《新連載》もっと文楽! 〜文楽技芸員インタビュー〜 Vol.1 吉田和生(文楽人形遣い・人間国宝)
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「技芸員への3つの質問」
【その1】入門したての頃の忘れられないエピソード
僕や、ほぼ同期の桐竹勘十郎さん、(二代目)吉田玉男さんが入門した時、10年くらい人が入っていなかったんです。ということは、その時足遣いをやっていた先輩達は皆、早く足を卒業して左遣いになりたくてたまらない。なので横幕を引いたり人形遣いの介錯をしたりしていると「足持ってみるか?」とやらせてくれて。「まだちょっと無理か」と言われることもあったけれど、うまくできると、「明日からやれ」と言われて、足をやっていた先輩はこれ幸いとばかりに左遣いの方に回っていました(笑)。そういうふうに、いきなり来るんです。入門してだいぶ経ってからですが、(『菅原伝授手習鑑』の大役の)松王丸の足を初めてやった時も、突然、「やるか」と。先代の(豊松)清十郎さんが主遣いで、うちの師匠が左。僕が足をやったら、周囲の反応はまあまあ良かったけれど、うちのおやじさんは一言、「頭で覚えた足やな」(笑)。全てそういう感じでした。
怒られない日はなかったけれど、吉田玉昇さんという人形遣いさんから「和生、他の人が怒られている時、『怒られているわ』ではなく、なんで怒られているかちゃんと聞いておかなあかんねんで」と言われたのも、忘れられません。
昭和43年2月。左から、現桐竹勘十郎、吉田和生、吉田昇二郎(のちに退座)
昭和47年4月。『鼠のそうし』出演時
【その2】初代国立劇場の思い出と、二代目の劇場に期待・妄想すること
初めて国立劇場に来た時は、本当に立派で、大きくてきれいで、感動しました。僕は芸歴と劇場の歴史がほぼ同じなので、最近はどっしりと風格が出てきたなと思っていたんだけれど。劇場内の場所では、今遣っている一番奥の楽屋が、先代の玉男さんとうちのおやじさんとで使っていたところで、とにかく二人ともお芝居の話ばかりしていたから思い出深いですね。若いうちに貴重なお話を聞けたのはよかったです。
初代の劇場は正倉院を模した校倉造で、すぐそばの武道館は夢殿がモデル。次の劇場がどのような形になるのかわからないけれど、日本古来の建物の形を参考にするのは、すごく良いと思うんですよね。
【その3】オフの過ごし方
今はコロナで飛び回ることができないけれど、昔はあちこち出かけていましたね。天気予報で雪だと見れば、雪化粧の金閣寺を見に行きましたし、美術館には今も昔もよく行っています。
取材・文=高橋彩子(演劇・舞踊ライター)
公演情報
会場:国立劇場
第二部 午後2時15分開演(午後4時23分終演予定)
第三部 午後5時15分開演(午後8時34分終演予定)
※各部、休憩がございます。
初代国立劇場さよなら公演
碁太平記白石噺 (ごたいへいきしらいしばなし)
田植の段
逆井村の段
寿柱立万歳 (ことぶきはしらだてまんざい)
碁太平記白石噺 (ごたいへいきしらいしばなし)
浅草雷門の段
新吉原揚屋の段
奥州安達原 (おうしゅうあだちがはら)
朱雀堤の段
敷妙使者の段
矢の根の段
袖萩祭文の段
貞任物語の段
道行千里の岩田帯