映画『国宝』で主要映画音楽賞を席巻した原摩利彦インタビュー〜原点としてのピアノ、そして坂本龍一や野田秀樹から受け取ったもの
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原摩利彦 Photo by 上野裕二
現代アートや演劇と共鳴してきた気鋭の音楽家・原摩利彦が紡ぐ“境界のない音”
「作り手としては、音楽の周りのこと、今世界で何が起きているかを知ることがとても大事です」――日本中を席巻した映画『国宝』の音楽を担当し、「MUSIC AWARDS JAPAN 2026」では最優秀劇中伴奏音楽賞(映画)と最優秀サウンドトラックアルバム賞を受賞した原摩利彦。授賞式で彼が語った言葉は、祝祭感に満ちた会場にあって、ひときわ印象的だった。穏やかな光のなかに強さをたたえた、その音楽のように。
原摩利彦は、フィールドレコーディングや電子音を用いた音響作品、静謐なピアノを中心とした室内楽作品などで注目を集める作曲家。音楽だけでなく美術、ダンス、演劇、映画などアート全般に及ぶ幅広い活動のなかで、坂本龍一、高谷史郎(ダムタイプ)、野田秀樹、森山未來、ダミアン・ジャレ、名和晃平ら各界を代表するアーティストとともに作品を生み出してきた。
そうした多彩な活動のなかで、作曲家はなにを見つめ、なにを伝えようとしてきたのか。これまでの歩みを振り返りながら、創作に通底する思想と現在地について、じっくり話を聞いた。
■ 作曲家を志す契機となった坂本龍一との出会い
――はじめに音楽との出会いについて。子どもの頃からピアノを習っていたそうですね。
習いごとのひとつとして町のピアノ教室に通っていましたが、当時はまったく興味がもてなくて、10歳ぐらいでやめました。でも、中学生になってからもう一度、ピアノを弾くようになって。ベートーヴェンの音楽に出会ったり、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』(ベートーヴェンがモデルだと言われる作曲家を主人公にした長編小説)を読んだりしたのがきっかけだったと思います。ベートーヴェンの曲のなかで、「この音がいい!」という箇所を楽譜から見つけて弾いてみたり。楽譜通り上手に弾くことには興味がありませんでした。
――坂本龍一さんのコンサートに行って衝撃を受けたのもその頃ですか?
はい、1996年ですから13歳のとき。その頃、母の親友にピアノを習っていたのですが、その先生が連れて行ってくれたんです。アルバム『1996』にちなんだツアーで、ピアノが坂本さん、チェロがジャック・モレレンバウム、ヴァイオリンがエヴァートン・ネルソンというトリオでした。その頃の坂本さんは金髪で、美しさとカッコよさが混ざったあの感じに、とにかく惹かれましたね。
――『1996』はアルバムも名盤ですね。
坂本さんの追悼文にも書きましたが、マンションの暗い自分の部屋で、『1996』をCDコンポにかけたとき、1曲目の「ゴリラがバナナをくれる日」のヴァイオリンが入ってくるまでの、CDがキュルキュルキュルといっている「間(ま)」が、今もすごく記憶に残っていて。そこから「Rain」「美貌の青空」へと続いていく、あの流れが身体に沁み込んでいます。
当時、洋楽はWOWOWとかで聴いていたんですね。そういった音楽と、クラシックと呼ばれるような音楽は、まったく違う世界のものだと思っていました。けれど坂本さんの音楽に出会って、ベートーヴェンやブラームスのような作曲家の流れに連なる人が、今も同時代に生きていることに衝撃を受けたんです。それで、自分も作曲家になりたいと思うようになりました。
――作曲家の系譜に連なる存在に自分もなりたいと。
そこまでは考えていませんでした(笑)。とはいえ、どうやったら作曲家になれるのかもわからなかったので、個人の先生に作曲のレッスンを受けることにしました。中学3年から高校3年の手前ぐらいまで、大阪まで2時間かけてレッスンに通って。けれど、いわゆる「音大受験」の界隈になじめなかったこともあって、音大には進学しませんでした。僕はそこでがんばっても、いい音楽家にはなれなかったと思います。
――ほかに好きなクラシックの作曲家はいましたか?
ブラームスの後期作品、あとショパンもよく聴いていました。あの甘さが僕にはちょっとトゥーマッチでしたが。あとは武満徹ですね。1996年は坂本さんのコンサートにはじめて行った年でもありますが、武満が亡くなった年でもあるんです。そう思うと、自分の音楽の起点だったのかなと思ったり。最近、映画音楽を書くようになって、いっそう武満のことを考えるようになりました。
それと作曲家ではありませんが、じつは影響を受けていたと思うものにグレゴリオ聖歌があります。愛媛に住んでいた祖父母の家の近くにカトリックの神学校があって、スペインやイタリアから来た神学生がよくホームステイしていました。子どもの頃、祖父母の家に泊まりに行っては留学生と一緒に遊んだり、クリスマス・パーティをしたり。カトリックの文化に触れて育ったので、グレゴリオ聖歌は好きで、よく聴いていました。
――カールハインツ・シュトックハウゼン(現代音楽の作曲家)から手紙をもらったこともあったとか。
シュトックハウゼンの初期の電子音楽が好きで、2005年に来日した際、自分の作品のデモ音源を渡したんです。そうしたら数ヶ月後に手紙が届いて、「君はきっと映画音楽家になるだろう」と書いてありました。
■ピアノは「音楽を追いかける」自分の原点
――音大には進まず、京都大学の教育学部に進学してからも、作曲を続けていたのですね。
大学に入ってからは、コンピューターを買ってDTMをはじめました。それからは自主制作音源を制作して、ネットで海外のレーベルを見つけてはデモ音源を出す日々。イタリアやベルギーのレーベルから自主制作盤をリリースしたり、Myspaceで海外のアーティストとつながって、フランスの朗読家との共作でテープコラージュのアルバムを作ったりもしました。
正式なリリースとしては、2009年にデジタルのみで配信された『Nostalghia』、2011年にはじめて国内流通されたCD『Credo』からでしょうか。当時はビートやノイズ、エレクトロニカといった、いわゆるラップトップ中心の音楽でしたが、あらためて聴いてみても、今とあまり変わってないと思う部分もあります。
――2000年代初頭は、エレクトロニカ、ポストクラシカル、音響系あたりのシーンが盛り上がっていた時期でしたね。
ちょうど僕が大学に入った2004年前後がまさにそうでした。ミカ・ヴァイニオやオヴァル、ハウシュカ、日本のアーティストだと高木正勝さん、青木孝允さん、半野喜弘さん、池田亮司さんなど、よく聴いていました。
――初期のアルバムは、メロディがほとんどなくて、フィールドレコーディングやさまざまな素材を用いて、音のテクスチャーを聴かせる作品が多いですが、2013年の『Flora』あたりから次第にピアノの音が入ってきて、2017年の『Landscape in Portrait』ではピアノでしっかりメロディを紡いでいます。これは、原さんのなかでなにか変化があったということですか?
いえ、ずっとピアノの作品を作りたいと思っていましたが、最初の頃はピアノの録音ができなかったんですよ。家でマイクを立ててもうまく録れないですし、スタジオに入って録るという発想もなくて、ノウハウがなかった。それと、先ほどのエレクトロニカ人気の影響もあって、ラップトップで作りはじめたという感じです。
ただ、メロディに関しては、昔は書けなかったんだと思います。書かないようにしていたのかな、甘くなりすぎるのを避けていたところもあります。それが自分も歳を重ねていくうちに、甘いかもしれないけれど、メロディを書いてみようと思うようになって。『Landscape in Portrait』ではピアノでメロディと向き合いました。
――原さんにとって、ピアノはどういう存在ですか?
それは、あらためて考えたことがなかったですね。自分はずっと「音楽ネイティブではない」というコンプレックスのようなものがあって、ずっと音楽を追いかけている感覚なのですが、それでもピアノは自分に近いところにある気がします。すごく弾けるわけではないのですが。
――身体の一部分のような? それとも、自分の内面を代弁する声?
うーん、あえて言えば「袖」でしょうか。身体の一部分というほどではなく、触れている感じ。
――面白い感覚ですね。
面白いといえば子どもの頃、家に置いてあった祖母のアップライトピアノが、象牙の鍵盤で、ルビンシュタインというメーカーの名前が書いてありました。祖母はドイツから輸入したと言っていたのですが、近年調べたら日本製だということがわかって(笑)。僕はそのピアノの音色が大好きで、『Flora』はそのピアノを使って録音しました。
その後、高校生のときに母が中古のグランドピアノを買ってくれました。ヤマハのG1というピアノで、工場まで行って、いろいろ弾いて選んだお気に入りです。すごく柔らかい音がして、買ったときからずっと同じ調律師さんに、今も調律していただいています。
アンサンブルの作品を書くようになる前は、自分ひとりで録音していましたから、ピアノはいちばん身近にいて、付き添ってくれる楽器でした。メロディを奏でるだけでなく、音を引き延ばしてエレクトリックなドローン音を作ったり、ノイズみたいな音を作ったり、自分が拡張したい音響を手伝ってくれる存在でもありました。
■ 坂本龍一とのピアノセッションで胸に刻んだ「音楽家としての覚悟」
――2010年にダムタイプ(京都を中心に活動するアーティスト集団)の高谷史郎さん演出のパフォーマンス作品『明るい部屋』にアシスタントとして参加されてからは、アートシーンにも活動が広がっていきました。
高谷さんを知ったのは、1999年の坂本さんのオペラ《LIFE》で映像を担当されたときでした。『明るい部屋』やそれに続く『CHROMA』は、身体、映像、照明、音などが総合的に組み合わさった舞台で、僕は音響の担当でしたが、ときには会場の設営を手伝ったりと、さまざまな経験をしました。
ダムタイプの仕事を通して学んだことは、ネジ1本の位置に至るまで徹底したビジュアルへのこだわりです。ダムタイプのオフィスでは、機材整理をするときのテープのラベリングのフォント(書体)にもこだわっていましたし、テクニカルライダー(公演の技術的な要件をまとめた仕様書)のデザインも教え込まれました。
――2012年には、サウンドアーティストの鈴木昭男さん、evalaさんとYCAM(山口情報芸術センター)で即興セッションをされました。
それまであまりセッションをしたことなかったので、最初のリハーサルでは全然音が出せませんでした。鈴木さんとevalaさんの出す音に対して、自分はどんな音を出したらよいのか、まったく手が出なくて。よく「音楽家は音を聴くことが大事」と言われますが、やっぱり音を出さなくちゃはじまらないという、ごくごく当たり前のことに気づかされました。このセッションから、僕のなかでなにかがゆっくりと変わっていったような気がしています。
――2014年には、NHK FM『坂本龍一 ニューイヤー・スペシャル』で坂本さんとの即興セッションが叶いました。
坂本さんのラジオ番組にデモ音源を送ったり、京都の法然院でのシークレットライヴではじめてお会いしてデモ音源をお渡ししたりして、かねてから坂本さんに名前は覚えていただいていました。けれど、まさか自分がセッションの相手として呼ばれるとは思っていなかったので、すごく驚きました。というのも、僕はこの通り、坂本さんから大きな影響を受けています。坂本さんは自分とは異なるフィールドのアーティストとのセッションはよくされていましたが、自分の影響下にあるアーティストとセッションすることはないと思っていたので。
セッションでは、坂本さんと音で会話しながら、「覚悟はあるのか?」と問われているような気がしました。まさに稽古をつけていただいた感じです。自分は坂本さんから影響を受けていることを認めたうえで、この先もやっていかなくてはいけないと思いました。
――坂本さんは、原さんに託したかったのでしょうね。とはいえ、坂本さんの音楽と、原さんの音楽は違うものです。
その通りで、ピアノのタッチにしても、僕は坂本さんほど重くはなくて、どちらかというと軽めですし、全然違うんですよね。
僕の分析では、坂本さんのタッチは重心がしっかりしていて、甘いメロディを弾いたとしても、そこに重みと強度があるので、決して甘くは響かないんですよ。だからいちばん危険なのは、坂本さんに憧れて音楽を作って、甘いメロディの上澄みだけを取り入れて自分の作品に落とし込むこと。それはもう、ペラペラの薄い音楽でしかないんです。
■ 映画『国宝』に込めたリスペクト
――2015年には、坂本さんの紹介で彫刻家の名和晃平さんと知り合い、名和さんの紹介で劇作家・演出家・役者の野田秀樹さんと知り合ったそうですね。
名和さんは、泡や煙、片栗粉といった素材を舞台美術に取り入れたりして、彫刻という枠を超えた表現を生み出しているアーティスト。自分が音楽で追求しているテクスチャーを、ビジュアルの方で追求している人なので、一緒に作品を作っていてとても刺激になります。
ちなみに名和さんとは子ども時代、同じ街に住んでいて、同じ文房具屋さんに通っていたことが、後からわかったんですよ。ジャッキー・チェン好きという共通点もあって、それを聞いた野田さんが僕を舞台作品の音楽担当に選んでくれたんです。
――意外なところでつながりましたね(笑)。
野田さんからは、自分のやりたいことを妥協せず、ときに難解であったりしても、多くの人に見てもらえる作品の作り方を学んだと思います。
野田さんの舞台の音楽を担当したとき、最初はどうしても音楽的な展開を考えてしまったんですよね。助走をつけてバンッとクライマックスにいくような。けれど野田さんは「ここはもう、助走なしでいきなりバンッといってほしい」と言うわけです。その方が演劇としては効果があると。そうやって、より広い層に作品を届けてこられたんだなと思いました。
――広い層に届けるという意味では、原さんの音楽も、これまで現代美術やダンス、演劇などになじみのなかった人たちを、それらの芸術へと導く入り口になっていくのではないかと思います。坂本さんがそうであったように。
自分は坂本さんのような紹介者ではありませんが、幸いにもいろいろなフィールドを行くことができます。言うなれば、渡来人みたいなものですよね。ひとつのフィールドで得たものをまとったまま次のフィールドへ行き、「そういう考え方もあるんだ」と感じてもらう。そうして、これまで出会うことのなかった人たちが互いを意識したり、知ったりするきっかけになれば嬉しいです。自分がその媒介になれたらとは思います。
――ここ数年は、映画音楽の仕事も多く手がけられています。2020年のコロナ禍でオーケストレーションの勉強をしたことが、ひとつのきっかけとなっているのでしょうか?
結果的にそうなった、という感じですね。学生時代のレッスンは和声の初歩までしか習っていなかったので、独学で勉強しようと何度も管弦楽法の本を買っては挫折していました。年齢的にも30代後半になり、このままアンサンブルを書かないで終わる作曲家人生かなとも思っていました。でも、『The Study of Orchestration』(Samuel Adler 著)という英語の本と出会ってから、読み進められるようになったんです。ちょうどコロナ禍で家にいたので、毎日少しずつ勉強して、その次の年にはアンサンブルが書けるようになっていました。
――2022年には、李相日監督の『流浪の月』ではじめて本格的な映画音楽を書かれました。
ずっと以前から映画音楽を書きたいと思っていたので、やっとここまできたという思いでした。
――ドラマの音楽制作では、あらかじめテーマごとに曲を書いておき、映像が上がったあとで、制作スタッフが各シーンに音楽を配置していくという手法をとることも多いですが、そういった制作方法に戸惑いはありませんでしたか?
僕の場合はメインテーマとなる音楽を作るのにいちばん時間をかけます。メインテーマさえ作品のコンセプトと深いところでつながっていれば、あとはどの音楽がどのシーンに使われても、それほど外れることはないのではないかと思います。
ただ、メインテーマを書き上げるまでには産みの苦しみがあります。NHKではじめて音楽を担当したドラマは、僕と同世代ぐらいのマラソンランナーの男性が主人公で、癌になって亡くなってしまうストーリーだったのですが、この音楽を作るときは、僕も毎晩走っていました。主人公の心情をしっかり掴みたかったから。
――同じく李監督の映画『国宝』も、羽ばたいていくようなストリングスのメインテーマがとても印象的でした。
ヴァイオリニストであり、オーケストラ・リーダーをお願いした須原杏さん、チェロだけでなくヴィオラ・ダ・ガンバやリュートも弾く多井智紀さんといった素晴らしい音楽家たちのおかげです。
――唄、三味線、鳴物といった歌舞伎の音楽に、西洋楽器の音色が重なっていくシーンも自然で、エモーションが高まっていきました。
日本の伝統楽器と西洋楽器の音を重ねることに批判的なご意見もあるでしょうが、僕にはまったく迷いはありませんでした。というのも、野田さんと新作歌舞伎を作ってきたなかで、古典に新しい演出を入れて切磋琢磨している歌舞伎界の方々の姿を見てきたから。伝統芸能の一流の方ほど、ただ伝統を守るばかりでなく、新しい挑戦に意欲的です。そういった方々へのリスペクトを込めて、ありのままの自分の音楽を書きました。
――では最後に、今後の活動について。これまであまりやってこなかったコンサート活動にも力を入れていきたいとのこと。
2026年は、自分の音楽にとって起点となった1996年からちょうど30年なんですね。だからというわけでもないのですが、須原さん、多井さんとのトリオでコンサートがたくさんできたらいいなと。お寺やデパートの屋上などちょっと変わった場所で演奏することも好きです。
それと同時に、自分ではない誰かにレパートリーとして弾いてもらうことも大切です。そうやって作品は後世に残っていくわけですから。
――とても興味深いお話をありがとうございました。コンサートを聴ける日を楽しみにしています。
Text by 原典子(音楽ジャーナリスト)/ Photo by 上野裕二 / Hair & Make-up by 冨田愛美
プロフィール
京都大学教育学部卒業。静けさの中の強さを軸に、ピアノを中心とした室内楽やフィールドレコーディング、電子音を用いた音響作品を制作する。2020年にBeatink(Beat Records)よりアルバム『PASSION』、2021年に『ALL PEOPLE IS NICE』をリリース。アーティストグループ「ダムタイプ」にも参加。野田秀樹作・演出の舞台『正三角関係』『フェイクスピア』、新作歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』、ダミアン・ジャレx名和晃平『VESSEL』、映画『国宝』(李相日監督)、『流浪の月』、NHKドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』『手塚治虫の戦争』、NHK『日曜美術館』テーマソング(坂本美雨と共作)などの音楽を担当。『国宝』では主題歌『Luminance』(feat. 井口理)も手掛ける。その他、JUNYA WATANABE COMME des GARÇONSのショー音楽や東京2020オリンピック開会式追悼パート、羽生結弦アイスショー『Prequel : Before the WHITE』、ゆずとの共作で「幾重」、森山直太朗の「愛々」では須原杏とともに編曲を担当するなど活動は多岐にわたる。2024年より世界遺産を舞台としたコンサート「OTOBUTAI」の音楽監督を務める。第49回日本アカデミー賞最優秀音楽賞および主題歌賞、MUSIC AWARDS JAPAN 2026最優秀劇中伴奏音楽賞・最優秀サウンドトラック賞、第67回日本レコード大賞特別賞、毎日映画コンクール音楽賞など受賞多数。
オフィシャルHP:https://www.marihikohara.com/
instagram:https://www.instagram.com/marihikohara/
公演情報
日程: 2026年9月21日(月・祝)、22日(火・祝)
会場: 京都文化博物館 別館ホール
【Day1】Trio
日時: 2026年9月21日(月・祝) 開場 17:30 / 開演 18:00(19:30終演予定)
出演: Marihiko Hara Trio(原 摩利彦、須原 杏、多井 智紀)
【Day2 昼の部】0歳から入場可
日時: 2026年9月22日(火・祝) 開場 14:30 / 開演 15:00(16:00終演予定)
出演: Marihiko Hara Trio(原 摩利彦、須原 杏、多井 智紀)
【Day2 夜の部】Piano Solo
日時: 2026年9月22日(火・祝) 開場 17:30 / 開演 18:00(19:30終演予定)
出演: 原 摩利彦(Piano Solo)
詳細:https://nightcruising.jp/marihikohara_fass2026/
原摩利彦、Billboard Liveでライブの開催が決定!
2026年12月14日(月) @Billboard Live TOKYO
2026年12月22日(火) @Billboard Live OSAKA
※詳細は後日発表いたします。