平間壮一「役の人生を“生き切る”」 『無伴奏ソナタ -The Musical-』が開幕、初の試みに意気込み
平間壮一が主演を務める『無伴奏ソナタ -The Musical-』が、2024年7月26日(金)に東京・サンシャイン劇場で開幕した。これに先立って行われた取材会とゲネプロ(公開稽古)の様子をレポートする。
演劇集団キャラメルボックスの代表作『無伴奏ソナタ』が、初めてミュージカル化される本作。脚本・演出・作詞を務めるのは、ストレートプレイ版を手がけたキャラメルボックスの成井豊だ。音楽は、元ピアノロックバンド・WEAVERのボーカルで、現在はソロプロジェクト・ONCEとして活動する杉本雄治が書き下ろす。
ミュージカル俳優とキャラメルボックス劇団員の“競演”が話題を集める中で、2012年の初演以来、3度にわたって主人公クリスチャンを演じたキャラメルボックスの多田直人がウォッチャー役として登板するのも、ストレートプレイ版を知る作品ファンにとってうれしい鑑賞ポイントだろう。このほか大東立樹、熊谷彩春、藤岡正明、霧矢大夢、キャラメルボックスの畑中智行と原田樹里、染谷洸太、西野誠、町屋美咲がキャスティングされている。
まずはゲネプロの様子から。原作は、アメリカのSF作家オースン・スコット・カードの短編小説。国が個人の資質を測って職業を決定する世界で、音楽の天才(メイカー:作曲家)として見出された男クリスチャン・ハロルドセンの壮絶な人生が描かれる。
生後6ヵ月でリズムと音感に優れた才能を示し、2歳のテストで“音楽の神童”と認定されたクリスチャン。その圧倒的な才能は国の保護対象になり、彼は両親から引き離され、人里離れた森の一軒家で自然の音だけを聴いて育つ。「人々を幸せにする音楽は“ゼロ”から生み出される」という価値観のもと、クリスチャンは既存の音楽を聴くことや楽器の演奏を禁じられ、作曲活動に邁進していた。そんな彼が30歳になったある日、とある男からバッハの「無伴奏ソナタ」が録音されたレコーダーが差し出される。「君には欠けているものがある」という呪詛めいた言葉とともに──。
ピアノすら知らない純粋無垢なクリスチャンは、実年齢の割にどこか浮世離れした存在。ハウスキーパーがいなければ、満足に食事を取ることすらできない。ところが男の言葉が頭から離れず、誘惑に駆られ「無伴奏ソナタ」を聴き、葛藤しながら作曲に明け暮れる様子の彼には、これまでにない人間くさい一面が感じられた。平間はそのギャップを、劇中で何度もリプライズされる「♪音楽は僕のすべて」で体現する。
バッハを聴いたことを監視人ウォッチャーに知られたクリスチャンは、法律違反を理由にメイカーの権利や肩書きを剥奪され、静かな森から市井の人々が暮らす社会に放り出されてしまう。音楽への関与を一切禁じられているにもかかわらず、仕事の帰りに立ち寄ったバー&グリルレストランではピアノを弾かされ、ワイナリーのぶどう園では作業員仲間から歌を求められる。
法律を守ろうと抗っても、クリスチャンの体は音楽を求めて自然と動いてしまう。その衝動や音楽をつくる喜びは、全部「♪音楽は僕のすべて」のナンバーに昇華された。法を犯してしまった彼が直面する悲劇のたびに、平間はこのリプライズを歌唱。芯の通ったひたむきな歌声は、その都度グラデーションを帯び、色を変え、観客の胸に迫る。クリスチャンの境遇に心を寄せ、劇世界に没入する入口だったのかもしれない。
クリスチャンを常に監視しているウォッチャー役の多田も見事な低音を響かせ、法の“番人”たる存在感を見せつけた。物語が進むにつれ、彼がなぜ執拗に法律を守らせるウォッチャーになったのか明かされる。その因果を知れば、初見の観客もストレートプレイ版で多田がクリスチャンを演じ続けてきた歴史に感じ入ることができるだろう。
平間と多田を除くキャストは、クリスチャンと出会う人々を一人数役こなす。中でもバー&グリルレストランで繰り広げられるダンスナンバー「♪仕事の後のビール」や、ぶどう園にやって来たギレルモがリードする「♪ケンタッキーの我が家」と「♪ワインソング」が楽しい。ギレルモ役の大東は、このシーンを盛り上げようとギターを猛特訓。その成果を、ぜひ目に焼き付けてみては。
舞台後方には五線譜をモチーフにした美術セットが吊るされ、照明の動きや当たり具合によって音符(=クリスチャンのつくった音楽)が現れるようだった。常に音楽と一緒にある彼の人生模様を見守っているようなこのセットは、ストレートプレイ版とのシンクロも感じさせる。
そのふもとで観客に突きつけられるのは、「何のために生きるのか」「幸せとは何か」という問い。この劇世界の住人は皆、自分の適性に合った仕事を国から“あてがわれて”いる。よく働き、仲間との食事や音楽を楽しみ、人生を全うしているようだが……職業選択の自由はなく、徹底的な管理社会がもたらした恩恵を受け取っているに過ぎない。一方で、簡単に答えの出せない上記の問いから目を背けていられる。正直うらやましい、と感じる人もいるかもしれない。
だからこそ、ディストピアでもありユートピアでもあるこの世界から逸脱したクリスチャンから観客は目が離せないのだろう。どんなに封じられても、内面に巻き起こってしまう音楽への渇望。生み出した「シュガーの歌」は、天才がつくる“孤高の芸術”に比べて多くの人々から支持され、誰もが口ずさむ“大衆のポップソング”になった。それで果たしてクリスチャンの苦悩は報われたのか。答えは劇場で確かめてほしい。
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