玉三郎が美しい尼と最高位の傾城に 幸四郎は暴君、松緑は浮気な大名、愛之助が若旦那になる『三月大歌舞伎』観劇レポート
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『三月大歌舞伎』
2023年3月3日(金)に『三月大歌舞伎』が開幕した。会場は歌舞伎座。1日三部制の公演だ。第一部では『花の御所始末』で松本幸四郎が暴君となる。若い世代の来場者の比率がいつもよりも多い印象を受けた。第二部には『仮名手本忠臣蔵』より上演機会の少ない『十段目 天川屋義平内の場』と、人気の松羽目物『身替座禅』が披露される。第三部は、不動の人気を誇る坂東玉三郎が、『髑髏尼』で美しい尼、『廓文章 吉田屋』で最高位の傾城となる。
■第一部 11時開演
『花の御所始末(はなのごしょしまつ)』
劇作家の宇野信夫がシェイクスピアの『リチャード三世』に着想を得て、松本白鸚のために書き下ろした狂言。1974年と1983年に上演されて以来の上演となる。主人公の足利義教を勤めるのは松本幸四郎。演出は齋藤雅文。物語は、義教が手段を選ばず将軍に昇りつめるまでの前半と、室町幕府の六代将軍になってからの後半で構成される。
不穏なサウンドで幕が開くと、そこは足利将軍家が住む「花の御所」の庭。小鳥がさえずり花々が咲いている。柳の木の下には、太政大臣である足利義満の長男・義嗣(坂東亀蔵)がいる。世継ぎにも関わらず身勝手なふるまいをし、謹慎を命じられているのだ。しかし義嗣は、自分を嫌う母・側室廉子(市川高麗蔵)のたくらみだと考え、父・義満(河原崎権十郎)と会って話がしたいと訴える。妹の入江(中村雀右衛門)は、兄をたしなめつつ、力になってやりたいと考える。鬱屈した思いに心を荒ませる義嗣からは、繊細さと将軍の血をひく品を感じさせた。入江の愛情深さ、愛らしさの芯に強さがあり、義満の娘としての説得力があった。母と兄の板挟みでみせた表情は、悩ましく美しかった。廉子は優美さに隠された、人間の弱さを印象付けた。
入江には、もうひとりの兄がいる。義満の次男・義教(幸四郎)だ。庭に現れた義教は、安積行秀(片岡愛之助)の故意により、2度も落馬したと激昂している。行秀をかばうのは、畠山左馬之助(市川染五郎)。義教の腹心・畠山満家(中村芝翫)の息子だ。左馬之助は、行秀を推挙した自分に責任がある、と申し出るが義教の怒りは収まらない。そこへ満家が登場し事を収めるのだった。義教と満家は密談を始める。義教が将軍の座を手に入れるべく、2人は裏で繋がっていた。
行秀と左馬之助が、落馬の責任をとって「死んでくれるか」「命を捨てます」といったやり取りを始めた時は、突然すぎて冗談にも思えた。しかし2人の切迫した空気から、笑い事ではないらしいと分かるや、かえって深い絶望に突き落とされる。唐突で気軽な残虐さが、義教の恐さのひとつなのだ。
その頃、京都嵐山に金閣寺が創建される。義満は初めて金閣寺に泊まる夜を、愛妾・北の方(片岡千壽)と過ごすことにする。しかし義教が現れて、父と愛妾のいる寝所へ乗り込む。さらに入江と左馬之助が、義嗣を伴って義満を訪ねてくるが……。
幸四郎の義教は、相手が誰であろうと自分の行いに迷いがない。犠牲者が出るたび、茶道の珍才(澤村宗之助)と重才(大谷廣太郎)に後片付けをさせ、自分はスッキリとした顔でいる。笑い混じりに「珍才~、重才~」と呼んだ時はゾッとした。人の心をもっていないかのようだった。そんな義教の心をお見通しなのが、芝翫の満家だった。キャラクターの変化で劇中の時の流れを体現する。将軍となった義教との対峙では、2人の関係性の裂け目から義教の人間味を掴み出してみせた。国崩しと呼ばれる悪人に、一瞬の悲しみと心の闇を垣間見た。
義満は頂点に立つ者の華と孤独を纏っていた。土御門有世(中村亀鶴)や北の方は、義教のそばにいながら義教の孤独を浮き上がらせるばかり。そこかしこにアンモラルな秘密の関係が点在する。それら繋がり線となって、荒唐無稽では片付けられない生々しいドラマを描き出す。幕切れは、義教の凄まじい気迫が舞台を覆い焼き尽くす。万人におすすめする作品ではないけれど、少しでも気になる方にはきっと深く突き刺さるはず。見逃さないでほしい。
■第二部 14時40分開演
第二部では『仮名手本忠臣蔵 十段目 天川屋義平内の場』と『新古演劇十種の内 身替座禅』が上演。前者はこちらの記事(https://spice.eplus.jp/articles/315319)で紹介している。
『身替座禅(みがわりざぜん)』
松羽目の舞台で繰り広げられる、夫婦の話。登場するのは、尾上松緑が初役で勤める山蔭右京、河原崎権十郎の太郎冠者、坂東新悟と中村玉太郎の侍女、そして中村鴈治郎の奥方・玉の井。右京は屋敷から抜け出して、深い仲の花子に会いにいきたい。玉の井の目を盗むべく、「最近夢見が悪いから諸国参詣の旅に出る」と嘘をつく。玉の井や侍女たちと交渉の末、持仏堂に一晩こもっての座禅が許される。すると右京は、座禅の役目を太郎冠者に押し付けて、花子のもとへ向かうのだった……。
平成元年以降、平均すると年1回以上のペースで上演記録がある人気演目だ。配役が変わるたび、右京の惚気話から想像させられる花子が別のイメージを結ぶのが楽しい。ほろ酔いで帰ってくる花道、右京は花子との一夜を思い出し、夢心地の顔になる。それにつられてニンマリしてしまうのだ。松緑の右京の目元の美しさと決して下品ではないデレデレぶりに、さぞ魅力的な花子にちがいない、と想像する。客席は笑いに包まれる。鴈治郎の玉の井は、夢見が悪いと言う右京を心配し、座禅する右京を応援し……大いに笑わせつつ嫉妬以上に愛情を感じさせる奥方だった。後半は、右京の長袴での踊りに心が華やぐ。長唄と常磐津の掛け合いが、夫婦のやりとりを彩りながら、松羽目物らしい格の高さを底上げした。右京には後でよく叱られてほしいと願いつつも、華やかで楽しい舞台となっていた。
■第三部 17時45分
『髑髏尼(どくろに)』
坂東玉三郎による、髑髏をもつ美しい尼の物語。1962年以来の上演となるが、玉三郎は、前回上演された武智鉄二補綴の台本からさらに吉井勇の原作へ立ち返り、本作を演出するという。
壇ノ浦の戦いで勝利した源氏は、平家の血を絶やそうとしている。小さな子どもが次々と犠牲になっているようだ。新中納言局(玉三郎)の子・壽王丸も連れ去られてしまう。我が子を探す新中納言局は、僧の印西(鴈治郎)の言葉に従い、土に滴り落ちた血のあとを辿っていく……。
坂東新悟の長門の嘆きは戦乱の惨たらしさと巻き込まれた民の無力さを伝え、市川男女蔵の烏男が荒廃した時代の異様な空気を作る。中村亀鶴の蒲原太郎正重が率いる源氏方の侍は、血に濡れた刀を携えていた。しかし冷静で、堂々としていた。彼らには彼らの正義があるのだろう。その正義のもとで人の命を奪うことにさえ麻痺してしまう、人間の怖さを示すようでもあった。
屋敷の外へ出てきた玉三郎の新中納言局は、美しさも佇まいも浮世離れしていた。長い髪をおろし高貴な着物で、我が子のあとを追いかけて花道へ消える。その姿を客席は息をのんで目で追った。ひとつも拍手はおこらなかった。有無を言わさない、隙のない世界ができていた。
時が経ち、舞台は奈良の尼寺へ。善信尼(河合雪之丞)の話では、新中納言局に仕えていた侍女たちは、夫と子を亡くした新中納言局とともに出家。新中納言局は、我が子の髑髏を大切にそばに置いていることから「髑髏尼」と呼ばれるようになったという。
この様子をうかがうのが、生まれながらに恐ろしい顔の鐘楼守、七兵衛(中村福之助)だった。母親からの言いつけを守り、今まで自分の顔をみたことがない。しかしこの日、ついに自分の顔を知る。絶望とともに何か吹っ切れたのか、一目みて好きになった髑髏尼のもとへ。御堂の中で髑髏尼は、夫と子どものために祈っていた。忍び込んできた七兵衛に、驚きつつも毅然とした態度を見せる。心の内をさらけ出す七兵衛の言葉に思いを重ねるようにも見えた。内から光を放っているかのような美しい髑髏尼と、悲しい見た目の七兵衛。七兵衛は一緒に逃げてほしいと懇願するが……。
平重衡(愛之助)の登場では、紗幕を用いた演出により幻想的な雰囲気を高めていた。登場人物たちはそれぞれに個性的でありながら、同じ筆致で描かれたような統一感。ひとりの絵師により描かれた一巻の絵巻物をみるようだった。その中でも福之助の七兵衛の声は、無垢で真っ直ぐで切実に響いていた。すっきりとは終わらない幕切れだからこそ、そこはかとない余韻がいつまでも続いた。
『廓文章 吉田屋(くるわぶんしょう よしだや)』
舞台は、正月の飾りつけをした揚屋「吉田屋」の前。大尽(片岡松之助)や吉田屋の仲居、太鼓持(中村歌之助)たちがパッと和ませ、賑やかな餅つきで物語がはじまった。
藤屋の若旦那・伊左衛門(愛之助)は、大金を使いこんで勘当されてしまった。それでも深い仲だった夕霧が、店に出ていると知り、会いにきたのだ。愛之助の伊左衛門は、みすぼらしい紙衣でも拗ねていても怒っても、ふんわりと笑っているような明るさがあり、文句を言う時さえお行儀がよい。そんな元若旦那を、以前と変わらず立派な座敷で迎えるのが、主人喜左衛門(鴈治郎)と女房おきさ(上村吉弥)だ。伊左衛門をやきもきさせる会話にも、悪意は微塵もない。ふたりの温かさが、零落した伊左衛門の侘しさに沁みる。伊左衛門が松の間を探して襖をあける場面は、心のワクワクをそのまま体現するような躍動感を三味線がさらに盛り上げ楽しませた。
玉三郎の夕霧の登場には、客席が三度どよめいた。松の間から現れた時、懐紙を下ろして顔を見せた時、そして背中を向けて豪奢な打掛を広げた時だ。息をのむ美貌でありながら、近寄りがたさよりも温かみで観るものを包む。ふて寝している伊左衛門に、病に伏せていた事情を伝えようとする姿には、儚さと色気があった。そこから始まる2人の踊りは、伊左衛門の言葉とは裏ハラな心のグラデーションと夕霧の思いを、情感豊かに描き出す。太鼓持ちも加わり、テンポを変えて楽しませる。歌舞伎の俳優と音楽の力で、痴話げんかにうっとりとさせられる時間となった。幕切れは2人に届いたおめでたい知らせに、吉田屋の人々も歌舞伎座の客席も一体となって拍手を贈った。幸せに包まれ終演した。歌舞伎座『三月大歌舞伎』は、3月26日(日)までの上演。
※公演が終了しましたので舞台写真の掲載を取り下げました。
取材・文=塚田史香
公演情報
畠山満家:中村芝翫
安積行秀:片岡愛之助
足利義嗣:坂東亀蔵
陰陽師土御門有世:中村亀鶴
茶道珍才:澤村宗之助
同 重才:大谷廣太郎
畠山左馬之助:市川染五郎
執事一色蔵人:市村橘太郎
執事日野忠雅:松本錦吾
明の使節雷春:澤村由次郎
廉子:市川高麗蔵
足利義満:河原崎権十郎
入江:中村雀右衛門
大星由良之助:松本幸四郎
竹森喜多八:坂東亀蔵
千崎弥五郎:中村福之助
矢間重太郎:中村歌之助
医者太田了竹:市村橘太郎
丁稚伊吾:市川男寅
大鷲文吾:中村松江
義平女房おその:片岡孝太郎
太郎冠者:河原崎権十郎
侍女千枝:坂東新悟
同 小枝:中村玉太郎
奥方玉の井:中村鴈治郎
平重衡の亡霊:片岡愛之助
善信尼:河合雪之丞
町の女小環:中村歌女之丞
女房長門:坂東新悟
蒲原太郎正重:中村亀鶴
烏男:市川男女蔵
阿証坊印西:中村鴈治郎
吉田屋喜左衛門:中村鴈治郎
太鼓持豊作:中村歌之助
阿波の大尽:片岡松之助
喜左衛門女房おきさ:上村吉弥
扇屋夕霧:坂東玉三郎