“陰の立役者”バレエ伴奏者に光を当てた好著『バレエ伴奏者の歴史』~華麗な舞台と稽古場をつなぐ

コラム
クラシック
舞台
2023.3.28

画像を全て表示(2件)


バレエダンサーのリハーサルや、日々の修練――クラスレッスンに欠かせないバレエピアニスト。華麗な舞台の表側には登場しないものの、その存在は極めて重要であることは言うまでもない。だがバレエ伴奏をピアニストが行うようになったのは19世紀も中盤を過ぎてから。それまでの、今でいうクラスレッスンの伴奏などはヴァイオリンやヴィオラなど、弦楽奏者により行われていたばかりでなく、バレエの教師は弦楽器のスキルも必須だったという、そんな時代があったのである。

本書『バレエ伴奏者の歴史』は、とくにパリ・オペラ座にかかわった「伴奏者」の歴史を、パリ・オペラ座やフランス国立図書館オペラ座図書館などの資料をもとに紐解いていく。さらにパリ・オペラ座バレエ団のピアニストやバレエ教師、本番の舞台で音楽を奏でる弦楽器奏者など、「現場の声」も掲載しつつ、様々な角度からバレエの魅力に迫る。(文章中敬称略)


■『シンデレラ』『ドガの小さな踊り子』にも見える「伴奏者」の姿

バレエピアニストが登場する以前、バレエの伴奏は弦楽器――主にヴァイオリンやヴィオラで行われていた――。そう聞いて、アシュトン振付『シンデレラ』、あるいはパリ・オペラ座の演目『ドガの小さな踊り子』を思い出す方もいるのではなかろうか。プロコフィエフ『シンデレラ』の1幕「踊りのレッスン」で登場する2人のヴァイオリン奏者や、『ドガの小さな踊り子』の1幕、リハーサル室のシーンで軽快に踊りまくるヴァイオリニストは、いずれも伴奏者というれっきとした歴史的裏付けに則った役割であったのかと思うと、なるほどと思わず手を打ちたくなる。

本書はそうした伴奏者の歴史を追うべく、1661年に「太陽王」ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とする、パリ・オペラ座パリ・オペラ座バレエ団の歴史の、350年余年の歴史にも立ち返る。自らもダンサーとしてバレエを踊った太陽王ルイ14世(1638-1715)の時代、華麗な宮廷文とともに生まれたバレエやそのポジション、あるいはオペラは、フランス革命を経て市民の手に渡る。そして革命後の18世紀末にオペラ座の規則が整備されることにより「レペティトゥール」なるバレエ教師兼伴奏者といえる職が資料に初めて登場するのだ。

このレペティトゥールはオーケストラ部門に所属する役職で、つまりオーケストラの演奏も行いながら、伴奏者も行った。そればかりではなく、彼らはバレエ教師でもあったというから驚きだ。つまりかつてのバレエ教師は、ヴァイオリン(あるいは弦楽器)を弾けなければならなかったのである。現代の常識で考えると「そんな無茶な」と言いたくなるかもしれないが、とはいえバレエはそもそも音楽とともにある芸術で、本書に登場するパリ・オペラ座バレエ団のバレエピアニスト、ミシェル・ディートランも「振付と音楽は芸術的に等しい関係を作らねばならない」というように、音楽と踊りは切っても切り離せない。楽器の演奏ができるほどのリズム感、音感を持つ者がバレエ教師を務めることに、何ら不思議はないなと思わせられる。

さらに本書では『コッペリア』の振付家として知られるアルテュール・サン=レオン(1821-1870)がパガニーニに師事したヴァイオリン奏者だったこと、バレエ伴奏とヴァイオリン、あるいはヴィオラの縁の深さからか、バレエ音楽には弦楽器のソロの名曲が多いことにもふれながら、東京フィル・コンサートマスター近藤薫や、首席ヴィオラ奏者の須藤三千代のインタビューも掲載。とくに須藤はヴィオラが奏でる『ジゼル』2幕の有名なヴァリエーションについて、「チェロとヴァイオリンの間の中音域を担当するヴィオラをもって」「天国にも行けない、かといって地上の存在にも戻れない、どちらにも行けない悲しさに音があっている」と語る。鑑賞の一助として心に留めておきたいコメントだ。


■「バレエピアニスト」教育は始まったばかり

ヴァイオリンによる伴奏を経て、最初のピアノ伴奏者がパリ・オペラ座で雇用されるのは1886年、『二羽の鳩』のリハーサルでのことだという。とはいえヴァイオリニストからピアニストへと、明確な切り替えが起こったというわけではなく、双方は共存しつつ、次第にピアノに切り替わっていったようで、ピアノによる伴奏が定着したのは1910年代らしい。そうした意味ではバレエが誕生して350年余年の年月の中で、「バレエピアニスト」の歴史は100年を超えたところだ。さらに「パリ国立高等音楽・舞踊学校でもダンス伴奏の専門教育課程が設置されたのは2011年になってから」とある通り、バレエの歴史そのものを体現するフランスのバレエにおいても、バレエピアニストの教育体系は整備されはじめたばかりといえよう。また日本においてもこれまでバレエピアニストは「現場でのたたき上げ」が主だったが、バレエへの関心が高まるとともに、音楽大学で専門コースを設けるところも出てくるなど、バレエ伴奏者の歴史は新たな段階に入ってきているようだ。

しかしながらウィーン国立歌劇場専属ピアニストの滝澤志野の「ダンサーが輝き、音楽の美しさも堪能できるテンポでオーケストラに手渡したい」という言葉に象徴されるように、「本番の舞台」という刹那の美の世界を作り上げるために、日々の長い時間をダンサーらに並走しながら舞台と稽古場をつなぐという、伴奏者の役割は変わらないにちがいない。さらにパリ・オペラ座バレエ団のバレエ教師であるアンドレイ・クレムの「バレエ伴奏者とは常に学び続ける人」、同じくバレエ団のエトワール、マチアス・エイマンの「僕にとって良い伴奏者とはダンサーに従って演奏をしてくれる人ではなく、まったく逆」といった言など、筆者がインタビューした現場のプロフェッショナル等の言葉はどれもそれぞれに興味深く、「伴奏者」というプリズムを通して様々な角度からバレエという芸術の側面を考えるきっかけを与えてくれるのである。

バレエという芸術のより奥深い部分を知るうえでも、手に取ってみたい一冊である。


作者紹介:永井玉藻
桐朋学園大学卒業。慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了。博士(音楽学)。専門は西洋音楽史(特に19~20世紀のフランス音楽)。現在、慶應義塾大学、白百合女子大学、桐朋学園大学ほか非常勤講師。共著に『《悪魔のロベール》とパリ・オペラ座 19世紀グランド・オペラ研究』など。6年間のフランス留学中にバレエの魅力に取り憑かれ、パリ・オペラ座に足繁く通うように。現在、ウェブメディア「バレエチャンネル」にて「【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー」連載中。

書籍情報

バレエ伴奏者の歴史
19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々

 
永井玉藻 著/音楽之友社
定価2,420円 (本体2,200円+税)
公式サイト:https://www.ongakunotomo.co.jp/catalog/detail.php?id=250340
シェア / 保存先を選択