仁左衛門の菅丞相が奇跡を起こす名作『菅原伝授手習鑑』幸四郎・染五郎親子ほかWキャストの豪華配役で一挙上演!~歌舞伎座『秀山祭九月大歌舞伎』観劇レポート

18:00
レポート
舞台


夜の部はBプロの模様をレポートする。エキサイティングな荒事の『車引』、三兄弟の実家のホームパーティが思いがけない顛末を迎える『賀の祝』、筆法を伝授された源蔵が窮地に立たされる『寺子屋』。

■四幕目 車引(くるまびき)

松王丸、梅王丸、桜丸は三つ子の兄弟だ。松王丸が仕える藤原時平の計略により、梅王丸の主・菅丞相は流罪に、桜丸の主・斎世親王は窮地に立たされる。時平が吉田神社にくると知った梅王丸と桜丸は、主の恨みを晴らすべく時平の牛車に襲い掛かろうとする。そこへ立ちはだかったのが、松王丸だった。Bプロの配役は松王丸に中村芝翫、梅王丸に尾上松緑、桜丸に中村錦之助、藤原時平に河原崎権十郎。杉王丸は、A・Bプロともに大谷廣太郎が安定の大らかさでつとめている。

夜の部『車引』(左より)桜丸=中村錦之助、松王丸=中村芝翫、梅王丸=尾上松緑 /(C)松竹

序盤、笠をかぶっていた梅王丸と桜丸が立ち上がり、草履を脱いでぐっと力を溜めた時は、身体ごと引き寄せられるようで、思わず前のめりになるのをグッと堪えた。松緑の梅王丸はエネルギッシュで、隈取りによる顔や身体の赤いラインが捻じれて、千切れんばかり。桜丸は、あまりの少年っぽさに、チラシで配役を確認した。念のためオペラグラスでも確かめた。錦之助で間違いなかった。ふたりは兄弟の若さと勢いが立ち上がる。さらに芝翫の堂々たる松王丸が登場。力いっぱいの梅王丸と桜丸に対し、松王丸は知性と余裕で風格をみせた。牛車から現れた権十郎の時平は、ここまでに登場したどの人物にもない、ダークな色味を効かせる。エキサイティングな盛り上がりの中、喝采で結ばれた。

『車引』は、歌舞伎の様式美と、その型を通し俳優の個性を楽しむ一幕だと感じていた。その印象が、通し狂言として観ることで、印象はアップデートされる。『加茂堤』に始まる桜丸の後悔、『道明寺』でみた梅王丸の死闘、その記憶が鮮やかなまま始まる『車引』での兄弟の再会。見得の一つひとつが、人間ドラマの喜怒哀楽の通過点として目に焼き付いていく。

■五幕目 賀の祝(がのいわい)

Bプロの配役は、桜丸に八代目尾上菊五郎、松王丸に坂東彦三郎、梅王丸は中村萬太郎。三つ子の父・白太夫は中村歌六。

舞台は、三つ子たちの実家。庭には梅と松と桜の木が生えている。白太夫の70歳のお祝いの日。実家に三つ子たちが帰ってくる。3人はまだ到着していないようだが、3人の妻たちはすでに仲良く支度にかかっていた。松王丸の女房千代(坂東新悟)がたすき掛けで、梅王丸の女房春(中村種之助)はほっかむり、桜丸の女房八重(中村米吉)は振袖姿で奥から出てくる。年上らしい千代と春は落ち着きがあり、八重は初々しい新妻の風情。お互いに「うちの夫最高!」な惚気自慢も聞いていて楽しく、舞台も客席もお祝いムードだ。そこへ『車引』以来の再会となる松王丸と梅王丸がやってくる。売り言葉に買い言葉で兄弟喧嘩が勃発すると、刀を抜くかと思いきや、ソーレ! のかけ声で相撲がはじまり、さらに米俵も振り回す。彦三郎と萬太郎が、歌舞伎らしい大らかさと、ここという瞬間にピタリときまる確かなしなやかさで、息のあった大げんかを見せた。庭の桜の木が折れてしまったが、客席は大いに沸いた。

桜丸以外が揃ったところで、梅王丸と松王丸は父・白太夫に、各々のある願いを申し出るのだった……。松王丸夫婦、梅王丸夫婦が去っても、心配を桜丸は姿を見せなかった。しかし桜丸は、実は誰よりも早く到着し、白太夫に、さらなる願いを申し出ていたのだ。その願いとは、一家の恩人である菅丞相への義をたてて切腹をしたい、というものだった。

夜の部『賀の祝』(左より)八重=中村米吉、桜丸=八代目尾上菊五郎、白太夫=中村歌六 /(C)松竹

桜丸(菊五郎)は憔悴していたが、その覚悟は明らかだった。思えば白太夫は、もっと喜んだらいい時に浮かれきらず、怒りそうなところをさらりと流した。歌六の白太夫が散りばめていた僅かな違和感が、その場ではごく自然に過ぎ去り、振り返ればはっきりと思い浮かぶのだった。八代目菊五郎の桜丸は美しかった。ただ『仮名手本忠臣蔵』塩冶判官の切腹でみせたような、静寂と緊張の切腹とはまるで別物。白太夫が鉦(かね)を叩き念仏を唱え、八重は泣いてすがる。桜丸の心はきまっていたはずなのに、切腹と言えば大きな見せ場なのに、慌ただしい中で最期を迎える。その生々しさが、一層哀れにも思われた。三兄弟の物語は、最後に松王丸と源蔵が対峙する『寺子屋』へ続く。

■六幕目 寺子屋(てらこや)

『筆法伝授』の門の外で、幼い菅秀才(中村秀乃介)を預かった源蔵。今は、寺子屋に匿っているが、それも敵方に知られ、菅秀才の首を渡すよう迫られている。そこへ新たな子どもが入門した。小太郎(中村種太郎)と名乗り、村の子どもたちとは一線を画す品。源蔵夫婦は、菅秀才の身代わりに、この子どもの首を差し出すことに決める。まもなくして、春藤玄蕃(松本錦吾)が、首実検役の松王丸(松本幸四郎)を連れてくるのだった……。

公演名にある「秀山祭」は、幸四郎の曽祖父・初世中村吉右衛門の芸を受け継ぎ、功績を顕彰するもの。初世だけでなく、幸四郎の叔父・二世中村吉右衛門も当り役とした『寺子屋』の松王丸を、Bプロでは松本幸四郎がつとめる。源蔵に市川染五郎、源蔵の女房戸浪に中村時蔵、そして松王丸女房千代に中村雀右衛門という配役。

歌舞伎では、70歳を超える俳優が若者を演じることは珍しくない。しかし20歳の染五郎が、源蔵を演じると知った時は驚いた。ただ染五郎は、これまでもずっと若くして大役に挑み、観客を驚かせ楽しませてきた。俳優としてのエンジンをフル稼働させ、受け継がれてきた型に、今の全部を注ぎこむ。苦悩も、気づきも、安堵も、セリフだけでなく心の動きまでもが明瞭に伝わってきた。どの動きにも意味があり、台詞には一切の無駄がない。『寺子屋』が名作であることを、染五郎の源蔵を通してあらためて実感した。そんな源蔵に、しっかり寄り添うのが時蔵の女房・戸浪だ。かつては腰元だったという自然体の品が滲む。首の真偽がバレた時は、自分の身も危険にさらされる。それでも夫をそばで支える覚悟を、しなやかに時に鋭く体現する。一連の出来事に、観客に一番近い感覚で反応する存在でもあった。

夜の部『寺子屋』(前)左から、千代=中村雀右衛門、松王丸=松本幸四郎、武部源蔵=市川染五郎、戸浪=中村時蔵、(後)左から、園生の前=市川高麗蔵、菅秀才=中村秀乃介 /(C)松竹

そして戸浪と、松王丸の女房・千代を通して、『菅原伝授手習鑑』は三大名作の中でも、女性の役にも見どころに富んだ作品だとあらためて感じた。雀右衛門の千代は、パワフルな涎くり与太郎(市川男女蔵)にさえ優しい。その愛情深さをもちながら、我が子を身代わりに差し出すのだ。最後の別れと知りながら子を預け、寺子屋に戻ってきた時は、もういないと知りながらも一縷の望みをかけて、「様子」を聞く。松王丸が、我が子と知りながら首実検を果たす境遇と、オーバーラップした。

松王丸は、雪持松に鷹の黒い着付の鮮やかな衣裳が美しく、それが霞むほどの存在感。物語がすすむほど、表向きはひた隠しにする感情が、白く塗られた美しい顔に切々と表れる。我が子の首を確認し、「源蔵、よくやった」と絞り出した声は慟哭のよう。何のための義なのかと、思わずにはいられなかった。幸四郎の松王丸に、そう思わせるリアリティがあった。それでも通し狂言として観てきたからこそ、ここにいる誰のことも、責める気持ちにはならなかった。園生の前(市川高麗蔵)が菅秀才と再会し、松王丸・千代は無常感を体現するかのような白装束になる。小太郎を弔うお焼香の香りが客席にも広がる。フィクションの匂いが現実の世界に沁みて消えていくように、松王丸たちの無念や悲しみも観客の心で引きとることができたなら。そんな思いを込めて、幕切れに拍手をおくった。場内に熱く重い喝采が響いていた。
 

取材・文=塚田史香

公演情報

松竹創業百三十周年
『秀山祭九月大歌舞伎』
日程:2025年9月2日(火)~24日(水)
会場:歌舞伎座
【休演】9日(火)、17日(水)

昼の部 午前11時~

竹田出雲 作
三好松洛 作
並木千柳 作

通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
序幕 加茂堤(かもづつみ)

【Aプロ】
桜丸:中村歌昇
八重:坂東新悟
苅屋姫:尾上左近
斎世親王:中村米吉
三善清行:坂東亀蔵
 
【Bプロ】
桜丸:中村萬太郎
八重:中村種之助
苅屋姫:中村米吉
斎世親王:坂東新悟
三善清行:坂東亀蔵

二幕目 筆法伝授(ひっぽうでんじゅ)
 
【Aプロ】
菅丞相:片岡仁左衛門
武部源蔵:松本幸四郎
戸浪:中村時蔵
梅王丸:中村橋之助
菅秀才:中村秀乃介
荒島主税:中村吉之丞
左中弁希世:市村橘太郎
腰元勝野:澤村宗之助
三善清行:坂東亀蔵
局水無瀬:上村吉弥
園生の前:中村雀右衛門

【Bプロ】
菅丞相:松本幸四郎
武部源蔵:市川染五郎
戸浪:中村壱太郎
梅王丸:中村橋之助
菅秀才:中村秀乃介
荒島主税:中村松江
左中弁希世:市村橘太郎
腰元勝野:市川男寅
三善清行:坂東亀蔵
局水無瀬:市村萬次郎
園生の前:中村萬壽
 
三幕目 道明寺(どうみょうじ)

【Aプロ】
菅丞相:片岡仁左衛門
立田の前:片岡孝太郎
宿禰太郎:尾上松緑
判官代輝国:八代目尾上菊五郎
苅屋姫:尾上左近
贋迎い弥藤次:片岡松之助
奴宅内:中村芝翫
土師兵衛:中村歌六
覚寿:中村魁春

【Bプロ】
菅丞相:松本幸四郎
立田の前:片岡孝太郎
宿禰太郎:中村歌昇
判官代輝国:中村錦之助
苅屋姫:中村米吉
贋迎い弥藤次:片岡松之助
奴宅内:坂東彦三郎
土師兵衛:中村又五郎
覚寿:中村魁春
 
 
夜の部 午後4時30分~
 

竹田出雲 作
三好松洛 作
並木千柳 作

通し狂言 菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
四幕目 車引(くるまびき)

【Aプロ】
松王丸:松本幸四郎
梅王丸:市川染五郎
桜丸:尾上左近
杉王丸:大谷廣太郎
藤原時平:松本白鸚
 
【Bプロ】
松王丸:中村芝翫
梅王丸:尾上松緑
桜丸:中村錦之助
杉王丸:大谷廣太郎
藤原時平:河原崎権十郎

五幕目 賀の祝(がのいわい)
 
【Aプロ】
桜丸:中村時蔵
八重:中村壱太郎
梅王丸:中村橋之助
春:中村種之助
千代:坂東新悟
松王丸:中村歌昇
白太夫:中村又五郎

【Bプロ】
桜丸:八代目尾上菊五郎
八重:中村米吉
梅王丸:中村萬太郎
春:中村種之助
千代:坂東新悟
松王丸:坂東彦三郎
白太夫:中村歌六

六幕目 寺子屋(てらこや)
寺入りよりいろは送りまで
 
【Aプロ】
松王丸:尾上松緑
武部源蔵:松本幸四郎
戸浪:片岡孝太郎
春藤玄蕃:坂東亀蔵
小太郎:中村種太郎
菅秀才:中村秀乃介
下男三助:中村吉之丞
百姓吾作:嵐橘三郎
涎くり与太郎:市川男女蔵
園生の前:中村東蔵
千代:中村萬壽

【Bプロ】
松王丸:松本幸四郎
武部源蔵:市川染五郎
戸浪:中村時蔵
春藤玄蕃:松本錦吾
小太郎:中村種太郎
菅秀才:中村秀乃介
下男三助:中村吉之丞
百姓吾作:嵐橘三郎
涎くり与太郎:市川男女蔵
園生の前:市川高麗蔵
千代:中村雀右衛門
 
 
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