【インタビュー】日高郁人&青木いつ希「故郷島根を元気にしたい!」 3/23に『ご縁の国しまねツアー』開催
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『ご縁の国しまねツアー2024 益田大会』が、3月23日(土)に益田市民体育館(島根県)で開催される
日高郁人が主宰するプロレス団体・ショーンキャプチャーの主催興行『ご縁の国しまねツアー2024 益田大会』が、3月23日(土)に益田市民体育館(島根県)で開催される。
益田市出身の日高郁人と、浜田市出身の青木いつ希らが、4年4ヶ月ぶりに島根県に凱旋
益田市出身の日高郁人と、浜田市出身の青木いつ希が、4年4ヶ月ぶりに島根県に凱旋し、『ご縁の国しまねツアー』を開催する。当日は絆の力で“父娘”となった2人が、故郷の子どもたちに「夢への距離は遠いものじゃないって実感して欲しい」とメッセージを贈る。
そこで『ご縁の国しまねツアー2024 益田大会』について、日高郁人と青木いつ希に話を聞いた。
日高は1997年に格闘探偵団バトラーツでデビュー。その後は数多のリングを転戦し、長年ZERO1に所属して活躍。2020年には自身の経営する株式会社ショーンキャプチャーの経営に専念するために独立し、現在はショーンキャプチャー所属のレスラーとして、メジャー・インディーを問わず数多の団体に参戦中。バチバチファイトからコミカルな役回りまで一線級の実力を持つ頼れるベテランだ。
青木は2017年に大阪の社会人団体・ジャパンプロレス2000でデビュー。まったくプロレスラーになる気がなかった青木は、数奇な運命に巻き込まれて選手としてデビューすることとなるが、その元気と笑顔溢れるファイトで高い人気を獲得。現在は数多の女子団体でタイトルに絡む活躍を見せている。2020年からは日高率いるショーンキャプチャー所属となり、さらに活躍の場を広げた。
日高郁人
青木いつ希
“親娘タッグ”で島根を元気にする
2人はともに島根県出身。日高は2011年に、青木は今年2月に島根県のふるさと親善大使『遣島使』に就任。師弟ともに島根県を代表するレスラーとなり、島根県の魅力を伝えている。
島根県を代表するプロレスラーといえば、全日本女子プロレスで活躍した“飛翔天女”豊田真奈美さんがいるが、豊田さんは『ご縁の国しまねツアー』の最高顧問を務めている。また、日高は豊田さんから必殺技であるジャパニーズ・オーシャン・サイクロン・スープレックスを継承。青木も同技をアレンジした変形バックドロップを伝授されるなど、後継者的な扱いも受けている。
この『ご縁の国しまねツアー』(益田大会)は日高がバトラーツ時代から開催していた大会だが、2011年からは日高自身の手で、島根県の協力・後援を得て行われるように。小中学生以下は入場無料での開催を続けるなど、島根の子どもたちにプロレスと出会うキッカケを届けている。
コロナ禍の影響もあって開催が途絶えていた『ご縁の国しまねツアー』だが、今回は約4年4ヶ月ぶりに復活。今大会の成功に向けて奔走する2人に話を聞いた。
「夢への距離は遠いものじゃないって実感して欲しい」――島根県の子どもたちにプロレスを届ける『ご縁の国しまねツアー』のテーマと、故郷凱旋大会への思い
――まずは、この『ご縁の国しまねツアー』の大会コンセプトを教えてください
日高:元々最初は僕が格闘探偵団バトラーツでデビューして、そこでもデビュー2年目から益田大会を行ってましたし、昔のZERO1時代も最初のうちはZERO1の地方興行で凱旋興行の一環として行っていたんです。そこから自分でやろうと思って株式会社ショーンキャプチャーで開催するようになったんですけど、出雲大社からちょっと先に行ったところに稲佐の浜ってところがありまして。神話の話で、10月を神無月っていうのを、出雲地方では“神在月”って呼ぶっていう。そのときに神在祭っていうのがあって、神様が海の中から上ってこられて出雲大社まで歩かれるというのが、神在祭で旧暦の10月10日に毎年行われるんですけど、その浜でやりたいと思って2012年にリングを浜に組んで試合したことがあったんです。その年の秋から私の会社主宰で島根の大会をやるようになりました。
自分の生まれ故郷で今の自分を見てもらうとか、凱旋興行として年に1度のお祭りで帰るんじゃなくて、東京で闘っているありのままの日高郁人を、田舎から出てきた日高郁人を見て欲しいなと。コンセプトとしては、「東京でやっているものをそのまま地元に持ってきたい「というのがあります。その時々にやっていた流れのままのカードを組んでやってきていました。
もう1つは地元の人に対して、「この田舎から出てきた日高郁人はこうやってプロレスラーとしてやってるんだよ」ということを見て欲しいなと思って。子どもたちには近い存在というか、地元から出た先輩が活躍している姿を見てもらって、「夢への距離は遠いものじゃないんだ」って実感して欲しかったというのが、僕の中のコンセプトですね。なので、毎年大会の前には各市の教育委員会さんを通じて、学校の方で出前授業、講演をして、そこの子どもたちと一緒に運動して汗を流すと、そういことをやってきています。
――この大会は島根県の後援を受けていると聞きましたが、これは珍しいことだと思います
日高:僕の地元の益田市に萩・石見空港っていうのがあって。これは県の施設なんですが、萩・石見空港利用促進協議会さんからの協賛もいただいています。今回は大会が行われる益田市と教育委員会からも後援をいただいています。県から後援をいただいているプロレス大会っていうのもそう無いと思うんです。今回は4年4ヶ月ぶりなんですよ、コロナ禍の間やれなかったから。
最後やった2019年も、県の後援とか市の後援とかでお願いをして回ったときと担当者も変わってたりしたんですけど、皆さん知っていてくださって。「日高さん、いつもありがとうございます」「いつも島根県のPRありがとうございます」とか言っていただいたりして、スムーズに事が運んだので。青木いつ希の遣島使就任を推薦したときもそうだったんですけど、すべてがスムーズに進んだことが何年もやり続けてきた成果かなと思いますね。県に認めていただくプロレス大会としてしっかりやっていきたいですね。
今まで僕が所属していたZERO1には、岩﨑永遠っていう江津市出身の子が後輩として入ってきて一緒にやってくれてましたけど、永遠も独立して、青木が来て。今までと形が違いますけど、青木と2人で色々動きやすい部分があります。僕は今まで続けてきたことに対して応援してくださる皆さんが、これからは青木いつ希を応援してくださるように、僕は自分の活動を通じてこの青木いつ希を島根県の皆さんにアピールして行きたいと思っています。
丸山達也島根県知事と
――日高選手から愛されていますね!
青木:ふふふふ、現時点で唯一の後継者なので(笑)。
――青木選手はデビュー前にファンとして地元でこの大会を見ていたのでしょうか?
青木:…………(※気まずそうに笑いながら目をそらす)。
日高:それがね、見てないんですよ(笑)。
青木:見てないんですよぉ~(笑)。存在は知ってたんですけど、正直あんまりZERO1の選手の方々を存じ上げなくて。島根県益田市出身の日高さんっていう、髪の毛が金色のツンツンの怖い人がいるってことはなんか知ってました(笑)。参戦する側としては、所属前からさせていただいてます。ショーンキャプチャー所属としては、今回が初めてですね。
――そんなお2人が知り合ったキッカケはどのようなものだったのでしょう?
青木:自分は大阪で2017年にデビューしてるんですけど、その頃から島根県浜田市出身っていうのを言っていて。2年目か3年目くらい……。
日高:2年目だね。2018年。
青木:自分がまだ大阪に住んでいた頃なんですが、日高さんが知人の方に「大阪で島根県出身の子がデビューしたって聞いたんですけど知ってますか?」って聞いてくださったみたいで、その方がちょうど自分がお世話になってる方だったんです。「青木でしょ? 知ってるよ~」って紹介していただいて。そのとき初めてお会いしました。
――その当時は師弟で島根県に凱旋することになるとは思っていなかったですか?
青木:いやぁ~、あんまり思ってなかったんです。で日高さんも島根での活動をしていくにあたって島根県出身者が増えて欲しいなと思ってる中で、私が島根県出身、さらに石見地方出身者というのもあって「オレが面倒みようか」と言ってくださったんです。島根県民ってなんかとっても仲間意識が強くて、出身地方まで近いと余計にですね。それに私も島根県のことが本当に大好きで島根県での活動もしていきたかったんですよ。日高さんが毎年大会をされているのも知っていましたし、島根でも試合がしたいし、県庁訪問とかもされていたので。島根県での活動をしたいって考えたら、日高さんの元にいるのが一番だなって思ったので、それで「お世話になりたいです」と言わせていただいて。
日高:僕側からの目線で話すと、「浜田出身の子がデビューしたんですよ」って聞いて、知人を通じて会わせてもらって。それが社会人団体って聞いて、思ったことがあって。僕自身が新弟子をやって、みっちりスパーリングやって鍛えてもらってからデビューしているので、プロレスラーの出処は重要視しているところがあって。島根って横に長くて、出雲地方と石見地方に分かれてるんですよ。それで同じ石見地方の子がデビューしてる以上、やっぱり“本物”にしてあげたいなって。余計なお世話だったかもしれないですけど。島根の大会に出るなら出るで、“本物”のプロレスラーとして故郷に錦を飾ってほしいと思ったんです。
でも、そのとき青木はまだ学生だったんでね。学校の卒業を機に、ショーンキャプチャーに来てもらうことになって。それで2020年4月1日付で入って。コロナ禍の中でこっちに来たので、今回ショーンキャプチャーの所属として島根に帰るのは初めてなんです。錦、飾って欲しいですねぇ~。
「島根県にゆかりある技でどんどん勝って名前を広めていきたい」――島根県のふるさと親善大使『遣島使』となったプロレスラー2人が語る夢と使命
――青木選手、改めて遣島使就任おめでとうございます!
青木:ありがとうございます~(照)。
――遣島使についてお聞きしたいと思います。まず、日高選手は遣島使としてどのような活動をしてきたのでしょう
日高:プロレスを通じて島根県を全国にアピールするっていうのはプロレスラーにしか出来ないことなので。僕のフィニッシュホールドは“石見銀山”って言うんですけど、これも当時の島根県知事だった溝口善兵衛さんに直接許可をいただいてそれを名乗ってます。他にも、僕の地元の益田市にある清流日本一の“高津川”ってのを技の名前にしてるんですけど、僕がその技で勝つたびに島根にゆかりある名前が流れるわけで。僕はコスチュームに「ご縁の国しまね」って入れてて……。今は青木も入れてるんですけど、そういうプロレスラーにしか出来ない方法で島根県をより多くの方に知ってもらいたいと。そういう私の思いに応えてくださったのが『秘密結社鷹の爪』の作者のFROGMANさんでして。FROGMANさんは毎年島根県で大会をやるたびに、島根県出身のキャラクター・吉田くんをオリジナルで描いていただいて、応援をしていただいています。
――青木選手はまだなりたてほやほやですが、遣島使のプロレスラーとしてどのような活動をしていきたいですか?
青木:自分も技名に塵輪や鍾馗、大黒落としなど、地元・島根県の伝統芸能である石見神楽の演目を技名にしているので、そういう技でどんどん勝っていって。これ、正直読みづらいですよね。だからその読み方とかを話題の1つとして、「これなんなの?」から「石見神楽っていうのがあって」って地元の伝統芸能のこととかも伝えられたらと思います。
あと、島根県でどんどん大会をやっていく中で東京の人が島根に来るっていうのは、大阪に行くとか名古屋に行くとかって話とは全然違うので……。「もし島根に来るんだったらこういうご飯屋さんがありますよ」とか、「こういう水族館がありますよ」とか、大会開催の機会に皆様に告知していって、そんなに大きい力にはなれないかもですけど、少しでも地元の経済を回すために微力でも力になれたらと思ってます。
島根県のふるさと親善大使『遣島使』の2人
「この子は俺が責任持って育てないとダメだな」――初代タイガーマスクに憧れて島根を飛び出した男と、運命に翻弄されて人生のドン底に落ちてしまった女が“親娘プロレスラー”になるまで
――改めてお2人のプロレスラーのルーツについてお聞きしたいと思います。まず、日高選手はなぜプロレスラーになろうと思ったのでしょうか
日高:私は“初代タイガーマスク”佐山サトル先生に憧れて子供の頃からプロレスラーになりたくて。父は昨年の夏に他界したんですが、当時は「お前みたいな小さい奴がなれるわけない」って頭ごなしにダメと言われて。なので1度就職をしたんですけど……。こういう言い方をしたら誤解が生まれるかもしれないんですが、入社して4月2日に研修をして、寮に帰る電車でおじさんたちが疲れた顔で電車に乗ってるのを見たんですよ。それを見て、「このままだったら俺もこうなるんだな」って思って。それだったら悔いのない人生を送りたいと思って、もう1度プロレスラーを目指すことにしました。まあ、ぶっちゃけ今は僕が疲れて電車に乗るおじさんになってるんですけど(笑)。
プロレスラーを目指すとなったら、まずは親父の説得だと思って。このまま行ってもまたダメって言われるから、体重を増やして身体をデカくしたら親父は納得するだろうと思って、パンクラスismの伊藤崇文とかと当時練習をしてて、20kgくらい体重を増やしてまた親父のところに行ったんですけど、また頭ごなしに「ダメ」と言われて。もう実家を離れるしか無いと思ってたら、兄貴が僕のいないところで親父に話してくれたみたいで。それで急に態度が変わって「頑張ってみろ」って。それで家族の理解が出来て、格闘探偵団バトラーツでプロレスラーとしてデビュー出来たと。これが1997年ですね。……これ、実に青木が生まれた年です(笑)。
――安定した生活を捨ててまでプロレスラーになる覚悟には畏敬の念を抱きます
日高:僕が入ったのが大きい企業の系列会社だったんで、条件も良かったんです。それを1年ちょっとで辞めて、フリーターになりながら伊藤たちと毎日プロレスラーを目指して練習する生活になったんで、お金無いじゃないですか?(笑)。「ああ、前のとこいたときにはあったんだけどなぁ」とか思ったりもしましたね。
バトラーツに入ってからはバトラーツの寮に住ませてもらってたんで、住むところとちゃんとあったんです。次の月にデビューするってことが決まったときに、石川雄規さんが「日高、お前も来月デビューだからプロレスラーだ。だから給料だ!」って初めて渡されたんですよ。それがね、〇万円だったんですよ(笑)。でもね、過去現在で1番嬉しい〇万円でしたね。プロレスラーとして初めていただいたお金でしたから。これがね、『北の国から』だったらそのお金は使わないんですけど、ソッコーで使いましたね(笑)。
日高郁人
――青木選手も子供の頃からプロレスラーになりたかったのでしょうか?
青木:私の場合はすごく特殊で、プロレスラーになる気は全く無かったんですよ。父親の影響でプロレスを見るのは好きだったんですけど、体育の授業が大嫌いで、運動が嫌いで、器械体操の授業は単位ギリギリまで休むくらい嫌いだったんです。ちょっと話が長くなっちゃうんですけど、大学の入学のために島根県から大阪に出たんです。アパートも借りて、あと数日で入学式……ってときに、父親が1枚書類を出し忘れてて大学の入学が取り消しになったんですよ(笑)。大学に取り合ってみても結局ダメで、1年間フリーターになったんです。
私、大学もプロレスに関する小論文を書いてAO入試で受かったんです。そういうのもあって、「やらかしてしまった……」って気持ちになってた父親が、「この子はプロレスのお手伝いをしたら元気になるかも」と思ったらしくて。そんな時にたまたま見つけたのが私が元いた団体で。父親がそのときの代表に事情をメールで話して、「お手伝いをさせて元気を出させてあげてください」と勝手に頼んでいて。父親も大阪のことなんか知らないんで、本当にたまたま目についたその団体に連絡して私がそこに挨拶に行くことになってて。そんな話は知らなかったんで、私は(笑)。
それで、父親が勝手なことしたから謝りに行こうと思って、その団体の大会に行って代表の方とお話をして、「学校はこれからもう1回頑張ろうと思ってます」と伝えたんですけど、「プロレスの方はどう?」って聞かれて。「運動も苦手というか嫌いだし出来ないので、スタッフならやりたいです。前は演劇部にいたので、音響とか照明なら出来ます。もし練習して出来るものならレフェリーとかやりたいです」と伝えたら、「それも良いけど、選手になってみないか?」と言われて。もう正直、1年間フリーになって自暴自棄だったんで……。
これはあんまり言っていいことじゃないですけど、「大きい怪我をしてもなにがあってもあんまり後悔しないだろう」って思ったんですよ。でも、初めての練習に参加したら、大学がダメになっちゃってからの1ヶ月くらいで、久しぶりに楽しいと思えたんですよ。今思うと、そういう初心者の人を楽しませるような練習メニューだったんですよね(笑)。プロレスの試合でよく見る動きみたいのをいっぱいやらせてもらって(笑)。それで1年間もあれば向き不向きも分かるだろうと思って楽しく練習生を始めたら、いろんな方の手助けをいただいて。デビュー3ヶ月前にはREINA女子プロレスさんに出稽古に行かせていただいたりして、2017年4月になんにも出来ないけどデビューはしました。
大学の入学が取り消しになったことで、全部の悪いものを削ぎ落としたかのようで、プロレス界に入ってからは人との出会いにメチャクチャ恵まれて。すごくいろんな人が気にかけてくださって、女子プロレス団体さんに出させていただいたり、大阪にある団体さんとか、他にも「大阪大会のときは呼ぶね」って言っていただいたりとか。他にも、そこの各団体さんの先輩方にアドバイスを沢山いただいたり気にかけていただいたり、大阪にいるタコヤキーダーさんとかがいっぱい練習を見てくださって。それで、最終的に日高さんに拾っていただいて、「私はプロレスラーです」って言って許される程度にしてもらいました(笑)。
――“本物”のプロレスラーになったわけですね
青木:いや、まだなりかけですね(笑)。
――それにしても数奇な運命での出会いですね
青木:ジョースター家もビックリ(笑)。島根県の血の運命(さだめ)が引き合わせてますよ!
日高:僕ね、この子と初めて会ったときに、僕と同じように目が細いから「これは石見地方の顔なんだ。そうか、この子は俺が責任持って育てないとダメだな」と思ったんです。そしたら、お父さんが横浜出身だったんですよ(笑)。
青木:しかも同じ石見地方の岩﨑永遠さんメッチャ目がデカいから(笑)。たまたまウチらが目が細いだけですよ。
日高:なんなら俺の兄貴と母親も目ェデカいですからね。
青木:でも、結局それで親娘ばりに似てきたんで、“親娘タッグ”ってのが出来上がったんですよね。
――運命的な出会いをされたわけですが、青木選手から見て日高選手はどういう存在なのでしょう
青木:師匠だし、社長だし、偉い人で、プロレス界の中でもキャリアも実力もあって、今までいろんなベルトを獲って、東スポの(プロレス大賞の)最優秀タッグチーム賞を受賞したりとか。スゴい人なんですけど、自分にとって師匠で社長で父親なので(笑)。自分が多分、今の青木いつ希でいられるのは日高さんのおかげなんです。でもね、これ1回言われたんですけど、私がやる「よろしくお願いしまあああああす!!」とかも、別にあんまり別に好きじゃないっていう(笑)。
日高:言いましたね(笑)。
青木:あんまり好きじゃないけど「まあ、お前の個性だから……」みたいな感じで。私個人の性格とか、適正とかを見て育ててくださってて。なので、本当に師匠で社長で父親で、偉い人だけど、プロレス界の中で一番自分のことをわかってくれてて。自分を自分らしく育ててくれる人。……やっぱ父親ですね。だから、「うん」なんて返事が出ちゃうんですね(笑)。
日高:友達かよ!(※)
※インタビュー開始前の会話の中でも、青木が日高に「うん」とうっかりタメ口で返事をしてしまい、日高が面食らう場面があった
青木:これ、どうでもいい話なんですけど、自分がスケジュールの話でどうしてもどうにかしたいことがあって、「どうにかならないんですか!?」ってメチャクチャ駄々こねたことがあって。でも日高さんは怒るんじゃなくて、「でもね、これはこれこれこうだからどうにもできないから、その気持ちはわかるんだけどね」って説得してくれたんですよ。それで私が最終的に「じゃあもういいです!」って諦めたら、「やめろよ! そういう捨て台詞は!」って(笑)。最近心を開きすぎたがゆえに反抗期を迎えていて……。
日高:迎えるなよ!
青木:「お前は昔より心が強くなったけど、強くなりすぎて最近はちょっと横柄だ」って言われました(笑)。ホントに父親なんですよね。こないだ実の父親と会ったらちょっと人見知りしちゃいました(笑)。こないだ島根に帰ったとき、父親と日高さんが挨拶する場面に初めて出くわしたんですよ。そしたら、いつも一緒にいるほうが日高さんなので、自然と日高さんの方に寄ってて父親に対してずっと頭下げてました(笑)。実の親より全然会ってますからね。
――逆に、日高選手から見た青木選手はどういう存在なのでしょう
日高:何ヶ月か前にふと昔の写真とかを見たんです。青木が最初に参戦したときの写真とか。会って話はしたけど、そのときは試合も見たこと無かったんで。そのときのことを思い出すと「プロレスラーとしてはひどかったな」って思い出して(笑)。そのときを思えば、すごく成長してくれたなと思ってますよ。ショーンキャプチャー所属になって、最初は大阪から通ってて、その年の秋に完全に東京に引っ越してきて。2020年11月15日にCLUB CITTA'で関東から島根をアピールするための『ご縁の国しまねツアー』をやったんですよ。その前に9月に大阪で興行を組んだんですけど、直前に青木がコロナになって、青木のための大会なのに青木が出れないって事態が発生して(笑)。でもこの11月の大会のときには青木がいて、2人だとすごく精神的に楽だなと思って。
豊田真奈美さんは僕の同郷の先輩で、『ご縁の国しまねツアー』の最高顧問をやってくださっていて。この日の青木の試合を見ていた豊田さんが、いろいろ注意をしてくださって。僕は将来的に豊田さんからジャパニーズ・オーシャン殺法を青木に伝授してほしいっていうのがあったんですけど、そのときには「遠いな、道のりは」と思いましたね。売店の手伝いとかでたまに青木の試合を見に行って、試合で明らかに他の選手よりも体力的に劣っている姿を見たりとか。本人もわかってるからそういうときには落ち込んでるんで、そういうのを見て「育成をしなきゃな」と思ったんですけど、2022年の8月にWAVEの大会で初めてタッグを組んだんですよ。組んで試合をしてみたあとには、「青木、お前意外と頼りになるな」って言いました。僕の求めているものに向けて追いかけて、成長してくれているなと感じました。
その翌年にはまたWAVEさんに参戦してタッグのベルトを獲って、しばらく防衛戦もやっていきました。僕はいろんな人とタッグチームとしてやって来ましたけど、男女で組むのもほぼ初めてだったから。今までのチームとは違うもの、お客さんを楽しませるもの、自分を納得するものが出来ると感じましたね。成長してくれましたよ。僕は性格が細かいのに対して、青木のプロレスは大雑把なところがあるんで、そういうところは緻密にさせたいなと。
あとは、僕が東京スポーツ社制定の最優秀タッグ賞を藤田ミノルと獲ったんですけど、これで歴史に名を残せたと思ってるんです。歴代の受賞者は引退したあとも名前は残っていくんで。青木にもそういう歴史に名を残させたいと思います。
――先程青木選手からは「師匠で社長で父親」と言葉がありましたが、青木選手のことを娘のようには感じますか?
日高:弟子で社員で……秘書的な役割をしてくれればいいなと思ってますね。このホカクドウも今年から青木に店長やってもらってるんで。株式会社ショーンキャプチャーって、お互いプロレスラーですけど、プロレス興行もあって、高円寺のフレンジってジムもあって。それ以外にも会社の仕事もいろいろあるので。そういう中で青木に完全に任せられる状態になったなと思って、今年から店長をやってもらってるんで。だから、そういう点で社員としてもすごく力になってもらってますね。
青木いつ希
「子どもたちにも同世代の人間にも夢を見せたい」「大好きな水波さんと闘う姿を地元のみんなに見てもらいたい」――日高と青木が語る全対戦カードのみどころ解説
▼シングルマッチ 15分1本勝負
シマネリオ(島根県公認マスクマン)
vs
ボンバータツヤ(JTO/島根県松江市出身)
日高:第1試合に出るシマネリオは、2020年のこの大会で僕がデビューさせたマスクマンです。毎年県知事訪問をしてるときに、ミステリオのマスクのここ(※もみあげ部分)を島根県の地図にして、ちゃんと許可を取って県章も入れたマスクを被って、当時の溝口知事と2人でマスクを被って写真を撮ったことが始まりで、「これをちゃんとプロレスラーにしたいな」と思って誕生した選手です。島根ツアー限定で出てもらってます。僕はやっぱりグッドシェイプで動きがキレてる選手が好きなので、いい試合をしてくれると思います。
相手のボンバータツヤ選手は松江市の出身なので、ぜひ出てほしいなと思って。だから第1試合からキビキビとした試合が見られると思います。
▼タッグマッチ 20分1本勝負
世羅りさ(プロミネンス)/しゃあ(T-HEARTS)
vs
[1111]柳川澄樺(JTO)/神姫楽ミサ(JTO)
――先日、しゃあ選手が豊田真奈美さんの姪っ子だと公表されました
日高:これは少なからず我々ショーンキャプチャーにも影響があることですからね(笑)。これは出てもらわないと! あと、世羅りさは島根からほど近い広島の世羅町ってとこ出身なんですけどね、僕の天敵みたいな感じですね。……なんで天敵になったんだっけ? なんか文句言って来るんだっけ? まあ、前にもアイスリボン所属のときから益田大会には出てもらってるんで。
相手の神姫楽選手はSEAdLINNNGでよく見てますし、ショーンキャプチャーの『日高祭in高円寺』に1回出てもらったことがありますね。柳川選手は初めてなんですけど、柳川選手はアウフギーサーとしても世界大会に出てるんですね。実は当日に益田市のサウナでアウフギーサーのイベントやってもらうんですよ。僕もサウナが好きなんで行きたいんですけど、残念ながら興行の準備で行けそうにないのが心残りではありますね。ともかく、1111で世羅りさを倒してほしいです!
▼JTO提供試合 タッグマッチ 30本1本勝負
ファイヤー勝巳(JTO)/十文字アキラ (JTO)
vs
夕張源太(JTO)/KEITA(JTO/島根県益田市出身)
日高:SNS上でなんか言い合いをしていたので、ここでタッグマッチやってもらおうと思って。KEITA選手が益田市の出身なんですけど、彼は僕がバトラーツの頃に体育館で試合をしていたのを見ているんですね。今はヒールのチームにいるんでしょうけど、凱旋に間違いはないので、カッコいい姿を見せて故郷に錦を飾って欲しいですね。
――今大会はJTOの選手がかなり多く参戦していますが、なにか理由はあるのでしょうか
日高:僕がTAKAさんとやるってのもありますけど、KEITA選手もボンバー選手も島根県出身で、柳川さんもサウナでイベントやってくれたりとか、ミサ選手もフェスに出たりSEAdLINNNGでいつも見てくれたりとか、JTOには関わりがある選手も多いですしね。だから逆に、そういう点ではあまり見たことがないファイヤー選手と十文字選手が僕は楽しみですね。
▼シングルマッチ 30分1本勝負
青木いつ希(ショーンキャプチャー/島根県浜田市出身/遣島使)
vs
水波綾(フリー)
青木:水波さんは、自分にとって特別な先輩なんです。だから地元でシングルをしたいと思って。水波さんって世界のリングを知ってらっしゃる方なので、そういうスゴくて大好きな先輩を地元のみんなに見て欲しいって気持ちがあって。プロレスラーをタイプ分けするとしたら、自分は多分水波さんと同じタイプの選手で、おんなじタイプの選手で最前線にいる方だと思うので。水波さんからは青木に試合での闘い方とか、色んなアドバイスをいただいたりして。プロレスラーとしても、闘い方以外の自分が成長するにあたって、「こういう壁に当たることもあるけど、きっとこうだから大丈夫!」とか、自分の心に残ってる言葉をいつもくださる方なんです。自分が成長出来たのは水波さんの存在がすごく、すごく大きかったんです。
4年ぶりの地元凱旋になるんですけど、この4年間は自分の中でも本当にすごく成長したなって思えるんです。だから、今出来る最高の自分の実力を全部ぶつけて、水波さんと闘う姿を地元で見せたい。水波さんにも、そういう自分を対角線で感じて欲しいと思います。
組むことはたくさんあるんですけど、闘うことが最近あんまりなくて。ガッツリシングルしたことも多分なくて。前にシングルしたときは1DAYトーナメントの日で、水波さんが疲弊してるタイミングとかだったんです。そのときはちょっと条件がアレだったんで。セコンドで見てもいつも水波さんの試合はワクワクして、本当にカッコいいと思うので。でも、自分もそうやってワクワクドキドキさせるカッコいい選手でありたいので、その日は自分のすべてを水波さんにぶつけたいと思います。
――水波選手のことをプロレスラーとしてだけでなく、人間として尊敬しているんですね
青木:そうですね! プロレスラーとしてももちろんですし、人間としても本当に大好きで。自分は練習生になってからようやく女子プロレスを見始めたんですけど、その中で「水波さんって本当にカッコいいなあ!」と感じて。……実は昔こっそりツーショットチェキ撮ってもらいました(笑)。
▼タッグマッチ 30本1本勝負
船木誠勝(フリー)/間下隼人(SSPW)
vs
鈴木鼓太郎(フリー)/岩﨑永遠(BURST/島根県江津市出身/遣島使)
日高:僕が独立してからストロングスタイルプロレスでコーチをさせてもらっていて、レギュラーで試合に出していただいていたり、タイガー・クイーンのセコンドをやったりしてるんですけども。初代タイガーマスクに憧れてプロレスラーになった僕が、キャリアの晩年で佐山先生の団体でコーチや試合を出来ていることは、僕にとっては光栄なことで、幸せなことであります。
その中で、間下隼人選手は今のストロングのチャンピオンですけど、キャリアはあるんだけど自分の進む道が見えないという中で、僕がずっとコーチをしてきて今すごく立派な選手になってきてます。ストロングだけで試合をするんじゃなくて、外で試合をして経験を積んでほしいと思って、今回ここに来てもらいました。
船木誠勝さんはストロングの方でも一緒に試合をしてますし、以前は僕の20周年のときに参戦して伊藤崇文とシングルをやっていただいたりとか。僕にとっては近い方といいますか、そういう印象を持ってます。
鈴木鼓太郎選手はZERO1時代に試合もしましたし、ペロス(※NOAHで2021~2022年に存在したユニット『PERROS DEL MAL DE JAPON』)で一緒にやっていましたし。益田にも以前来てもらってますしね。
パートナーの岩﨑選手がこの中では一番のキーパーソンだと思います。彼は島根県の江津市というところ出身で、僕が入門テストも見ましたし、デビューも2017年にこの益田市民体育館でしましたから。彼にとってはデビューの地に凱旋という試合なんですね。BURSTで頑張ってやってますんで、しまねツアーをやる際には必ず出てほしいと思っていました。僕の方が先にZERO1から独立して、その後に彼も辞めたわけですけど、本来ならもっともっと面倒を見てあげたい子です。なので、こういうしまねツアーをやったときに、彼の成長につながるように試合を組むことが、せめて今の僕が出来ることかなと。このメンバーの中で一番輝いて欲しいのは永遠だし、輝くだけじゃなくて、結果も残してほしいと思います。
▼シングルマッチ 30分1本勝負
日高郁人(ショーンキャプチャー/島根県益田市出身/遣島使)
vs
TAKAみちのく(JTO)
日高:バトラーツとみちのくプロレスって、すごく近い団体だったんです。僕の師匠であるFUNAKIさんのタッグパートナーがTAKAさんだったので、若手の頃から接することが多い先輩でしたね。だけど、キャリアを積んで来てからは、ほぼ試合をして無くて。恐らく最後にシングルしたのは掣圏道、掣圏プロレスの山形大会……多分20数年前だと思います。下手したら20世紀だと思います(※1999年)。タッグとかでも試合をしたのは、恐らく第2回ディファカップ(※2005年)以来かな。日高郁人&藤田ミノルvsTAKAみちのく&PSYCHOだった気がします。
青木:えっ、その試合見たい……絶対面白いやつだ……。
日高:2020年のCLUB CITTA'ではTAJIRIさんとシングルをやったんですけど、そういう昔なじみでずーっと対戦してなかった人と対戦するシリーズですね(笑)。僕もずっと団体に所属してきてて、団体の関係とかもあるでしょうけど、1vs1が出来なかった人っていうのが結構いるんです。だから、キャリアも晩年になって、お互い50代になって、積んできたキャリアの確かめ合いというかね。もちろんTAKAさんの方がアメリカでも長くやってますし幅は広いんで、キャリア・経験という点では僕とは段違いですけど、TAKAさんが知らないようなところも僕は突いて来ているので。これが1vs1で向かい合うと、どう転んで来るかわからないですから。僕がやる以上は勝利しないと意味がないなと思う試合です。なので、完全に勝ちを狙っていきます。僕も故郷に錦を飾らないとですよね。
今回、久しぶりに地元に帰って営業回ってたりすると、僕は今51歳なんですけど、僕の同級生とか商売やってる人間とかね、結構老け込んできてて。だから「子どもたちに夢を見せたい」とは言いましたけど、同世代の人間にも夢を見せたいですね。「日高があんなに頑張ってるんだからまだまだ頑張ろう」って。そういう姿を見せたいです。
――最後に、大会への意気込み、ファンへのメッセージをお願いします
青木:自分はショーンキャプチャーに入って初めての地元・島根県での試合です。この4年の間に自分はすごく成長したなと自分でも思うので、その成長を地元の方にも東京まで見に来てくれる皆さんにもお見せして、故郷に錦を飾って。そしてまた島根県をプロレスで元気にします。父親も見に来るし、親族も地元の友達も4年間は自分の試合を生ではほとんど見ていないはずですし、地元の友達にはデビュー戦以降初めて見るって子もいるので。あのときには大学ダメになってみんなに心配かけたけど、「青木は今プロレスで幸せに元気にやってます」って。それを勝つ姿で示したいですね。
日高:4年4ヶ月ぶりの開催で、益田の皆さんも、島根の皆さんもその間に色々あったと思うんですけど、私たちもいろいろあって、そして今があるので。今のショーンキャプチャー、今の『ご縁の国しまねツアー』のプロレスを見て、月並みな言い方ですけど、元気になって欲しいです。コロナ禍を経て、さらにこれから皆さんの活力になって、「ともに進んでいきましょう」というメッセージをリングから発信したいですね。
前はZERO1のメンバーで行ってましたけど、今は日高郁人と青木いつ希、シマネリオ。そして豊田真奈美最高顧問というメンバーになっています。僕としてはこの4年ぶりの開催で、“今”を見せたいです。一番は、青木いつ希が成長した姿を見せたい。彼女は最後に益田で試合をしたのは、中島安里紗選手とのシングルで。体力的にも全然及ばない中で必死に闘ってる姿を僕はよく覚えてるんですけどね、今回ポスターを持って営業を回ってる中でも、「あぁ、前に来たの覚えてるよ」って声も多くいただいたので。本当に格段に成長しているので、そのへんも楽しみにしてもらいたいと思います。
僕も最近「熟練の技」とか書かれること多いんですけど、昔からすごくそういう言い方がイヤで。どんなに長いキャリアがあっても、僕は“今”を生きているので。“今”を磨いてリングに立っているので。“今”の日高郁人で皆を楽しませたいと思いますね。TAKAみちのくさんとの試合は、どこにもない試合、どこにもない技術のせめぎ合いが展開されると思いますので、本当に目を凝らしてほしいと思います。
この大会は、2023年度の試合なんですね。ここを皮切りに、来年度は島根県での活動を増やしていきたいです。そういう意味でも先日青木が遣島使に就任したことも大きいです。島根の中でも一番大会を開催している私の地元・益田市で大会を大成功させて、これから島根県の19市町村制覇を目指してやっていきます。
そんな大会の
『ご縁の国しまねツアー』の様子