仁左衛門のいがみの権太、松緑の狐忠信による『義経千本桜』、中車の又平、芝翫の児雷也、福助の芸者が彩る『六月大歌舞伎』観劇レポート
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歌舞伎座新開場十周年 『六月大歌舞伎
2023年6月3日(土)に歌舞伎座で、歌舞伎座新開場十周年『六月大歌舞伎』が開幕した。名作義太夫狂言から様式美で魅了する歌舞伎ならではの演目まで、充実の「昼の部」と「夜の部」をレポートする。
■昼の部 11時開演
一、三代猿之助四十八撰の内 傾城反魂香(けいせいはんごんこう)
「吃又(どもまた)」の通称で知られる『傾城反魂香』。“どもり”のある絵師の又平を市川中車が初役で勤める。女房おとくに、中村壱太郎。
「土佐将監閑居」
竹本葵太夫の語りで一気に引き込まれる。夫婦が師匠の土佐将監を訪れる場面からはじまる。又平に「土佐」の苗字をくれるようお願いにきたのだ。出迎えるのは、女中お百(市川寿猿)。そこへ茂みから、突然虎が現れる。土佐将監光信(中村歌六)は、虎が絵から抜け出てきたものだと見抜く。そして又平の弟弟子(おとうとでし)にあたる修理之助(市川團子)が筆の力で虎を制する。手柄を立てた修理之助は「土佐」の名前をもらう。又平は焦り、どもりながらも躍起になる。そこへ狩野雅楽之助(中村歌昇)が颯爽と、銀杏の前が連れ去られたことを知らせにくる。ここでも救出に抜擢されたのは修理之助だった。思いつめた又平は……。
弟弟子に出世を越された又平の表情は見る間に沈んでいった。うろたえる目線が語るのは、修理之助への嫉妬でも自己憐憫でもなく、おとくへの申し訳なさ、不甲斐なさ。今の時代でも共感できる心の痛みがそこにあり、おとぎ話のような物語にもそこに生きる人間の息づかいを想像した。おとくは、又平の代わりによく喋る。出しゃばりな性格というより、又平の思いをなんとか叶えてあげたい一心の、愛情深い女房だ。筆をもった又平の手を包み込んでやる時、おとくの手のぬくもりが伝わってくるようだった。お互いを思いやる姿が美しかった。
又平の絵の才能と強い思いは、奇跡を起こす。又平とおとくは驚き、喜び、鼓と踊りという歌舞伎らしい見せ方で、天井知らずの幸せを描く。花道の2人に、大きな拍手が降り注いだ。
「浮世又平住家」
さらに「戯場花名画彩色(かぶきのはなめいがのいろどり)」と題された、目くるめく踊りがメインの作品だ。
舞台は又平の家。先ほど「連れ去られた」と聞かされた銀杏の前(中村米吉)は、自力で脱出。愛らしく浮世離れしたお姫様が、舞台を華やかにする。行方を追って不破伴左衛門(市川男女蔵)、家来の饗庭太郎(市川男寅)、小幡次郎(中村福之助)、醍醐三郎(中村玉太郎)、蒲生四郎(中村歌之助)がおしかけてくると、襖に描かれていた大津絵から、粋な奴(市川青虎)、可憐な藤娘(市川笑也)、妖艶な鯰(坂東新悟)、小気味よい座頭(市川猿弥)が抜け出して……。一人登場するたびに客席はワッと盛り上がった。
歌舞伎に限らず、舞台に立つ俳優が「日常を忘れて楽しんでほしい」と意気込みを語ることはしばしばある。まさにそんな、幸せな『吃又』だった。幕切れでは目の前の舞台に立つ俳優たちに拍手をおくり、この演目を繋いできたすべての人への思いも込めて今一度拍手をした。
二、児雷也(じらいや)
蝦蟇の妖術を使う盗賊の児雷也に、中村芝翫。妖婦越路、実は綱手に片岡孝太郎。山賊夜叉五郎に尾上松緑、高砂勇美之助に中村橋之助、仙素道人に中村松江。
場内が暗転し、太鼓の音が響く。そこは山奥の家。山桜が夜の闇に映えている。そこへ一人の美しい侍、児雷也が一夜の宿を頼みにくる。家に招きいれたのは越路。児雷也はその美しさにあっという間に心を奪われるが……。大きな蝦蟇の登場で、ファンタジー色が一層強まる。「藤橋だんまりの場」は、ほの暗い妖しい空気の中で役者が行き交い、形が決まった途端に、大判錦絵から飛び出してくるような鮮やかさ。闇が晴れて虹がかかると、白昼夢をみたような浮遊感が残った。
幕切れは蝦蟇が、今ひとたび場内を盛り上げる。そして花道からふたたび児雷也が現れる。絢爛な衣裳がこの上なくよく似合う豪傑ぶり。「成駒屋!」「八代目!」の大向うが、児雷也を一層大きく見せるよう。歌舞伎の古典に受け継がれてきた有無を言わせぬ力技の高揚感と凄みを、ぜひ花道を見やすい席で体感してほしい。
三、扇獅子(おうぎじし)
浅葱幕が振り落とされると、3人の芸者(中村壱太郎、坂東新悟、中村児太郎)。あでやかで美しい立ち姿は、微塵も動かないうちから、客席をおおいに喜ばせた。本作は、日本橋の芸者衆のために創作された。
中村種之助、中村米吉の芸者も交え、春から季節を巡り、廓の風景を緩急織り交ぜて踊りで描き出す。舞台正面に橋がせり上がり、中村福助の芸者が場内を見つめる。その目線の先から、花が開くようにため息がもれ、拍手がおこった。魔法のようだった。さらに花道から5人の赤い毛の獅子が登場する。若手女方の勢いのある毛振りで華やかに結ばれた。
■夜の部 16時開演
夜の部では『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』より、片岡仁左衛門がいがみの権太を勤める「木の実」「小金吾討死」「すし屋」と、尾上松緑が佐藤忠信、佐藤忠信実は源九郎狐を勤める「川連法眼(かわつらほうげん)館(通称:四の切)」が上演される。
「木の実」
壇ノ浦の戦い後、追われる立場となった平家の人々。「木の実」では、平維盛の妻・若葉の内侍(孝太郎)、息子・六代君(中村種太郎)、お供の小金吾(片岡千之助)が逃げる旅の途中で椎の木の実を拾っているところ、男に出会う。それは旅人を装った、いがみの権太だった。権太は言いがかりをつけて、若葉の内侍たちから大金を強請りとるのだった。
この時、ちょうど留守にしていた茶店の主が、実は権太の女房・小せん(上村吉弥)だった。息子の善太郎(中村秀乃介)もいる。権太は実家を勘当されている身だが、子どもと向き合う時は自らも子どものような無邪気な笑顔を見せた。さいころを転がしたり笛を鳴らしたり。女房は、博打や騙りに明け暮れる権太を諫めつつも、じゃれ合うような仲の良さ。家族の幸せな光景だ。家族3人は、花道を通り拍手に包まれながら帰路についた。
「小金吾討死」
捕り手に囲まれる小金吾は、若者らしい凛々しさと儚さが煌めかせた。そこへ通りかかる弥左衛門(歌六)。小金吾の亡骸を見つけると、刀を振り上げて……。
「すし屋」
逃げ延びた若葉の内侍と六代君が、偶然行きついたのは弥左衛門が営む「すし屋」だった。実は権太の実家であり、権太の父・弥左衛門、母・お米(中村梅花)、妹・お里(壱太郎)が暮らし、さらに偶然にも平維盛(中村錦之助)が奉公人・弥助と名を変えて匿われていた。なお、“すし”は(江戸前のにぎりではなく)木の桶に仕込む馴れ鮨のこと。店先に並ぶすし桶が一家の運命に関わってくる。
お里と弥助、権太とお米の家族のやり取りには微笑ましさと情愛があり、ホームドラマのような温かさを感じた。帰宅した弥左衛門と弥助の掛け合いも最初はコミカルだった。しかし弥左衛門がひとりになると、静まり返った舞台から足音だけが聞こえ、時折三味線が鳴り、緊張感が高まる。そして「小金吾討死」の伏線が明らかになる。まもなく平家の残党を探す梶原景時(坂東彌十郎)がやってくると知るやいなや、権太は桶のひとつを取り上げて、力強く駆け出していく……。
権太は母からお金をとろうとした時、水で目を濡らしてまで嘘泣きをした。しかし梶原の前では、本物の涙を松明の煙のせいにして隠そうとした。「木の実」で親子3人賑やかに帰った花道を、女房と子は沈黙のまま連れていかれ、権太は感情を殺してひとりそれを見送った。子どもと鳴らした笛は、悲しく痛ましい音を奏でた。息も絶え絶えに本心を明かす権太の向こうに、なにげなくも幸せだった姿がいくつも重なった。
「川連法眼館(四の切)」
源頼朝の追手から逃げる源義経のエピソード。義経(中村時蔵)は、川連法眼(中村東蔵)の館に匿われている。そこへ義経の忠臣・佐藤忠信(松緑)が病から復帰して、挨拶に訪れる。忠信は、病み上がりだというのに義経から身に覚えのないことで責められる。そこへ義経の愛妾・静御前(中村魁春)が、もうひとりの佐藤忠信と館に到着。忠信が2人? という困った事態に。忠信と偽忠信の詮議をするべく、静御前は鼓をうって忠信を呼ぶ。その正体は、鼓を親と慕う仔狐で……。
松緑の佐藤忠信は、生締めの鬘に文楽人形のような端正で明瞭な顔立ち。ストイックな武士だった。偽忠信が狐の姿をあらわしてからは、松緑の壮健な体を白い毛の狐の衣裳が覆う。ふとした瞬間のリアクションは子どもの狐の愛らしさ。紡ぎ出される一つひとつの優美な動きは、人ならざるものの存在感で、目を離すことができなかった。市川門之助の飛鳥、坂東亀蔵の駿河次郎、尾上左近の亀井六郎が折り目正しく脇を固めていた。義経と静から鼓を受け取り、うれしさを爆発させる仔狐を、熱い拍手で見送った。
『六月大歌舞伎』は、6月3日(土)から25日(日)までの上演。
取材・文=塚田史香
※公演が終了しましたので舞台写真の掲載を取り下げました。