俳聖・松尾芭蕉に扮する内野聖陽が語る、“ほぼ”一人芝居『芭蕉通夜舟』への挑戦

2024.7.12
インタビュー
舞台

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1983年の初演時はしゃぼん玉座公演として小沢昭一が、2012年の再演時はこまつ座公演として坂東三津五郎が演じた日本が誇る“大詩人”松尾芭蕉に、内野聖陽が挑むことになった。12年ぶりの上演となる、井上ひさし作『芭蕉通夜舟』は40年にわたる芭蕉の俳人としての人生を全三十六景で描く、“ほぼ”一人芝居だ。演出は2012年に引き続き、今回も鵜山仁が手がける。時に、四人の朗唱役と掛け合いもしながら、目まぐるしく場面転換をしながら綴られていく芭蕉の人生とは……?

まだ本格的な稽古が開始される前の6月中旬、“江東区芭蕉記念館”にて取材会が行われ、芭蕉への想いや作品に対する意気込みなどを内野が語った。

――まずは今回、『芭蕉通夜舟』の出演依頼を受けられた時の率直なお気持ちをお聞かせください。

数年前に有森也実さんとともに『化粧二題』(2019、2021)という一人芝居の二本立て公演をやったのですが、それが自分としてはとても面白かったので、またいつか一人芝居に挑戦してみたいという気持ちは心のどこかにあったんです。そんな折、演出の鵜山仁さんから今回改めてご提案をいただいた作品の中に、この『芭蕉通夜舟』がありました。

この作品は小沢昭一さんにあて書きされた作品だということで、最初は「私にこの作品、できますかねえ?」と無茶振りのような印象で。というのも、昔ラジオで聴いていた記憶の中の小沢さんは、とても魅力的な話し方をする方で、その話芸の達人のために書かれた作品を、自分にできるのだろうか?と思ったんです。ただ、だんだんと、この一人芝居でもっと自分の腕を磨いてみたいという気持ちも生まれ、こうして挑戦させていただく運びとなりました。

今でも不安や恐怖はありますが、自分なりのやり方でこの山を登頂できればという思いにかなり変わってきたところです。とにかく僕が今までやってきたキャリア、プラス、自分の中から知らない力をもっともっと導き出して良い作品を作ることができたらいいなという野心というか、前向きなガッツの中に今はおります。

――改めて台本を読まれてみて、特にどういうところに魅力を感じられましたか。

最初に読んだ時には、これは芸術論なのかな?という印象が強かったですね。つまり、芭蕉さんは自分の目指す俳諧の世界を求めるわけですが、やはりその人生の様々な局面で、世俗という力にどうしても引っ張られてしまう。その中にあって自分は芸術の高みを目指したいのだけれども、庶民が求めているのはそこじゃないというへだたりを感じ、苦しんでいたんですね。

物を表現する人間には、そういうところが少なからずあると思うんです。自分自身も、ここまで俳優をやってきた中で大衆性と芸術性みたいなことに関しては、気になるところもありますし。そういう意味では、この本における芭蕉さんの芸術家としての苦しみというのは、どこか重なるところがあるのではないかと、自分も表現者の端くれとして思っています。

――今日こうして“芭蕉記念館”に来てみて、思うこととは。

改めて、松尾芭蕉はすごい芸術家だと身が引き締まる想いです。今回の作品は、そんな芭蕉さんの人生を三十六景の中に込めなくてはいけない。戯曲の文字面や資料だけを追っていてもちょっと限界を感じ、先日“プチ・おくのほそ道”をやってきました。実際に芭蕉が訪れた土地の風景や空気感を自分でも肌で感じてみたいと思ったんです。まあ、芭蕉さんに怒られてしまうかもしれませんが、車で、です(笑)。

白河の関から始めて、『おくのほそ道』の文章を噛み締めながら、松島を舟から眺め、「夏草や兵どもが夢の跡」の平泉で藤原三代の栄華に思いを馳せ、「閑さや岩にしみ入る蝉の聲」で有名な立石寺では、「この岩肌になら蝉の声は染み込むよなぁ~」と実感しました。さらに、実際に五月雨で増水した最上川下りをして「あつめて早し」のまんまの迫力を体感しました。そして、日本海に出て象潟から出雲崎に行き、「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)」の宇宙を感じた芭蕉さんと交信してきました(笑)。そのあたりでギブアップし帰ってきたんですけど、この旅で、芭蕉さんがより生々しく自分に近づいた感じがしましたね。芭蕉さんの魂を感じるためにやりたいことはたくさんあるんですが、作品世界が少し立体的になってきた感じがしています。

――ちなみにその旅先で、一句詠まれてみたりはされなかったんでしょうか?

いえいえ、残念ながら詠みませんでしたね(笑)。僕自身は俳句に関しては、特別に興味を持ったことってほとんどなかったので。ただ、芭蕉さんは「舌の先で千回転がしてみよ(舌頭千転)」ということをおっしゃっていて。これはいい句を作るためには言葉を舌の先で千回転がすんだという教えなのですが、これって俳優がいい台詞を吐くためには何百回でもブツブツと繰り返したりすることにも繋がると思うんですね。そうやって自分の俳優人生と被る部分、共通項をどこまで探せるかということなのかもしれないな、とも思っています。

――この戯曲に書かれている芭蕉像は井上ひさしさんが書かれたもので、とても人間味のある芭蕉さんになっているのも面白いところだと思いますが。この戯曲の中の松尾芭蕉に内野さんが共鳴するのは、どんなところだったでしょうか。

僕にとって芭蕉さんという人は、わびさび、風雅の極みを目指した方であり、いぶし銀のようなイメージがありました。清貧というか、物質的に貧しいほどに豊かになるという境地を目指した方でしたし、非常に厳格で、そういう意味では人間味の見えないところもあったのですが、この作品のひさし先生のタッチでは非常に人間味のある描き方がされているので、とても身近な人物として感じられました。

たとえば、女性の影、みたいな部分は、これまで僕のイメージにはなかったのですが、資料を見ていくと、女性に例えた句があったりと、興味がなかったわけではなさそうで。そんなところからも、文学史上に残る松尾芭蕉像=いぶし銀で枯淡の人というイメージよりも、もっと人間らしさのある方だったのかもしれないという気持ちも生まれました。そういうところも、決して下品にはならないように表現できたらいいなと、今すごく思っています。この劇中では芭蕉さんが便所で用を足しながら語っている場面もあるんですよ(笑)。

もちろん一番大事なのは、芭蕉さんが俳諧というものを、言葉遊び、語呂合わせ、駄洒落から始まりつつも芸術レベルまで高めていった、その苦闘の人生を描くことだと思っていますけれども、歴史上の偉人というのは、語り継がれるうちに神格化されていく面がどうしてもありますからね。「それだけではないでしょう?」という、このちょっとうがった視点も面白くて。なので、この三十六景を通して、どこまで芭蕉さんの人間臭さ、生々しさを説得力を持って描けるか、というのは、僕自身も大事にして、深めていきたいところでもあります。

――内野さんは、既に何度も鵜山さんの演出は経験されていますけれども、この舞台を一緒に作られていく中でこんな風になりそうだと予測されている点などはありますでしょうか。

逆に、予想してはダメだと思っています。というのも、僕は鵜山さんのことを「外科医みたいな人だ」と思っているんですよ。どんな患者の病気も鋭いメスを使って切り裂いて治していっちゃう人。前回の一人芝居の時もそうだったんですけど、僕自身が掘ったり膨らましたものを見事にメスで切り裂いて「こういう見方もあるからね」と、いとも簡単に示してくださったりするんです。ですから、自分自身の電圧みたいなものを高めて鵜山さんの前に立つことがまずは大事だというか。鵜山さんというのは、その電圧をもすぐに変えてしまえる人なので、まずは僕自身が電圧と熱量を高めて鵜山さんの前に立つことが重要になってくるんです。それに、あまり想像できるような未来は面白くないですからね、想像しないようにしているんです(笑)。

――特に楽しみにしているシーンなどはありますか。

難しいんですよね、この作品ってワンシーン、ワンシーンが、それほど長くないんです。だから一見、すごくシンプルなんだけれども、掘れば掘るほど見方が変わる。ですから僕にとっては、36ラウンドある試合みたいな気持ちでいます。その一瞬一瞬を、生命がけで戦って掘り起こしていくしかないだろうなって。今、その勝算はほぼゼロなんですけどね(笑)。でも、それをひとつひとつ豊かに積み上げて、並べたらどう見えるのだろうかという期待感はすごくあります。その、「見えない未来が楽しみだ」という感覚が、今の気分に一番近いかもしれません。

――本番までに、芭蕉さんの魂に近づくためにやることがたくさんあるとおっしゃっていましたが、具体的にはどんな作業をされようと思われていますか。

やはり芭蕉さんの書かれた『野ざらし紀行』などの作品を、まずは読むところからですけど…ただ、ひさし先生が書かれている芭蕉さん像には、ちょっと意地悪な目線を感じるところもあるんですよね。一人わびしく生活をしているところでは「ちょっとその生活に酔ってません、あなた?」みたいな、少しクールな目線があるような気もして。

たとえば「一人で生きるんだ」みたいに言っていたのに、「あれ、旅には弟子も一緒に連れていくんだ?」ってツッコミが入りそうなところがあったり。一人旅といえど、行く先々で門弟たちにたくさんご馳走されちゃっていたり(笑)。となると、まんざら寂しいだけの旅ではなかったんじゃないかな、とかね。そこでさらに意地悪な視点で調べてみると「おや、芭蕉さん、天の川はそっちの方向には見えなかったはずですよね?」とか、そういう現実を知ってしまったり。ま、『おくのほそ道』は紀行文でなく、虚構の文学作品だからまったく問題はないんですけれども。そこには彼の作意とか、是が非でもいいものを後世に残したいという野心みたいなものもあるのではないか、と思うわけです。

そういうことも含めて、芭蕉さんのことを多面的に見ていきたいなと思っています。だけど、ちょっと可愛いですよね。人格者・松尾芭蕉という姿ではなく「実はこうだったのかも?」という角度からも、ふくよかに描けていけたらいいな、なんてことは思っています。

取材・文=田中里津子 撮影=中田智章

公演情報

2024年井上ひさし生誕90年 第三弾
こまつ座 第151回公演『芭蕉通夜舟』
 
作:井上ひさし
演出:鵜山仁
出演:
内野聖陽
小石川桃子 松浦慎太郎 村上佳 櫻井優凜
 
《東京公演》
【日時】10月14日(月・祝)- 10月26日(土)
【会場】紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
 
《全国公演》
◎群馬公演
【日時】10月29日(火)18:30開演
【会場】高崎芸術劇場 スタジオシアター
 
◎宮城公演
【日時】11月2日(土)14:00開演
【会場】名取市文化会館 大ホール
 
◎岩手公演
【日時】11月12日(火)19:00開演
【会場】盛岡劇場 メインホール
 
◎兵庫公演
【日時】11月16日(土)13:00開演
【会場】兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
 
◎丹波篠山公演
【日時】11月17日(日)15:00開演
【会場】田園交響ホール
 
◎名古屋公演
【日時】11月23日(土)17:00開演、24日(日)12:00開演/16:00開演
【会場】ウインクあいち 大ホール
 
◎大阪公演
【日時】11月30日(土)14:00開演
【会場】枚方市総合文化芸術センター 関西医大 小ホール
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