Gateballers 活動開始10周年を経て迎える大きな転機、改めて聞くバンドの歩みとワンマンへの想い
Gateballers 撮影=大橋祐希
閃きに満ちた唯一無二のオルタナロックを奏でる濱野夏椰(Vo,Gt)と久富奈良(Dr,Cho)の2人組、Gateballers。現在はサポートメンバーを迎え活動している彼らは、活動開始10周年を経て、今まさに大きな転機を迎えようとしている。
その意欲を見せつけるのが、4月29日(火祝)に渋谷WWWXで開催するワンマンライブだ。同日はGateballersのベストセレクションに加え、新曲も披露するそうだ。
これまでのキャリアを振り返りながら、濱野と久富にワンマンライブの意気込みを聞かせてもらった。
■4月29日の渋谷WWWX公演は“集大成”なのか
――まず4月29日に渋谷WWWXで開催するワンマンライブについて聞かせてください。集大成的なワンマンライブとのことですが、なぜ、このタイミングで集大成なのかというところを聞かせていただけますか?
濱野夏椰(Vo,Gt):去年が活動開始10周年で。
久富奈良(Dr,Cho):東京と大阪でワンマンライブをやったんですよ。
――両公演ともソールドアウトしたそうですね。
濱野:っていうのと、コロナ禍前ぐらいから作ってた曲とか、この2、3年で作った曲とかのアルバムを、今年出そうと思っているんです。
――つまり、そこで一区切りつけると言うよりは、むしろ新たなスタートを切るという気持ちのほうが大きい、と?
濱野:はい。ライブにはいつも集大成という気持ちで臨んでいます。
――なるほど。その意気込みは最後に聞かせていただくとして、改めてGateballersがどんなバンドなのか聞かせていただきたいのですが、Gateballersの結成は2013年5月。どんなふうに始まったのでしょうか?
濱野:ぬるっと始まりました。大学に入ったら上手なベースの人がいたんで、その人とバンドをやろうってなって、ドラムはお父さんの友達だった人に頼んだんですよ。
――上手なベースの人というのは、2021年3月まで在籍していた本村拓磨さん?
濱野:そうです。
濱野夏椰(Vo,Gt)
――ぬるっと始まったということは、その時は、こんなバンドをやりたいという具体的なビジョンがあったわけではないんですか?
濱野:いや、テーマはその頃からずっと変わってなくて。ジョン・レノン(John Lennon)の『ジョンの魂』というアルバムがあるんですけど、それがとにかくすごいんですよ、音楽的に。あれ以前とあれ以降、みたいなことになっていて。詞の書き方とか、アンサンブルとか、録音とか、アルバムとしての概念とかが。それともう一つ、ニルヴァーナ(Nirvana)の『Nevermind』が同じくらいすごくて。だから、ジョン魂とグラ魂。グラ魂ってグランジの魂のことですけど、そういう生々しい音楽やバンドをやりたいと思った気持ちはずっと変わってないです。もちろん、他の音楽も好きですけど、自分が歌うっていうのは決まっていたので、自分が歌うんだったら、そういう音楽がいいと思いました。
――確かに。Gateballersの曲を聴いていると、いろいろな音楽が好きな人たちなんだということがわかります。
濱野:ありがとうございます(笑)。
■“パンクロック”という言葉が許せない?
――ただ、Gateballersが語られるとき、オルタナという言葉が使われることが多いと思うんですけど、Gateballersのオルタナというのは、ニルヴァーナの『Nevermind』ということになるんでしょうか?
濱野:オルタナって言ったら、もっと広くなりますね。
――オルタナが自分たちのバックボーンだという意識はありますか?
濱野:90年代の音楽がバックボーンみたいな意識はなくもないですけど。うーん、なんかめちゃくちゃ細かい奴なんですよ、僕。パンクロックっていう言葉が許せなくて。
――許せないというのは?
濱野:そんなものはないんですよ。パンクって言っていいのは、(セックス・ピストルズ[Sex Pistols]の)ジョニー・ロットン(John Lydon)だけで、あとは全部、パンクじゃない音楽なんですよ。
――ふむ。
濱野:じゃあ、クラッシュは何なの?っていうと、かっこいいバンドです。THE BLUE HERATSは、やさしい歌を唄うバンドです。
――なるほど。
濱野:僕の中でちゃんとカテゴライズされてるわけですね。いろいろなことが。で、グランジって何?ってなったら、『Nevermind』。でも、オルタナティブって何?ってなったら、ベック(Beck)も入ってくるし、僕はそんなに興味はないですけど、ソニック・ユース(Sonic Youth)も入ってくるし、誰が優勝したかって言ったら、(スマッシング・パンプキンズ[The Smashing Pumpkins]の)ビリー・コーガン(Billy Corgan)だって思うし。
――今、名前が挙がった人たちの音楽は聴いてきたということですよね?
濱野:ソニック・ユース以外は。
――もうちょっと濱野さんのバックグラウンドについて聞かせてください。濱野さんが作る曲って、バンドサウンドはさておきメロディーが牧歌的というか、フォーキーだと思うんですけど、それはどんなところからの影響なんでしょうか?
濱野:メロディーってことですか? 好きなのはエリオット・スミス(Elliott Smith)と、あと、誰だろう。ジョン・レノンは曲によるんだよな。フォークソングは好きでした。それ以前にフォルクローレが好きで、子供の頃。BLANEKY JET CITYも好きでした。
――ご自分の歌がフォーキーだという自覚はありますか?
濱野:はい、あります。フォークって最強だってやっぱり思います。
――どんなところが?
濱野:簡単だからですね。
――歌うのも演奏するのも?
濱野:あと、日本語って言語に音のはめ方が合っているというか。
■バンド名の由来は、すごく弱そうな名前かつ国産がよかったから
――なるほど。ところで、Gateballersというバンド名もおもしろいと思います。どんなところから付けたんでしょうか?
濱野:バンドを組んだとき、僕が行っていた大学はサブカル大学みたいに言われていて、周りは“ナントカのナントカ”みたいなバンド名が多かったんですよ。それ以前の、自分が10代だった頃は英単語3つみたいなバンド名が流行っていて。田舎だったから、音楽とかギターとかやっている人があまりいなくて、音楽を一緒にやりたいと思っても、みんな、その英単語3つ系のバンドを聴いてるから、なんだかなと思ってたんですけど。20歳になったら、さっき言ったナントカのナントカとか、ナントカカントカズとかが流行りだして、それもなんだかなって。そもそもジョン魂、グラ魂って言ってるぐらいだから、マッチョイズムが嫌いなんです。だから、すごく弱そうな名前にしたくて。なおかつ国産がよくて。でも、右じゃないのがよくて。そこで思いついたのが、日本発祥のおじいちゃんとおばあちゃんのスポーツであるゲートボールだったんです。
――うんうんうん。
濱野:とてもセンスがいいなと思って、それにしました。でも、話が細かすぎて、そんなにおもしろくないですよね。
――いや、バンド名の付け方にも信念が感じられますよ。
濱野:そうなんです。
久富奈良(Dr,Cho)
――その後、2015年7月に久富さんが加わりました。それはどんないきさつで?
久富:紹介されて、オーディションじゃないけど、一緒にスタジオ入ったら、その日に、「今日からGateballersのドラマーだ」って言われました。
――その時、久富さんはGateballersの音楽については、どんな印象を?
久富:右も左もわからない状況で東京に来たばかりだったから、これが東京のバンドの音楽なんだって思いました。
――逆に濱野さんは久富さんのどんなところをいいと思ったんですか?
濱野:ドラムがよかったっていうのはもちろんなんですけど、奈良さんのツイッターを見たら……いや、この話ももうけっこうしてるか。
――せっかくだから聞かせてください。
濱野:「アジアンカンフーペペローション」って呟いてたんで、奈良さんにしました。この話、Gotchさんにしたら……。
――したんだ!?(笑)
濱野:苦笑いしてました。
――2018年にリリースした2ndアルバム『「The all」=「Poem」』が後藤さん主催のAPPLE VINEGAR -Music Award- 2019にノミネートされた時ですか?
濱野:いえ、その1年後ぐらいにお会いした時でした。
――久富さんはどういうつもりでそんなことをツイートしたんですか?
久富:どんなつもりも何も、おもしろいかなって思っただけです(笑)。
――ですよね。すみません、愚問でした。そんな久富さんはこれまでどんな音楽を聴いてきたのでしょうか?
久富:邦ロックから聴き始めたんですけど、割と普通だと思います。toeとか、People In The Boxとかが大好きで、今でも好きなんですけど、普通にディアハンター(Deerhunter)とか、レディオヘッド(Radiohead)とか、かっけーってなって。最近はエイフェックス・ツイン(Aphex Twin)とか、ディス・ヒート(This Heat)とか、インストゥルメンタルのかっこいいやつが好きです。
■確信を持っているから“実験的”ではない
――ありがとうございます。久富さんが加わってから、活動がより本格化していったと思うのですが、これまで活動を続けてきて、バンドとして、ミュージシャンとして、どんなふうに変化、そして成長してきたと思いますか?
濱野:やっていることはそんなに変わってなくて。でも、より良くなってますね。いつも実験的とか、サイケデリックとかって言われちゃったりするから、たぶんGateballersの音楽を形容するのって難しいんだろうなとは思うんですけど。見たことがない景色を見てもらえたらなと思うし、行ったことのない場所に連れて行けたらなと思うし、行ったことがある場所にも連れて行ってあげたいなとも思うんですよ。イントロが始まって0.5秒でその世界に行ける、みたいな音楽が好きで、それをずっとやってるだけで。だけど、途中から……。すごい言葉を教えてもらったんですよ。Fernweh Heimwehってドイツ語なんですけど、まだ行ったことのない場所へのホームシックっていう意味で、途中からそういうのもできたらなと思うようになりました。2018年12月にリリースしたEP『Thank you Part-time Punks』ぐらいからかな。2023年にリリースした『未来から来た人』と『花とゆめ』は、けっこうVRのフルダイブ(VR空間に五感すべてを接続して、仮想空間に意識ごとゲームの世界に入り込みプレイするゲームのこと)のことを考えていて。いずれそうなるだろうなと思うんですけど、そうなった時に帰ってこられる場所があるといいな、100年後の子供たちにって思いながら作りました。ただ、それはもうやったんで、次はもう一度、地上に戻ります。
――なるほど。話がちょっと戻っちゃうんですけど、やっていることはそんなに変わっていないとおっしゃっていたじゃないですか。でも、2016年3月リリースの1stアルバム『Lemon Songs』と2018年2月リリースの2ndアルバム『「The all」=「Poem」』を聴き比べると、サウンドメイキングがガラッと変わった印象があって。『Lemon Songs』は、ざっくりした言い方になっちゃうんですけど。
濱野:聞きたいです。
――90'sのオルタナギターロック+60'sサイケという印象がありました。それが『「The all」=「Poem」』ではサンプリングも含め、もっとモダンになっていて、サイケデリックなサウンドも60'sではなく、2000年前後を思わせるものになっていると思いました。そんなふうに、いい意味で作り込んだところも含め、バンドが格段に成長したという印象があったんですけど、そこはどんなふうに捉えていますか?
濱野:いや、おっしゃる通りかもしれないです。90年代のオルタナギターロックって言ってくれたじゃないですか。エレキギターの歴史的に、やっぱり94年に、正確にはもうちょっと前からなんですけど、不協和音が取り入れられて、感情の表現に使っていいっていうルールができるんですよ。それって楽器の奏法として肉体的にピークに達した速弾きに対するアンチテーゼだったと思うんですけど、それを考えると、エレキギターって楽器は90年代にけっこう完成していて、だから、エレキギターだったら90年代が一番かっこいいって僕は思っているっていうのと、なんで60年代のサイケなのかっていうと、確かにビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)とか聴いてたなって。だからって、60年代のサイケが好きだったわけじゃなくて、実はグレートフル・デッド(Grateful Dead)とか全然聴いてなくて、ジェファーソン・エアプレーン(Jefferson Airplane)とかジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)とかのほうが好きで。
――じゃあ、サイケデリックなサウンドはそんなに狙っていたわけではない、と。
濱野:狙ったわけではないですけど、当時、モーニング・ベンダーズ(The Morning Benders)ってバンドがめちゃくちゃ大好きで。来日公演も観に行ったし、ボーカルのクリス・チュウと卓球できるっていう企画に応募したら当選したんですよ。
――卓球したんですか!?
濱野:優勝しました! 彼らの『Big Echo』っていう、グリズリー・ベアー(Grizzly Bear)っていうバンドのベースの人(クリス・テイラー)がプロデュースした2枚目のアルバムに固執していて。
久富:しょっちゅうかけてたよね。
濱野:その影響がめっちゃあると思います。もちろん、その他にもいろいろな要素を合体しましたけど。『「The all」=「Poem」』はレコーディングの時、スタジオの電気盤がコンデンサの液漏れで火事になったりとか、メンバーが体調を崩したりして、思ったように録れなかったんですよ。でも、なんとか録りきって、その分、ミックスにめっちゃ時間を掛けたんです。何をやったのかと言うと、けっこう平たい音楽が世の中には多いなってすごく思ってたんで、X軸、Y軸だけじゃなくて、Z軸もある音楽にしたくて、なんとかみたいなということではなく、音に色、温度、硬さをちゃんと指定した上でミックスしようってやりました。去年の10月にアナログ盤を出させてもらったんですけど、こちらからお願いしたわけじゃないのに重量盤で出していただけて、聴いてみたら、やっぱりめちゃイカれていて。一応、リマスタリングもしたんですけど、すべてが功を奏してました。
――なぜか実験的と言われるとおっしゃっていましたけど、今のお話を聞くと、やはりかなり実験的ではないですか?
濱野:いや、ちゃんと答えを出してからやってるんですよ。答えが出ないままやってたら実験ですけど、僕らは確信を持ってやってるんで。
――なるほど。確信を持って。実験的ではないというのは、そういうことか。そんな中で久富さんはドラマーとして、濱野さんが作る曲にどんなふうにアプローチしてきましたか?
久富:プレイヤーとしてのレベルを上げるってことだけ考えてきました。それと、できるだけ作曲者の要望には応えたいといつも思ってます。
――ダンサブルなプレイが得意ですよね?
久富:そうですか?
濱野:得意だと思いますよ。リズムマシーンの音をサンプリングして、ドラムパッドに入れて、奈良さんがそれで作ったループに、さらに生ドラムを重ねるっていう試みをしているんですけど、奈良さんって4つ打ちがめっちゃかっこいいんです。実はそれを奈良さんに気付いてほしくて、『Thank you Part-time Punks』から、そういう試みをやってみたんですけど、その後のアルバムから、デモの段階で、僕がグルーヴの指定をするとき、どうやったら正確に伝えられるかと思って、(音楽制作ソフトの)GarageBandで仮想ドラマーを2人用意してみたんです。まずラテンパーカッショニストのIsabellaから彼女が得意なパーカッションを取り上げて、80年代のUKロックのドラムを叩かせるんです。それでもう1人、ブリットポップを叩いていた仮想ドラマーにアフリカの楽器を叩かせて、その2つのリズムを混ぜる。そうすると、超おもしろいものができるんですよ。それを何パターンも試して、作ったものを奈良さんに渡すと、「わかった」って言ってくれる。だから、奈良さんが一番すごいです。
久富:いや、フィーリングが伝わればいいって感じなんで。あとはもう自分にできることしかやってないから、そんなにすごくはないですけど。
――そういうとき、濱野さんは久富さんに対して、鬼のようになるんですか?
濱野:いや、鬼みたくなりたくないから、そういうデモを作ってるんです。たまに別の現場でできない人がいると、きつめに言っちゃうことはありますけど、奈良さんはできるから、鬼みたくなることはないです。
――バンド活動を続ける上でモチベーションは変わりましたか?
濱野:うーん、どうですか?
久富:特に変わってないかも。
――淡々と続けてきた?
久富:淡々とって言うと、あんまり感情がこもってないように聞こえますけど。
――いただいたバイオグラフィーを見ると、どこそこのライブハウスをソールドアウトしたということも書いてありますが、そういうことはモチベーションになりませんか?
濱野:どこでやりたいとかって全然考えてなくて。山の上とか、湖とか海とかのほうがやりたいです。
久富:僕もそういうことにはそんなに興味がなくて。バンドは売れてほしいという気持ちはあるんですけど、それよりはずっと輝いている作品を作りたいっていう。もちろん、いいライブはしたいです。でも、結局、自分が一番いいと思えたら、それでいいと言うか。
――お客さんの反応は、そんなに気にならない?
久富:もちろん大事ですけど、自分が楽しくなかったら、意味ないので。
■人はいつか死ぬけど音楽は100年後、1000年後も残る
――今度のワンマンはGateballers史上一番大きなキャパの会場ですよね?
濱野:そうですね。前回が渋谷WWWだったから、ちょっと大きくなりましたね。
――そこに対する意気込みはあるんですよね?
濱野:もちろん。もっと大きくしていきたいなとも思ってます。
――そういう気持ちはある、と。
濱野:あります。ただ、それが根源ではないって言うか、それが根源になると、不自然になるじゃないですか。
――これまでそこで迷うことはなかったわけですね?
濱野:はい。迷ってはないけど、みんなそうやって勝手に比較はしてきますよね。そうだな……この乗り物が2足歩行のロボだったのか、4足歩行の馬だったのか、最後にわかるみたいな感じですね。
――たとえが難しい(笑)。本村さんが脱退してからは、濱野さんと久富さんを中心にサポートメンバーを迎え、活動を続けていますが、サポートのままというのは、濱野さんと久富さんの結びつきが強いからということもあるんでしょうか?
久富:いや、バンドの形態は変わってもいいよねってことでサポートを迎える形でやってます。必要な人がいたら呼んだり、いつもとは違うプレイヤーと合わせてみたりっていう、この形がしやすいってことです。
濱野:それもバンドを組んだ頃から変わってなくて、当時から、誰かいなくなるだろうし、逆に、また誰か入ってくるだろうしって思ってました。
――同じメンバーでずっとやっていたいという感覚は持っていないということですか?
濱野:はい。持ってないです。それより音楽のほうが偉くないですか? 音楽のほうが大切じゃないですか。だって、みんないつかは死ぬんだから。でも、音楽は100年後、1000年後も残るってことを考えると、幼稚園からの同級生だからとか、高校で組んだバンドだからとか言って、演奏したところで、生まれ育った環境も違うし、趣味とか生活とかも違うわけだから、どこかで不自然なことが生まれると思うんですよ。同じメンバーでずっと続けることが正義みたいな風潮が日本にはありますけど、それってベストじゃないよねって思っていて。僕、くるりが好きなんですけど、アルバムごとにメンバーが変わるじゃないですか。あれ、とてもいいと思うんですよ。だって、やってることが変わってるし、やりたいことが変わってるから。それをやるための最適解のメンバーでやるっていう。もちろん、同じメンバーでずっとやるっていうのも、それはそれでいいと思うし、それができるのはうらやましい。ただ、僕は、まず最初に音楽があって、その次に人間がいるっていう。それが一番いいと思ってるっていうだけです。
――ところで、今年の2月から、ROOFTOPに所属することになったじゃないですか。一般的にはSCANDALが所属している事務所として知られていると思うんですけど、どんなきっかけで所属することになったんでしょうか?
濱野:ROOFTOPの社長が僕の幼馴染みなんですよ。彼のほうがお兄さんなんですけど、僕が20歳の頃、同じ大学に通っていたカネコアヤノって子が歌を唄いたいと言ってたんで、彼女が高田渡さんの「私は私よ」を弾き語りしている音源を聴いてもらったら、「おもしろい。やろう」ってなって。僕も自分のバンドを見てもらってたんですけど、Gateballersを組んで、他の事務所に入ったり、メンバーが変わったり、紆余曲折を経て、去年、久しぶりに社長に会ったら、「一緒にやろう」って言っていただけて、ROOFTOPに入ることになりました。
――一緒に、どんなことをやっていこうとなったんですか?
濱野:まずは新しいアルバムを出して、世の中に広めるってことですね。
――Gateballersをもっと有名にしたい、と。
濱野:そうです。Gateballersです。人のことをちょっとやりすぎてたんで、ずっと。Gateballersにちゃんと集中しないとって去年ぐらいから思ってたから、そういう話をしたんですよ。そしたら、「うちにおいで」って言ってくれて。
――手を貸すから、Gateballersに集中してやってごらんよ、と。
濱野:そうです。集中力がなかったわけではないんですけど。
――他にもやりたいことがいろいろあった、と。
濱野:はい。やりたいことがいろいろあったし、それができちゃったんで。
――2019年9月リリースの3rdアルバム『Infinity mirror』に「Rooftop」という曲が入っていますね。
濱野:そうなんです。入っているんです。でも、偶然です。ただ、僕らの曲のほうが早かったんじゃないかな。
――ROOFTOPの設立は2017年ですけど。
濱野:いや、2016年にインドに行ったとき、向こうで作ったから、僕のほうが早かった(笑)。
――現在作っているというアルバムなんですけど、さっきVRのフルダイブからもう1回、地上に戻ろうっておっしゃっていましたよね。どんな作品になりそうですか? 地上に戻ると聞いて、ぱっと思いついたのが、生々しいバンドサウンドだったんですけど。
濱野:あ、そうなると思います。思いますけど、これまでやってきたこと全部の合体みたいなアルバムになると思います。
――それこそ集大成のような。
濱野:そうです。それをもっともっとわかりやすく、シンプルに研ぎ澄ましたものになると思います。
久富:これまで培ってきたものを全部消化できるようなね。
濱野:今年中には出したいですね。
――最後にWWWXワンマンの意気込みを聞かせてください。
濱野:セットリストはベスト&新曲になると思います。すごい旅になると思うので、みんな、来てください。
取材・文=山口智男 撮影=大橋祐希
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