビューする前に個人でやっていた17年の活動はとにかく猛スピードで走り続けた日々だったんですよ。特に個人でやっていると、自分が止まったら何も動かない。なので、そういう焦りや不安から走り続けていたんです。でも、そんな自分が今回コロナ禍で、2年間立ち止まらざるをえなくなったとき。初めて立ち止まることを自分自身“肯定的”に見られるようになったんです。
――ほぉー。立ち止まるのが不安だった半﨑さんが?
ええ、そうなんですよ。コロナ禍で立ち止まってみたら、いままで見えてなかった景色とか聴こえてこなかった声が届いてきて。
――「ロゼット~たんぽぽの詩~」(2021年4月発売シングル)は、まさにそういう心境のときに書いた曲でしたよね。
そうです。それで私自身のことを考えてみたら、自分はどんどん前へ前へと進んでいく人よりも、立ち止まっている人。そういう人からいろんな学びや気づきをもらってきてたんですね。サイン会のときなど、私はいままで、悲しみのなかにいてそこから一歩も前に歩き出せない、という方々と対話を重ねてきたんです。私はその方々に「前へ進もうよ」、「一歩を踏み出そうよ」とは決していえないし、いいたいとも思わないし、そういう曲を書いたこともたぶんないと思うんです。どちらかというと、“共にありたい”という気持ちが私は強いんです。立ち止まるということをもっとより深く考えてみると、例えばショッピングモールで歌い出したとき。なかなか人に立ち止まってもらえなかった。目的があってモールにいらっしゃっている方々が立ち止まるというのは、とても能動的な振る舞いなんですよね。
――自分の意志で立ち止まる訳ですからね。
私の歌声なのか歌詞なのか、なにかに共鳴して自ら立ち止まってくれている。私もモールで立ち止まって歌っている。お互い立ち止まった場所で出会っていると思ったんですよ。
――ショッピングモールは本来、お互いが立ち止まらないと出会えない場所だったと。
そうなんですよ! そのことを思ったときに、自分のコンサートもお互いが立ち止まっている時間だと思って。コンサートの2時間のなかで、もう会えなくなった人に想いを馳せたり、自分自身の想いを深めたりという時間を共有しているんですよね。そうして、ライブ会場を出たら、お互いがまた各々のペースで歩みを進める。そもそも私のコンサートは立ち止まっている時間であり、私の作品もそうだと思ったんです。毎日忙しく暮らしていたら思い至らないことに、曲を聴いた瞬間に立ち止まって、もう会えなくなった人に想いを馳せるとか。立ち止まる時間だなと思ったんです。
――たしかに、半﨑さんのコンサートや楽曲に入り込むとき、聴き手は立ち止まっていますね。
立ち止まっているからこそ、その場所で深く潜れるんですよね。そう考えたら、前に進むだけが大切なことではないと思ったんですよね。
――なにかを感じて一旦立ち止まって、その場で深く潜る。これが半﨑さんの楽曲、コンサートであり、ショッピングモール時代から自分が変わらずやってきたことなんだ、と。
そうそうそう! 全部がつながったんです。
――ショッピングモールで歌っていたら、たくさんの人が立ち止まってくれた。そこが、半﨑さんの原点でもありますからね。
目的があってショッピングモールに来ている方が、あれだけ賑やかな場所で、名前も知らない人の歌を聴いて歩みを止めて立ち止まるって、よっぽどのことなんですよ。そういうことを考えていくと、私の歌は“前に進もうよ”ではなくて“一緒に立ち止まろう”なんだと思って。それで、今作のテーマは“立ち止まる”になっていったんです。
――素晴らしい分析ですね。その立ち止まるというのが軸にありながら、じつは今作に対峙したとき、個人的に見つけたテーマがありまして。そのお話しをしてもいいですか?
はい、ぜひぜひ!
――1曲目「地球へ」で半﨑さんは《あなたに生まれてあなた還る》と歌っていまして。今作はこの“還る”というのが軸にあるんですよ。
ほぉー。
――「道の上で」も帰りますし、「帰途」も帰るんですよ。
本当ですね!! 《いまあなたに戻っていく》って「帰途」でも書いていますね。
――「道の上で」は《何度でも帰るだろう》って。
これは思ってもいなかったし、意図もしていなかったけど、そうですね。最初の「地球へ」がまさにそう。うわぁ……これは気づかなかった。
――これ、立ち止まったからこそ“還る”という行為ができたんだと解釈できると思うんです。
これまでずっと走り続けて、いま“還る”とおっしゃったんですけど、地球って球体じゃないですか? ずっと走り続けていたら同じ場所に戻る。そういうことなのかもしれません。
――そして、今作は楽曲やアレンジの部分でもいろいろ挑戦した作品だったので、そこを重点的にお伺いしたいしたいのですが。まずは「色彩」。こんな闇落ちしたような暗い夜を書いたことはなかったですよね。一人ぼっちで、誰もいない、音もしない夜道が怖くて。
無機質な感じで、それを情緒的にではなく淡々と歌っているから余計にね。
――それで、最後まで聴いてやっと主人公がいなくなってしまったあなたの記憶にいまも閉じこもっていて、こんな感情になっているのが分かるのです。が、それなのにこれ、最後はAメロで終わるんですよ。だから、まだまだ主人公はその暗闇のなかにいる感じがずっと残っていくという作りなんですよね。
あぁー。この歌はそうなんです。最後に出口がある訳ではないし。いつも私の歌は最終的にどこかに帰結するんですけど、これは終わりがない。しかも、なにも起こらないんです。なにか伝えたいメッセージがある訳でもないし。ただ、どこか自分はいま欠けてしまっていて、それが、寂れた夜の街並みとリンクしている。そういう歌ですね。
>>次のページでは、『うた現弁3』の各楽曲での“冒険”について訊いています。