100歳以降に手掛けた最新作を初公開、現役影絵作家の展覧会『藤城清治101歳展 生きている喜びをともに』みどころ紹介
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2025年10月22日(水)~2026年1月4日(日)の期間、グランフロント大阪 北館 ナレッジキャピタル イベントラボにて開催される『藤城清治101歳展 生きている喜びをともに』。展示作品や見どころを紹介する。
藤城清治
日本における影絵作家の第一人者・藤城清治。慶応義塾大学在学中に児童文化研究会で人形劇に出逢い、終戦直後に復学。当時は材料が手に入らず、絵や人形劇を作ることができないなか、小澤愛圀の書籍でジャワの影絵劇に出会う。影絵の幻想的な美しさにひかれた藤城は、影絵の世界へのめりこんでいく。「がれきのなかから拾った木切れと汚れた布でも、太陽か月か蝋燭の光をあてれば影ができて、人々に喜んでもらえる」。そう思ったことから影絵をつくり始めた。
「西遊記 孫悟空の顔」 (c)Fujishiro Seiji Museum 1959
20代から様々な物語の挿絵を手掛けてきた。20代から連載が始まった『暮しの手帖』作品をはじめ、30代の『西遊記』、宮沢賢治童話や80代の『マボロシの鳥』(原作太田光)の挿絵など、一連の影絵作品が会場に並ぶ。
「風の中の白いピアノ」 (c)Fujishiro Seiji Museum 2001
油絵、人形劇、影絵劇、影絵と様々なことに取り組んでいくなかで一貫していたのは、メルヘンで楽しい世界観だった。こびとや動物、オリジナルキャラクターのケロヨンなどが同居する藤代作品の、メルヘンな世界を堪能できる仕掛けも用意。「風の中の白いピアノ」は水槽と鏡を用いて展示される。
福島 原発ススキの里 (c)Fujishiro Seiji Museum 2012
一方で80歳の時に転機が訪る。はじめて原爆ドームを目の当たりにした「悲惨な出来事が未来を生きる力につながる、そんな作品をつくらなくてはならない」と、メルヘンの世界で楽しませてきたことと現実を描くことのギャップに葛藤しながら、戦争や震災の作品に取り組み始める。戦争の苦しみや悲しみが忘れられようとしているいま、戦争体験者として自分が描かなければいけないと感じたそうだ。原爆ドームとの出会いを契機に、自らがアメリカの本土上陸作戦の防衛最前線にいた時の記憶を描いた「九十九里浜旧香取海軍航空基地掩体壕のおもいで」、特攻隊で亡くなった親友を想って描いた「平和の世界へ」など、次々と作品を生み出す。東日本大震災が起きた2011年には、防護服を着て被災地の姿をデッサンして回った。「福島 原発ススキの里」は、原発そばの川で産卵のために遡上している鮭に、災害を乗り越えて新しい未来をつくっていく自然と人の姿を重ね合わせている。
若き日はメルヘンの世界を描くことが多かった藤城だが、年齢を重ねるとともに自然や時を超えて残る建造物、物語の美しさにひかれるようになる。万物すべてを兄弟姉妹として愛した「アッシジの聖フランシスコ」を描いた連作は、構想から21年の時を経て92歳の時に絵本として出版された。93歳での連載となった「家庭画報」のシリーズは、1か月ごとの日本の四季の移り変わりを描いた作品。12か月全ての作品が揃うのは、大阪で行う展覧会としては初となる。
「藤城清治101 アビーと共に生きる」 (c)Fujishiro Seiji Museum 2025
藤城清治の創作意欲はとどまることを知らない。101歳の誕生日に公開された「藤城清治101 アビーと共に生きる」には、混沌とした現代から明るい未来へと向かっていく希望が描かれている。そのほかに100歳以降に制作した展覧会初公開の最新作を複数展示する。
そんな展覧会の入り口で最初に出迎えるのは、横6m×縦3mの大作「日本一大阪人パノラマ」。大阪の名所が魅力的に描かれている。
「生きている喜びをともに」 (c)Fujishiro Seiji Museum 2024 ※同展出品作品と異なる場合あり
『藤城清治101歳展 生きている喜びをともに』は2025年10月22日(水)~2026年1月4日(日)に開催。