宝塚歌劇団退団後、最初の演出作品としてオペラを手掛ける上田久美子に聞く~レオンカヴァッロ/歌劇『道化師』、マスカーニ/歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』
上田久美子 (撮影:前田真)
宝塚歌劇団の気鋭の演出家として頭角を現すも、今年(2022年)3月、電撃退団して人々を驚かせた上田久美子が、オペラの演出に挑む。手がけるのは、旅の一座を率いる座長が嫉妬に狂って妻を殺害するレオンカヴァッロ作曲『道化師』と、男女関係のもつれから決闘の末に死がもたらされるマスカーニ作曲『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』(2023年2月3日・5日 東京芸術劇場 コンサートホール、3月3日・5日 愛知県芸術劇場 大ホール)。上田は今、何を考え、どのような舞台を作るのか。その構想と思いを聞いた。
(撮影:前田真)
■一昔前のヨーロッパと現代の日本を二重写しに
―― 宝塚歌劇団退団後、最初の演出がオペラであることを、ご自身はどう捉えていますか?
その事自体は、偶然です。私が宝塚を辞めることはご存知なくオファーをいただいたので。基本的には、辞めた後しばらくは、お仕事をお断りするつもりだったんです。長い人生、どこかで学び直しが必要だということで退団し、フランスの公共劇場への留学も控えていますから、今は宝塚で身につけたものの延長線上であれこれやらないほうが良い、と。ただ今回は、人生の中でオペラというものに関われる機会がこの先あるかわからない、今逃したら経験できないかもしれないと考えて、やらせていただくことにしたんです。ミュージカルで演者が演じるのと、歌手の方が歌で演じるのは全然違うはずなので、それがどんなふうなのか、そこで自分のどんな面が出るのか、興味がありました。
―― 私が拝見した中で申し上げると、ベートーヴェンを扱った宝塚歌劇団での演出作品『fff-フォルティッシッシモ-』にしろ、戯曲を手掛けられた『バイオーム』にしろ、人間の営みというものを、ある種俯瞰するような広い視野で見ていらっしゃると感じました。その上田さんが今回、人間の卑近な営みを描いたヴェリズモ・オペラの二作、『道化師』『カヴァレリア・ルスティカーナ』をどのように演出されるのか、気になっています。
俯瞰で見ているというのは嬉しい言葉です。今回、俯瞰ということに通じるものがあるとすれば、原作の一昔前のヨーロッパと、現代の日本という、時代も場所も違う二つの世界を二重写しにする演出だと思います。
『道化師』は旅回りのピエロの一座の話ですし、『カヴァレリア・ルスティカーナ』はキリスト教社会の倫理観に反することの葛藤を扱っていますが、そこに描かれている、恋愛に対するちょっと病的な依存や、誰かを失いたくないという依存、コミュニティから逸れることへの恐怖などは、現代の日本と共通する。かつて、オペラが比較的綺麗な世界を描いていた時代に、『カルメン』のようなドロドロした作品が生まれ、それでもまだ美女を巡る華やかな恋の鞘当といった側面があったところに、今度はヴェリズモ・オペラが、街の肉体労働者と地味な女性の奇妙な依存関係やDVといった具合に、全く特別ではない人達を描いたのが画期的だったのではないでしょうか。当時、オペラを嗜んでいた階層の人達からしてみたら、自分達には見えてなかった世界がそこにはあった。それを今、日本の観客が体感するためには、私達が見ようとしない社会の暗部や、社会の裏通りのような場所で生きる人達の姿を描くのが良いのではないかと考えました。実際に起きている殺人事件などを見ても、何故この人にこんなに執着したのかというと、自分たちの生きる世界がそこにしかなく、相手との関係から抜け出せなかったという話がよく出てきます。
舞台でどの程度、そこに切り込めるかわかりませんが、オペラとそういう世界を重ね合わせて、例えば深夜のコンビニにたむろしている不良のカップルのような人々の出来事として描こうと考えたんです。
(撮影:前田真)
■大衆演劇とだんじりに置き換えて
―― カニオ[加美男] 、ネッダ[寧々]といった具合に、今回の役名には日本語名をつけていらっしゃることからしても、裏設定を緻密に作られるのだと推察します。『道化師』だったらヨーロッパの仮面劇の伝統、『カヴァレリア・ルスティカーナ』だったら復活祭というヨーロッパ的なものを、具体的に日本の何かに置き換えるのでしょうか?
復活祭のミサの代わりにだんじりのお祭りの準備で提灯を取り付けているという場面にし、旅回りの一座は大衆演劇という設定にします。
ヨーロッパではトラベリングシアターはほとんど消えてしまっていますが、日本の大衆演劇は今も一ヶ月に一回、移動しながら公演していますよね。大量の荷物と共に旅で暮らす、いわばノマド的な人達。私はそんな旅回りの劇団に体験入団させていただいたんです。一緒にヘルスセンターのようなところで生活して。すると、その人達から見える世界は、私が知ってるつもりでいたこの世界とは違っていました。例えば女性の役者が夜中にコンビニへ行くと、役者さんだから見た目が派手だったりすると、店員さんからセクハラみたいなことを受ける。日本で生活していて、そういうことってなかなかないですよね? 彼女達は人間の冷たさをよく知っていると言っていました。ちなみに『道化師』の劇中劇は大衆演劇の本番ということにしつつ、文楽のように歌手が人形使いとしてダンサーを動かしているという形からスタートすることを構想しています。イントロダクション的に一つだけ、本物の人形も出したいと思っています。
―― となると、ダンサーは人形振りに?
そうした動きも一部取り入れますが、最終的には普通の動きになります。
―― 今回は一つの役を歌手とダンサーが演じ分ける“文楽スタイル”で上演するそうですが、歌手は文楽の太夫や三味線のように舞台の端にいるのでしょうか?
ダンサーの人達は全身スウェットのような格好の日本人だったりして、コーラスの方々もダウンジャケットにジャージというような服装で、関西の下町のどこかの人達として描きます。一方、歌手の人達はある程度フォーマルな、ドレスなどの洋装に、少し役の要素があるというか、役の魂みたいな存在として舞台にいていただきます。やってみないとわからない部分もありますが、色々な位置にいて、ダンサーと次元が入れ替わったり自分達で演じたりということもあるかもしれません。
で、歌手は「神の前で私はこんなことをしたから罪深い」などとイタリア語で歌い、その字幕を出すのですが、日本人であるダンサー達は「私があの人からこんなふうに振られたということを周りの人が知っていて白い目で見られていて居心地が悪い」といった苦しみを踊り、そうした字幕を関西弁でダンサー達にかぶる形で出したいと思っています。そうやって、神様の目を怖がるヨーロッパの社会と世間が怖い日本という二つの時空を重ね合わせたい。うまくいくのかはわかりませんが、失敗するかもしれないけれど何かに挑戦していくことって、今の時代、すごく大事だと思うんです。社会も今は過渡期ですし、舞台業界はコロナの打撃で活力を失っています。だからこそ、失敗を恐れずにチャレンジするエネルギーを持ちたいし、歌手にもダンサーにもそういうエネルギーを出してほしいんです。
―― 今回出演するダンサーは出自が幅広いですね。
そうですね。休憩を挟んで二作品の雰囲気を変えようと思いまして。『道化師』の方はお芝居ができてダンスも踊れる方がメインで、振りもある程度写実的でエンタテインメント的。『カヴァレリア・ルスティカーナ』のほうは登場人物の心情を抽象的に動きにするので、コンテンポラリーダンサーの方が多いですね。セットや衣装にも共通性をもたせ、同じ大阪のある同じ街の、旅の一座がやってきた夏の話と、秋のお祭りの話にするのですが、ダンスのタイプを変えるので、それによって歌手の人達のあり方も変わる可能性があります。例えば『道化師』は文楽の太夫のようにあまり動かない静の演技、『カヴァレリア・ルスティカーナ』は動の演技といった感じになるかもしれません。
(撮影:前田真)
■初めてオペラを観る人にも楽しめる舞台を
―― プランをうかがうととても面白そうです。要素が多く、観るほうも忙しそうですが。
うまく機能するといいのですが。ただ、現代は情報速度が速く、テレビドラマでも映画でも、展開が早くないとお客さんの集中力がもたないですよね。つまり一定の時間内の情報がかなり多いものにみんな慣れてしまっていて、物語の伝わり方がゆっくりした速度だと観る側はダレるところがあります。なのでこのやり方もうまくいくかもしれません。
私自身、今回の二つのオペラのアリアくらいは知っていましたが、全幕を観たのはこの仕事が決まってから。やはり最初は次の展開までがゆったりしているなと感じたんです。同じことを10分ぐらい言っていて、その話はさっきも聞いたな、という気持ちになって。ところが、演出を考えるためにビデオを何度も観て見て聴き込み、曲を味わえるようになってくると、もう余計な情報は不要で、素晴らしい歌手が《衣裳をつけろ》を歌ったら「きたきた!」となる。だから、普段から聴き込んでいる方は「普通にやってくれたら十分」と思うのでしょうけれども、そういうコンディションが揃っている日本人ばかりではないので、様々に情報を補完して増やそうとしているんです。
―― 舞台を受け止めるのは観客ですが、上田さんご自身はそうした舞台から何を感じ取ってほしい、あるいはご自身が感じたいと思いますか?
今の日本と少し前の時代のイタリアを一緒に観ることで俯瞰的にしているわけですし、舞台上のダンサーがやっていることも普段のオペラの世界とはおそらくちょっと違うことですよね。こうでなければ、という固定概念からもう少し離れてもいいんじゃないかということを、私自身も感じ取りたいし、感じてもらえたら嬉しいですね。それから、私は初めて観る人が楽しめることが宝塚時代からのポリシーなんです。宝塚では、既にファンになっている人にとっては、話の筋がよくわかんなくても、スターのコスプレにニーズがあったりするわけですが、それでは既にその世界に親しんでいる人しか楽しめない閉鎖的なものになってしまう。オペラも同じで、聴き込んだ人だけではなく、観客それぞれの面白いポイントが見つかるものになってほしいという願いがあります。
―― 違った視点を持つというのは生きる上でも必要なことですし、同時に、舞台でこそ自由にできるようなことでもありますよね。リアルな時間を共有しながら、そこが全く違う国になったりいきなり時代が変わったりすることを、観客はすんなり受け入れてしまうのですから。
映画や映像以上に、非リアルだったり飛躍したりすることが劇場は可能ですからね。今回はそのギリギリのところに迫りたいですね(笑)。
(撮影:前田真)
■自然の音の中で育まれたクラシック音楽
―― 前述の『fff-フォルティッシッシモ-』や『翼ある人びと—ブラームスとクララ・シューマン—』など、クラシック音楽が題材の作品を幾つか手掛けていますが、上田さんにとってクラシック音楽とは?
クラシックにも近現代のものもありますが、ブラームス以前のものは、人工の音もまだあまりない、耳に入る音が自然の音だった時代にそれに浸っていた人達が作った音楽ですよね。それが私の中の自然に近いという感覚があります。私自身が田舎の出身ということもあるかもしれませんが、そもそも人間の本能として、大いなる自然と繋がっていたいという本能的な欲求があって、そこから切り離されるとどっかちょっと病んでくるようなところがあるのではないでしょうか。ベートーヴェンも、町の中と田園の中とでは聴こえ方がおそらく違う。実際、《田園》は森の小道を散歩しながら作曲したわけですよね。夜の新宿で作ったらまた違う音楽になるのでしょう。
でも、音楽というのは奥深くて、今のクラブでよくかかっているのは、メロディがあまりなくほぼ重低音のビートだけの、聴いているだけで頭を振りたくなるようなものだったりします。また、フランスで、インドの伝統の音楽の音楽家とアルメニアの伝統音楽の音楽家を呼んでフュージョンの野外コンサートをやっているのを見たのですが、そこに人々が集まって自然とみんな踊り出したりして、でも確かにカスタネットみたいなものがリズムを刻むとその気持ちはよくわかります。ということは、今のクラブの音楽と、原始時代の人が焚き火の周りで踊っていたものと、共通している気もするんです。
―― その中で、オペラも含めてのクラシック音楽は自然に近い、と。オペラのオーケストラ自体、嵐など色々な自然も描写する音楽ですしね。
そこが好きなんでしょうね。文楽が好きなのも、人工染料がない時代にできた色彩が美しいから。家が木と紙でできていた時代の人が作った色彩感覚って、今のように脈絡なく色々なものが入り混じったガチャガチャした色彩ではなく、鮮やかな色がありつつもまとまりのあるきれいな色調だなと思うんです。クラシックにもそういうところがある気がします。
―― 古典芸能の色彩も、決してシンプルというわけではなく、細かく様々な色が入っているし、クラシック音楽にも色々な音が入っていますが、全体として調和がありますよね。
人間が今のようになったのは最近ですから、そっちのほうがなじみやすい、美しいと感じるのは、それこそ自然だと思います。
(撮影:前田真)
■リスクは冒したほうがいい
―― 先程、舞台でのチャレンジの話がありましたが、上田さんご自身が宝塚を辞められ、留学されることもチャレンジでしょう。未知の物事に対して恐れることなく進んでいかれるのは、過去の教訓などによるものなのですか?
もともとリスクはそんなに怖くなく、言ってみれば危険だから行ってはダメだと言われているところにバックパックで旅行するタイプです(笑)。せっかくこの世に大変な思いをして生まれてきたのだから、広い世界を見たくて。それは単に世界各地を旅行するという意味だけではなく、日常の中で感じる感情でも、私は幸せで快適なところにとどまるのではなく、怖いとか悲しいとか、今まで自分が感じたことのない色々なものを体験したい。何かを感じ取ることくらいが、死ぬまでのお土産だという感じがするんです。
―― 一つの場所にいると、それが心地よくても「ここにいてはいけないのではないか」みたいな焦りを感じたり?
感じますね。一生ここにいるんだとなると、組織であれ家であれ、そわそわしてしまう。どこかノマド的なんでしょうね。定住できないタイプ。常に「これをやったらどうなるか」というところをやり続けたいんです。宝塚でも、大丈夫かなと不安になったものほど結果は良かったので、リスクは冒したほうがいい。そういう時って、普段より少し力を発揮しますよね。
―― 色々な視点を持つ方が人生は豊かで、そのために冒険をしていくことが、人生のテーマでいらっしゃるのでしょうか。
今喋ってみてそうなのかなと思いました。こうでなければ、という視点をズラすことができず苦しんでいる方は沢山いますよね。それこそ劇場は、そこを揺さぶってくれる場所。私はOL時代、一般企業の人事部にいて、給料の計算などをしていたのですが、儲けを出すという資本主義を100パーセントの善としていて突き進む価値観が苦しいこともありました。でもそういう時に劇場に行くとまた違うものの見方や価値観があり、精神的に助けられたんです。そういうものを、自分にも他の方にも提供したいなと思うところがありますね。
―― 今回の舞台もその一つである、と。
そうですね。勿論、舞台は演じる人達の芸や、その人達が培ってきた芸術の一番良いところを発揮してもらう場所だから、それを引き出すために何が良いのかということと、演出的に面白いということとのせめぎあいではあります。例えば動かないことで歌手の表現力が削がれてはいけません。劇場というのは、演じる人のエネルギーがあって、その上で演出が面白いことが大事ですから、特に今まで一緒にやったことのない歌手の方とは、どうコミュニケーションして才能を発揮していただけばいいのか、未知の領域であり、楽しみでもあります。
(撮影:前田真)
取材・文=高橋彩子
写真撮影=前田真
公演情報
レオンカヴァッロ/歌劇『道化師』
マスカーニ/歌劇『田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)』
新演出/イタリア語上演、日本語・英語字幕付き
■日程:2023年2月3日 (金)18:30開演、5日 (日)14:00開演
■会場:東京芸術劇場 コンサートホール
■日程:2023年3月3日 (金)18:00開演、5日 (日)14:00開演
■会場:愛知県芸術劇場 大ホール
レオンカヴァッロ/歌劇『道化師』
マスカーニ/歌劇『田舎カヴァレリア・騎士道ルスティカーナ』
■指揮:アッシャー・フィッシュ
■演出:上田久美子
■出演:
【道化師】
カニオ [加美男]:アントネッロ・パロンビ/三井 聡*
ネッダ [寧々]:柴田紗貴子/蘭乃はな*
トニオ [富男]:清水勇磨/小浦一優(芋洗坂係長)*
ペッペ [ペーペー]:中井亮一/村岡友憲*
シルヴィオ [知男]:高橋洋介/森川次朗*
トゥリッドゥ [護男]:アントネッロ・パロンビ/柳本雅寛*
サントゥッツァ [聖子]:テレサ・ロマーノ/三東瑠璃*
ローラ [葉子]:鳥木弥生/髙原伸子*
アルフィオ [日野] :三戸大久/宮河愛一郎*
ルチア [光江] :森山京子/ケイタケイ*
やまだしげき*/川村美紀子*
■合唱:ザ・オペラ・クワイア(東京)/愛知県芸術劇場合唱団(愛知)
■児童合唱:世田谷ジュニア合唱団(東京)/名古屋少年少女合唱団(愛知)
東京:2022年10月22日(土)10:00~
愛知:2022年9月16日(金)10:00~