森田剛、伊原六花ら出演 普遍の「愛」の物語、パルコ・プロデュース 2025『ヴォイツェック』公演レポートが公開
パルコ・プロデュース 2025『ヴォイツェック』 撮影:細野晋司
2025年9月28日(日)東京芸術劇場 プレイハウスにて、東京9月公演が閉幕したパルコ・プロデュース 2025『ヴォイツェック』。この度、オフィシャルレポートが届いたので紹介する。
舞台「ヴォイツェック」舞台映像入りSPOT
公演レポート
『WOYZECK ヴォイツェック』
「愛」を理解できない人間のための、普遍の「愛」の物語。
「愛」とは、なんと捉えがたいものなのだろう。
『ヴォイツェック』を観終えてすぐ、胸の中に渦巻くモノを吐き出そうとして言葉を探すうち、冒頭の一行が頭の中に組み上がった。言葉とは切り離しがたい生業を得て30年以上経つが、考えてみると、「愛」を深く詳細に説明するような機会はなかった。いや、できないから無意識に避けていたのかもしれない。
劇中で、森田剛演じるヴォイツェックは、のべつまくなしに「愛」を口にする。彼から「愛」の言葉と情を浴びせられるのはマリー(伊原六花)だ。戦争という政治に隔てられていたはずの二人は出会い、恋に落ち、ヴォイツェックの赴任地である冷戦下の分断されたドイツにやってくる。だが生まれたばかりの赤ん坊も加わった3人の暮らしは、貧困や偏見、周囲の無理解など、悩ましい問題に取り囲まれ孤立している。幼い頃に母親から受けた仕打ちにより、深く傷ついたヴォイツェックは精神的に不安定で、マリーには「俺たちは大丈夫だ」と言いながら、現状打開に選ぶ方法がいちいち裏目に出る始末。困窮の中でヴォイツェックが口にする「愛」は救命具のように思えるが、しがみつくほどに浮力は弱まり、彼は狂気と共に底知れぬ深みへと飲まれ始める。
撮影:細野晋司
心身両面を傷つけられ、追い込まれながらも侵しがたい意志の領域を保ち、戦おうとするヴォイツェックを体現する森田の、俳優としての集中力は驚異的だ。所属する英国軍においても底辺に身を置くヴォイツェックが、同僚(浜田信也)や上官(冨家ノリマサ)とその妻(伊勢佳代。ヴォイツェックの母と二役)、医師(栗原英雄)らとの間で交わす限られた語彙による会話が卑屈どころか高潔にさえ聴こえるのは、演じる森田がまとう「気」によるものだろう。それは本来、無条件に受け止めて喜びを感じられるはずの「愛」の言葉にも強く影響し、マリーを脅かすことにもなるのだが。
逆に、ヴォイツェックにとって愛し救うべき者であるはずのマリーが、物語が進むごとに芯の強さを発揮し、未来や希望を自身で見出していく姿はゲオルグ・ビューヒナーの原作にジャック・ソーンが施した翻案のワザありな部分。そんなマリーを、自身のあふれんばかりの生命力を注いで演じる伊原の瑞々しさが魅力的なだけに、ラストの悲劇、その痛ましさが観る者に深く突き刺さる。
撮影:細野晋司
またヴォイツェックとマリーを囲む人々にも、それぞれ欲望や葛藤、独善など、現代的かつ生々しい感情や衝動が役割として担わされており、栗原ら俳優の緻密な演技との相互作用により、目の前のドラマを他人事にさせないフックとして機能していた。作品の演劇的ロジックを堅固に構築しつつも、最終的には俳優の意志と選択を尊重する小川絵梨子の演出する際の手つきと姿勢が、それら充実した俳優の演技を引き出しているに違いない。登場人物たちの生身と言葉が強く舞台で印象づけられるよう色彩を抑えた壁や窓、枠組みで構成された無機質な舞台美術(小倉奈穂)。現在と過去、生と死を明暗や陰影の深度で繊細に変化させる照明(横原由祐)。ヴォイツェックらの心象と呼応するように強烈に耳に残る音楽(国広和毅)と音響(加藤温)など、卓抜したスタッフワークも劇場での観劇でしか味わえない醍醐味を倍加させていた。
撮影:細野晋司
さて、「愛」の話に戻ろうか。
ヴォイツェックの「愛」もはじめは、かつて感じたことのない他者へのいとおしさや、マリーから与えられる温かさに応えるため胸の内に生まれ、自然と口にしたものだったはずだ。けれどマリーのかけがえのなさがヴォイツェックの中で膨らむと同時に、「愛」は喪失の恐怖を孕むものになっていく。「愛」を失うことは全ての終わり。愛しているから愛されたいのか、愛されたいから愛したのか。幼少期に受けた傷が、「愛」を巡るヴォイツェックの混乱に拍車をかける。
ただ、息を詰めて舞台上のヴォイツェックの心情を追ううち、その混乱や失意が特別なものではなく、自分にも覚えのあるものに思えてきたのだ。そう、人間は常に「愛」を渇望し、かなりの確率で裏切られ、それでも求め続けてきた。何百年、何千年もの経過してきた時間、時代や国家の別なく。そうして訳も分からぬまま「愛」に敗れ、征服されるのが人間の運命とするなら、舞台の上のヴォイツェックと私たちになんの違いがあるというのか。
撮影:細野晋司
「愛」を理解できない人間のための、普遍の「愛」の物語。原作が未完にもかかわらず、『ヴォイツェック』が世界中で創作され、観客に届けられ続けている理由を、この舞台に教えてもらった気がしている。
TEXT SORA ONOE
なお、本公演は10月3日(金)より岡山公演、その後、広島、北九州、兵庫、愛知を巡演し、11月7日(金)~11月16日(日)には東京芸術劇場 プレイハウスにて再び上演が行われる。