「大阪松竹座」はどんな劇場?ーー藤山扇治郎ら松竹新喜劇団員が100周年記念特集『松竹座の未来予想図』の幕開けを飾る

2022.11.30
インタビュー
舞台

松竹新喜劇 撮影=福家信哉

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かつて日本のブロードウェイと呼ばれた道頓堀で「凱旋門」の役割を果たし、2023年に開場100周年を迎える劇場、大阪松竹座。SPICEでは伝統ある大阪松竹座について、関係者の証言をもとにその歴史や魅力を振り返り、次の100年へ向けて進む姿を捉える特集企画『松竹座の未来予想図』を1年にわたりお届けする。そのインタビュー企画第1弾は、松竹新喜劇の劇団員である藤山扇治郎、曽我廼家一蝶、渋谷天笑、曽我廼家いろは、曽我廼家桃太郎の5名が登場。昭和を代表する喜劇役者の藤山寛美、NHK連続テレビ小説『おちょやん』(2020年)のモデルにもなった浪花千栄子ら数々の名優を輩出してきた松竹新喜劇。歴史ある劇団の「現在」を担う5名に、松竹座のお気に入りの場所と思いを語ってもらった。

テラコッタの外壁をまとった大阪松竹座

――みなさんは大阪松竹座の舞台を初めて踏んだときのことを覚えていらっしゃいますか。

曽我廼家一蝶:2004年12月の松竹新喜劇「裏町の友情」で、天外兄さん(渋谷天外)の弟役で出させていただいたのが初めての松竹座の舞台でした。お客様が千人以上いらっしゃったのですが、みなさんが一斉に笑ったときの「ドーッ」という沸き上がった声が今も忘れられません。内臓に響くような感覚でした。あの感触を鮮明に覚えていて、「すごい劇場だな」と思いました。

渋谷天笑:えっと……実はあまり覚えていないんです(笑)。覚えていることといえば、松竹新喜劇の劇団創立60周年記念公演。付き人として出番を終えられた天外さんにスリッパを持って行ったんですけど、そのときに舞台の上に乗りました。それが自分にとって、初めて松竹座の舞台ですね。

一蝶:いやいや、「初めての松竹座」の意味が違うから(笑)。

天笑:ハハハ(笑)。でも付き人は、その仕事をやることで精一杯になるから、いつ舞台の上に初めて乗ったのか本当に記憶にないんですよね。それくらい必死でしたから。付き人としての段取りを間違えると厳しく注意されるので、とにかく「怒られへんようにしよう」といろいろ考えて動いていましたし。そういえばまだ付き人だったとき、出番後に迎えに行かないといけないのに、疲れすぎて楽屋の天外さんの座布団で寝てたときがありまして……。それはちゃんと覚えています(苦笑)。

どの座席からも舞台上が見えやすい

曽我廼家桃太郎:2012年11月、松竹新喜劇の錦秋公演ですね。当時、自分も同じく渋谷天外さんの付き人だったんです。もともと作品に出演する予定はなかったのですが、初日に団員の方が急病で倒れられ、自分に声がかかりました。付き人をするのも初めてのことだったのに、出演するなんて……。めちゃくちゃ緊張して、パニックになりながら、開演2時間前に台詞を覚えることになって。何がなんだか分からない、めちゃくちゃな状態の初舞台でした(笑)。

舞台上からの景色

藤山扇治郎:2013年11月の劇団創立65周年記念松竹新喜劇 特別公演の「裏路地」ですね。それまでは客席から松竹座の舞台を観ていたので、いざそこに立ったとき「こんなに広いもんなんや」と驚きました。「客席で観ているのと、立つのとでは全然違うんやな」と。その空間の広さに感激しましたね。

桧舞台の上にリノリウムが敷かれることも。大きな盆で歌舞伎からミュージカルまで対応できる。

曽我廼家いろは:私も扇治郎さんと同じ「裏路地」が松竹座の初舞台でした。それまではミュージカルをやっていて、舞台の上にはリノリウムが敷いているのが普通だったけど、松竹座は檜舞台だったんです。「うわー、すごい。こんな舞台は初めてや」と感激しましたね。「裏路地」では、私の育ての親役が髙田兄さん(髙田次郎)、生みの親役が江口兄さん(江口直彌)で。江口兄さんと舞台で向き合ったとき、めちゃくちゃ自然に泣けてきたんです。感情がすごく入り込んだ芝居ができました。

――大阪松竹座の劇場内で「この場所がお気に入り」というところはありますか。

曽我廼家桃太郎

舞台袖からみた舞台

桃太郎:舞台の上手袖です。いつもそこに舞台監督さんがいらっしゃるんですけど。本番中も舞台袖から芝居を観て、いろいろ勉強させてもらっていますね。

曽我廼家一蝶、揚幕には松竹の紋が染められている

一蝶:舞台袖で観ることもあるけど、自分は揚幕(花道の突き当たりに掛けてある幕)です。松竹新喜劇に携わるようになってから、「先輩方の舞台を観なさいよ」とよく言われていて、花道を使わない舞台のときは鳥屋口にいき、揚幕の隙間から勉強させてもらっていました。よく揚幕には行っていましたね。

渋谷天笑、照明さんにスポットライトを当ててもらいました!

天笑:自分はやっぱり舞台の中央。大阪松竹座の舞台の中心から座席を見渡すのが一番気持ちええです。あと、もうひとつ挙げるなら一番良い楽屋なんですけど、そこはなかなか入れませんからね。いつかその楽屋に入れるようになりたいなと思っています。

藤山扇治郎

祖父、藤山寛美のDVDも売られています!

扇治郎:僕は、昔からよく松竹座に舞台を観に来ていたんですけど、ロビーがすごく好きで。パンフレットやグッズを買うために、2階のロビーにある売店へ必ず立ち寄っていました。自分にとって一番、松竹座のなかで思い入れが深い場所ですね。

曽我廼家いろは

いろは:私は舞台上から観た客席の風景。ほかの劇場ではなかなか味わえない日本的な雰囲気が広がっていて、特に赤提灯が好きです。京都の南座もそうですが、歴史ある舞台は場内の風景もすごく綺麗で趣がありますよね。

左から一蝶、天笑、扇治郎、桃太郎、いろは

――大阪松竹座は2023年で開場100周年を迎えますが、みなさんにとってどんな存在の劇場でしょうか。

一蝶:全国各地にいろんな劇場がありますが、僕はここが最高峰だと思っています。野球でたとえるなら、メジャーリーグ。スタッフの皆さん、劇場の設備、そこに集うお客様、すべてが超一流。着物でお越しになるお客様が多いのも、やはり特別な場所だからだと思います。だからこそ我々役者も一流であらなくてはならない。そういう人が集まる場所だと常に考えています。あと関西を拠点にする僕たちにとって門構えをパッと見て、そこが伝統ある劇場だと分かるのは大阪松竹座と京都・南座だけ。そういった部分もふくめて特別な場所なんです。

天笑:松竹新喜劇を初めて観たのが松竹座で、今はその舞台に松竹新喜劇のひとりとして立たせていただいています。「観に来ていたところが、観に来てもらう場所になった」と感慨深いものがありますね。10数年前は3階席から観ていましたから。自分自身の想いの変化が感じられる劇場です。

赤を基調とした椅子と壁、床面は非日常的な演劇空間を演出している

扇治郎:祖父の藤山寛美が道頓堀でずっとお芝居をしていました。だから松竹座で芝居をするときは個人的には祖父や諸先輩方が観に来てくれたり、近くで見守ってくれたりしているんじゃないかという気持ちになります。数ある劇場のなかでも一番落ち着けますし、和める場所ですね。

いろは:大変ありがたいことに、芸歴を重ねるごとにいろんな劇場に出させていただいていますが、大阪出身なので、ミナミのど真ん中にある大阪松竹座に出演するときは「帰ってきた」というホーム感があります。松竹座はホッとできる場所です。気持ち的に前向きにもなれる存在ですね。

桃太郎:2021年11月、大阪松竹座公演で竹本真之から曽我廼家桃太郎に改名しました。その10年くらい前からずっと出させてもらって、新喜劇の先輩から毎公演、お芝居のことを教えてもらっていました。自分にとっては育てていただいた劇場です。

松竹新喜劇公演は2023年5月後半から!

取材・文=田辺ユウキ 撮影=福家信哉

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