《新連載》もっと文楽! 〜文楽技芸員インタビュー〜 Vol.1 吉田和生(文楽人形遣い・人間国宝)

2022.9.17
インタビュー
舞台

吉田和生(文楽人形遣い・人間国宝)  撮影=田口真佐美  提供=国立劇場

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300年の歴史を持つ人形浄瑠璃、文楽。1体の人形を主(おも)遣い、左遣い、足遣いの3人で遣い、語りを担う太夫と三味線とでドラマティックな世界を形作る芸能だ。東京での拠点として国立劇場で上演されているが、劇場は建て替えのため、2023年秋に閉場。東京での文楽公演は、今月始まった1年間の「初代国立劇場さよなら公演」のあとは、都内近郊の複数の劇場で行われることとなる。今こそ文楽を知ってほしいとの思いから、文楽の芸を今に伝える技芸員のインタビューをシリーズでお届け。第一回目として、人形遣いで人間国宝の吉田和生さん(75)にご登場いただく。

傾城・宮城野を遣って

女方を中心に立役もこなす吉田和生さん。現在上演中の令和4年9月文楽公演『碁太平記白石噺』では、家のために身売りしたあと、生き別れになった妹との再会によって父が殺され母も死んだことを知り敵討ちを誓い合う、傾城・宮城野を遣っている。

『碁太平記白石噺』宮城野を遣う吉田和生(左)と、おのぶを遣う吉田一輔  提供:国立劇場

「妹から両親が死んだことを聞かされての嘆きや悲しみから、その後の物語に繋がる仇討ちへの切り替えに、気を遣いますね。それに、宮城野や阿古屋や夕霧などの傾城の役は、かしらも打ち掛けもとても重いんです」

劇の前半では、妹のおのぶ達の会話を聞いている宮城野。あまり動きがないにも関わらず、和生が遣う人形には生気が満ち、気品があふれているから不思議だ。

「生き別れになって顔がわからない妹が来て、「奥州」という言葉を聞いて「?」と思ったり訛りに反応したり、ところどころ動いてはいます。自分のセリフの時だけ動いても芝居になりませんから。と言ってやり過ぎると、おのぶ達の演技の邪魔になってしまうのですが。品とか色気とかそういうものは、各自が持っているものや積み上げてきたものなのでしょうね。うちの弟子は30代半ばで体力バリバリですが、宮城野のかしらを1時間持っていられるかというと難しい。若い頃、先輩達を見て『70、80代でどうしてあの人形を持てるのだろう』と思っていたけれど、今、僕は1時間持つことができています。弟子にもよく言うのですが、足遣い10年、左遣い10年の修業を経て主遣いになるにあたっては、足をやる時も浄瑠璃をきちんと聴きながら足取りを覚え、左遣いになれば人形全体の動きや相手役との絡みをしっかり仕込んでおかなければ、主遣いになった時にすっと動けない。実際、50、60歳になって初役をもらう時、足や左の経験がない役の場合はものすごく神経を遣います」

(左)宮城野のかしら (右)重いかしらを支え続けたため、手の平には大きなマメが

長い修業の末に主遣いとなり、大きな役をこなすようになってしばらくすると、今度は年齢という壁が立ちはだかる。

「大体45〜50歳ごろから段々良い役が付くようになるわけですが、体力・気力としては55〜65歳くらいが良い頃でしょうね。その間は突っ走っているけれど、その後は、体力が落ちていく。うちの師匠(故・吉田文雀)もよく言ってましたね、『元気であの役ほしい、この役やりたいと思った時には役がもらえず、あっちが痛いこっちが痛いと言っていると、あれ遣え、これ遣え、って、なあ』と(笑)。だから、どれだけ自分の水準が保てるか、ですよね」

なお、今回のおのぶは後輩の吉田一輔が勤めているが、和生さんが宮城野を初役で遣った時は師匠の文雀がおのぶを遣った。

「普通は逆です。師匠の体力的なこともあったでしょう。ただ、歳を重ねてからおのぶをやること自体はあるんですよ。文雀師匠の師匠である(吉田)文五郎師匠がやったことがあるそうで、うちの師匠は『うちのおやじさんのおのぶは可愛くてよかったで』と話していました。そういう印象があって『自分も歳を取ってきたから、よっしゃ、やったろ』ということなわけですから、宮城野を遣うこちらは妹役に食われないようにしなくてはと必死でしたね(笑)」

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