飯守泰次郎(指揮)「ドヴォルザークは故郷を自然に表現した作曲家です」
新国立劇場のオペラ芸術監督を務める、指揮界の重鎮・飯守泰次郎。オーケストラへの客演も多い彼はこう語る。
「私はオペラとシンフォニーを分けて考えるのには反対なんです。ヨーロッパの指揮者は主に、オペラに始まり、シンフォニーで完成されていきます。私もオペラでどんな演奏をし、それがいかにコンサートに反映されているかを見ていただけると嬉しいですね」
彼はこの8月、日本センチュリー交響楽団の定期演奏会を、何と17年ぶりに指揮する。しかも同楽団が「挑戦」を今年のテーマに掲げて意欲的な活動を行っているだけに、注目度は高い。
「前回はセンチュリーの創設後10年経たない時期でしたから、若くて新鮮な演奏をする印象が残っていますが、その後は関西フィルの常任指揮者(2001〜10年)の立場上、同じ大阪での客演を控えていました。彼らは今、様々な工夫をしながらファンを開拓していますし、久々の客演が楽しみです」
今回は「オール・ドヴォルザーク・プログラム」。ドイツもののイメージの強い飯守だが、「独墺ものと共に力を注いでいるのが国民楽派」であり、「ドヴォルザークは大好きな作曲家」。その魅力は「自然体の人柄そのもの」にあるという。
「作曲家は文化を担う存在です。例えばワーグナー、ブラームス、ベルリオーズ等は、髪型や服装も流行の最先端を意識し、作曲家らしい顔というものを持っています。しかし私が知る限り、流行に全く関係のないパーソナルな作曲家が2人います。ブルックナーとドヴォルザークです。ブルックナーは教会とオルガン、ドヴォルザークは生まれ故郷に一生こだわりました。ドヴォルザークは、ロンドンで大成功を収めても、母への手紙に『故郷が懐かしい』旨を綿々と綴り、アメリカで成功しても『いつ故郷に帰れるか』を常に考えていました。私は彼がそうして故郷ボヘミアのメロディや舞踊を自然に表現した点に魅力を感じます」
演目は、前半が序曲と「テ・デウム」、後半が交響曲第7番。通常の名曲集とは異なる内容が実に興味深い。
「7番の魅力は、ドヴォルザークの故郷の自然な姿が表れている点と、自分のアイデンティティを苦労しながら探している点。まず多用された3拍子系のメロディや舞踊のリズムに、アイデンティティを見つけようとする創造性が感じられます。例えば8番は自信漲る完璧な作品で、9番の作曲技法は円熟の極致ですが、7番はそこに向かう途上にあるのが、逆に魅力的です。また彼のロマンティックな内面もよく表れています。それはニ短調の憂いと深さ。同じ調のモーツァルトのピアノ協奏曲(第20番)に通じるキャラクターです。私は彼がこの調性を選んだことにも共感を覚えます」
「テ・デウム」も、オーケストラ公演での演奏は稀だ。
「渡米前に『アメリカの旗』という曲を依頼されながら、歌詞が間に合わず、代わりに作曲したのがカトリックの典礼であるこの曲。でも輝かしい『ハレルヤ』が入っていますし、ト長調の曲に三度調への民族的な転調が多く用いられ、ハーモニーもシンプルです。やはり彼の心情が自然に表れた素晴らしい音楽なので、もっと演奏されてもいいはずです」
1曲目の序曲は初日が「謝肉祭」、2日目が「オセロ」。渡米直前に完成された三部作「自然と人生と愛」の第2、3曲目にあたる。
「『謝肉祭』は、民族的でエネルギッシュで、ドヴォルザークには珍しいほど派手な作品、『オセロ』は嫉妬がもたらすシェイクスピアの悲劇をイメージ的に描いた激しい音楽です。三部作には『自然のテーマ』と呼ばれる共通のメロディがあって、『謝肉祭』では中間部の美しい一節となり、『オセロ』では導入部から半音階的に歪められて登場します。三部作の中に同じ『自然のテーマ』が使われているのは、彼にとって自然がいかに大事であったかを表わしていますね」
センチュリー響には、金曜公演の際に翌日公演を半額で買える「おか割」制度もあるので、できれば両方を体験したい。
「一見変わっていますが、『聴いてみればわかる』プログラム。人間ドヴォルザークのありのままの姿、自然な創造力を楽しんでもらえると思います」
ここはぜひその真髄に触れたい。
取材・文:柴田克彦 写真:藤本史昭
(ぶらあぼ + Danza inside 2015年8月号から)
飯守泰次郎(指揮) 秦 茂子(ソプラノ) 小森輝彦(バリトン)
大阪センチュリー合唱団
8/28(金)19:00、8/29(土)15:00 ザ・シンフォニーホール
曲/ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」(8/28)、序曲「オセロ」(8/29)、テ・デウム、交響曲第7番
問合せ:センチュリー・サービス
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