90年代英国アートのマスターピースを見逃すな 『テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート』レポート
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コーネリア・パーカー《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》1991年、テート美術館所蔵
六本木の国立新美術館にて、『テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート』が開催されている。「YBA」とはYoung British Artistsの略で、1990年代のイギリスからアート界に衝撃と革新をもたらした若手アーティストたちのこと。本展は、イギリスのアートの殿堂・テート美術館がお届けする「90年代英国アートの全貌!決定版」とでもいうべき総括的な展覧会である。そもそもは日本をはじめとした海外向けに企画されていたものだが、2026年末には本国イギリスにも逆輸入されることが決まっているらしい。それはつまり、テート美術館のキュレーターたちにとって、この展覧会が“自信作”という事である。
会場エントランス
本記事では開幕前日に開催されたメディア向け内覧会の様子とともに、いくつかの展示をピックアップして紹介していく。個人的な感想をまず率直にお伝えすると、とても理解しやすく、思索を深めやすい展覧会だった。これなら誰もが予備知識なしでかなり楽しむ事ができるのではないかと思う。ただし、性や肉体の表現が露骨なところもあるので、親子連れや初めてのデートで行くなら、少しだけ心の準備をしておいた方がいい……かもしれない。
20世紀を代表する画家の大作が来日!
展示冒頭で来場者を迎えるのは、血のような生々しい赤が目を奪う、巨匠フランシス・ベーコン最晩年の大作《1944年のトリプティク(三幅対)の第2ヴァージョン》だ。ベーコンは2度の世界大戦から東西冷戦の集結までという激動の時代を生きた画家で、ぐにゃりと歪んだ肉体の表現が特徴だ。暴力、苦痛、剥き出しにされた感情……彼の画面ににじむ叫び出したくなるようなパッションは、イギリス次世代のアーティストたちに多大なインスピレーションを与えたのだという。
『テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート』国立新美術館、2026年、展示風景
この作品が描かれたのとちょうど同じ1988年、当時大学生だったダミアン・ハーストが、空き倉庫を会場とした野心的な若手展覧会「フリーズ」を開催。それこそが、YBAの歴史の出発点である。ベーコン作品に渦巻く熱・叫びを引き継ぐかのように、展示はダミアン・ハーストの作品へと続いていく。
若者には言いたい事が溜まっている
ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》1991年、テート美術館所蔵
ダミアン・ハーストといえばサメなどをガラスケースでホルマリン漬けにした作品が有名だが、本作でガラスケースの中にあるのはデスクと椅子。密閉された息苦しいデスクの上にはタバコと灰皿がぽつんと置いてあり、灰皿には吸い殻が大量に溜まっている。どうもデスクの主はこの場所でタバコを吸っているようだ。煙い、煙すぎる。それはどこへも行けない閉塞感が漂う。
クリス・オフィリ《ユニオン・ブラック》2003年、テート美術館所蔵
詳しい社会背景については会場に丁寧な解説もあるし、細野晴臣&齋藤飛鳥による音声ガイドもおすすめだが、簡単にいってしまえば90年代初頭のイギリスは失業率の悪化と広がる格差にあえいでいた。当時のイギリスの若いアーティストたちにとっては社会への不満・不安・不信こそが創造のエネルギーで、どの作品も鑑賞者へ問いかけてくる力がとても強い。テーマによってはとても他人事とは思えないため、展示を巡る中で何度もハッとさせられることになるだろう。
最初の展示室が、濃すぎる
ギルバート&ジョージ《裸の目》1994年、テート美術館所蔵
《裸の目》はふたりのアーティストが自身の身体を晒し、その「見ている人」のことをじっと向こう側から見つめ返す、という作品。英題「Naked Eye」の「EYE(目)」は「I(私)」とダブルミーニングになっているらしい。裸の目とは、色眼鏡をかけていない透徹した視線という意味だろうか。どうしても丸出しの局部に目が行ってしまう私たちのことを、じっと彼らは見ている。これはアート鑑賞だから……というエクスキューズが許されず、「へえ、あなたはそういう人間なんですね」と言われているようでものすごく恥ずかしかった。なんで全裸の彼らよりこっちが恥ずかしくなるのだ!
ディノス・チャップマン、ジェイク・チャップマン《戦争の惨禍》1993年、テート美術館所蔵
展示室の構成がとても巧みで、その正面には《戦争の惨禍》という作品が展示されている。ゴヤによる同名の版画集をミニチュア立体化した作品で、どのピースも近くで見ると目を背けたくなる残虐なシーンばかりだ。ところが不思議なことに、ミニチュアになっていると全く感情移入ができずに、「わあ〜、よくできてる」と、なんだか心が弾んでしまうのである。「寄れば悲劇、引けば喜劇」というチャップリンの言葉もあるが、これはきっと遠くの戦争に対する私たちの無関心・ヒトゴト感を浮き彫りにしているのだと思う。そんな私たちのことを、向こう側から《裸の目》が見ているのだと気づいてギクッとした。
映像作品はとにかくおすすめ
本展はテーマごとに全6章で構成されている。正直なところ序章〜第1章の「ブロークン・イングリッシュ:ニュー・ジェネレーションの登場」だけでも大満足のボリュームなので、時間配分に要注意である。とりわけ注目したいのは「スポットライト」として章と章の間に設けられた小部屋で上映されている、尖った映像作品たちだ。
トレイシー・エミン《モニュメント・バレー(壮大なスケール)》1995-97年、テート美術館所蔵 ※本作は第6章に展示されている、同作家による別作品
トレイシー・エミン《なぜ私はダンサーにならなかったのか》は、アーティストの自分語りと故郷の風景カットで構築された、自伝的ショートフィルムだ。内容について詳しくは触れないが、モノローグの求心力が強く、途中からでもグイグイと引き込まれて見てしまう。自分の過去や苦悩を露出する彼女の作風は好みが分かれるかもしれないけれど、個人的にはものすごく共感して心が震えた。
そしてまた、撮影不可の真っ暗な小部屋で上映されているサイレント作品《熊》も必見。映画監督としても知られ『それでも夜は明ける』でアカデミー賞作品賞を受賞しているスティーヴ・マックイーンによる、初期代表作である。この作品に、熊は出てこない。ひたすらに、全裸の黒人男性ふたり(ちなみに片方は作家本人)が何もない空間でつかみ合っているだけの映像だ。「食うか食われるか」の緊張感をみなぎらせる男たちは、命懸けで戦っているようにも見えるし、性的にじゃれあっているようにも見える。怖いような卑猥なような、グロいような神聖なような、見れば見るほど感情が定まらなくてザワザワする。強烈なインパクトゆえにこれまた好みが分かれそうではあるが、直視してみる価値が大いにある作品だ。
ブリティッシュカルチャーの躍動
90年代イギリスでは、音楽を中心としてアート・ファッション・広告といったカルチャーが垣根をこえて互いを刺激し合う一大ムーブメントが生まれた。本展では主に第3章「あの瞬間(とき)を共有する:音楽、サブカルチャー、ファッション」で、当時の文化のうねりや、アーティストたちの交流の様子を見ることができる。
『テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート』国立新美術館、2026年、展示風景
カルチャー誌『ザ・フェイス』の表紙を飾るのはブリット・ポップのスター、ジャミロクワイのジェイ・ケイと、オアシスのリアム・ギャラガー。左手のブラーの印象的なアルバムジャケットは、“目が点”の作風でよく知られるアーティスト、ジュリアン・オピーが手掛けたものだ。
ヴォルフガング・ティルマンス《座るケイト》1996年、テート美術館所蔵
当時のカルチャーアイコン的ファッションモデルのひとり、ケイト・モスのポートレートは、イギリスを代表する写真家のヴォルフガング・ティルマンスが撮影したもの。プリントした大小様々な写真をピンやテープで直接壁に留める展示方法は、ティルマンスのこだわりのポイントだったのだという。作家は作品どうしの大きさのバランスや余白のリズム、鑑賞者の視線の流れを綿密に計算した上で、展示空間そのものをインスタレーションとして提示しているのだ。ぜひ会場で実際に体感してみてほしい。
押し付けられる幻想を打ち砕く
肉体と精神、エイズといったテーマに切り込む第4章の「現代医学」も非常に見応えがあったが、レポートが長くなってしまうので、続いては第5章「家という個人的空間」について触れたい。ここで出会う作品たちは、どれも「家庭ってそんなに平和でキレイなものじゃないよね」という告発に満ちている。家庭とは安らぎの空間で、そこにはニコニコしたお母さんと外で頑張るお父さんとボクがいて……メディアによってばら撒かれるそんなステレオタイプを批判し、現実の家庭に潜むカオスを鑑賞者に突きつけてくるのだ。これは現代の私たちにとっても特に共感しやすいテーマなのではないだろうか。
モナ・ハトゥム《家》1999年、テート美術館所蔵
会場奥で異彩を放つ、そのものズバリ《家》というタイトルの作品が面白い。テーブル上には鍋、ナイフ、おろし金……といった金属製の調理器具やカトラリーが並んでいる。それらはワイヤーでつながれて電流が流されているらしく、近寄るとブオーン、と深夜の冷蔵庫のような低い唸りが聞こえる。その音がまるで家事ストレスの象徴のようで、不穏としか言いようのない印象を受ける作品だ。
サラ・ルーカス《煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ)》1999年、テート美術館所蔵
《煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ)》もまた、ジェンダー・バイアスへの明確な批判……というより「こういうのがいいんですよね?」とでも言いたげな、挑発に満ちた作品である。セクシーな黒いブラジャーで支えられた胸は、実物の煙草で覆い尽くされている。なるほど確かにこれなら、ひと休みしながら煙草もおっぱいも吸えるし、理想的なのかもしれない。ぱっと見は「よくある椅子に胸パッドが付いたジョーク的なオブジェ」だったはずが、次第にこの椅子が記号化された女性そのものに見えてこないだろうか。
リチャード・ハミルトン《一体何が今日の家庭をこれほどに変えているのか?》1992年、テート美術館所蔵
なおこのセクションには、ポップアートの解説で必ず目にする名作コラージュ、ハミルトン《一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか?》(1956年)の36年越しの改変バージョンが展示されている。マッチョなのが男性から女性になっていたり、窓の外に戦車があったりと、きつめの皮肉が炸裂しており、旧作との比較だけで一日楽しめそうである。アートファンは見逃さずにチェックを。
時を止めた爆発
第5章と第6章の間にある「スポットライト」では、コーネリア・パーカーの《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》が来場者を待っている。なんと作家は英国陸軍に依頼して庭の物置小屋を爆破してもらい、その残骸ひとつひとつを天井からぶら下げることでこのインスタレーションを完成させている。作家を駆り立てた背景には、当時のイギリスで立て続けに起きていたアイルランド共和軍による爆破事件があったという。
コーネリア・パーカー《コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ》1991年、テート美術館所蔵
中央の電球がつくる影が空間中に広がり、まるで爆発の瞬間に時が止まったような感覚に襲われる。時計、おもちゃ、自転車……物置小屋に蓄積されたモノや思い出がバラバラになって飛び散るさまは、最後の走馬灯のようにも思える。
同・部分
タイトルにあるコールド・ダーク・マターとは、宇宙を構築するための母体となる物質のこと。ビッグバンでこの宇宙が始まったように、作家が表してみせたこの爆発も、終わりであると同時に新しい何かの始まりなのかもしれない。
本当に「なんでもない」ものがアートに
最後の第6章「なんでもないものから何かが生まれる:身近にあるもの」では、身の回りの日用品にアーティストが少しだけ手を加えることで、見える世界をガラリと変えてしまうようなトリッキーな作品たちに出会える。中でも、衝撃的だったのはこちら。
シール・フロイヤー《モノクロームのレシート(白)》1999年、テート美術館所蔵
レシート……である。国立新美術館近くにあるコンビニのレシートが、作品として展示されている。解説によると、「白いモノを買う」というミッションそのものがこの作品なのだという。展示されるたびに各会場の近隣でミッションが実行され、そのレシートがこうして掲げられるのだそう。
見れば確かに、購入されているのはトイレットペーパー、コピー用紙、塩むすび、雪見だいふくetc...どれも白いものばかりだ(レジのスタッフさんは果たしてこの企みに気がついただろうか?)。白いものだけを選んで、ホワイトキューブ(美術館の白い壁に囲まれた展示室)にもっともらしく展示するというのは、美術界への皮肉に満ちているように感じられた。
YBAらしさ全開のオリジナルグッズが、かなりクール
ミュージアムショップ風景
おわりに、ミュージアムショップで販売されている展覧会オリジナルグッズのハイセンスぶりを紹介したい。作品を大胆にあしらったタオルやトートバッグ、Tシャツはどれもすっきりとしたデザインでカッコいいし、写真中央にあるダミアン・ハーストのガラスケースをイメージしたクリアポーチも可愛い(もちろん煙草か社員証を入れたい)! また、これは特筆したいポイントだが、本展は解説文が現代アートの展覧会にしてはわかりやすく親切な言葉で書かれているので、知識の礎として公式図録(税込3,300円)を手元に置いておくのもおすすめだ。
「バウムクーヘン(4個入り)」税込2,000円 何も説明しないシンプルな商品名にセンスを感じる。
なんと中には《煙草のおっぱい》をイメージしたバウムクーヘンも。
『テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート』国立新美術館、2026年、展示風景
90年代イギリスの、いわば過ぎ去った時代の“現代アート”を30年後に味わうのって、懐かしむ以外にどんな意義があるのだろうか? 正直いって鑑賞を始めるまで、そんな疑問があった。けれどはっきりと言える。30年経っているからこそ、一体あの頃に何が起きていたのか、それがどれだけの意味を持っていてどんな影響を及ぼしたのか、私たちはこの展覧会でクリアに見渡すことができるのである。そしてこの時代のアーティストたちが作品に込めた、存在の不安や欺瞞の告発、未知のものへの恐怖と好奇心といったメッセージは、今の私たちの心にもスッと入ってくる普遍的なものばかりだった。
本展は英国テート美術館という最高のキュレーターたちが用意してくれた、音楽で言うなら「ベスト盤」にあたる必見の展覧会だ。90年代の英国カルチャーに以前から興味があるという人もそうでない人も、これ以上ないほど入りやすい入口が、大きく口を広げて待っている。身構えすぎず、飛び込んでみてはどうだろうか。
『テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート』は国立新美術館にて2026年5月11日(月)まで開催。その後、京都市京セラ美術館へ巡回予定。
文・写真=小杉 美香
イベント情報
YBA & BEYOND: British Art in the 90s from the Tate Collection
会期: 2026年2月11日(水・祝)〜2026年5月11日(月)
会場: 国立新美術館 企画展示室2E(東京都港区六本木7-22-2)
休館日:毎週火曜日
※ただし2026年5月5日(火・祝)は開館
開館時間:10:00~18:00
※毎週金・土曜日は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで
主催: 国立新美術館、テート美術館、ソニー・ミュージックエンタテインメント、朝日新聞社
協力:日本航空、ヤマト運輸
後援:ブリティッシュ・カウンシル、J-WAVE
一般のお問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
【京都展】
会期: 2026年6月3日(水)〜2026年9月6日(日)
会場: 京都市京セラ美術館 新館 東山キューブ(京都府京都市左京区岡崎円勝寺町124)
主催: テート美術館、ソニー・ミュージックエンタテインメント、ABCテレビ、キョードーエンタテインメント、
京都新聞、FM802/FM COCOLO、京都市
協力:日本航空、ヤマト運輸
後援:ブリティッシュ・カウンシル